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2009年4月18日

『唯一郎句集」 レビュー #20

「前後誌」時代と区分された中の、最後の 4句をレビューする。そもそも「前後誌」というのは特別な雑誌とか同人誌とかいうのではなく、既に述べたように、句会で作られた俳句を記録する句録である。

で、最後の 4句は、なんだかあまり力が入っていないような印象なのである。

そういえば、前回の「みちのく院内あたり」で作られたらしい 3句も、唯一郎の句にしてはちょっと軽い印象だった。旅情といえばいえるが、通りすがりの旅人の、あまり深くは立ち入らないお遊び的な感覚があるように思えた。

今回は別に旅先での作ではないようだが、それでもかなりさらりとした作風である。レトリックは唯一郎そのものだが、言葉の連なりの中の緊張感というようなものが弱くなっている。もしかしたら、「前後誌」に記録された句会というのはかなり長く続いていて、この最後の 4句は、晩年の句なのかと思ってしまうほどである。

あるいは、唯一郎は句会での作になにか違和感を覚えたのだろうか。句は一人静かに絞り出すように作るべきものという気がしていたのだろうか。句会には、そこそこ付き合うだけにしておこうと思い始めたのか。

そのあたりは、今となっては誰もわからない。とりあえずレビューを始める。

薊たね山に落ち根をおろす

唯一郎の作にしては珍しい、読んで字の如くという句である。アザミの種が山の地面に落ちて、そこに根を下ろす。

落ちたところで根を下ろすというあたり、もしかして自分の境涯を重ね合わせているのかもしれないが。

七面鳥つるむがまま葉っぱ秋日

昔、庄内でも七面鳥の飼育が行なわれていたようだ。食用にしたのだろう。

その七面鳥が交尾をしている。七面鳥のオスは盛りがつくとかなりうるさいらしい。そうした「動物くささ」に満ちた光景をよそに、木の葉には秋の日が当たっている。

動と静の対比。

やまのいも根をふかく風の音けふも

やまのいもが根をふかく張る秋の日、庄内には風の音が響くようになる。冬になれば、強い季節風が吹く。人が住んでいる都市部としては、庄内は世界最凶のブリザード地帯なのだそうだ。

その風が吹き始め、今日もひゅうひゅういう音が響く。その過酷さを避け、やまのいもは、地中深くに安息の場所を見出す。

國原薄日さし尾根もやまはらも

「國原」 と言ったところが、唯一郎としてはちょっとだけ意表をついた表現だったかもしれない。

庄内は秋を過ぎると厚い黒雲に覆われた冬になる。その冬の一歩手前の夕暮れ、薄日がさして、その残光に尾根も山腹もほんのりと染まる。

決して暗くはないが、それだけに淋しい景色だ。

本日はこれぎり。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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