『唯一郎句集』 レビュー #4
一昨年なくなった母の実父である唯一郎の句集に載った句を端から順にレビューしていこうと思い立って、これが 4回目だ。
一体どのくらいかかるのだろうと思って、句集には何句あるのかと数えたら、385句である。一度に 3~4句レビューするとして、100回ぐらいのシリーズになりそうだ。
週に 2度のペースで書くとしても、1年ぐらいかかるだろう。このペースを守り続けられるかどうかわからないから、今年の年末に最後まで辿り着けるか、やってみないとわからない。いずれにしても、息の長いスキームになるだろう。
今回も 「朝日俳壇」 時代の句の紹介である。当時、朝日新聞の俳壇選者は中塚一碧桜が担当していた。河東碧梧桐とともに俳誌 『海紅』 を創刊し、自由律俳句の創始者の一人とも言われる人である。
唯一郎はこの一碧桜に大変高く認められて、朝日俳壇に華々しく登場したらしい。その当時の句である。まだ二十歳前の作品と思われる。
洗ひ縮みし足袋裏よ ひとり居たり
この句を読むと、私の生まれる前に亡くなった唯一郎の胡座をかいて座っている姿が思い浮かぶ。というのは、唯一郎の残した 3人の息子(私の伯父)の胡座をかく姿が、とても独特なのだ。
両膝が極端に近づいていて、両足の裏が両太股の外側に窮屈そうにはみ出している。なぜか、伯父たちの座る姿はみなこのようなのだ。今は 3人のうち 2人は他界したが。
伯父だけではない。ややもすると、私の母もそんな風にして座っていることがあった。赤子の頃に兄たちと別れて暮らしたはずなのに、血筋というのは不思議なものである。だからきっと、唯一郎もそのようにして座っていたのだろうと確信する。
普通に胡座をかいて座ると、足袋裏は太股の下にかくれるが、唯一郎の座り方だと、ひょいと斜め下を見下ろすと、足袋裏が目に入るはずだ。いつも目に入る足袋裏の白さが、自分の心を映しているように思われたのかもしれない。
白足袋白き 屋根の雪明かりたり
唯一郎式胡座だと、白足袋の甲の部分だけでなく、足袋裏の白さまで目に入る。独り居る部屋の己の足許の白さ。そして窓から見える家並みの屋根に積もった雪の白さ。
全ての音が雪に吸われた静寂の中、自分の内面と外面との境目がわからなくなる瞬間。雪明かりは、自分の内側の静かな情熱でもある。
雪の中歸り来し 食卓真晝のうれし
庄内の雪は、地吹雪である。その地吹雪の中、息を詰めて帰宅すると、暖かい食卓が待っていた。月も星も見えない吹雪の外界とは別世界である。素直な嬉しさが表現されている。
独り居の立居よ夕べ霜降る
食卓の暖かさに素直に喜ぶ唯一郎だが、やはり、孤独を愛する文学青年の気風が勝っていて、自宅ではいつも少しだけ不機嫌そうな表情をしていたそうだ。それは、別に怒っているというのではなく、いつも自分の内面と対峙する姿だったのだろう。
霜降る夕べも唯一郎はいつものように、淡々と、どこか遠くを見るような目で暮らしていたはずだ。
一昨日の 「レビュー #3」 に、alex さんが「自由律とは言え、ちょっとなじみにくい言葉遣いですよね」とコメントしてくださった。確かに、この頃の唯一郎の句にはちょっとした癖があるように思われる。連体形の使い方がとても破格に近い。
しかし、文法的に決定的に間違いというわけでもなく、なるほど、この用法だと不思議な余韻あるつながり方をするなあとも思わせる。
蛇足だが、唯一郎式の妙ちくりんな胡座のかき方は、私の従弟たちにまで遺伝している。そして幸か不幸か、私には父方から禅坊主の血が入っているので、あの独特な胡座にはならずに済んでいる。
本日はこれにて。
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コメント
>一昨日の 「レビュー #3」 に、alex さんが 「自由律とは言え、ちょっとなじみにくい言葉遣いですよね」 とコメントしてくださった。確かに、この頃の唯一郎の句にはちょっとした癖があるように思われる。連体形の使い方がとても破格に近い。
しかし、文法的に決定的に間違いというわけでもなく、なるほど、この用法だと不思議な余韻あるつながり方をするなあとも思わせる。
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余韻も生みますが、独特の鋭さ、感覚や視点の急展開のような効果も生んでいると感じます
お世辞ではなく、この方の句、すっかり気に入ってしまいました
投稿: alex99 | 2009年2月 3日 02:57
alex さん:
>余韻も生みますが、独特の鋭さ、感覚や視点の急展開のような効果も生んでいると感じます
そうですね。
例えば、本文で紹介した 2句め。
白足袋白き 屋根の雪明かりたり
「白き」ときたら、その後に、その足袋の白いことに関連する何物かを説明する体言がくるはずなのですが、急に屋根の雪に飛びます。
足下から上へ。多分、二階の窓から隣の屋根を見たので、見上げたわけではないでしょうが、画面の急転換です。
真っ白の雪に視点が映るときの、ちょっとした眩暈。
新感覚派的ですね。
川端康成の 『雪国』 の「夜の底が白くなった」 の逆バージョンみたいですね。
投稿: tak | 2009年2月 3日 10:25
今気がついたのですが
例えばですが、放哉の句が良いと言っても
その良さ、どこがどう良い、というものに対しては
それほど意見が分かれませんよね
ところが
私の鑑賞と
tak-shonai さんの鑑賞が
違うことが多い
それは、私の受けた印象と鑑賞が
tak-shonai さんの解説によって
(さすが血を分けているから、また唯一郎さんの生活背景もご存じだからですが)
さらに深いものを示されて驚き同感する
如何に放哉が俳句界の偉人でも
その句の放つベクトルの多様さ
という点では、語り尽くされたこともあり、おしなべて単一な解釈・鑑賞が有ると私は思うのです
その点で、tak-shonai さんのナビもあって (笑) 唯一郎さんの句の一語一語が放つものに驚いています
短い俳句というものの中で、これほど質量と言うより、鋭い視角・転換と言うものを感じさせる俳人は初めてです
ちょっと飲んだので、オーバーランしていますか?
投稿: alex99 | 2009年2月 3日 20:46
alex さん:
私自身も、初めて 『唯一郎句集』 にまともに向き合ったような気がしていて、汲めども尽きぬ感慨に驚いています。
そしてやはり、血が近いなという気もしています。
詳しく語られていないところまで、すっと読めてしまうみたいな、不思議な感覚です。
投稿: tak | 2009年2月 3日 23:07
レビューもまだ第4回目ですので、まだまだ他にも様々な句があるのでしょうが、何となく唯一郎さんの句はどこか孤高な天才という感じがして、寂しいような感じを受けていました。
ただ、今回の3句目と胡座のはなしを伺って、決して孤高の天才ではない、家族のぬくもりという唯一郎さんの別の面も感じたところです。
投稿: 雪山男 | 2009年2月 4日 08:53
雪山男 さん:
唯一郎は、とても親孝行な人だったそうです。
人付き合いは決していい方じゃなかったけれど、暖かみのある人ということでしょうね。
それだけに、父 (私にとっては曾祖父) が早く他界してから、家業を継ぐために俳句の道から足を洗ったというようなこともあるようです。
いずれにしても、あんまり長生きしない家系のようです。
三男一女の子どもの中でも、長男は早く亡くなったし、生き残っているのは、他家に養子に出た伯父だけです。
私の母も一応七十七歳までは生きたのは、養女に出たからかな?
投稿: tak | 2009年2月 4日 11:27