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2009年4月12日

『唯一郎句集』 レビュー #19

同人の句録である「前後誌」の後期には、「みちのく院内あたり」と端書きのついた 3句がある。おそらく秋田県の院内(今は湯沢市院内となっている)に旅した時の句だろう。

院内には銀山があり、江戸時代には日本最大の銀産出量を誇ったが、大正期にはかなり寂れていたもののようだ。

秋田県湯沢は、日本全国にいくつもある小野小町の出身地と主張する町の一つで、温泉も豊富に湧く観光地である。院内はその湯沢に近く、往時の繁栄を伝える旧跡があって、俳句をやるような風流人には喜ばれる要素がたっぷりだったのだろう。

唯一郎が院内を訪れたのは、冬の頃のようだ。寒さは厳しいが、それだけにみちのくのもっともみちのくらしい姿が見られただろう。私も一度行ってみたいものだ。

今回の 3句はほかの作品とはちょっと趣が違い、いつものペシミスティックな感覚はあまり目立たず、少し気楽な旅情緒を感じさせる。とりあえずレビューを始めよう。

あら冬山が根のかねうりの吉次は見えず

「かねうりの吉次」とは、「金売吉次」という伝説の人物。平安末期に、みちのくで算出した金を京都で商い、源義経が奥州平泉に落ちる手引きをしたとも伝えられる。

「冬山が根の」は、「みちのくの冬山を根城とする」という意味と、白雪に覆われた冬山と銀の別称「しろがね」をかけて言っているのだろう。唯一郎にしては珍しい軽妙な言葉遊びの句である。

これも気楽な旅情緒からだろうが、それでも、金売吉次が活躍したという盛時を過ぎた寂しさを現わしているとみることもできる。

鱈を秤る分銅をさげて向きあへる男たち

鱈は冬の日本海でもっともおいしい魚である。けっこう大きな魚で、これを上手にさばくのは熟練の技が必要だ。

昔は海岸から離れた山の中では、魚は行商人から買ったものである。院内の山の中にも、日本海で獲れた鱈を売りに来る行商人があったのだろう。私の祖父(唯一郎ではなく、実家で一緒に暮らしていた祖父)も、一時魚の行商をしていたことがあった。

昔の行商人は、魚の目方を天秤で量った。いや、行商人だけでなく、普通の魚屋だって天秤で量っていた時代を私は記憶している。だから、大小バリエーションのある分銅は、お馴染みの道具だった。

その分銅を下げて男たちが向かい合っているというのだから、なんとなく穏やかでない雰囲気を感じさせる。しかし旅先だけに、そんな光景も遠くにあるもののように突き放して眺めている。

妻をかふる義眼の男にて冬夜を富めり

「妻をかふる義眼の男」とは、なかなか怪しげな人物を思わせる描写だ。古女房と縁切りして若い妻をめとったというだけでも、当時としてはなかなかのものだったろうが、その上、義眼というのは、結構な武勇伝をもった山師的人物だったろう。

院内のひなびた宿で、たまたま泊まり合わせたその怪しげな山師が、酒に任せて数々の武勇伝を披露し、一座を盛り上げる。物静かな唯一郎は、それを黙って聞いている。

港町酒田の商人ばかりの環境で育った唯一郎には、山奥の鉱山町の山師というのは、とても珍しく思えただろう。それを 「冬夜を富めり」 と、ちょっとおどけた表現にしている。

今日はこれにて。

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