年越し派遣村に思う
年越し派遣村の話題が、賛否両論で盛り上がっている。私は単純に、日本が変わる契機の一つになれる可能性を感じている。まだ可能性というほかないのだが。
何しろ、首を切られた派遣は、切羽詰まっているのである。収入がない。収入がなくても、食わなければ死ぬのである。
日比谷公園に集まった 500人ともそれ以上ともいわれる「村民」たちは、全国で 8万人以上にも達するという派遣難民のごく一部である。多くはなんとか電車代か夜行バス代を支払って、田舎に帰ったのだろう。帰る田舎もない人たちは、日比谷公園しか行くところがなかったわけだ。
この日比谷公園の派遣村が、主にボランティアによって運営されたというのは、特筆すべき事だと思う。まあ、バックにいろいろな政治勢力の思惑が働いているのは言うまでもないのだが、それでも、これは画期的な出来事だ。
実際に見てきたわけじゃないので、あまり核心的なことは語れないが、さしせまった人の命を救おうというムーブメントが、実際に国や都を動かしている。こんなことは災害時を除いて、絶えてなかったことである。
総務省の坂本哲志政務官は 5日、仕事始めのあいさつで派遣村に集まった「村民」について、「本当に真面目に働こうとしている人たちが集まっているのかという気もした」と述べた。彼としては、バックに見え隠れする政治勢力に何らかの思惑を感じたということもあるのだろう。
その気持ちはわからないでもないが、今、そうした発言をするのは決して利益にならないということに、彼が気付かなかったということが、私は悲しい。状況は彼の想像を超えているのだ。何しろ、多くの人がまともに年を越せないいうところにまで来ていたのだから。
派遣村でタダメシ食ったりテントや役所の講堂でゴロゴロしている暇があったら、さっさと仕事を探せという意見も散見される。うん、確かに私がその立場だったら、必死に仕事を探し歩くだろう。
しかし、時は正月である。多くの事業所は、4日までは空っぽだったのだ。仕事を探すよりもまず、正月を飢えずに越すことの方が重要だったかもしれない。それに応える形として、派遣村というものが生まれたのは、大きな意味があった。これは確実なことである。
仕事を選ばなければ、とりあえず食うための収入は得られるという指摘もある。しかし実際には、コンビニのバイトだって応募すればすぐに採用というわけじゃない。一つの仕事に多くの人が殺到するので、なかなか決まらないのである。
この世に生きている限り、「仕事が全然ない」なんてことはありえない。しかしそのマッチングはいつでも不完全であり、不況になればなるほど、その不完全さの度合いは、個人の努力でなんとかなる領域を越えて増す。その不完全さを補う努力をするのは、社会の責任だ。
私は年越し派遣村的なところから、政治に束縛されないムーブメントが生じることを期待する。ただそうなるためには、今の派遣村の雰囲気は暗すぎて元気がなさ過ぎのような気がするし、特定の政治勢力に利用されやすい脆弱さをもっているとも思う。
しかしそれも、底を打てば変わってくるかもしれない。そこから何かが生まれるのでなければ、これは単にある年末年始の一過性のトピックに終わってしまう。
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コメント
そういえば、貧困者援助の炊き出しという情景が、欧米等に比べて少ないような気はしますね。
日本の社会や政府が冷たいからでしょうか?
私は、日本の場合は宗教界が冷たいんだと思いますね。
米国やフランスでは、地元の教会が中心になってスープの炊き出しなどをやっているのをよく見かけました。
国内では、あまり見たことも聞いたこともありません。
某宗教団体は定額給付金に熱心みたいですが。
投稿: きっしー | 2009年1月 6日 14:31
定額給付金というのは、その教団が麻生首相に押しつけたらしいですね
私がちょっと不思議だと思うのは、派遣難民のみなさんがしきりに無一文だと言い立てること
いやしくも、いままで派遣で働いてきたのに、無一文とは、良く理解できない
TBSニュースバードというニュース番組で、ある派遣難民を取材していました
彼は家族を北海道に残して、単身、東京で働いている
彼は曲がりなりにもアパートに住んでいる
しかし、今年の正月は北海道にも帰れないので、携帯電話で家族に正月の挨拶をしている
娘に「お父さん、がんばるよ」と話している
それはいいんですが、その取材の最後に「彼の仕送りが途絶えてもう二年になる」というテロップが流れました
数年?も単身で働いていて、二年も家族に仕送りをしていない?
家族はどうして暮らしてきたのか?
帰郷する金もないこの人は、収入をどう使ったのでしょうか?
どこがポイントなのかわからない、まか不思議な取材でした
投稿: alex99 | 2009年1月 6日 15:54
きっしー さん:
>私は、日本の場合は宗教界が冷たいんだと思いますね。
日本の神社仏閣は、やれ屋根瓦を修復するだの、何とか堂を建てるだのと言って、氏子・檀家に多額の寄付を要求しすぎます。
それ以上の慈善事業ができるほどの寄進を、氏子・檀家は負担する余裕がないのでしょう。
本来なら、寺社の作りを慎ましいものにしても、社会に貢献すべきなんでしょうが、氏子・檀家の方も、屋根瓦とかの理由でないと金を出したがりません。
結局は信心がおかしな形になっているからでしょうね。
こんな時にお粥の炊き出しでもやれば、その宗教はかなり株を上げるんでしょうにね。
その某宗教団体は、自分とこの何とか会館は立派なものを建てて、それ以外は税金を使おうという魂胆だし。
投稿: tak | 2009年1月 6日 18:47
alex さん:
>私がちょっと不思議だと思うのは、派遣難民のみなさんがしきりに無一文だと言い立てること
>いやしくも、いままで派遣で働いてきたのに、無一文とは、良く理解できない
寮費とかを引かれると、まともに貯金できるほどの余裕はなかったのでしょうが、それでも、「無一文」 というのは確かに 「ちょっとね」 という気もしますね。
ただ、個々人にはいろいろな事情があったりするので (うっかり連帯保証人になっちゃったせいで、多額の借金を返済中だったとか)、あえてこれ以上は書きません。
投稿: tak | 2009年1月 6日 18:49
takさん
>結局は信心がおかしな形になっているからでしょうね
まさにそれなんですよ。レーゾン・デートルを問われていると思うんですがねえ。
もっとも、サリン事件の教団のような所がここぞとばかりにリクルーティングに励むというふうになったら恐ろしいですね。知らないうちに、すでにそうなっているのかな?
投稿: きっしー | 2009年1月 6日 20:42
派遣として何年も働いていて解雇されたから翌月から食べるお金も住むところもないなんて不思議です。解雇されてもとりあえず食いつないでる人のほうが圧倒的に多いのですから。それなりの事情を持っている人もいるでしょうが貯金ゼロの生活をしていた結果ですよ。それをテレビは所持金10円だとテロップで流し、企業の非情さ政府の無策を強調するばかりで彼らの生き方に一切言及しないのが不思議です。
まあ、そんなこと言ったら批判の嵐にさらされるのが目に見えてるからなんでしょうが。
国民の多くは某政治家の発言に違和感を持っていないと思います。
投稿: 偽浜っ子 | 2009年1月 7日 13:29
偽浜っ子 さん:
>それをテレビは所持金10円だとテロップで流し、企業の非情さ政府の無策を強調するばかりで彼らの生き方に一切言及しないのが不思議です。
確かに、首を切られた翌日に所持金がカツカツというのもどうかと思いますが、現実に、1年以上失業して、バイトの給料はアパート代に消え、財布の中身が 200円もなくなったという失業者を知っています。
一日一食で生きていて、栄養失調にならないように、周りで時々まともなメシをおごってやったりしているうちに、なんとか就職できてほっとしました。
1年以上就職できず、帰る田舎もなく、バイト代で辛うじて生きているという人も多いのです。
財布に 1000円札が一枚もないという状況は、なかなか大変なものだと思います。
投稿: tak | 2009年1月 7日 23:11