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2009年3月20日

『唯一郎句集』 レビュー #13

『唯一郎句集』レビューもこれで 13回目ということになる。「朝日俳壇」時代の句は、今回の 4句でおしまいである。

春の終わりから、夏にかけての句である。この句を作ったとき、唯一郎は多分、まだ 10代である。それだけに、物静かな抑制の中にも若者特有の高ぶりがうかがわれる。

これまでレビューした句の中で、秋から初春にかけての作品には、唯一郎独特の、10代の若者とも思われないような抑制が感じられる。感情をほとばしらせるのをよしとしない態度だ。しかし、今回の句には、ほとばしり出るまでには至らないが、若者の高ぶりが感じられるところがある。

この春はほけたる蒲公英のみ見たり

自由律の俳人、唯一郎にしては珍しく定型じみた句である。とはいえ、五七五 ではなく、やや字余りの 五八五 なのだが。

タンポポの黄色の花ではなく、「ほけたる」タンポポ、つまり白い綿毛になったもののみを見たというのである。春も終わる頃だろう。じっとりと汗ばむ季節かもしれない。

「ほけたる」タンポポは、熟れてしまったタンポポである。10代の若者なのに、熟れた花のみを見たという、あまり外出しない生活だったのか、アンバランスな感覚。そのアンバランスさが、10代の若者である。

物言おだやかに言ひその夜の螢の光り

「物言い」をおだやかにしたというのだが、それは誰に体して穏やかな物言いをしたのか。次の句でわかるが、女に対してである。「女」とは、後に妻(つまり、私の母の実母)になる女性だったろうか。

ホタルの光る夜道、女と共にあるく。大正末期の地方都市だけに、なかなか艶っぽい情景だ。

女と並んで歩く自分の心の内よりもまず、「ホタルが光っている」 と、外の情景を詠むところが、青春である。なかなかいい。

女に螢をつかませ気強くも並び行く

ここで初めて「女」が出てくる。夜道で女の手の内にホタルをつかませて、並んで歩くというのである。

「気強くも」 というのがいい。夜道を女と並んで歩くというだけで、思い切りの要った時代である。

その女の手の内にホタルという危うい生き物がいるというのが、またいい。

夏の海を見下ろしてから階段を飛ぶやうに下り

唯一郎が 「飛ぶように」 下ったという階段は、どこの階段なのだろう。初めは自分の家の中の階段かと思ったが、そうではないだろう。昔の酒田の街場の家に、踊り場の窓から海を見下ろせる階段があるとは考えにくい。あっても不思議じゃないが、ちょっと想像できない。

多分、旅先の旅館なのではあるまいかと思うのである。酒田の近くには、湯野浜や温海など、海を見下ろす立地の温泉地がある。その旅館の部屋の窓から、光る海を見下ろし、階段を飛ぶように下りる唯一郎。

抑制のきいたシャイな若者にしては、珍しく華やいだ気分が表現されている。

ただ、海に向かって飛ぶように降りるのではないところが唯一郎らしい。窓から海を見下ろしてから、一呼吸おいて、静かな階段を飛ぶように下りるのである。どこまでも、はじけ飛ばないところがある。

本日はこれぎり。次回からは 「木鐸」 時代の句をレビューする。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

おとなしと賞めらるるが悲しき梅咲く

文学とは天文学的な数字で距離感がある私なのですが、この句は、なんとなくすっと美しいと思いました。

早生・旬・晩生と色々あるのに、フッと気づくと子供達に「早く早く」とせきたててしまってる自分。ちょいと考えちゃいます。細菌では、梅の木に桜の花を咲かせよ!と無理強いするような感じがするもの否定できない。

大変失礼ではありますが、なんとなく「ふぅーん」と思って読み、読み終えて美しいと感じました。takさんのレビューが無ければチンプンカンプンですが、美しいと感じました。

投稿: やっ | 2009年3月22日 22:58

やっ さん:

>おとなしと賞めらるるが悲しき梅咲く

この句は、#14 の句ですね。

なるほど、やっさんのような読み方もありですね。
唯一郎の句にしては、かなり 「すっと入る」 味わいです。

投稿: tak | 2009年3月22日 23:49

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