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2009年2月 1日

『唯一郎句集』 レビュー #3

「唯一郎句集」レビューの第三弾。唯一郎は私の母の実父で、その間の事情については、昨年 9月 27日付の記事に書いてある。

昨日に続いて、「朝日俳壇」 時代の四句を紹介する。やはり大正 10年頃の作品と思われる。なにしろ、句帳を持たない人だったので、その辺は漠然としている。

Crack_090201 いずれにしても、まだ二十歳前で、朝日新聞の俳壇に投稿し、「みちのくに天才少年現る」と注目されていた時代の句だ。

自分の今いる場所に対する目眩のような感覚。ここは本当に自分のいるべき場所なのか、相応しい場所であるのか。酒田の晩秋から初冬にかけての句に、明確な疑問というわけでもない、不思議な非現実感が横たわる。

飯待つ間の無花果の枝亂れたり

庄内の昔の家の庭には、よく無花果の木が植えてあった。私の生まれた家の庭にもあったのを覚えている。

この句は昼食を待っている間の歌だと思う。ふと庭をみると、無花果の枝が乱れたように見える。風に吹かれて音もなく揺れたのか、あるいは作者の目眩のようなものか。白昼夢の入り口か。

休み日晝寢せし 枯野汽笛鳴れり

昭和 51年の酒田大火で焼けてしまったが、唯一郎の生家である印刷所は浜町通りにあって、酒田駅からそれほど遠くはなかった。見えはしなかっただろうが、汽車が汽笛を鳴らせば、十分に聞こえる距離である。

当時の酒田駅の周辺、とくに旧市街から見渡せる東側は、苅田ばかりという状態だっただろう。

秋の深まった休みの日に昼寝していると、汽笛が聞こえた。景色が見えるわけではない。見えないからこそ、汽笛の向こうに枯れ野の風景が感じられた。その枯れ野は、作者の心の中にあった。

硝子戸歪めるままのみぞるる赤し

本格的な雪の季節になる前の晩秋の庄内平野には、みぞれが降る。雪ならばさらりとしているのだが、みぞれは骨身にしみる哀しさがある。歪んだガラス戸の隙間からみぞれがしみると、木の枠が滲む。

それを 「赤し」 と言ったところが、不思議な感覚だ。日常の無彩色がより強調され、それが赤く錆び付いていくような感覚。

床屋小さく山茶花並び映れり

床屋の鏡に、自分の後ろに店先の山茶花が並んで移っている。鏡の中の大部分を占めているのは自分の姿だが、その後ろにある小さな山茶花の方が気にかかる。

鏡の中にある自分は像に過ぎないが、山茶花の姿は単なる鏡像以上の現実感がある。遠くて近い不思議な距離感。

今日はこれまで。

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コメント


昨日から拝見しています
自由律とは言え、ちょっとなじみにくい言葉遣いですよね
はじめはそう感じたのですが、続けて読んでみると、感覚がつかめます

尾崎放哉ほどの無常観はありませんが、ちょっと共通する人生に対する見方の鋭さがありますね
絵で言うとなにかビュッフェに通じるような
私なりの感じ方ですが

投稿: alex99 | 2009年2月 2日 00:30

alex さん:

>自由律とは言え、ちょっとなじみにくい言葉遣いですよね

連体形の使い方に、ギリギリ破格に近い用法が目立ちますね。
でも、そのクリアな感性ゆえに、なんとなく許せるみたいな。

>はじめはそう感じたのですが、続けて読んでみると、感覚がつかめます

そんな感じですよね。
まだまだたくさんありますから、どうなっていくか、ご期待ください。

>尾崎放哉ほどの無常観はありませんが、ちょっと共通する人生に対する見方の鋭さがありますね

なにしろ、ご紹介したのはまだ20歳前の時の作品ですから、無常観を表現するにはまだ早いかもしれません。

>絵で言うとなにかビュッフェに通じるような

う~む、ビュッフェですか。う~む。

投稿: tak | 2009年2月 2日 00:39


ビュッフェというのは、やはり全然あたっていませんね (笑)

放哉の若い頃の作品より、感覚が鋭いのではないでしょうか?

投稿: alex99 | 2009年2月 2日 07:50

alex さん:

>ビュッフェというのは、やはり全然あたっていませんね (笑)

直線的で色数の少ないところは、そうかな? なんて思い始めたところでしたが、直線の太さが違いますね。

>放哉の若い頃の作品より、感覚が鋭いのではないでしょうか?

明治ではなく、大正の空気というのが反映されているかもしれませんね。

投稿: tak | 2009年2月 2日 11:19

 私も昨日から興味深く読ませていただきました。
 大正期にご活躍されたということですが、現代に読んでもほとんど違和感のない、
みずみずしい感覚にあふれているように思います。
 第3句ですが、クレオソートを塗ったような木枠の戸は普段の乾いた状態だと、
ほとんど気にすることはないのですが、水に濡れると、急に赤茶けた色が目立つ
ように思います。
 なんかそのような光景を思い出しました。
第4句、行きつけの床屋さんでの鏡の風景が想像以上の現実感があるというのは、
納得です。

投稿: 雪山男 | 2009年2月 2日 15:51

雪山男 さん:

>第3句ですが、クレオソートを塗ったような木枠の戸は普段の乾いた状態だと、ほとんど気にすることはないのですが、水に濡れると、急に赤茶けた色が目立つように思います。

そうそう、そんなイメージを私も思い浮かべました。
あれ、クレオソートなんですね。

>第4句、行きつけの床屋さんでの鏡の風景が想像以上の現実感があるというのは、納得です。

鏡の中の現実感というのは、不思議な感覚ですね。裏返ってるし、自分からの実際の距離に鏡との距離がプラスされて、遠いはずなのに。

投稿: tak | 2009年2月 2日 16:35

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