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2009年2月 6日

「ライフ・スパン・コントロール」 という発想

妻に先立たれた夫は 3年もたないなんてよく言われるが、その前の「老老介護」の状態でも、年老いた夫が妻の介護をすると、夫の方の死亡リスクが 2倍に高まるのだそうだ。

それほどまでに、男は家事や介護のストレスを負担に感じる生き物で、女ほどには精神的にタフにできていない。

今朝、駅までの運転中に聞いた TBS ラジオの朝の番組でこの話題になった時、森本毅郎さんは「ああ、こりゃ、かみさんより先に死ななきゃ」と言い、それに対して小沢遼子さんは、「自分が早く死ぬことを考えるより、奥さんに長生きしてもらうように大事にしなさい」とつっこんでいた。

なるほど、このやりとりを聞いても、男は単純でストレスに弱く、女の方がタフである。

それを思うと、私の父は立派なものである。母が寝たきりになってから 7年、惚け始めてからだと 10年以上も、しっかりと介護した。そして一昨年母が亡くなってからも、きちんとニート(英語の原義通り「こざっぱりした」という意味)な生活を維持している。

ありゃ、そういえば、今日は父の誕生日だった。父はモノをもつのが嫌いなので、誕生日プレゼントに何が欲しいかと聞くと、決まって 「食ってしまえばなくなるもの」という。だから今年は、妻がおいしい和菓子を送っているはずだ。後で電話しとこう。

私としては父に長生きしてもらいたいと思っているが、父としてはいつ死んでもいいようなことを言っている。今年は母の三回忌だが、「三回忌までは俺がやるが、それから先はよろしくな」なんて言っている。なにしろ、十代で特攻隊になっちゃった人だから、特攻で死ぬ前に終戦になって、今生きているのが儲けものぐらいに思っているようだ。

ところが、昨年暮れに帰郷した時は「七回忌までは、やれそうな気がしてきた」なんて言っていた。どこも悪いところがなくて、ちっとも死にそうな気がしないから、もうちょっとだけ生きてみるのも悪くないという魂胆のようだ。

もしかしたら、この気楽さが長生きの秘訣かもしれない。欲さえ出さなければ、人間は大したストレスを感じることもなく、健康で気楽に生きることができる。

近頃は長寿社会である。地方都市に行くと年寄りばかりが目立つ。離島となると、年寄りしかいない。そして年寄りの最大の願いは長寿ではなく、「ころっと死ぬこと」である。人生僅か 50年の頃は不老長寿が人間の願いだったが、ここまで来ると、あまり生き過ぎないように願うことになる。

現在の医療は、いかに長く生き延びさせるかを主眼としているように思われる。おかげで老老介護が問題になっているのだが、私としても父の息子だけに考え方が似通っていて、人の世話ならしてもいいが、世話になってまで生き延びるのは面倒くさいと思うクチである。

その意味で、自分の寿命をコントロールするという発想が、これからは必要になるのではないかと私は思う。達者ならいいが、よれよれになってまで生き延びようと思う者は少ない。ちょうどいい頃合いに、うまい具合に死にたいと思う。

自分ももう長くないなという頃になったら、医学的手法で無理に寿命を延ばすのではなく、ちょうどいいタイミングできちんと行儀よく死ねるような自己管理をしたいものである。これは決して「自殺」ではない。いわば「ライフ・スパン・コントロール」である。

近頃は ES 細胞とやらの研究が進歩して、自分の体の部品にガタが来たら、自分の細胞から作った部品で置き換えることも可能になりそうだったりするが、私はそんなことまでして生き延びようとは到底思わない。

これをやるとしたら、その医療費はとてつもなく高くつくだろう。年とってから何百万円とか何千万円とかかけて再生医療の世話になっても、それだけの見返りがあるだろうか。あんまり長生きしすぎても、世の中の動きについて行けなくて、つまらなかろう。若い者にはうとまれるだろうしね。

やはり、ちょうどいいタイミングで死ぬに越したことはない。むやみな医療処置を受けず、しかもあまり苦しまずにコロリといくのが一番である。その理想的なあの世への行き方を実現するには、生きているうちからきちんとコントロールしておきたいものだ。

こういったコントロールの指導は、ある意味語弊がありすぎて国に期待しても無理だろうから、民間がやるしかないだろうなあ。下手したら 「自殺幇助」 なんて言い出すのが出てきかねないから、制度的にも手法的にも、いろいろ難しいところがありそうだけど。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

takさん、今日のエントリーはとても良かったと思います。
なかなか上手く言えないことを、言ってくれたと感心しています。
>そして年寄りの最大の願いは長寿ではなく、「ころっと死ぬこと」 である。
まったくその通りかと・・・。
89歳になる私の母も、いつも「ピンピン、コロリ!」が願いだと、毎日神さまにお願いしているみたいです。
そして、いつも口癖のように「年寄りが何ぼでも長生きしよったら、国が亡びる。」と言っています。
>実現するには、生きているうちからきちんとコントロールしておきたいものだ。
そのためかどうかは別としても、体重が30kgにも足りないほど縮んでしまった母は、それでも毎日30分くらい外を歩いています。

投稿: Mikio | 2009年2月 6日 17:19

Mikio さん:

>89歳になる私の母も、いつも「ピンピン、コロリ!」が願いだと、毎日神さまにお願いしているみたいです。

年寄りが奉納する絵馬の裏に書く願い事も、それが一番多いみたいですよ。

>そのためかどうかは別としても、体重が30kgにも足りないほど縮んでしまった母は、それでも毎日30分くらい外を歩いています。

それはまたすごい!
ある意味、超人ですね。

投稿: tak | 2009年2月 6日 18:14

私も思いは一緒なのですが。ここで「が」付くのが悩んでしまうことなのです。母は、80歳に近くなっても、
会社(自営業)でてきて、これはこれで、健康管理で良いかと納得もするくらいの高齢なのですが、祖母が100歳を超えて存命しています。勿論、認知症になっているのですが、ここまで長生きしていただくと、すべてを
超越していて、ただひらすらに長生きしてほしいと思ってしまいます。果たして本人は、そうであるかはわかりませんが。そして、母は、そうなりたくないと口にするのです。この問題は、望んでいること(結構皆同じ・ぴんぴんころり)なのですが、なかなかそう行かないのが
現実なようで、私も、長寿の血を受け継いだら、80歳を超えたら、どう考えるのだろうかとも思います。
多分、そならないでほしいのですが。
なんだか、我が家の悩みを書き綴ってしまいました。
あ、ちょっと遅れましたが、カレーの話で、私のコメントを引用されたのには、びっくりしてしまいました。
インド人と組んで、チェーン展開は、難しいかと
最近思うようになっています。お客様が、チェーン展開を望んでないような期がします。その店で触れることが出来るインド、パキスタン、バングラディッシュ、ネパールなど、味とお店のスタッフに引かれていく人が多いように感じるので、商社がチェーン展開しても、お客が付かないのではないかと考えるようになりました。
でも、ココイチで、ナンはでるようになると思います。

毎日楽しみにしています。

投稿: ヒロ | 2009年2月 6日 22:02


介護という問題は、実はとてつもなく大きな問題だと身を以て感じています
特に老老介護は、人を殺しますね
私自身、数年の母の介護で半ば死にかけましたから
(その母も、今は一時的に施設に入っていますが、いつまで入っていられるやらわかりません)

その点、tak-shonai さんのお父様の介護は超人的としか思えません
ただ、介護もいろいろ状況が違うので一言で言えません
寝たきりでも比較的扱いやすいケースもあり、恐ろしく手のかかるケースもあり、認知症でもピンピンされている例もあり、その状態がいろいろ違うのです
だから、よけいに複雑です

ブログで書いてみたいと思いますが、重いテーマで、読む方も愉快ではないですよね
ただ、両親の介護をしなくてもいい人たちも多くて、不公平だと思っています (笑)

投稿: alex99 | 2009年2月 6日 23:21


親の介護をする必要のない人達にとって、介護というものは本当には理解・実感できないでしょうし、しょせん人ごとだと、私は思います

介護にまだ縁のない若い人が、「老人はヒマ」だとか書いてくると、怒りがおさまりません

投稿: alex99 | 2009年2月 6日 23:24

私も、今日のお話はとてもスッキリする話題でした。
実は私は30代ですが、もう既に「ほどよい年になったら楽にコロリといけるといいな」と考えていました。

漫画「ブラックジャック」でもそういう話題が出てました。
作中ではブラックジャックはそれに反対していましたが、私はそれに疑問を持っていました。
なので、もやもやしたものを代弁してもらえたようで嬉しいです。

こういう話題って、下手をすると不謹慎だと思われちゃったりするんですよね。
なるほど、と思いました。今後の参考にします。

投稿: シロ | 2009年2月 7日 00:27


重ねて投稿、ご容赦

残る家族やその他の人々の嘆きや生活苦が問題でなければ、自殺なんてどうでもいいことかとも思います

死というものは、他殺されれば大事で、自殺もそれに準ずるものとして捉えられていますが、要は寿命がプログラムより短くなっただけ・・・と言う生物学的な唯物的な見方もできますよね
本人の恨みや思いは別として

私は死というものをそれほど単独ではそれほど、重く大きく見ていないのです
大きく、自然界、宇宙、時間まで、思いをのばせば、さほどのことではない
そんな捉え方をしています

自分の個としてとらえたり、死んだ人の死相を見つめたりする時の感覚的な世界はパセティックで人間独特の世界かとも思います
地球上に他の生物は、数え切れないほどいるのです
ぞれらも一応、生命というものを持っている

禅の世界ではどうなんでしょうか?


投稿: alex99 | 2009年2月 7日 03:48

ヒロ さん:

まさに長命の家系なんですね。
それはそれで悩みが多いというのも、皮肉といえば皮肉ですね。

>ここまで長生きしていただくと、すべてを超越していて、ただひらすらに長生きしてほしいと思ってしまいます。

そのように受け入れていらっしゃるのが、素晴らしいと思います。

インド・カレーの件ですが、なるほどと思いました。

チェーン展開の世界ではなく、パーソナルな世界なのかもしれませんね。

投稿: tak | 2009年2月 7日 08:27

alex さん:

>特に老老介護は、人を殺しますね

介護する側の体がもたなかったり、ストレスで呆けた親に暴力をふるったりという事例がありますね。
最近は暴力が高じて殺してしまったというニュースもありました。

介護施設は増やさなければいけないと思います。

ただ、介護施設の介護が本当に親身なものかも問題になるし、難しいですね。

投稿: tak | 2009年2月 7日 08:32

シロ さん:

いい頃合いにコロリといくというのは、なかなか難しいですね。

もはや 「ピンピンコロリ」 が一番の功徳のような世の中になっていて、神社仏閣も、それを売り物にすればお賽銭が増えるでしょう。

ただ、だからといって、死ななくてもいいタイミングで無理に死にたがる人が出てきたら、それも問題で、そのあたりが、ブラックジャックの考え方にもつながるんだと思います。

とにかく総論的にも難しい問題で、さらに具体論は個別でもありますし、大変な課題です。

投稿: tak | 2009年2月 7日 08:37

alex さん:

>死というものは、他殺されれば大事で、自殺もそれに準ずるものとして捉えられていますが、要は寿命がプログラムより短くなっただけ・・・と言う生物学的な唯物的な見方もできますよね

生物学的・唯物的にみても、「種の絶滅」は生物多様性の観点から大きな問題となっています。「個の絶滅」 (= 他殺/自殺) も、同様に問題だと思っています。

たった一人の不自然な死は、些細なことかもしれませんが、やはり歪みを生じます。

自然界、宇宙、時間までの視点だと、私はますますその感を強くします。些細な歪みがどこでどう増幅するか、しれたものではありません。

人間の場合はさらに、心理的・情緒的な影響が甚大で、唯物的な見方だけで割り切るわけには生きません。

人間というのは、「唯物的にはちっぽけなことなんだから、それで納得しろ」 といわれてもできない性質の生き物ですので、唯物論もあるいはそこまで科学的に究明してカバーしなければ、完全には機能しないと思います。

投稿: tak | 2009年2月 7日 08:49

遅くなりましたが。。。

今朝の朝のテレビを見ていたら、中曽根大勲位(御年90歳!)がお元気な姿を見せていました。
実際はどうかわかりませんが、テレビから見て取れる状況である限り、まだ中曽根さんには、ライフスパンコントロールという言葉すらいらない状況ですね。(笑)

私の母方の祖父も昨年3回忌を迎えましたが、晩年は若干痴呆症になり、夜中に突然「将棋大会に行く」とか言い出して、私や母を困惑させました。
しかし、そうなってからあっという間に病を得てみまかりました。
せっかちで厳格だった人なので、自分で幕引きをしたのかもしれないねとは、私と母の共通の認識です。

投稿: 雪山男 | 2009年2月 8日 14:53

雪山男 さん:

>せっかちで厳格だった人なので、自分で幕引きをしたのかもしれないねとは、私と母の共通の認識です。

私も、本当にそういう傾向があるんじゃないかと思っています。

頭の回転が速くて、仕事も速くて、のんびりしているのが嫌いで、何でもさっさと結論を出してしまいたい人は、自分の人生の結論もさっさと出してしまうような気がします。

投稿: tak | 2009年2月 8日 18:56

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