『唯一郎句集』 レビュー #10
『唯一郎句集』レビューもこれで 10回目になった。「朝日俳壇」時代の新進気鋭自由律俳句作家としての句が続く。
前回の春から初夏にかけての句から、多分夏から秋にかけての句に続く。なにぶん自由律の句だから、季節に関してはあまり明確ではないが、多分そうだろうということである。
この頃の句はもう、かなりすごいことになっている。当時の読者にはものすごく斬新に受け止められただろう。天才的と言ってもいい。シュールすぎてそのレビューはなかなか大変だが、乗りかかった舟である。とりあえず始めよう。
野茨の前に投げ出したものの夕陽いちめん
前回のレビューでも、山王祭の帰り道に野茨が咲いている光景があったが、今回も多分、その辺りの風景だろう。
夏の夕方、まだ日射しは強く、赤い。夕焼けになっているのかもしれない。その強烈な夕陽の中で、野茨の前に何かを投げ出したのである。一体何を投げ出したのか。
癇癪を起こして鞄の中身を投げ出してしまったのか。俳句を書き留めた紙を投げ出したのか。いずれにしても、投げ出されたものは夕陽の中に散らばったまま動かない。
それを見ながら、野茨の前で立ちつくす唯一郎。唯一郎は投げ出された物からも見上げられている。
醜い女教師の朝寝よ枕辺の団扇よ
かなり辛辣な句だ。暑苦しい雰囲気が漂う。この句に詠まれた女教師は気の毒である。多分、唯一郎はこの女教師が嫌いだったのだろう。
夏休みの頃だろうか。醜い女教師の朝寝。枕辺には団扇が放り出されている。唯一郎の句には珍しく、即物的で自然主義的ですらある。
黒い襟巻の伯母が鰊の煙の中にて叫び
この 「黒い襟巻の伯母」 のことも、少なくとも好きではなかったのだろうと思われる。あまり美しい描写ではない。
ここに詠まれた 「鰊」 は、多分乾物の身欠ニシンだったろう。生のニシンなら 「春告げ魚」 の別名のごとく、春に登場するはずだが、句集に掲載された順番から推測するに、晩夏から秋にかけてのことのようだからだ。
身欠きニシンを焼いているのは、庭に出された七輪だろう。家の中で焼いたら、油っぽい煙が籠って大変なことになる。その立ち上る煙の中に、黒い襟巻をした伯母が現われ、何かを叫んだ。
あまりの煙にむせそうになって叫んだのか、何か他のことに叫んだのか、何も説明はない。ただ油っぽい煙の中で、黒い襟巻の伯母が叫んだのである。こうして句に詠まれた伯母も、気の毒である。
鰊食った児がひとりあそびの石投げ
文字通り読めばそれっきりの句だが、それにとどまらない何かを感じさせる。
焼いたニシンを食うのは、多分夕食だ。秋の日暮れは日増しに早まる。一人遊びの石投げといえば、それは川原である。川に向かって石を投げ、水面をジャンプさせたりする。
近くを流れる新井田川 (にいだがわ) の土手から、川面に石を投げる。何度も投げる。石は二~三回川面を跳ねる。流れは間もなく日本海に注ぐ。その彼方には、真っ赤な夕陽。
淋しい一人遊びの背景は、意外なほどに雄大なのかもしれない。子どもは小さな点のようなシルエットになり、夕陽に溶け込む。
本日はこれぎり。
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