『唯一郎句集』 レビュー #17
『唯一郎句集』に収められた 「前後誌」時代の中の前期の作というのは、8句しかない。そのうちの 3句は前回レビューしたので、今日は残りの 2ページ分の 5句である。
この 5句は悲しみに満ちていて、レビューするにも気が重くなるような作である。肉親の死を題材にしたものだ。
この頃、唯一郎は二十歳前後だったろうと思う。だから、その弟はまだ十代だ。その弟が家族に先だって亡くなってしまったのである。私は唯一郎に亡くなった弟があったとは聞かされていなかった。私の知っているのは、東京で成功して海運会社の社長になり、業界団体の理事長にまでなった人で、唯一郎のすぐ下の弟である。
この人は、私が大学一年の時に亡くなって、大変盛大な葬式だった。亡くなった日、何となく虫の知らせがあって病院を見舞ったら、病室は空になっていて、居合わせた看護婦(今は看護師と言うべきだろうが)に、「レイアン室に行ってください」と言われた。
私は「レイアン室」という言葉をその時初めて聞き、それが「冷暗室」ではなく「霊安室」だと気付くまでに、数秒の時間を要し、そう気付いてどっと冷や汗が出たのを覚えている。
まあ、それは別の話なので、そろそろレビューを始めよう。
弟の枕辺の独楽手に取れば悲しい重たい夜かな
危篤の弟の枕辺に、独楽が置いてある。つい最近まで独楽遊びをしていたほどの年若い弟なのである。
その病をどうすることもできず、ただ見守るばかりの家族である。枕辺の独楽を手に取れば、そのずっしりとした質感が、弟の命の重みのような気がする。
ずっしりとはしているが、独楽の重みに比すことができる程度のはかなさであることも、またどうしようもなく悲しい。
弟重患の暁のランプよ梅の実しとどぬれたり
弟の危篤の夜は明けようとしている。家族は一睡もせずに見守っている。まだ電気ではなく、ランプの時代だというのが、後世の我々には驚きだ。
外は雨なのだろう。梅の実がしとど濡れるほどの降りだ。その濡れた梅の実が、ランプの灯を僅かに反射する。その僅かな光よ、消えずにいてくれと祈るような気持ちが伝わってくる。
唯一郎は寡黙で愛想のいい方ではなかったが、信仰心篤く、とても家族思いであったと聞く。
春暮るる夜の稲妻に我が愛する者まなこ閉ぢたり
夜が明けて一日が過ぎ、次の夜が来た。春から初夏に移る頃の夜である。遠くで稲妻が光る。そのような夜に、唯一郎の愛する弟は息を引き取った。
「まなこ閉ぢたり」というのだから、その直前までは目を開けていたのだろう。それだけに、この冷静な表現の奥に、悲しみが閉じこめられているのを感じる。
母を泣かせじとこの春は身丈の鯉幟をかつぎあげ
酒田の端午の節句は、月遅れで祝う。だから、時は 6月を前にした頃のことだろう。
息子を亡くして悲しみにくれる母親を泣かせまいと、あえて大きな鯉幟を引っ張り出して担ぎ上げてみせる唯一郎。こんなところに、家族思いの心が現れている。
そのことでますます悲しくなるが、それでもその思いやりに免じて、母は泣くまいとするのだろう。母が涙をみせまいとしてくれるだけでいい。それは最も悲しい時期である。
囚人種を蒔き怖ろしい寂しさに種を呑み身を護りたり
さてまた、困ったことになった。弟の死を詠み込んだ句が続いた後に、いきなりこれである。シュールすぎる。
シュールすぎるが、唯一郎にしては具体的すぎる句が続いただけに、このような揺り戻し的表現で、心のバランスをとらずにはいられなかったのかもしれない。
囚人が種を蒔くというのは一体何の暗喩なのだろうか。「生」という牢獄に閉じこめられた人間には、自らの肉親の命を地に埋めるということがことさら悲しい。そんな風に感じられる。
そしてそのあまりの恐ろしさに、「死」というものを呑み込むことで、「生」の牢獄から抜け出ようということなのか。「生」の不自由さから抜け出すことが「死」でしかないというのは、また、あまりにも悲しい。
今日はこれぎり。
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