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2009年2月23日

『唯一郎句集』 レビュー #8

句集レビューも 8回目になった。20歳前の唯一郎が華々しくデビューした「朝日俳壇」時代の 3句を読む。

とにかく、新進気鋭の句なので、レトリックが斬新である。シュールである。一見するとちんぷんかんぷんだったりする。鑑賞するのは、なかなか骨が折れる。

さらに、この句集の掲載順が、必ずしも実際に句が作られた順に沿っているのかすらも疑問が残るところがある。前回の「朧夜」という情景の中で、捕まえようとしても逃げ去る心の深淵を詠んだような句から、一転して、今回は「寒の戻り」のような不思議な鋭さが感じられる 3句である。

煙草慣るるが世事なることよ 淡雪ふる

昔のこととて、十代の頃から煙草に慣れていたのだろうか。まあ、私だって今は完全に嫌煙派だけれど、十八歳から煙草を吸っていたことだし。

煙草に慣れるように、世間の俗事にも少しは慣れてきたものだということだろうか。それとも、煙草に慣れてしまったのは自分にとってはちょっとした驚きだが、他人の目には俗事のごときつまらないことなのだろうというのだろうか。

自分の身体感覚から世間の感覚に飛び、そして、いずれにしても、何事もないように世の中には淡雪が降るのである。

冴えし夜歸り來る様の跫音なりし

「冴えし夜」というのは、前回取り上げた句にある「朧夜」と対になる言葉なのだろう。ただ、私だったら「冴ゆる夜」と現在形で言ってしまいたいところを「冴えし夜」と過去形で語るところが唯一郎の唯一郎たるところだ。

「冴ゆる夜」と言ってしまうと、過去形で言うより直截的だが、ある意味とても客観的になる。「冴えし夜」という過去形の言い方は、もしかしたら何事も婉曲に語りたがる庄内弁の文脈なのかもしれず、直截さは薄らぐが、その代わりに客観的というより、まさに自分で体験したことを表わす主観性は増す。

だから、「冴ゆる夜」ではなく「冴えし夜」になっているというのは、「朧夜」の反対語としての、唯一郎語なのかもしれない。

寒さの戻った凛とした夜、どこかから帰り来る人の足音が聞こえる。誰の足音かは語られない。もしかしたら、自分の足音を幽体離脱した自分が聞いているのかもしれない。

冴えし夜の四つ角にて嘘を言ひしが

ここにも「冴えし夜」が現われる。よほど気に入った言い方だったのかもしれない。

寒い夜に、四つ角にて嘘を言ったのだがというのである。その嘘はどんな嘘だったのか、誰に対して言ったのか。

多分ちょっとした嘘だったのだろう。嘘が心にひっかかるのは、その嘘の程度にはよらない。嘘を言った人間の心の方の問題だ。純粋な人間はちょっとした嘘でも心にひっかっかる。

女と逢って嘘を言ったのだとしたら、ちょっと艶っぽい大正ロマンだが、あるいはただ一人ごちただけだったのかもしれない。それについては何も語られない。

寒い街の四つ角の凛とした夜空に、唯一郎の嘘だけが漂う。

本日はこれぎり。

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