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2009年3月23日

世間がそれほどググらないのは

駄文ニュース」からのリンクで「世間はそれほどググらない」という記事を見つけた。「なるほどねぇ」という気のする記事である。

要するに、ものを調べる時に自然にさっさとググってしまうという人は、まだそれほど多くはなく、人に聞いちゃう人が多いということのようなのだ。そうなんだろうなあ、確かに。

上記の記事から、ついうなずいてしまった部分を引用させていただく。これを読んで、「そうそう、そうなのよね」と思うか、「え、そうなの?」と思うかが、現状認識の差である。

普段自分の目の前にパソコンがあって
基本的に電源が入っていて
だいたい常にブラウザが立ち上がっていて
デフォルトページに検索窓があるということになると
本当にごく一部の人に限られるかもしれない。

第一、聞いた方が早い。

自分で解決しようとしたら何時間もかかるようなことが
知ってる人に聞いたら5秒で片付くということはよくある。

相手の時間を奪うとか手を煩わせるとか
そういうデメリットはもちろんあるんだけど、
あまり慣れていない人が辛い思いをして検索するより
詳しそうな人に電話する方を取るのは
ごく自然なことじゃないだろうか。

私自身はすぐにググってしまう人である。しかも、一面的な知識にならないように、手を変え品を変えて複数回ググる。そして行き当たったいろいろなページを比較してみて、自分なりに解釈しようとする。

インターネットが一般的でなかった頃は、手持ちの資料がなければ図書館に直行していた。物事を調べるというのは、そういうものだと思っていた。人に聞くなんていう選択肢は、その道の権威が身近にいるのでもない限り、思い浮かばなかった。

確かに人に聞くのは手っ取り早い。しかし、そこにはリスクがある。

まず、人に教えてもらった知識が、本当に正しいかどうかは判断しにくい。その道に相当詳しいと思われている人でも、一つ一つの知識は、かなりバイヤスの入ったものであることが多い。ひどい場合には、専門家のくせにまったく誤った知識をもっていたりする。

仕事で共同作業を進めていると、いろいろなことをいかにもわかった風に言う人がいるが、ちょっと気にかかって後でよく調べてみると、それは完全な思い違いだったり、大分前の常識ではあったが今では否定されていることだったり、単なる言い伝えレベルの知見でしかなかったり、要するに、かなり怪しい知識である場合が多い。

なにしろ世の中には、落語の「千早振る」に出てくるご隠居さんレベルの知ったかぶりが多いから、油断がならないのである。

それから、たとえ正しい知識を教えてもらったにしても、楽して得たことというのは、すぐに忘れてしまいやすいのだ。よっぽど勘所を得た知識を要領よく教えてもらうのでもない限り、人に聞いて得た知識は身に付きにくいのである。その意味では、教え方と同様に聞き方も難しいのだ。

そのことを突き詰めれば、要領を得た聞き方をしない限り、きちんとした知識をもっている人でも、要領を得た教え方はできないのである。そして、本当に要領を得た聞き方のできる人というのも、またそれほど多くはない。

ここまで考えると、「世間はそれほどググらない」というのは、要領を得た聞き方、調べ方のノウハウをもっている人が少ないということの現れなのだとわかる。

「人に聞いた方が早い」というのは、ちゃんとした人にものを聞けば、ポイントを外して漠然とした聞き方をしても、聞かれた方で、聞いた人が何をわかっていないのか、どのポイントを知ればその漠然とした疑問が解決するのかを、きちんと整理した上で教えてくれるからだったりする。

逆に言えば、当を得た質問ができない人は、正しい答えが得にくい。同様に、きちんとした教え方のできない人は、人にものごとを教えてもほとんど無駄である。

そして、ちゃんと要領よく整理してものを訊ねることのできる人というのは、自分で調べられる人だから、人に聞かなくてもさっさと疑問を解決できるのである。デフォルトでブラウザに検索窓のある人には、そんなタイプが多いような気がする。

ちなみに、私の本宅サイトに "「森」と「林」 の 違い" というページがあり、「Yahoo 知恵袋」 からのリンクでやってくる人が結構多い。そのリンク元は、「森と林と木の境界線というかどっかっらどこまでが森でどっからどこまでが林なんですか」 というユーザーの質問へのベストアンサーとして、上記の私のページが紹介されているものだ (参照)。

しかしこんな疑問は、わざわざ 「Yahoo 知恵袋」 に聞くまでもなく、「森/林/違い」 というキーワードでググれば、私のページがトップで表示されるのになあ(参照)。よっぽど自分で調べるのが苦手で、インターネット上でさえも人に聞きたがる人がいるようなのだ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

高校生の頃から、辞書を引くことに違和感なしです。
 従って、記事中の条件が整っていれば、間違いなく“ググッて”ます。

 聞いたほうのリスクに一票!

 『酢豆腐』のこともありますし…。

投稿: 乙痴庵 | 2009年3月23日 13:08

乙痴庵 さん:

>高校生の頃から、辞書を引くことに違和感なしです。
> 従って、記事中の条件が整っていれば、間違いなく“ググッて”ます。

>聞いたほうのリスクに一票!

> 『酢豆腐』のこともありますし…。

ただし、辞書にもリスクがあります。

(Wikipedia で 「虚構記事」 の項目にアクセスし、ページ内検索で 「酢豆腐」 を探してみてください ^^;)

投稿: tak | 2009年3月23日 13:29

酢豆腐って何ですか?

投稿: 山辺響 | 2009年3月23日 13:37

山辺響 さん:

>酢豆腐って何ですか?

わはは (^o^)
敢えてその手できましたか。

投稿: tak | 2009年3月23日 14:32


 私も、比較的ググる方ですかね。

 ググる時ってのは、大概は自分のブログに何か書く時にその裏付けとして知識が欲しいとか、あるいは誰かのエントリーに対してコメントする時でも、自分の意見の元になる背景の知識が欲しい時なんかが多いのかもしれません。

 調べても良く分からない時や、身近な人がどのように捉えているんだろうって思ったときなんかに人に聞いたりって事になるのかなぁと思ったりはします。

 いずれにしろ、根底には”恥”の文化があるような気がします。
 知識は知っていればそれは一種の”徳”だろうし、無闇に他人にそれを聞くことは”恥ずかしい”という価値観が自分の中にありますね。調べて分からない事を聞くのは私の中では恥じゃありません。

 そういう、以外とインテリという感じの雰囲気に憧れてるわかりやすい見栄が自分の中にあります(笑)

投稿: きんめ | 2009年3月23日 14:38

すみません、ゴミコメントで↑(汗)

Wikipediaの「虚構記事」酢豆腐の項は面白いですね。ちなみに私が常用している明鏡国語辞典には「酢豆腐」の項はありませんでした。

投稿: 山辺響 | 2009年3月23日 14:39

きんめ さん:

>知識は知っていればそれは一種の”徳”だろうし、無闇に他人にそれを聞くことは”恥ずかしい”という価値観が自分の中にありますね。調べて分からない事を聞くのは私の中では恥じゃありません。

必死に調べてもわからなかったことというのは、大抵、人に聞いてもわかりゃしませんね ^^;)

ただ、「カレーの日の謎」 が、聞いたわけでもないのに、ululun さんが気を利かして 「はてな」 に聞いてくれて、謎が解けたということがありました。

https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2005/06/__76e1.html

最後の最後は、この手もあるなあという感じですね。

投稿: tak | 2009年3月23日 15:12

山辺響 さん:

>Wikipediaの「虚構記事」酢豆腐の項は面白いですね。ちなみに私が常用している明鏡国語辞典には「酢豆腐」の項はありませんでした。

広辞苑の件は、知る人ぞ知るという話で、私も 「あれ? そう言えば」 程度のうろ覚えでしたので、ググって確認したら、モロにそんな記述が出てきました。

最近の Wikipedia は油断がなりませんね。

投稿: tak | 2009年3月23日 15:23

大工調べに登場する大家のような因業ぶり(ある意味、大家の言い分は正論だと思うのですが)をいかんなく発揮したいと希望する私です。ブラウザをIE8にバージョンアップしたら検索する回数が格段に多くなったような気がします。コピー&ペーストする必要がないんですもの。文中の文字を左クリックドラッグすれば、もう、そこは、グーグルの入り口。こうやって、どんどん
便利になって、その場限りの知識を得て、結局、どんどんバカになって行く私。

投稿: やっ | 2009年3月23日 16:37

私の家も「解らなかったら自分で調べろ」という家風でしたので、暇つぶしに平凡社の百科事典をよく読んでいました。
それが今ではパソコンとネットがあれば、あんな場所を取る百科事典はいらないんですから、本当に便利になりましたね。(あ、電子辞書という手もあるか)
もちろんよくググるほうです。

でも、調べるのが長じてうんちくをよく語るので、周囲にとっては酢豆腐の若旦那並にうるさがられているような。。。

投稿: 雪山男 | 2009年3月23日 19:32

やっ さん:

>大工調べに登場する大家のような因業ぶり(ある意味、大家の言い分は正論だと思うのですが)をいかんなく発揮したいと希望する私です。

う~ん、大家さんの言い分は正論かもしれませんが、あれを通すと、自分も損ですね ^^;)

大岡越前守は、資本主義の原則に沿った裁きをしたんじゃなかろうかと思います。

>ブラウザをIE8にバージョンアップしたら検索する回数が格段に多くなったような気がします。コピー&ペーストする必要がないんですもの。文中の文字を左クリックドラッグすれば、もう、そこは、グーグルの入り口。

へえ、そんなに便利なんですか。
私は Firefox 派なんですが、IE もバージョンアップしておこうかなあ。

投稿: tak | 2009年3月23日 22:35

雪山男 さん:

>でも、調べるのが長じてうんちくをよく語るので、周囲にとっては酢豆腐の若旦那並にうるさがられているような。。。

なんだか、このスレッドのコメントは落語の世界に振れちゃってますが、確かに落語はインターネットよりもウンチクの宝庫かもしれませんね。

投稿: tak | 2009年3月23日 22:38

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