『唯一郎句集』 レビュー #6
『唯一郎句集』レビューの第 6回目。春から初夏の頃の句と思われる 4句を紹介しよう。前回までが秋から冬にかけての句なので、時間的には継続しているものと思われる。
『唯一郎句集』 には、基本的に句の作られた日付をうかがわせる材料がほとんどないので、ただそう思うしかないのである。
この追悼句集が発行されたのは、東京タワーが完成するより 3年も前の、昭和 36年。私がまだ小学校 3年生の頃である。当時、私がいくらませた子どもだったとしても、ページを開いてもちんぷんかんぷんだった。
編纂にあたった関係者も、半世紀近くも過ぎてから戸籍上はまったく離れてしまった孫の一人がレビューすることになるなんて、想定していなかったろうから、年譜的な要素はほとんど考慮してくれていない。
日付とまではいかなくても、年代を特定できる要素ぐらい、少しは入れてくれてもよかったのにと思うが、今となってはもう遅い。だから今回の句も、多分大正初期の作品なのだろうと思うのみである。教科書の歴史的には、第一次世界大戦が戦われていた頃だが、句を読む限り戦争の影はほとんどうかがわれない。
親しく来し者よひこばえの若葉摘む
余計な要素を極限まで取り払ったような、ミニマルな表現である。「親しく来し者」が誰なのかもさっぱりわからない。ひこばえの若菜を摘んだのは多分唯一郎自身だろうが、そのつながりも、直接には読み取れない。
このあたりまで来ると、唯一郎の世界の迷宮にはまりこんでいくような気がするほどである。
唯一郎の家を親しく訪ねる者があった。田舎のこととて、少し親しくなるとまるで家族のようなつながりで、勝手に上がり込んでくる。人付き合いの苦手な唯一郎は、庭に出て、木の根元から生え始めたひこばえの若葉を、摘むともなく摘んでいたのだろうか。
松前稼ぎの若者の便り ひこばえて
この当時、北海道に出稼ぎに行くことを「松前稼ぎ」と言った。冬場に仕事がなくなる庄内から、ニシン漁に行くことが盛んだったようだ。この松前稼ぎで成功して一財産をなす者もあったようだ。
北海道から便りを寄こしたのは、親戚の誰かか、それとも友人だろうか。いずれにしても無骨な筆致の手紙だろう。文学趣味の唯一郎には遥か遠き異次元の世界に思える。庭の木の根元のひこばえの若葉は、遠い別世界からの息吹を受けるアンテナでもあるか。
春日の曇りひこばえの葉裏見たり
「春日」は「かすが」と読んでいいのか、この場合は「はるひ」なのだろうと思うが、そのあたりからして、もう迷宮である。
春の日、空はぼんやりと曇っている。空を見上げているかと思えば、ひこばえの葉の裏を見たという。木の根元から生えるひこばえの葉の裏を見るには、手でつまんでひっくり返してみるか、地面に寝転んで空を見上げるかしかない。
あっさりとした句をよく吟味すると、ああ、目眩におそわれるほどの視線の転換。曇り空ですら、眩しい。
畳がくろずめる木槿の芽立ち
この句も、「くろずめる」という連体形の次にくるのが、畳という主語とはかけ離れた木槿の芽。映画のフェイドインを思わせるシュールな場面転換。
映画を思わせるとは言ったが、この時代の映画にはそんな技法はまだ取り入れられていない。文芸の世界のみのなせる技である。
木槿 (むくげ) の鮮やかな花芽。世の中はどんどん日射し溢れる夏に近付いていく。一方、家の中の畳は年を経て黒ずむ。家業が印刷屋であるだけに、インクの染みも付きやすかっただろう。悲しいまでのコントラスト。
本日はこれにて。
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