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2009年2月10日

鳥取県の学級委員長

鳥取県で 20年ぶりに学級委員長が復活というニュースに思わず目がとまった。ニュース元はすぐに削除されそうだから、転載されている 「痛いニュース」 にリンクしておく。

鳥取県には行ったことがない。私がまだ行ったことのない貴重な 5県のうちの一つで、もしかしたら最後の 1県になる可能性も高い。

残りの 4県は、お隣の島根県、そして四国の香川、徳島、愛媛の各県だ。島根県には出雲大社があるから、是非行ってみたいと思っているし、四国の 3県もそれぞれ、うどん、阿波踊り、道後温泉と、そそられるものがある。だが鳥取県は鳥取砂丘しか思い浮かばない。私は高校まで庄内砂丘に接して暮らしたから、砂丘は珍しくも何ともないのである。

何しろ鳥取県は人口わずか 60万人というところだから、行かなければならない用事も発生しにくい。放っておくと死ぬまで訪問しない可能性がある。そうなったらまた心残りだから、出雲大社に行った帰りにでも寄っておく方がいいと思い始めている。

話が全然別の方向にそれてしまったので、急いで元に戻そう。学級委員長の件である。

ほかの地域ではどうだか知らないが、私の経験では、学級委員長を進んでやりたがる生徒なんてほとんどいなかった。だから選挙では立候補者なんて滅多に現れず、推薦された 2~3人の中から選挙で選ぶのがほとんどだった。

で、最終的に選ばれた生徒は、内心はまんざらでもなさそうだったが、かと言って率先して何かをやるというわけでもなく、仕事といえば、クラス会の議長程度だった。日常的には、図書委員、保健委員、学級新聞委員などの現場的な委員の方がずっとまともに動いていた。

じゃあ、学級委員長が必要ないかといえばそういうわけでもなく、クラスに何か問題が起きたら、率先して解決に動くという責任はあった。だから、何かあるとまず、学級委員長に話が持ち込まれた。それなりのまとめ役的な存在感は、常にあったわけだ。

今回、鳥取県で 20年ぶりに学級委員長を復活させることになった鳥取市立湖南学園は、児童・生徒の特徴を「素直でまじめだが、自主的な行動が少なく物静かな傾向がある」と捉えているそうだ。

この学校は、昨年 4月、県内で初めての小中一貫校になり、新年度から小学 5、6年生のクラスに「室長」という、妙にいかめしい名称で学級委員長役を新設することを決めたという。「級長」というのは聞いたことがあるが、個人的には「室長」は馴染めない。

鳥取県では長らく学級委員長を置かないだけでなく、運動会の徒競走で、児童の能力にあわせてコース内に「近道」を作ってゴール付近で接戦になるように調整したり、学芸会で一つの劇の主役を複数の児童が途中で交代して演じるなど、「平等主義」の教育が行われていたという。

運動会で「君の走るコースは近道の方だからね」なんて言われるのは、まともに走ってビリになるより屈辱的だろうし、学芸会で無理な主役を演じて下手さ加減をさらすぐらいなら、「村の子その 1」をやる方が気楽だと思うがなあ。

こんなことが 20年も続いてきたのは、元々この地域の子どもたちが「素直でまじめで物静か」だったからだろう。元々日本の教育は、基本的には「素直でまじめで物静か」な子を育てるためにあるようなものなので、ある意味理想的だったのである。

ところがその一方で、「自主的な行動が少ない」という問題点が、ようやくクローズアップされてきた。20年も経ってようやく気付いたのかと言いたくもなるが、公的教育なんて、そんなものである。

今回の措置にしても、鳥取県内のたった 1校の、それも小学 5、6年生だけに限った話である。これが認められて他でも広く採用されるようになるには、もう 2~3年かかかるだろうし、運動会や学芸会の「悪平等」がなくなるまでには、さらにまた何年もかかるだろう。

そして、制度が復活したからと行って、その効果が実際に現れるかどうかは現場の運用次第だから、これまで学級委員長というものに馴染んでこなかった先生や児童の中では、しばらく試行錯誤が続くだろう。ましてや「室長」なんていういかめしい名前なので、必要以上の気負いすぎが心配になったりもする。

私は学級委員長を置くという制度が是非とも必要であるかどうかということについては、結論を出したくない。事情に応じていろいろなシステムがあってもいいと思う。しかし、元々あったものを「平等」の名の下に廃止したことについては、明確に批判的だ。廃止の理由が馬鹿馬鹿しすぎるからである。

今回の鳥取県のように、20年も経ってから復活させるなんていうようなことになるぐらいなら、有名無実の象徴的システムとしてでもいいから、継続していればよかったのにと思うのである。

これでは、公立学校への信頼が低下するのも道理である。小金持ち以上の親は、子どもを私立に行かせたがるだろう。鳥取県に有力私立校がいくつあるのか知らないが。

ちなみに、私は個人的には、学級委員長というのはいてもいいが、目立たない存在であるべきだと思っている。何か問題が起きた時の調整役として機能すればいい。普段はいるんだかいないんだかわからないぐらいだが、それでもほんの少しだけ、クラス全員の意識の隅にあるというぐらいがいい。

そして、そうしたクラスというのは案外うまくいっているクラスである。

最後にまた余計な話に戻るが、私は前述の 5県以外の 1都 1道 2府 38県には行ったことがあり、そのうち 1県をのぞいたすべてで、きちんと 1泊以上している。つまり、文字通り 「その都道府県に日帰りでは済まない用事があって滞在した」 という経験がある。

宿泊せずに、単に「通り過ぎる途中で、トイレ休憩しただけ」の 1県というのは、九州の佐賀県である。佐賀県には、これまでまともな用事ができたことがないのだ。はなわが「佐賀県」という自虐的な歌を作って歌ったので、なんだか申し訳ない気までしてしまう。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

娘の学芸会に行ってびっくり。

名前は学習発表会という名前になって、劇やダンス、合奏といった演目だけではなく、自分たちが学習したこと(自分たちの住む町のことや植えた野菜の育つ課程)を、寸劇仕立てで発表するというプレゼンテーションのような演目もあってまずびっくり。

さらに劇では配役が幕間毎に変わるんですよ。
「この子上手だな」と思っていた子どもが、次の幕では別の子どもに変わっていて、劇の内容を理解することすら困難な状況になっていました。
先生に伺うと、こうしないと親から「何でうちの子の役なの!」というクレームがくるそうで。。。

うーんこれって、やっぱり「悪平等」ですよね。
某ボディーソープのCMの「昆布の男の子」みたいに、名バイプレイヤーという人がいてこそ、世間は回るんですがね。

投稿: 雪山男 | 2009年2月10日 17:28

「何でうちの子の役なの!」>「何でうちの子の役じゃないの!」ですね。間違っていました。

投稿: 雪山男 | 2009年2月10日 18:58

雪山男 さん:

>さらに劇では配役が幕間毎に変わるんですよ。

へへぇ! 鳥取県だけじゃないんですね。

こりゃ、親が馬鹿なんだわ。

投稿: tak | 2009年2月10日 19:25

鳥取ではないですが、うちの子供の小学校でも学級委員長はいませんね。
それでも特に支障はないみたいですが。
日直当番はありますので、それで十分なんじゃないかと思います。

学級委員長には嫌な思い出がありまして・・・
小4の時に学級委員長に選ばれたのですが、その時の担任が嫌なオヤジで、いつも竹刀を持ち歩いて「クラスのトラブルは学級委員長の責任」とか言ってなぜか頭を叩かれまくりでした。
何が嫌って、ろくろくオルガンも弾けないのに無理に自分で音楽の授業をやって、どの曲も全て同じ和音だけで伴奏されたことです。
耳が腐るかと思いました。
・・・学級委員長とは関係ないですね(笑)

投稿: karin | 2009年2月10日 21:39

karin さん:

>何が嫌って、ろくろくオルガンも弾けないのに無理に自分で音楽の授業をやって、どの曲も全て同じ和音だけで伴奏されたことです。
>耳が腐るかと思いました。

そりゃ、災難でしたね。
竹刀で頭叩かれるよりずっと苦痛だったと思います。

とんでもないオヤジです。

投稿: tak | 2009年2月11日 01:35

鳥取だけでなく、学級委員長を置かないというのはいくつか例があるそうです。(この記事に絡んだ、どっかのコメントで見たはずなんですが、どこにあったか忘れました・・・。)

で、ところによっては「学級委員長」は置かないけれども、クラス会議の司会・運営をする「運営委員」というのを「図書委員」「保健委員」と同列の一委員として置いているのだそうで・・・。

そもそも「学級委員長」は「図書委員」や「保健委員」より一段上なのかという疑問が。
ぶっちゃけ、学級委員長と運営委員って名前が違うだけで同じじゃん? とか思うのですが。

ちなみに、うちの中学では、クラスの委員長・副委員長はあったのですが、副委員長(男女各一名)は、男子は風紀委員、女子は文化委員という委員を兼任することが決まっているという損な役回りで、委員長よりも人気がなかったです(笑

投稿: 風花 | 2009年2月12日 09:08

風花 さん:

いろいろな形態があるようですねが、まあ、学級委員長を置くということは、組織としてのラインを通すという意識をもつことに、一定の意味があるとは思うんです。

大人になっても組織感覚のない人は、勝手にいろんなことを大声でがなり立てさえすれば通ると思っていて、困りものですので。

ただ、あまり硬直してしまっては困るんで、いつもはいるかいないかわからないぐらいがいいと、私は思っているわけです。

>ちなみに、うちの中学では、クラスの委員長・副委員長はあったのですが、副委員長(男女各一名)は、男子は風紀委員、女子は文化委員という委員を兼任することが決まっているという損な役回りで、委員長よりも人気がなかったです(笑

それはまた、副委員長は大変ですね。人がいないわけじゃないだろうに。

ちなみに、風気委員なんてやるぐらいなら、学級委員長の方がまだましだと思います。
(私としては、一番やりたくない役割ですね ^^;)

投稿: tak | 2009年2月12日 10:20

初めまして、煮干と申す者でございます。

この話、初めて聞いたときは呆れてしまい何とも言えない気分になったものですが、現場の子供たちはどう思っているのでしょうね。ある意味、色々と学ぶことのできる環境なのかも……。

それと、失礼ながら本筋とは関係のないことを少し。
いずれ香川にいらっしゃるとのことですが、当方讃岐の出身でして、tak様に是非お勧めしたいものがあるのです。

最近神奈川や大阪にも支店を出し始めた『一鶴(いっかく、と読みます)』という鶏の脚料理の店があって、これが県外の方になかなか好評なのです。
私は県外に出て初めて知ったのですが、どうやらこの「鶏の脚」は香川の郷土料理だそうで。
県内では丸亀市と高松市に店舗をもっていて、丸亀店なんかは丸亀駅のすぐ裏手にあります。

やはり世間の声は「香川といえばうどん!」ですから、こちらは味わわずに帰ってしまわれる方が多く残念なので、ちょっと不躾かなぁと思いつつ宣伝させていただきました。
「少し」と書きつつ長くなってしまい申し訳ありません。

投稿: 煮干 | 2009年2月13日 22:06

煮干 さん:

ようこそ。

「鶏の脚」と聞いて、一瞬たじろぎました。
(あの 「脚」 をシーハーしゃぶるのかと思って ^^;)

しかし、検索して一鶴のサイトに行ってみたら、なかなか旨そうでそそられました。
讃岐を訪問したら、ぜひ賞味したいと思います。

旨いもの情報、ありがとうございました。

投稿: tak | 2009年2月13日 22:17

学級委員なんていらない、消えてなくなれ!派です。

小学生の頃、家は赤貧に喘いでいました。給食費は当然払えるはずもなく半年分くらいたまり肩身の狭い想いをしていました。
で、問題は誰が給食費の集金に来るかです。当時それは学級委員の仕事だったのです。毎月一回学級委員の女の子が○○君給食費持ってきた?と聞きに来るのです。私は下を向いて小さな声で“もって来てない”と応えるのが精一杯で、辛くて逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。学級委員なんてなくなればいいのに、なんで先生が集金に来ないんだと心の中で叫んでいました。私にとって「学級委員」とは数十年前の辛い記憶を甦らせるものでしかありません。(学級委員も辛い思いをしたかもしれませんが)

すみません、学級委員復活の話題から逸れてしまいました。

投稿: 偽浜っ子 | 2009年2月21日 07:19

偽浜っ子 さん:

給食費の催促を学級委員長にさせるのは、ちょっとひどすぎですね。
(腹立ちました)

担任の先生の仕事ですらないと、私は思ってます。
(最近、生活に困っているわけでもないのに給食費を払わない父兄への対応で、担任の先生は疲労困憊しているらしい)

投稿: tak | 2009年2月21日 23:20

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