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2009年4月に作成された投稿

2009年4月30日

09年度マイナス成長予測の中身

政府の 09年度経済見通しが、12月に発表された 0%成長から、マイナス3.3%に修正されそうだし、日銀も見通しも マイナス 3%を中心に再検討されている。

いずれも「戦後最悪の大幅マイナス」だそうで、経済界はものすごく悲観的な様相を呈している。

ところがちょっと地方都市に行くと、雰囲気は少し違う。景気は確かに悪いが、それほど大騒ぎするほどのものではない。大方の反応は、「もともと悪かったんだから、特別大騒ぎするほど変わったわけじゃない」というものだ。

昨年半ばまでの経済は、「バブル崩壊の下降局面を脱して、長期間の回復傾向にある」とされてきた。ところがこれも、ちょっと地方都市に行けば「回復しているのは都会と大企業だけで、我々には関係のない話」となっていた。底にはり付いたままで、「回復傾向」という実感なんてほとんどなかった。

昨年前半までだって、地方に行って「経済は回復傾向」なんて言ったら、冗談じゃない、いい気なものだと怒られるところだったのである。実感としては、ずっと火が消えっぱなしということだった

今、「マイナス成長」といって騒いでいるのは、これまでの「回復傾向」とやらを享受していた人たちである。ぶっちゃけた話、「回復傾向」というのは輸出型産業主導で、そこからのおこぼれ頂戴ということだったのだから、この世界にあまり関係ない人にとっては、大した変化じゃない。

ずっと悪かったのが、もう少し悪くなっただけのことだ。悪いなりになんとか切り抜けてきたのだから、さらにまた悪くなったところで、よっぽど失敗しなければ死ぬほどのこともない。

この状況で最大の被害を被っているのは、今まで「おこぼれ頂戴」に預かってはいたけれども、ちっとも豊かではない層である。「派遣」だの「臨時」だのという人たちだ。ただでさえ貯えも財産もないのに、いきなりクビを切られてしまっては、食うものにも事欠いてしまう。

自動車の輸出ができなくなってしまうと、とたんにこの調子である。日本経済は、戦後の繊維・雑貨輸出主導という途上国型から、もう少し手の込んだ製品の輸出主導に切り替わっただけみたいなものである。ちょっと派手な様相でごまかされているが、構造は途上国と変わらない。

結局は米国市場頼りというのは、1億 2000万人もの国内マーケットがあるというのに、誠に悲しいことである。なにしろ頼ってきた米国がこのざまなのだから。

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2009年4月29日

のほほんとシュガーレス

食工房の mikio さんのブログに、「ノーシュガーです」というとてもおいしそうなお菓子の写真入りの記事がある。

どれもみな砂糖を使わないで、素材のもつ自然の甘味だけでお菓子のおいしさを作りだしている。こういうのを食べると、砂糖の甘味って、かなりしつこいものなのだとわかる。

「ノーシュガー」とか「ノンシュガー」とか「シュガーレス」について、ひいき目のことを言ったり書いたりすると、ちょっとびっくりするような批判を浴びることがある。こういうのって、とても欺瞞的なことと思われることがあるようなのだ。

「砂糖不使用を謳っていても、糖類全般を使用していないわけではない」とか、「砂糖を使わなくても、どうせ人工甘味料をたっぷり使用している」とか「砂糖不使用がダイエットに即結びつくわけではない」とか、「砂糖は頭を使うときのエネルギーになる」とか、いろいろなことを言われてしまうのだ。

そして、「砂糖不使用なんて欺瞞的。素直に砂糖を使えばいいのだ」と言わんばかりの結論にもっていこうとされてしまう。

しかし、私は別に、砂糖を使わないくせに他の糖類を使ってまで甘味を得たいと思っているわけでもなく、砂糖を控えればダイエットできると思っているわけでもなく、砂糖を使わずに頭をフル回転させたいと思っているわけでもない。

要するに、「砂糖なんて使わなくても、おいしいものって作れるよね」とか、さらに進んで「のほほんとおいしいものに、なんでまた砂糖なんてしつこいものを加えて、せっかくの『のほほん』風味を害する必要があるのか」とか思っているだけなのである。

スペックとしての「ノンシュガー」にこだわって、それを追い求めているわけじゃないので、甘味を得るために砂糖の代替として蜂蜜やみりんや甘味料を使おうなんていう気にもならない。ただ自然に「砂糖って別に要らないよね」と思っているのだ。

この問題で思い出すのは、大学に入って上京し、独り暮らしを始めた頃のことだ。独り暮らしだから、自炊しなければならない。それで、独り暮らし用の料理の作り方の書かれた本を買ってきた。その本に紹介されたレシピのほとんどは、調味料として多少の砂糖を加えることになっている。

初めの頃は何にもわからないから、書いてあるとおりの量の砂糖を加えて作っていた。ところが、そうして作られた料理の味には、どうにも馴染めないのである。なにしろ甘ったるすぎなのだ。そう感じてから、加える砂糖の量をどんどん減らしていった。

例えば大さじ一杯の砂糖を加えると書いてあったら、小さじ一杯にする。小さじ一杯だったら、ほんの一つまみにする。ほんの一つまみと書いてあったら、いっそのこと全然なしにする。そうしているうちに、「砂糖なんて要らないじゃん!」という単純なことに気付いたのだ。

大抵の料理(甘煮とか佃煮とかは除く)は、買ってきた料理本に書いてあるレシピを無視して、砂糖なんて全然加えなくても十分においしいのだ。それに気付いたものだから、最初に買った砂糖(1kg 入りの袋)は、半分ぐらい消費してから全然減らなくなり、棚の奥でガチガチに固まって 3年ぐらい後に捨てられた。

それ以来、私は白砂糖というものを買ったことがない。我が家の台所にも、来客用のコーヒーシュガーを別にすれば、白砂糖はない。いや、探せばどこかにあるのかもしれないが、少なくとも日常の料理で使うことはない。使わないから買わない。買わないから使わない。

砂糖の使用を推奨する立場の議論は、基本的に「甘味を得るには、素直に砂糖を使うのが一番」ということに帰結するように思われる。しかし私の立場は、その基本的前提の「甘味を得るには」というのが要らないので、話がすれ違うのだ。

「だって、砂糖なんか使わなくても、ちゃんと甘いじゃん」で済んでしまうのである。「なんで、これ以上甘くするの?」ということなのだ。だから、余計なものを金出して買うこともない。単にそれだけの話なのである。

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2009年4月28日

鳥だの豚だののインフルエンザ

「鳥インフルエンザ」という言葉を初めて聞いたのはいつのことだったか思い出せないが、それはラジオのニュースを通じてだったということははっきりと覚えている

この耳慣れない言葉は 「トリ・インフルエンザ」 と、全てカタカナで聞こえ、さらに "tri-influenza" というスペルが思い浮かんだ。

新聞や雑誌などの文字媒体や、文字で見出しが表示されるテレビ媒体だったら、初めから「鳥インフルエンザ」という視覚効果で認識されただろうが、なにしろ耳でしか聞こえないラジオ・ニュースであり、しかもその時、何だかバタバタしていたようで、私はそのニュースの中身をよく把握できなかった。

それで「なんだか得体の知れない、『トリ・インフルエンザ』という病気が蔓延している」というような印象が残り、しかも、"tri-influenza" なんて予断による勘違いまでしてしまったので、「なにやら、既存のインフルエンザの 3倍強いやつ」 なんて思ったのである。これは、かなり怖そうじゃないか。

その後すぐに、3倍強いウィルスなんかではなく、鳥のインフルエンザだとわかったのだが、最初の印象というのは怖いもので、しつこく頭にこびりついていて、私は今でも「トリプルエンザ」なんていう、自分にしか通じない略称を使っている。だって「鳥インフルエンザ」って、長すぎてカンでしまいそうだもの。

で、この度の「豚インフルエンザ」である。ご想像の通り、私の中での略称は「トンプルエンザ」になってしまった。今のところはまだ差し迫った脅威を感じていないもので、こんな呑気な状態である。

ただ、差し迫った脅威を感じていないのは「今のところは」というだけで、いつ差し迫ってくるかしれたものではない。油断は禁物だ。大先輩 alex さんは敏感に反応して警鐘を鳴らし、非常事態に備えて 3ヶ月分の食料と薬品を備蓄されたそうだ (参照)。

私もそこまでは行かないが、せいぜいウィルス用のマスクだけはきちんと備蓄した。もっとも直接の動機は鳥とか豚とかのインフルエンザ用ではなく、花粉症防止のためなのだが、まあ、花粉症のシーズンが終わっても使い切れないほどの準備はある。

で、それ以上のことはしていない。私は 「自分と自分の家族だけは大丈夫」と、非常に強力なノーマルシー・バイアス(正常化の偏見)を持っているようなのである。

ちなみに、鳥インフルエンザと豚インフルエンザは、英語では私だけの略称よりずっと短い。"Bird-flu" と "swine-flu" である。英米人も "influenza" は長すぎて言いにくいらしく、普通は "flu" で済ませているようなのである。日本語でも「インフル」と略すことがあるが、英語の略し方の方が徹底している。

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2009年4月27日

「おくりびと」と酒田の風景

何となくバタバタとプチ忙しい日々を送っているうちに、アカデミー賞受賞作品「おくりびと」を見逃してしまった。探せば上映館は見つかるが、ちと遠い。

で、新発売されたばかりの DVD をつい買ってきてしまった。3,500円払って、何度も見られるんだから、高い買い物じゃないだろう。

妻には 「ちょっと待てば、Wow Wow でやるに決まってるんだから、それを録画してあげるのに」なんてチクリと言われてしまった (私はビデオの予約録画ができないのだ)が、待ちきれなかったのである。なにしろ、ロケ地が生まれた街の酒田ということもあるしね。

で、やっぱり見ているうちに、ちょっとうるうる来てしまったのである。

納棺士となった主人公の小林大悟が、幼い時に母と自分を捨てて逃げてしまった父親の死に巡り会い、自らの手で納棺をすることになるのだろうとは、映画を見始めてかなり早い段階で想像がついた。この点、別に意外性はないし、初見の人も大抵は見ているうちに察しが付いてしまうだろうから、案外軽い気持ちでネタばれさせていただいた。

いわば、ストーリーとしてはお定まりといってもいいようなもので、新鮮さはない。それでもやっぱりうるうる来てしまうというのは、やっぱり舞台が庄内だからなのかもしれない。田園調布とか新百合ヶ丘とかでのお話だったら、あんなにはうるうる来ないだろうと思う。

なんといっても、まず映画の冒頭が、地吹雪の田舎道を車で辿る場面である。関東では一度も遭遇したことがないが、高校を卒業するまで、私は何度も何度も、まさにあんな地吹雪の中を歩いて通学していたのである。とくに中学校の後半は越境通学したので、田んぼの畦道を辿るのが近道だった。冬の視界は、まさにあの映画の冒頭の画面だった。

だから、あの地吹雪の画面を見ただけで、不覚にも意識が別のモードに入ってしまったのである。登場人物の庄内弁が全員しっくりこないのが、ちょっと気にはなったが、庄内の風景は、そんなことを吹き飛ばしてしまう特別な力をもっていた。

「おくりびと」という映画は、様式美と、人情と、庄内の風景という三要素の合体の勝利である。なんといっても、この映画の様式美と人情は、人の死に立ち会うという決定的なシチュエーションで表現されるものだけに、非日常的なパワーがある。

そしてその独特なパワーを包み込むのが、庄内の厳しくものほほんとした自然。この対照があるというだけで、映画の成功は約束されていたようなものだ。

あの映画に出てくる NK エージェントの事務所は、小幡という割烹跡を使って撮影された。あの独特の味わいある建物は、いわば私の縄張り内である。私の生まれたのは、あの建物から歩いて 2~3分の家なのだ。(もっとも、今は取り壊されて駐車場になっているが)。

小幡が料亭を止めてしまって、単なる廃墟になってしまったのはいつ頃のことだったか、全然記憶にない。なにしろ割烹だから、子どもが外で遊ぶ日中は、ひっそりとしていた。だから私の記憶の中では、ずっと昔から廃墟じみた特別な雰囲気を漂わせていたのが、あの建物である。

だから、映画で小林大悟があの建物のドアを開けて中に入る場面を見て、「へぇ、中はこんなだったのか」と一瞬思いかけて、「いやいや、まさかね」と思い直したほどの、変なリアリティがあった。

ところが今、あの建物の内部は、「おくりびと」 の NK エージェントの事務所がそのまま再現されて、今月 10日から一般公開されているのだそうだ(参照)。「嘘から出た誠」とは、このことだ。連休には母の三回忌で帰郷するので、私もぜひ訪れたい。

酒田の中心街からの道を辿り、日和山公園に上る坂のてっぺん近くにある、あの一種独特の趣の建物が、アカデミー賞映画のモニュメントとして保存されるというのは、酒田生まれの人間として、とても嬉しいことである。願わくは、飽きっぽい酒田市民が2~3年で 「もうや~めた」 なんてことにならないように。

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2009年4月26日

『唯一郎句集』 レビュー #23

唯一郎の父が亡くなり、「弔」と題された句が作られ、春が過ぎ、夏が過ぎ、秋の彼岸が過ぎたようだ。

唯一郎句集の中では、このあたりの句の並び方が一足飛びに飛んでいるようで、またまた時間軸が曖昧になる。それでも、読むものはそれに付いていくほかない。

というわけで、レビューも今回で 23回目になる。今回は 4首をレビューする。この間に、唯一郎の環境はずいぶん変わっているようなのである。作風も変化をみせている。

すくすく彼岸花が伸びきって恋慕もなし

夏の間一斉に咲き誇っていた草花が枯れ始め、他との競合がなくなった秋の彼岸頃になると、彼岸花は見計らったように咲く。その妖しいまでの色合いと相まって、一際目立つ。

妖しいまでの色香が伸びきってしまった頃、「恋慕もなし」と歌う唯一郎だが、恋慕というほどのことはなかったとしても、何かはあったのだとうかがわせる句である。

氷柱黄な雫を甞めて入る薄暗き家ぬちに妻うごけり

ほぅら、知らないうちに妻をめとっているではないか。結婚するまでの間に、それをうかがわせる句が一つも見当たらないというのも、唯一郎らしい。実は上記の句がそれをうかがわせているのだろうが、それは言外の意である。

「氷柱」は「つらら」。 その次の「黄な雫」というのが、さあて困ってしまう。もしかしたら、月の光だろうか。うぅむ、月の光を 「黄色の雫」 と表現したのだということにしておこう。

氷柱が月の光をなめるという時分の薄暗い家の中 (「家ぬち」は、「家のうち」) で、「妻うごけり」という。あっさり読み飛ばすとなんということはないが、ちょっと深読みすると、ものすごくエロティックな句である。

さうした話の結末の草の実を身につけて来る

これも一見淡々としているが、実は大胆に艶っぽい描写。「そうした話」というのは、衣服に草の実がついてしまうという類の 「そうした話」なのだろうから。

はるばる野葡萄摘みの父子が水涸れわたる

野葡萄を摘みに行く親子が、秋の水の涸れた川を渡って行くという、なかなか牧歌的な風景。

この頃、それまでの唯一郎の句を彩っていたペシミスティックな情感が少し後退している。これは成熟とみるべきかなのか、過渡期と言うべきなのか、レビューを重ねて行くに連れてそれは見えてくるだろう。

本日はこれぎり。

 

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2009年4月25日

『唯一郎句集』 レビュー #22

このところ週末の恒例のようになってしまった 『唯一郎句集』 のレビューである。今回で 22回目だが、これでも全体の 4分の 1ぐらいなので、まだまだ続くことになる。

今回は、いや、今回もというべきか、哀しみに満ちた句である。多分、唯一郎が 20歳を迎える冬から早春にかけての 5句だ。

この句集は年譜的な色合いがほとんどなく、それぞれの句がいつの歳の作品なのかは、ほとんどはっきりしない。今回レビューする作品がなぜ 20歳を迎える歳の作ととわかるのかといえば、父親の死が歌われているからである。唯一郎が父の死を迎えたのは、20歳のときだった。

レビューを始めよう。まずは「寒靄」の連作 4句。

寒靄の中に立ち美しく何本もマツチをともし慰む

「寒靄」は「かんあい」と読む。文字通 「寒中のもや」のことで、俳句では冬の季語だ。唯一郎は自由律の俳人なのだが、ことさら伝統的な季語を使うことがある。多分、意識してのことなのだろう。

酒田で寒靄が出るのは、寒中とはいえ春が近付きつつある頃のことだ。本当に真冬だと、季節風が吹き付けるので靄どころではない。その寒靄が立ちこめる夜、マッチを擦ればほの赤い火が周囲の靄をもわずかに染める。

その美しいほの明かりに慰みを求め、何度もマッチを擦る。とてもセンチメンタルな映像が浮かぶ句だ。20歳の若者の感慨である。

逃れ来し寒靄に濡れし我が手套

「手套」は「しゅとう」と読んで手袋のこと。「逃れ来し寒靄」と言っているが、逃れてきたのはもしかしたら自分自身のことかもしれない。

もやのために濡れるのは手袋に限らないはずだが、ことさらに手袋の濡れているのが意識される。冬の夜の、濡れて冷たい指先。何から逃れてきたのかもおぼろなほどの、冷たいもや。

君のかなしさを知つて煙草を吸ふ寒靄を吸ふ

「君」とは、恋人のことだろう。それしか考えられない。後に妻となる人だろうか。

恋人のかなしさを知っても、何もできず、ただ寒靄の中で煙草を吸うだけの唯一郎。まったくもう、ハンフリー・ボガードみたいじゃないか。着ているのは多分、トレンチコートではなく、羅紗の外套だろうが。

煙草を吸うのか、寒靄を吸うのかも、おぼろの夜である。悲しみもおぼろだ。おぼろなのに冷たい。まだ春にならない酒田の、硬質のおぼろ。

僕の吸ふたばこありがたくも寒靄に交り行く夜でした

前の句と対句をなすような作。

寒靄に溶け込む煙草の煙。自分の吐いた煙、悲しみの吐露である煙の痕跡が、たちまち消えて行く。哀しみそのものが消えるわけではないが、そこには確かに、「ありがたくも」と言いたくなるほどの不思議な感慨がある。

「夜でした」と軽い調子の口語的な結び方で、悲しみを忘れようとしているかのようにも見える。実際には忘れられないのだが、ことさらにそう結んでいる。

さて、父親の死を詠んだ句である。

       

春ぬかるみの星をのせけぶりつつ凍てんとす

父親が死んだとは、どこにも説明されていない。ただ 「弔」 と題されているので、おそらくそうなのだろうと知られるのみである。

春のぬかるみに、星が映っている。そのぬかるみの表面が急速に凍てついていくほどに、映った星はけぶるように消えて行く。

なにしろ、星を映して凍てついていくのが、池でも湖でもない。「ぬかるみ」 というのだ。父と子の間の言い難い葛藤も見え隠れする。

鳥肌の立つほどに鮮烈なメタファーの勝利。勝利してもさらに悲しすぎるメタファー。

これまでの中での最高傑作かもしれない。

本日はこれぎり。

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2009年4月24日

「草なぎ容疑者」という表記について

今朝、都心に向かう JR 常磐線の電車に乗っていると、途中の柏駅でオバサンの団体がどっと乗り込んできた。

オバサンの団体がいると車内はとたんに賑やか、というか、はっきり言ってかしましくなるが、今日はとくにうるさかった。「草なぎクン逮捕」の話でどえらく盛り上がっていたためだ。

「そのくらいのことで逮捕されちゃって、可愛そうよねぇ」「鳩山大臣に『最低の人間』なんて言う権利あるの?」「草なぎクンって、すごくいい人みたいなのに」「何かストレスでもあったのかしら」「政治家の方がずっと悪いコトしてるわよねぇ」などなど……。SMAP って、オバサン世代にも結構な人気というのが、よくわかった。

このニュースを知って、今回も「草なぎメンバー」という見出しが踊るのかと思ったが、今のところはそうなっていない。ジャニーズ事務所も、前回の「稲垣メンバー」という言い方が違和感ありすぎで逆効果だったのに気付いて、今回はごり押ししなかったのかも知れない。

それよりも気になったのは、ネットのニュースではほとんど「草なぎ容疑者」と、平仮名交じりで表記されていることだ。新聞記事やテレビ画面ではすべて「草彅」と漢字で出ているのに。

新聞などでは記事は通常は常用漢字を使うことになっているが、固有名詞であればその限りにあらずだ。そうでないと、「轟(とどろき)さん」や「轡田(くつわだ)さん」 、 「塙(はなわ)さん」 は浮かばれないと、前に 「ナガシマさんの漢字表記」 という記事でも述べた (参照)。

試しに ATOK の手書き入力(弓 - 前 - 刀 と書いた)をしてみたら、ちゃんと「彅」という漢字は認識されて、簡単に入力できたので、二つ上のパラグラフではちゃんと 「草彅」 と表示されている。

ところが、Wikipedia を覗いてみると、見出し語としては「草なき剛」となっていて、本文中には「草彅 剛(くさなぎ つよし、1974年7月9日 - )」とある。そして、次のような但し書きがある。

本来の表記は「草彅剛」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。

この項目には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字が含まれています(詳細)。

上記のリンクを辿ってみると、どうやら、Wikipedia では記事名(見出し語)としては、機種依存文字を使わないということになっているらしい。そして、「彅」という字は機種依存文字で、Mac OS では表示されないことがあるようなのだ。

もっとも、Mac OS でも 10.1 (Puma) update 10.1.3 以降は文字化けしないようなのだが、それ以前の OS の使用者に配慮しているんだろう。だから、古い OS の Mac ユーザーには、この記事は恐縮ながら、一部文字化けして見えるのだろうと思う。

ちなみに、「彅」という字は国字で、日本で作られた漢字なんだそうだ。なるほど、「峠」と同様なのね。普通に「くさなぎ」で変換すると、「草薙」 という字になって、三種の神器を思い出した。本当は「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」というのだが、通称は「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」である。

で、「草薙剛」で Google の Web 検索をかけてみたら、本日 14時 20分時点で、57,783件もひっかかった。これからもどんどん増えるんじゃあるまいか (参照)。

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2009年4月23日

森田健作千葉県知事について

14年前、青島幸男氏が東京都知事に当選した時、私は唖然としてしまった。東京都民は、傍から文句を言うのだけがお上手な青島氏に、都政を任せられると本気で思ってしまったのである。これは見当違いというものだ。

当事者と批判者とでは、使う筋肉が全然違うのである。

その意味で、この選挙結果に一番驚いたのは青島氏自身だったかもしれない。案の定、彼は都市博中止以外にはほとんど何もできずに任期を終えた。彼自身にとっても東京都知事という地位は居心地が悪かったようで、二選目を目指すようなそぶりさえ見せずに、さっさと辞めた。辞めた後は、さぞ清々しただろう。

で、千葉県の森田健作知事である。私は彼の当選確実のニュースを聞いても、それほど驚きはしなかった。下手したら、いや、下手しなくても当選しちゃうだろうという気はしていたもので。だから、当ブログも選挙後すぐには反応しなかった。

しかし、そろそろ反応したくなってしまった。やっぱり森田健作さん、知事なんかやるよりも、袴をはいて竹刀を握り、波打ち際を走り終えたとたん、夕日に向かって「ばかやろー」とかなんとか叫んでいる方が、ずっとお似合いなんじゃなかろうかという気がしてきたんである。

青島さんとは立場が全然違うようなので、時の政権を無茶苦茶に批判して大衆的人気を得たというわけじゃない。逆にずっと体制派だ。というか、ものすごく右っぽい。しかも精神論過剰の右っぽい。そして具体的な政策はあまり見えてこない。

「完全無所属」がウソだったとかどうとかいう話には、私は興味がない。それを糾弾している「市民運動団体」の方々だって、その背景はいろいろあるんだろうし。それから、あちこちから怪しい献金を受けていたなんて話も、森田健作個人に特有の問題というわけじゃない。他の政治家だって、それに類した話は突つけば出てくるだろう。

私が「アブナいなあ」と思っているのは、あくまでも森田氏自身の県知事としての資質とか能力という部分についてである。周囲がよっぽど上手に担いで、気を利かしてあげればいいのだろうが、そんな風なことが、果たしてできるのかなあ。

申し訳ないけど、ここまでは「スベリっぱなし」という印象だ。やっぱり当事者としての実務能力と、端で目立つ能力とはかなり違うのだ。

【同日 追記】

森田健作の輝け! 千葉・日本一」 というサイトの 「更新情報」 という欄に 「2009.3.5 マニフェストを公開しました。」 という表示がある。で、そのページに飛んでみると、ダウンロードするためのボタンがある。ところがそのボタンをクリックすると、「404 File Not Found」 が表示される。

【再追記】

何度アクセスしても表示されなかったのだが、念のため数分後にアクセスし直したら、今度は表示された(参照)。一体どうなってるんだろう。で、読んでみて、申し訳ないけど、なぜか笑ってしまったのであった。

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2009年4月22日

麻生さんの短歌

新宿御苑の「桜を見る会」で、麻生首相が自作の短歌を披露したというのが、一部で話題になっている。

「ふるさとに はや桜満(み)つ ゆゑ問へば 冬の寒さに 耐へてこそあれ」という歌で、「こそ」の後を已然形の「あれ」で結ぶという係り結びの原則はちゃんと守られている。

麻生さん、漢字の読み方には疎いかも知れないが、いにしえの文法はきちんと理解していらっしゃるようだ。もっとも、無意識に詠んだのが結果オーライという形になったのではないという証拠はないが。

MSN 産経ニュースには、"地元・福岡県の桜が全国で最も早く開花したことを指摘した首相が不況脱出に向けた決意を示したといえ、首相は 「冬の時代にずっと仕込んでいた政策の花が開くのはこれからだ。春と同時に開花していくように、今後も頑張りたい」と語った" とある (参照)。

ところが残念ながら、冬の間に仕込んだ政策が「春と同時に開花」しているようにはちょっと思えない。気象庁の異常天候早期警戒情報によると、4月 26日から 5月 5日にかけて、「平均気温がかなり低くなる確率が 30%以上」という話だ。明日から強い寒気が南下するので、全国的に気温が低くなるんだそうだ。あいにくなことに。

今日はかなり暖かいものの、暖かい春が安定するのは連休明けぐらいからのようで、「もう少し我慢が必要」というメッセージみたいに思えてしまう。

ところで麻生さんの歌だが、桜の花が既に満ちていることの「ゆゑ問へば」とあるのだから、その理由を述べる結句は「耐へてこそあれ」ではなく「耐へてこそなれ」と結ぶのが自然だろう。

こんな場合、もし私だったら

ふるさとの凍ゆる冬を耐へてこそはや咲き満つる桜なりけれ

なんて、当たり障りなくステロタイプに綺麗めな歌にして、煙に巻いてしまうところかなあと思ったりする。まったくおもしろみはないけれど。

ちなみに、当日の夕方、たまたま見たテレビのニュースショー(確か日テレだったと思う)でこの桜を見る会の模様が報じられていて、妙に軽い調子のナレーターが、「麻生さん、ここで一句!」と言ったと思ったら、続いて画面に出てきたのは「一句」ではなく、短歌が「一首」だった。これは見てる方が恥ずかしい。

でもこれは、自分で詠んだくせに下の句の前で詰まっちゃった麻生さんが悪いんだよね(参照)。そのせいで、つい俳句だと思っちゃったんだよね。きっとそうだよね。(皮肉です。念のため)

 

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2009年4月21日

分析的手法とホーリズム

近頃「時は金なり」というブログに注目している。人間の意識とか思考とかいう側面についての、読みやすいコンパクトな記事が、毎日更新されている。

このブログの 4月 20日付は「【多対多】 は難しい」という記事だ。データベースでは「n 対 n」といわれる関係についてである。

この記事にあるように、リレーションシップ(関係性)というのは、基本的に「1対1」「1対多」「多対多」の 3種類に分けられる。

例えば、ケータイ初期の頃の内蔵電話帳は、データを 「1対1」 の関係でしか登録できなかった(固定電話では、まだ多くがこのレベル)。特定のだれそれさんに対応する電話番号は、1種類しか登録できない。その人の自宅電話(イエデン)とケータイの両方を登録すると、電話帳の見た目は、あたかも同じ名前の人が 2人いるみたいになってしまう。

ところが、最近のケータイのほとんどは、「1対多」のレベルで電話帳を構築できる。特定個人がイエデンと複数のケータイを持っていても、その人の項目の元に複数の電話番号をぶら下げて登録できる。もっとも、古いケータイのデータをインポートしっぱなしの人は、この機能を使い切れていないのだが。

この程度は、手書きの電話帳でも対応できる。データが増えるにつれて 50音順の並びが多少怪しくなったりすることはあるが、なんとか大丈夫だ。ところが「多対多」まで行ってしまうと、コンピュータの出番になる。人力でもできないことはなかろうが、データ量が増えてしまうと分析に膨大な手間がかかる。

例えば、宅配ピザ屋の伝票をみて、ある特定の顧客からの注文は、A と B という種類のピザが圧倒的に多いとなれば、この顧客は、A と B が大好きということがわかり、とても有効なデータになる。そしてそれは、手書きの「カード型」でも何とかなる。

ところが調理場側からみてみると、A と B というアイテムの出現頻度が非常に低いとなれば、その顧客の好みがちょっと変わっているということで、そのアイテムに必要以上の力を入れるのは無駄ということになる。そして、このデータベースも「カード型」でなんとかなる。

しかし、顧客とアイテムの他、受注・配達、決済などを含めた業務をトータルかつ具体的につかもうとすると、「カード型」だけではこなしきれない。単なる一覧表では、わけがわからなくなるのだ。こんな時は「リレーショナル・データベース」の出番になる。

特定の顧客が複数の品物を注文し、品物の側からみても、特定の品物が多くの顧客からの注文を受ける。だから「多対多」だ。一組の「多対多」の組み合わせならまだなんとかなるが、実際のビジネス業務では「多対多」のペアが複雑に折り重なってしまうので、えらいことになる。

リレーショナル・データベースでは、基本要素を分割管理することで論理的な分析ができるようにする。ピザ屋の場合でいえば、受注日時、顧客、受注アイテム、配送、決済などをそれぞれ個別の表にして、それらをリンクさせる。いわば「カード型」のデータを、コンピュータの中で網の目状にリンクさせて管理するのだ。

つまり「多対多」の関係を具体的に分析するための要点は、まずごっちゃになった要素を的確に分割することだ。それができないと、そこから先には進めない。

分析するということは、まず分割するということなのである。それによって、材料仕入れの無駄を最小限にし、大事なリピーターか年に 1~2度しか注文を寄こさない客かの区別も付き、人員配置の適切な調整もできる。さらに効率的な配達も可能になり、不要のトラブルも避けられる。

「時は金なり」というブログで、「多対多」の関係を理解するためにはしっかりと分割しなければならないとしてあるのは、このことを言っている。非常に論理的な手法であり、私もビジネスの上では当然にもこの手法を用いる。

で、大変くどくどとながくなってしまったが、実はここまでは今日の前置きである。ここからが本論だ。そして今日の本論は、ざっとしたものである。

私はこう見えても、MS-Office のリレーショナル・データベース、Access を使った業務データベース・プログラムぐらいは何本も作った実績があるので、論理的な思考ができないわけじゃない。しかし、ビジネスを離れた普段の頭の中では、論理よりも直観が優先されがちである。

私はいったんビジネスを離れると、途端に大ざっぱ、丼勘定の人間になってしまうのだ。しかし、それはそれで悪いことではないと思っている。分析的手法が有効なのはビジネス的な「効率の世界」であって、それを離れた浮き世のしがらみの中では、論理よりも直観が有効な場合が多い。

「ホーリズム(Wholism)」というかっこいい言い方がある。物事を分析的にではなく、丸ごと全体として捉えようという、どちらかといえば東洋的な行き方だ。私は基本的には、こっちの方の人だと、自分では思っている。

分割してリンクし直すプロセスで、失われてしまう微妙な情報というのがあるはずで、それを失わないためには、分割せずに丸ごと理解しなければならない。そして分割せずに理解するには、直観的理解というのがとても有効だと思っているわけなのである。

ただ、これは西洋医学と東洋医学のようなもので、どちらが優れているというようなものではなく、案件によって向き不向きがあるということだ。だからビジネスの業務分析を直観だけに頼って行おうなどとは、決して思わないということは、念のため書いておこう。

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2009年4月20日

長嶋さんの知られざる 「重大発言」

すき家の店内の壁に "Sukiya is delicious." と書いてあることもあって、「すき屋は食えない」と指摘しちゃった(参照)わけだが、コメントで当然の如く Engrish に話題が飛んだ。

で、さらに長嶋さんのあの妙な英語らしきものの話題に及び、それに止まらず、長嶋流のレトリックまでまな板にのってしまった。

私は長嶋さんのレトリックの中では、あまり知られていないけれども、決定版とも言える材料をもっている。そのことについては、大分前に、こちら に書いておいたのだけれど、格納場所があまりにも目立たないところなので、あまり読まれていない。それでこの際、改めてブログに書いて紹介してしまおうと思うのである。

これはとても古い話なのだが、「知られざる重大発言」である。昭和 55年に、長嶋さんが巨人軍監督(第1期)を辞める(実際は辞めさせられる)ことになった時のことだから、もう 29年も前のことだ。30歳になっていない人は生まれていないし、35~36歳ぐらいでもまず記憶にないだろう。

この年の秋、長嶋さんが監督を務めていた巨人軍は、辛うじて Aクラスにはとどまったものの、2リーグ制分立後に、3年連続で優勝を逃したのは初めてのことだった。その責任をとって、長嶋さんは辞任を表明したのだが、それは読売幹部による事実上の解任というのは明らかだった。かなり悲劇的な状況だったのである。

辞任表明の日、あの「イレブンPM」という深夜番組のインタビューに応え、長嶋さんが沈痛な面持ちで次のように語るのを、私はたまたま深夜営業のラーメン屋のテレビで見ていた。

「マァー、私は巨人軍を去りますがァ、
ファンの皆様にはですネ、
これからも巨人軍を、マァー、 

いつまで続くか分かりませんがァ、

応援していただきたいとォ……」

これを聞いた私は、口の中のラーメンを吹き出しそうになった。まあ、発言が正確にこの通りだったかは自信がないが、少なくとも赤い太文字部分は、まさにそのようにおっしゃったのである。

この人は自分の現役引退セレモニーで何を言ったか覚えていないのか!?  確か

巨人軍は永久に不滅です!

とか何とか、かの有名なセリフを絶叫したではないか。詰め腹切らされたからといって、「いつまで続くか分かりませんがァ」とは、トボケるにも程がある。自分自身の栄光の発言に、どう落とし前をつけてくれるというのだ。私は茫然としながらそう思った。

私は吹き出しかけたラーメンを改めて飲み込みながら、翌日の「東京スポーツ」(大阪では「大スポ」)一面トップの見出しはは、この大ボケ発言になるだろうと確信した。しかし現実は、そうはならなかったのである。

世の大衆は実にセンチメンタルな反応を示し、長嶋さんには日本中の同情が集まった。そして彼らは、讀賣新聞の購読部数が減ったとさえ言われるほどの猛烈な判官贔屓を発揮した代わりに、これほどまでにオチョクリ甲斐のある「大ネタ」をすっかり見落としてしまったのである。何ともったいない。

というわけで、長嶋さんの現役引退の時のあの栄光の発言には後日談があり、なんと自らの大ボケ発言で、それを裏切ってしまっていたのである。当時 2ch があったら、どんなに盛り上がっただろう。

長嶋さんみたいな人を上司にもったら、部下は苦労するだろう。言うことがコロコロ変わる。昨日言われたことを必死で実行していると、今日は正反対のことを言われる。当人はそれについて、別になんとも思っていない。

しかし、当人には悪気がないのである。全然ないのだ。発言内容に無意識なだけである。それだけに憎めないのである。何があっても、長嶋さんのせいにはできないのである。すべて部下の方で飲み込んで、うまく処理するしかない。

だから現在の象徴的地位は、長嶋さんにぴったりなのである。この人に実務なんかさせてはいけない。象徴として、その明るい光を周囲に放ってもらえばいいのである。そうすることで、すべてがうまくいく。

実は私も、長嶋さんは大好きなのである。だからこの記事は、「ちょっといい話」というカテゴリーに入れておくのである。

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2009年4月19日

『唯一郎句集」 レビュー #21

「前後誌」時代と区分けされた句のレビューを終わり、今日から「酒田俳壇」時代という部分に入る。

「酒田俳壇」という名の同人誌があったようには思われない。酒田地方紙か何かの文芸欄に載った作品なのではないかと思われる。かなりの数の作品が残されている。

いつ頃の句かといえば、初めの方で父の生前の姿が句にされているのがあるから、まだ二十歳前後の頃なのだろう。唯一郎が父を亡くしたのは、二十歳の時だったというから、それは間違いない。

まだ十代の俳人の句と思うと、我が祖父ながら、これが天才でなくて何なのかと思う。この血を継ぎながら、私の「和歌ログ」の方はこの程度なのかと、ちょっと悲しくなってしまうようなところがある。

それは忘れて、とりあえずレビューに入ろう。

お彼岸の寺を出でまかなしくたより了せたる心

難解。難読。とりあえず「寺を出でまかなしく」は、「出でま/かなしく」(出でまかり、かなしく)だろうか。

「了せたる」は、「おわらせたる」なのか「しまわせたる」なのか迷うところだが、唯一郎は多分「りょうせたる」と読んだのかなあと思う。

「お彼岸」は春の彼岸。秋の彼岸は、「秋彼岸」 という。なぜかは知らないが、俳句の世界では昔からそうなっている。

酒田の春彼岸は、平地では雪が解ける頃。今でこそ正月でも雪がなかったりするが、昔は雪が春まで残った。ようやく雪が解けた頃の墓参り。寺を出てくると、便りを終えたようなもの悲しい心持ちがするという。

唯一郎は「死」というものを強く意識していたようだ。弟を早くに亡くしていることや、父親も体が弱かったこともあるだろう。

接木をしながらしみじみ淋しさに揺られて居る父

父を歌っている。庭の木の接木をしながら、淋しさに揺られているという。接木をしているのなら、本来は新しい生命を育みながら楽しそうにしていてもいいようなものだが、「淋しさに揺られている」 という。しかも 「しみじみ」 と。

揺れているのは木の葉なのだろうが、それよりも父の方が揺られているとみる息子。以前は声の大きな闊達な男だったというが、めっきりと弱った父を見る哀しさ。

潮騒うちひびく三月の枝を仰ぐことをするか

冬の間、酒田の町には「海鳴り」が聞こえる。浜に打ち寄せる大波の音が、まるで大太鼓を轟かせるように聞こえる。三月になっても、それが「潮騒」となって続いている。

三月ともなれば、鉛色の厚い雪雲ばかりだった庄内にも、青空がのぞくようになる。見上げれば新緑の前の裸の枝越しに、その青空が見える。

ようやく冬を越した喜びの青空の奥に、なにやら悲しい予感がする。

白雪の山裾の野からすらこもり居てかなしく鳴かず

なにやら象徴的な心情の句。からすの鳴き声は悲しく聞こえるが、野からすたちはどこかに籠っていて、その悲しい鳴き声さえもない。

遠くに見える山裾は、まだ雪が残っている。

涙する母よかくの如く人間のあたまに雪降りやまず

昔の女は、悲しいときにはただ静かに泣くばかりだった。泣くほかに術はなかった。

春の雪が降り止まない。冬の間のさらさらとした雪ではない。ぽたぽたと湿った雪が、いつまでも降り止まず、人の頭を濡らす。春なのに。

結氷の底の豆腐の容をしみじみと見つめて居る母なりけり

衰えた父の様子よりも、むしろそれを悲しむ母の姿が気に掛かる。

表面に薄い氷の張った容器の底の豆腐の様子をしみじみと見つめて動かない母。その後ろ姿が悲しい。

「豆腐の容」 は、「とうふのすがた」 と読ませるのか 「とうふのかたち」 と読ませるのか、あるいは 「とうふのよう」 とそのまま読ませるのか。「かたち」 と 「よう」 のどちらかだと思うが、どちらとも言えない。

本日はこれぎり。

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2009年4月18日

『唯一郎句集」 レビュー #20

「前後誌」時代と区分された中の、最後の 4句をレビューする。そもそも「前後誌」というのは特別な雑誌とか同人誌とかいうのではなく、既に述べたように、句会で作られた俳句を記録する句録である。

で、最後の 4句は、なんだかあまり力が入っていないような印象なのである。

そういえば、前回の「みちのく院内あたり」で作られたらしい 3句も、唯一郎の句にしてはちょっと軽い印象だった。旅情といえばいえるが、通りすがりの旅人の、あまり深くは立ち入らないお遊び的な感覚があるように思えた。

今回は別に旅先での作ではないようだが、それでもかなりさらりとした作風である。レトリックは唯一郎そのものだが、言葉の連なりの中の緊張感というようなものが弱くなっている。もしかしたら、「前後誌」に記録された句会というのはかなり長く続いていて、この最後の 4句は、晩年の句なのかと思ってしまうほどである。

あるいは、唯一郎は句会での作になにか違和感を覚えたのだろうか。句は一人静かに絞り出すように作るべきものという気がしていたのだろうか。句会には、そこそこ付き合うだけにしておこうと思い始めたのか。

そのあたりは、今となっては誰もわからない。とりあえずレビューを始める。

薊たね山に落ち根をおろす

唯一郎の作にしては珍しい、読んで字の如くという句である。アザミの種が山の地面に落ちて、そこに根を下ろす。

落ちたところで根を下ろすというあたり、もしかして自分の境涯を重ね合わせているのかもしれないが。

七面鳥つるむがまま葉っぱ秋日

昔、庄内でも七面鳥の飼育が行なわれていたようだ。食用にしたのだろう。

その七面鳥が交尾をしている。七面鳥のオスは盛りがつくとかなりうるさいらしい。そうした「動物くささ」に満ちた光景をよそに、木の葉には秋の日が当たっている。

動と静の対比。

やまのいも根をふかく風の音けふも

やまのいもが根をふかく張る秋の日、庄内には風の音が響くようになる。冬になれば、強い季節風が吹く。人が住んでいる都市部としては、庄内は世界最凶のブリザード地帯なのだそうだ。

その風が吹き始め、今日もひゅうひゅういう音が響く。その過酷さを避け、やまのいもは、地中深くに安息の場所を見出す。

國原薄日さし尾根もやまはらも

「國原」 と言ったところが、唯一郎としてはちょっとだけ意表をついた表現だったかもしれない。

庄内は秋を過ぎると厚い黒雲に覆われた冬になる。その冬の一歩手前の夕暮れ、薄日がさして、その残光に尾根も山腹もほんのりと染まる。

決して暗くはないが、それだけに淋しい景色だ。

本日はこれぎり。

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2009年4月17日

「すき家」 を食うやつはいない

牛丼チェーン「すき家」の「店員逆告訴」問題が、あちこちで話題になっている。残業代未払いで刑事告訴したアルバイト店員を、「無断で飯食った」と逆告訴したというのである。

脱力してしまうニュースである。無断で食ったのも「どんぶり飯 5杯」だったり「おにぎり 5個」だったり、情報がまちまちだし。

「すき家」を展開するゼンショーの告訴内容は、朝日新聞では「商品用のご飯どんぶり5杯分を無断で食べた」ということになっている(参照)が、「47 News」では、「コメをおにぎりにして5個持ち帰った」としている(参照)。コメはそのままではおにぎりにはならんと思うが。

基本的な部分でこのようにビミョーに違うので、このニュース、何から何まですべて信用していいとはとても思えないけれど、とりあえず以下の点については、基本的な事実のようなので、把握しておこう。(以下、47 News より引用)

牛丼チェーン店「すき家」を運営する外食大手「ゼンショー」(東京)が、残業代が未払いとして同社を刑事告訴した仙台市の女性アルバイト従業員(41) を、(刑事告訴内容の部分は、中略)窃盗容疑などで刑事告訴し、不起訴になった。

上記、引用の中略部分は、どんぶり飯 5杯だか、おにぎり 5個だか、細かい点も含めて諸説あるので、この際「よくわからん」としておく。よくわからんけど、まあ、不起訴になるぐらいの些細なことではあるらしい。

これに対して、2ch では、ゼンショーに対する猛攻撃が展開されている(参照)。2ちゃんねらーには「すき家カスタマー」が多いのかもしれない。それだけに、身につまされる思いがうかがわれる。

かくいう私も、「すき家」では何度かメシを食ったことがある。車で遠出をして帰りが深夜になった時など、常磐道の桜土浦出口で降りるとすぐ近くにあって、皓々と明かりがついている。夕飯を食いっぱぐれて腹がぐうぐう鳴っていると、とにかく手っ取り早く食えそうなので、つい飛び込んでしまうのだ。

私は普段は肉よりは魚を好むタイプなのだが、別に厳格に肉食を避けているというわけじゃない。腹が減っていれば、とくに時間がなかったりすると、さっと食ってさっと出られる牛丼屋にためらわず飛び込む。

ただ、牛肉はあまり口に合わないので、豚肉メニューの方を注文する。先日この「すき家」に寄ったら、たまたま「牛丼フェア」なるものが実施されていて、その期間中は豚肉メニューはお休みということだったので、「じゃあ、いいわ」と、そのまま出てきたことがあるのを思い出した。

「すき家」という店は、確かに最小限の人員で店を切り盛りしているなあという印象はある。メニューも安いものばかりだし、コストカット意識が高いんだろうなあとは思っていた。残業代を払わずに、バイトにまでサービス残業を要求しているとは、よもや思わなかったが。

この際だから個人的印象をもう少し書いてしまうと、この店、他の牛丼チェーンよりも「ジャンクフード感」というものを、より強く醸し出すなにものかをもっている。どちらかというと、「ああ、またしてもここに入っちゃった」と、ほろ苦い気分になる店である。

で、そのほろ苦さをより増幅させる要素というのがある。ふと壁を見ると、英語で "Sukiya is delicious." と書いてあって、ずっこけてしまうのである。これは全店共通のインテリアのようで、こちらのブログ の管理人さんは 3年近く前に、既にどこかの店でずっこけていらっしゃる。

余計なことだが念のため書いておくと、 "Sukiya is delicious." は 「すき家はおいしい」 という日本語を単純直訳したんだろうが、英語にしてしまうと、「すき家(という会社、あるいは店そのもの)がおいしい」ということになってしまう。

「すき家」で食うやつはいても、「すき家そのもの」を食うやつはいない。そして今回のニュースに接して、「すき家って食えねえなあ」と、改めて思ってしまったのであった。

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2009年4月16日

ネタの引き出しについて

最近、ちょっとネタ切れ気味である。なんだかんだと時間を取られる仕事が多くて、ネタの仕入れができず、さらに、ちょっと見渡しただけでは適当なニュースもない。

いや、ニュースがない訳じゃないが、それについてつい論じてみたくなるようなニュースに、この 2~3日、出くわさないのである。

こんな時は、「そういえば、常々こんなところが気にかかってしょうがないのだが ……」みたいなネタを書くに限るのだが、6年も毎日更新を続けていると、そんなネタもあらかた書き尽くしてしまったような気がする。いや、まだ書いてないネタも少しはあるんだろうが、どうも「今さら」という気になってしまう。

そんな時、取るに足りないような小さなネタを分類して取っておく引き出しを、頭の中にいくつ持っているかが勝負になる。昔、繊維業界の日刊紙の記者をしていた頃は、意識してそんなような引き出しを作っていた。

一つ一つについて「各論記事」にしたら大したものにはならないが、似たような傾向のネタをプールしておくと、いざという時に、結構な「傾向記事になる。「まだ大きな動きにはなっていないが、こんなような芽が出かかっているので、今のうちに注目」みたいな記事になるのだ。

その業界紙の本社は大阪にあったのだが、東京支社の私に、時々デスクから名指しで電話が入る。

「おぉい、今日、どうしても 4面の記事が足らんねん。白紙(しろがみ の新聞出すわけにいかんから、何でもいいから、30分でちゃちゃっと 80行ぐらい書いて送ってくれへんか」

1日に大体 2本ぐらいの記事を書いて送り、「さぁて、今日はもうのんびりと資料整理でもしようかな」と思っている夕方近くの時分に、そんな電話が入る。「おいおい、勘弁してよ」と思うが、名指しで頼まれるというのも、信頼されている証拠と思えばありがたい。

というわけで、頭の中の引き出しから使えそうなネタを引っ張り出して、もっともらしい記事をひねり出す。本来なら、もう少し似たような傾向のネタを確保してから、自信を持って言い切りたいのだが、仕方がない、やや早出しの記事になる。フライング気味かもしれないが、うまく当たればちょっとした反響を呼んだりもする。

問題は、近頃は事務的なデスクワークが多くて、ネタを仕入れる暇がないということなのだ。人知れず引き出しの中に溜めておくようなネタというのは、やっぱり自分の足でかせぐしかない。一度ジャーナリストの頭の中で整理されてしまった情報というのは、わかりやすいけれど、「ナマ」じゃない。そういう意味ではつまらない。

ああ、外に出まくって、足でかせいだ情報を吸収しまくりたいなあ。

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2009年4月15日

「心太」 を巡る冒険

昨日と一昨日の「弥栄 - いやさか - いやさかえ」問題で、ふと思い出したことがある。それは「心太」の読み方だ。

以前、仕事上の先輩に「心太」と書かれた紙を見せられ、「これ、何て読むか知ってる?」と聞かれた。もう、見くびられたものである。そんなの知らないわけないじゃないか。

私は答えた。「こころぶと」

案の定、先輩はかなり得意げに笑った。「あっはは、これはね、『ところてん』って読むんだよ。どう? 知らなかったでしょ」

そこで私はさりげなく言った。「その『ところてん』ですけど、元々は『こころぶと』って言ってたらしくて、だから、字でもそう書くんですよ」

ところが先輩は、「あはは、わかったわかった、君も結構負けず嫌いだねえ」と、全然本気に取ってくれない。うぅむ、私は決して負け惜しみで出まかせを言うような男じゃないんだがなあ。

「心太」を普通に「ところてん」と読んだら、単にそれだけのことで終わってしまう。話題を発展させようとして、敢えて「こころぶと」と読んでみせたのに、その先輩はそこから先の話は全然聞く耳持たないようなのだ。

というわけで、中途半端な物知りって、本当につまらないのである。そして「弥栄」という字は「いやさか」としか読みようがないのだと信じこんでいる者は、脊髄反射的に「いやさかえ」を攻撃して返り血を浴びたのである。

世の中の中途半端な知識は、難読漢字の一つに「心太」があり、その読み方は ところてん」であるとし、それだけで機械的に「はい、一丁上がり」になる。どうして「心太」が「ところてん」なのかには、興味がないようだ。それで一体何がおもしろいというんだろう。

まず手始めに、「心太」を「こころぶと」と読むのは、「弥栄」を「いやさかえ」と読むよりは、この世のスタンダードに近いとみても不自然ではないという前提を確認しておこう。

Goo 辞書で「いやさかえ」を引いてみると、「国語辞典の [ いやさかえ] で一致する用語の検索結果 0件でした。」と表示される(参照)。つまり、Goo 辞書(もとは 『大辞林』) は、「いやさかえ」を認知していない。

次に 「こころぶと」 を引いてみよう。以下の結果が表示される (参照

こころぶと 【心太】

(1) 植物のテングサ。[和名抄]
(2) ところてん。

『大辞林』は「心太」を「こころぶと」と読むことをしっかり認知していると、おわかりいただけるだろう。

しかも、和名抄以前のいにしえ(つまり、平安中期以前)から、ところてんの原料であるテングサを「こころぶと」と称していたのである。そして、「こころぶと = テングサ」を原料として作った食べ物をも「こころぶと」と称するのである。

現代人の多くは「ところてん」という言い方しか知らないから、「こころぶと」なんていうのは、奇をてらった別称のように思うかもしれないが、実際は逆なのだ。「こころぶと」が先で、「ところてん」は後世の言い方なのである。「どうだ、文句あるか」ってなもんだ。

で、なんでまた「こころぶと」が「ところてん」に変化しちゃったかということなのだが、一般的には「こころぶと」に「心太」という漢字を当てて、それが「こころたい」-「こころてい」- 「ところてん」と変化したというような説明がされている。なんとなく、東国方言っぽい。

この食べ物は「ところてん」という呼び名が一般化しているが、同じような原料で同じような作り方をしても、食べる時にかけるものが三倍酢だったり黒蜜だったり、単に醤油だったり、いろいろなバリエーションがあり、名称もいろいろだ。

博多あたりでは「おきゅうと」というのがあって、「そりゃ、一体どんな食い物か?」と思ったが、「なんだ、うちの田舎の『えご』じゃないか」とわかった。要するにところてんのバリエーションである。全国にいろいろなバリエーションがあるということは、それだけ古くから各地に根付いてきた食べ物ということだ。

「こころぶと」が「ところてん」に変化したわけについては、こちら で、上記とは別の考察がなされており、それがとてもユニークで、しかも説得力がある。ここで記しきれない詳細についても触れてあるから、是非一度読んで頂きたい。

ところが Wikipedia には、「古くは正倉院の書物中に心天と記されている事から奈良時代には既にこころてんまたはところてんと呼ばれていた様である」という記述があるのを発見して、一瞬ひるんでしまった (参照)。むむ、やばいなあ。

「こころてん/ところてん」も、もしかしたら、結構古くから並行的に使われていたのかも知れない。しかし、Wikipedia のこの記述だけでは、そう断言するだけの材料にはならないだろう。

それに、もしそうならば今度は、どうしてより「ところてん」に近い表記である「心天」ではなく「心太」という読みにくい表記の方が後世に残ったのかという疑問が生じる。普通に考えば、古くは「こころぶと」という言い方の方が圧倒的に主流だったからだろう。

とはいえ、しかたがない。最後の最後で心苦しいが、このあたりに関しては「よくわからん」と言っておこう。

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2009年4月14日

「弥栄」の、一応のまとめ

いやはや、昨日の「弥栄問題」の記事にびっくりするほどのコメントが付いてしまって、できるだけマジにレスしているうちに結構時間がかかり、今日の更新を忘れるところだった。

で、ふと思ったのだけれど、「弥栄」 という言葉は、現代のギャップを端的に象徴している言葉のようなのだ。

というのは、「弥栄」という言葉、馴染んでいる人たちにとっては、全然フツーに「いやさか」で、いわば手垢のつきかけた何でもない言葉なのだ。ちょっとした公式行事に出れば、「○○の弥栄 (いやさか) を祈念致しまして、万歳三唱(あるいは三本締め)を致します」なんて成り行きがいくらでもあって、お馴染みのことなのである。

ここで司会が 「○○の "いやさかえ" を祈念致しまして」 とやったら、やっぱり一堂ちょっとガクっとなっちゃうぐらいの、一応のジョーシキというか、共同幻想に近いものはあるのだよ。馴染みのない人は全然知らないみたいだけど、その方面ではそのくらい、ごくフツーに「いやさか」なのである。

そして、こうしたフツーに「いやさか」と思っている人の中には、件の編集委員だか何だかみたいな人もいて、つい脊髄反射的に「いやさかえ」を「誤読」と決めつけてしまったようなのである。その気持ち、わからないではない。何しろ相手がこうした問題に関しては前歴の一杯あるお方だから。

しかし、私は昨日の記事で、"「誤読」 とまでの決めつけは怖くてできない" と書いた。そりゃそうだろう。多分中世以後、連綿と何百年も「いやさか」という読みがスタンダードであり続けてはいるが、元々の形は「いやさかえ」だったんだろうとは容易に想像がつく。

それを思えば、安易に「誤読」と決めつけたら返り血を浴びることになるとは、これも容易に想像がついたはずなのだ。その場でガクっときて、それで済ましておけばよかったのだ。それで気が済まなければ、仲間内で「あれには、ガクっと来たよね」程度のサカナにしとけばよかったのだ。

一方、「いやさかえ」の読みもあるという反証は、昨日の記事で紹介した以外にも、ずいぶん挙げられているらしい。しかしその中には、昨日の記事のコメントにもあるように、「世のくにぐには ほろぶとも かみのみくには いやさかえ」という聖歌の歌詞みたいなものもある。

これなんかは、「いや」という副詞に「栄ゆ ("栄える" の古語)」という動詞の連用形「さかえ」がついて、たまたま「いやさかえ」になっているのを、「弥栄」という名詞と混同しているというお粗末である。このあたりは、まともには付き合いきれないという気もする。

ところが、「弥栄」という言葉にあまり馴染みのない層にとっては、かなりフレッシュなものに感じられたとみえて、それで、こうしたちょっとピンぼけ気味なものも含めて、ずいぶん盛り上がって過激な反撃にまで及んでしまったという部分もあるようだ。

何百年も続いてきたスタンダードに、フツーに馴染んでいたら、あそこまで過激な反撃に出られたかなあという気が、しないでもないのだが。

その 2ch のコメントの中には、「普通辞書引くよねえ 仕事で金貰ってやってんならなおさら」なんていうのもあったが、言わせてもらうけど、そういう自分が試しに辞書引いてみればいい。世の中の多くの辞書には、「いやさかえ」なんていう見出し語はないということに気付くはずだから。

ただ、辞書にないからといって、間違いというわけではない。「弥栄」を「いやさかえ」と読む例証には、祝詞的なものとか、神社の名称とか、中世以前の言霊の命脈を引くものが多いようだ。「いやさか」の読みが定着する以前の、古代の形が今に伝わっているのだろうと思われる。

だから、祝詞のような韻文的な色合いの濃いケースでは、ちょっと声を張って朗々と「いやさかえ」と読んだら、いかにも荘重な雰囲気が発揮されていい感じだろうと思う。正直言って、私、こういうのは好きである。

ただ、祝詞はのりと、祝辞はしゅくじである。祝辞という散文形式のものでは、「弥栄」は「いやさか」と読んでおく方が、少なくとも無難だ。「いやさかえ」と読んでしまうと、今回のように中途半端な知識の人間から余計な突っ込みをされる危険性があるから。

件の祝辞を用意した裏方は、首相はいくら言葉知らずとはいえ、還暦を過ぎてるし、それなりに場数も踏んでるし、まさか「弥栄」をフツー以外の読み方で読んでしまうとは思わなかったのだろう。

ちなみに、祝辞を麻生さんが自分で書いたなんて思っているらしい人が、2ch に見受けられたが、それは、あまりにも世間知らずというものである。ああいうのは、裏方が巻紙に毛筆書きのものを用意しておくものなのだ。用が済んでも一応保存なんかされちゃうから、下手にルビなんか振ったら、こっ恥ずかしい。

それにしても、麻生さんはおもしろい人である。フツー以外の読み方をしても、古来の読み方が顔を出して、言霊がさきはえちゃったりしてしまうのは、名門の DNA のなせる業なんて思われたりする。

まともに字の読めないオッサンかもしれないが、見ようによっては、なかなかの御仁なのである。

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2009年4月13日

「弥栄」はフツーは「いやさか」だけど

両陛下の祝賀行事で、麻生首相が「弥栄」を「いやさかえ」と「誤読した」とのニュースに対し、「誤読ではない」という反論が出て、すったもんだの様相になっている(参照)。

単純な結論。「誤読」ではないにしろ、麻生さん、常識的な読み方を知らなかったか、少なくともかなり不慣れだったんだろうと思う。

と、こう結論づけた上で、だからといって、「麻生さん、また読み違え」なんて言って、揚げ足取りをする方もする方である。私だったら、「ありゃ、"いやさか" が常識だろうがなあ」と思いつつも、「誤読」とまでの決めつけは怖くてできないところだ。

で、揚げ足取りの揚げ足取りが調べたら、出てくるわ出てわ。こんな具合だ。(「痛いニュース」 より引用)

「いやさかえ」のソース
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歌舞伎の題名に「弥栄芝居賑(いやさかえしばいのにぎわい)」
http://www.asahi-net.or.jp/~rp9h-tkhs/kabu2005.htm

静岡県伊豆松崎町にある「弥栄(いやさかえ)神社」
http://www.town.matsuzaki.shizuoka.jp/FMPro?-db=m_kana.fp5&-lay=web&-format=p01e.html&kana_C=%82%a0&-max=all&-sortfield=NO&-findall

越中一宮 高瀬神社
http://www.takase.or.jp/wedding/detail.html
下ページの誓いの詞にハッキリ「弥栄(いやさかえ)」と書いてある

まあ、よく調べたもんだと、一瞬感心したが、考えてみれば、「いやさかえ」 のキーワードでググれば、このくらいはすぐに出てくるのだろう。ただ、画像で紹介されている 「式辞演説大鑑」 については、「ご苦労様」 と感心するのみである。

これらについて、個人的に言わせてもらえば、歌舞伎の外題なんて調子を整えるために変則的な読み方をさせる場合がいくらでもあるし (私はこの分野では素人じゃなく、江戸歌舞伎についての論文で修士号を取ってるから、信じてもらっていい)、「弥栄(いやさかえ)神社」 は固有名詞だから、一般的な読みとは一線を画して考えるべきだろう。

で、問題は次の 2点だ。

  • 「式辞演説大鑑」 では、確かに 「我が民族の根幹たる皇室の彌榮は」 の部分で 「いやさかえ」 とルビが振ってある。

  • 越中一宮高瀬神社のサイトで、披露宴の誓いの詞として、「かりそめにも夫婦の道に違 (たが) う事なく 互に相扶 (あいたす) けて 家政 (かせい) を整え 子孫 (うみのこ) の弥栄 (いやさかえ) を計 (はか) るべきことを 誓い奉 (まつ) る」 とある。

この 2点の場合は、確かに「いやさかえ」と読むと荘重なニュアンスがあって、かっこいいかもしれない。とくに披露宴の誓いの詞みたいなものだと、声を張り加減に「いやさかえをはかり」と読むと、いかにも韻文としての重々しさが出ていい感じになるだろう。

ただし、その上でさらに言うが、私は「弥栄」を「いやさかえ」というのは、これまで聞いたことがない。大昔の「式辞演説大鑑」のルビが誤植でないという保証もない (私は誤植と決めつけているわけではない)。越中一宮神社の誓いの詞の読みも、特殊ケースとは言えないまでも、少なくとも一般的ではない。

「誤読じゃない」からと言って、得意げに「いやさかえ」なんて読もうとは、私なら決して思わない。周囲に突っ込まれるに決まっているからだ。それは "「的を得る」 は間違いじゃない" と言いつつ、自分では決して使う気になれないのと同様である。

「弥栄」を「いやさかえ」と読んでしまうと、違和感を生じるのは確かなことではある。ただ、繰り返すが、だからといって「誤読」と決めつけて揚げ足取りするのは、私だったら怖くてできなかったところである。語源としては「いやさかえ」だったろうというのは、多分間違いないところだと思うし。

そして、さらに思い切っていってしまうが、「麻生さんがそう読んだんだから、誤読に決まってる」と思いこんでも不思議ではない空気が世間に満ちているのは、それはそれでまた、確かなことである。

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2009年4月12日

『唯一郎句集』 レビュー #19

同人の句録である「前後誌」の後期には、「みちのく院内あたり」と端書きのついた 3句がある。おそらく秋田県の院内(今は湯沢市院内となっている)に旅した時の句だろう。

院内には銀山があり、江戸時代には日本最大の銀産出量を誇ったが、大正期にはかなり寂れていたもののようだ。

秋田県湯沢は、日本全国にいくつもある小野小町の出身地と主張する町の一つで、温泉も豊富に湧く観光地である。院内はその湯沢に近く、往時の繁栄を伝える旧跡があって、俳句をやるような風流人には喜ばれる要素がたっぷりだったのだろう。

唯一郎が院内を訪れたのは、冬の頃のようだ。寒さは厳しいが、それだけにみちのくのもっともみちのくらしい姿が見られただろう。私も一度行ってみたいものだ。

今回の 3句はほかの作品とはちょっと趣が違い、いつものペシミスティックな感覚はあまり目立たず、少し気楽な旅情緒を感じさせる。とりあえずレビューを始めよう。

あら冬山が根のかねうりの吉次は見えず

「かねうりの吉次」とは、「金売吉次」という伝説の人物。平安末期に、みちのくで算出した金を京都で商い、源義経が奥州平泉に落ちる手引きをしたとも伝えられる。

「冬山が根の」は、「みちのくの冬山を根城とする」という意味と、白雪に覆われた冬山と銀の別称「しろがね」をかけて言っているのだろう。唯一郎にしては珍しい軽妙な言葉遊びの句である。

これも気楽な旅情緒からだろうが、それでも、金売吉次が活躍したという盛時を過ぎた寂しさを現わしているとみることもできる。

鱈を秤る分銅をさげて向きあへる男たち

鱈は冬の日本海でもっともおいしい魚である。けっこう大きな魚で、これを上手にさばくのは熟練の技が必要だ。

昔は海岸から離れた山の中では、魚は行商人から買ったものである。院内の山の中にも、日本海で獲れた鱈を売りに来る行商人があったのだろう。私の祖父(唯一郎ではなく、実家で一緒に暮らしていた祖父)も、一時魚の行商をしていたことがあった。

昔の行商人は、魚の目方を天秤で量った。いや、行商人だけでなく、普通の魚屋だって天秤で量っていた時代を私は記憶している。だから、大小バリエーションのある分銅は、お馴染みの道具だった。

その分銅を下げて男たちが向かい合っているというのだから、なんとなく穏やかでない雰囲気を感じさせる。しかし旅先だけに、そんな光景も遠くにあるもののように突き放して眺めている。

妻をかふる義眼の男にて冬夜を富めり

「妻をかふる義眼の男」とは、なかなか怪しげな人物を思わせる描写だ。古女房と縁切りして若い妻をめとったというだけでも、当時としてはなかなかのものだったろうが、その上、義眼というのは、結構な武勇伝をもった山師的人物だったろう。

院内のひなびた宿で、たまたま泊まり合わせたその怪しげな山師が、酒に任せて数々の武勇伝を披露し、一座を盛り上げる。物静かな唯一郎は、それを黙って聞いている。

港町酒田の商人ばかりの環境で育った唯一郎には、山奥の鉱山町の山師というのは、とても珍しく思えただろう。それを 「冬夜を富めり」 と、ちょっとおどけた表現にしている。

今日はこれにて。

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2009年4月11日

『唯一郎句集』 レビュー #18

『唯一郎句集』 レビューの 18回目にして、「前後誌」 時代の後期に入る。「前後誌」というのは、酒田の同人が句会を開いた際の「句録」であるとは、前々回述べたとおり。

今回取り上げる 4句は、秋の季節の句である。大正末期の庄内の秋である。手を伸ばせばすぐそこに自然の秋がある。

しかし、唯一郎が題材とする自然は、自然そのものを詠嘆的に詠むのではない。そこには人の営みが反映されている。しかもその人の営みは「哀しさ」に満ちている。過酷とかいうのではない。しかし、人生の底流としての「哀しさ」である。

さっそくレビューに移ろう。

秋に入る山々の嶺よ砂を掘れば芋あらはるる

彼岸を過ぎれば庄内は秋になる。今のような温暖化の世の中ではなかったから、秋の気配ははっきりとしていただろう。空気が澄んでくるので、山々の稜線もくっきりとしてくる。

関東平野しか知らない人は、平野というのは広いものだと思っているが、日本の普通の平野はそれほど広くない。庄内平野も、海に面する西側を除けば、三方は山だ。その山々の存在感が迫ってくる。

そして、その足許の砂を掘れば芋が現れる。酒田は砂丘のど真ん中に開けた港町だから、砂地が多い。だから土ではなく砂なのである。さらさらとした砂を堀り、その砂がやや湿り気を帯び始めたあたりに、芋の連なりが現れる。

清涼たる稜線と、土中の芋。このコントラストを、映画のモンタージュのようにさっと表現してしまうのが、唯一郎の句である。

梅の木の青苔も秋陽をうけている女が出て来る

古い梅の木には青苔の生えていることが多い。だから、庭にそうした梅のある家も、昔から続く古い家である。

その家から女が一人出てくる。小津安二郎の映画に出てきそうな情景だ。この 「女」 がどういう女であるかは、まったく説明がない。まったくの他人かもしれないし、もしかしたら恋人かもしれない。

その辺りはまったくわからないというのがいい。この句に登場する 「女」 は、強いて単なる風景の中に収められている。それ以上の意味は、求めたくても求めないのがいいだろう。

うろくづおよぎすぐ秋川の一つところ

「うろくず」とは、魚のうろこのことで、転じて魚そのもののこともそう呼ぶ。

若山牧水に「瀬々走るやまめうぐひのうろくづの美しき頃の山ざくら花」という歌がある。謡曲の『放生会』には「うろくづの 生けるを放つ川波に 月も動くや秋の水」という下りがある。

現代ではあまり馴染みのない古めかしい言葉だが、どうやら、魚は魚でも川魚というイメージだ。この句も、秋の川の情景である。

秋の川とはいえ、唯一郎の視点は川全体ではない。あるポイントを凝視している。泳ぎすぎる魚の影が時折ちらりと見える  「ひとつところ」  である。

魚影がちらりと過ぎる瞬間に、その 「ひとつところ」 に時間が凝縮される。この秋のこと。あるいは生まれてから今までのこと。さらに、これからの人生。そしてまた、営々と続く歴史。ありとあらゆる時間が凝縮される。

その 「ひとつところ」 にいる自分である。

茄子の実の小さくなりしかなしきひもじさ

秋が深まると、茄子の実も小さなものしかならなくなる。その時分のナス畑は、ちょっと淋しい。

「かなしきひもじさ」 と詠まれているが、飢えていたわけではない。それでも 「ひもじさ」 という言葉を使いたくなるような、生理的なまでの哀しみを感じたのは、常に体の中にある感慨が、情景の中にふと浮かび上がったからだろう。

今回はこれぎり。

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2009年4月10日

「整理整頓」 ということ

近頃、書類整理に追われている。関係先の事務所が引っ越しをすることになり、その準備で大わらわなのだ。

しかしそれにしても、オフィスの書類棚の奥というのは、どうしてこんなにも要らない書類ばかりなんだろう。どうしてもっときちんと捨てておかなかったんだろう。

私はこれまで、オフィスの引っ越しというのを数回経験しているが、その度に奥の方から要らないものばかり洪水の如く出てきて、それらを捨てるだけで大変な作業になっていた。まあ、おかげで引っ越した先ではとても身軽な状態になることができるのだが。

ちなみに、普段の書類や道具の片付けのことは、「整理整頓」なんていうことが多い。「整理」「整頓」という二つの言葉をワンセットにし、「整理整頓」という四文字熟語のように使っている。ところが、引っ越し前の大わらわは、「整理整頓」ではない。ただひたすら「整理」である。これには、ちゃんと理由がある。

Goo 辞書で「整理」と「整頓」という 2つの言葉を調べてみると、次のようになる。

整理

1.乱れているものをそろえ、ととのえること。

1.不必要なものを取り除くこと。

1.会社が支払い不能・債務超過に陥るおそれや疑いがある場合、裁判所の監督下に会社の再建を図る目的で行われる手続き。商法で規定されている。

整頓

  • 物事をととのった状態にすること。

つまり「整理」という言葉には、「捨てる」とか「見切りを付ける」とかいう意味合いが、どうやら半分以上含まれているようなのだ。だから「人員整理」というと、大抵は首切りの意味で使われる。

一方、「整頓」の方は捨てるというニュアンスがなく、ひたすらきちんと整えるという意味合いだ。オフィスの書類などは、「整頓」するのみで「捨てる」ということをしないと、余計なものがたまる一方になるから、「整理整頓」というのはどうしても必要になる。

よく見かけるのは、一見とてもよく整頓されているけれど、書類棚の中に整然と並んでいるのは、ここ数年、手に取ったこともないような不要書類ばかりというオフィスだ。そのくせ現在進行形の業務の書類は、各自のデスクの上に堆積していて、その案件が終わっても、書類棚が一杯なので、しばらくはデスクの上に堆積しっぱなしというのが多い。

もっとも便利な特等席である書類棚がはるか昔の不要書類で占領され、最近の必要な書類はうず高い堆積のどこかにあるというのでは、本末転倒だ。やはり「整頓」 一辺倒ではナンセンスになり、どこかで「整理」をしなければ、どうにもならなくなる。

というか、私としては、半年に一度とかの割で「整理」さえきちんとしておけば、「整頓」なんてあまり必要ないんじゃないかと思っている。見た目にこだわらなければ、それで十分だ。

私は前にも書いたように、PC のハードディスクの中身は、人に誇れるほどきちんと整理整頓されていて、何年前のファイルでも、即座に取り出すことができる(参照)。ところが現実のデスクトップ、つまり机の上は、人に見られるのが恥ずかしいぐらいゴチャゴチャだ。

しかし、これであまり不便は感じていない。現実のデスクトップの上に堆積してしまった書類は、半年か四半期に一度ぐらいのペースで、ほとんど何も考えずに思い切りどんどん捨ててしまえばいい。

絶対に保存しておく必要があるのは、官公庁に提出した書類や契約書類の割り印の押してある控えと、保証書やプロバイダーから送られてきたインターネット接続の仕様書ぐらいのものだ。マニュアルなんかは、よほど頻繁に使うのでもない限り、今は必要に応じてメーカーのサイトから PDF でダウンロードできるし。

万が一、何かの会議で配付された資料などを捨ててしまった後で、急に必要になったりしても、その資料の作成元にメールで丁寧に依頼すれば、大抵はすぐに添付ファイルで送ってくれる。

便利な世の中になったものである。「整頓」なんかに手間をかける暇があったら、余計なことは考えず、「整理」すなわち、どんどん捨ててしまえばいいのである。そうすれば、引っ越しの時だってほいほいと気軽に移動できる。

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2009年4月 9日

肺結核を巡る冒険

ハリセンボンというお笑いコンビの箕輪はるかという人が肺結核で入院したのだそうだ。テレビをあまり見ない私は、このニュースを読んでも、全然誰のことだかわからなかった。

相方は近藤春菜という名前らしい。「二人揃って女みたいな名前だなあ」と思ったら、それも当然、二人ともれっきとした女だった。

いやはや、大変失礼してしまった。ニュースに添えられた小さな写真をみたところでは、女性とは気付かなかったのである。このブログを書こうとして念のためネットで調べ、さっき初めて女性とわかった。しかも入院した箕輪はるかって、私の大学の後輩じゃないか。

私は前にも、宇宙飛行士の向井千秋さんを長年にわたって男と思いこんでいたことがあって(参照)、この方面では気を付けなければならない。

ハリセンボンについては、実は世の中では案外よく知られているようで、周囲にいるオバサンたちに聞いてみると、「結核になっちゃった方、やせてるもんねぇ」とか「売れすぎて、過労で体力落ちてたのかも」なんて真顔で言う。

結核になるぐらいの過労に陥るほど売れすぎていたらしいお笑い芸人を、私は全然知らなかったということに少し驚いたが、そんなに売れている芸人をちっとも知らなくても、日常生活には全然不具合を生じなかったということも驚きだ。普段知人と話していて、話題にのぼるなんてこともまったくなかったし。

本当に、今の世の中のマーケットは細分化されている。あるカテゴリーの大ヒット商品や売れっ子スターを、他のカテゴリーに属する人間が全然知らなくても、何の不都合もないのである。むしろ、なまじ知っていると邪魔くさいから、知らない方が気楽だったりする。

いや、今日はマーケティングの話をするんじゃなかった。結核の話をするつもりだったのである。

年長の知人には、若い頃に肺結核を患ったという人が何人かいる。中には、今では全然丈夫で、80歳を過ぎてもまだ現役で仕事をしているなんていう人もいるが、逆に片方の肺がないので、無理がきかないとか、風邪をこじらせたら命取りになるとか言う人もいる。

昔は肺結核が珍しい病気ではなくて、結核で入院したことのある親戚が一人もいないなんていう人は珍しいだろうと思う。戦前は息子が文学志望なんて言い出そうものなら、世の中のオヤジは「文士になんぞなったら肺病で死んでしまう」と言って反対したらしい。

そしてかくいう私も、どうやら結核経験者の端くれらしいのである。というのは、40代前半の頃、勤務先の定期健康診断でレントゲン写真を撮ったら、「所見あり」ということで呼び出されたのだ。私はそれまでの健康診断ではずっと、悪いところが一つもない優等生だったので、何事かと思ったのである。

指定された時刻に業界健保組合の診療所に行くと、医者が「あなたはの肺には結核になりかかった形跡がある」と言う。藪から棒ににそんなことを言われても、こちらはどう反応していいかわからないから、「はぁ」と言うぐらいしかない。

「あなた、体力ありそうだから、気付かないうちに自然に治ってしまったんですよ。そんなに珍しいことじゃありません。体力あってよかったですねえ」と言う。ははあ、世の中で一番頼りになるのは、頭の賢さなんかよりも体力だとは常々思っていたが、やっぱりその通りのようなのだ。

レントゲン写真を見せられると、右肺の一番上あたりに、うっすらと影があるような、ないような、まあ、言われてみればあるのかなあというような気がしないでもない部分がある。これが「自然に治ってしまった跡」だという。

「何か、体調に異変はありませんでしたか?」と聞かれても、全然覚えがない。ただ、そう言えば、やたらと寝汗をかくことが一週間近く続いたのを思い出した。結核になると寝汗をかくと聞いたことがあるのでそれを告げると、医者は素っ気なく「きっと暑かったんでしょうね」と、全然取りあってくれない。なんだ、案外つれないなあ。世間話にもなりゃしない。

とりあえず、どうすればいいのかと聞くと、「一年間はあまり無理をしないように」という。そんなことなら、おやすいご用なので「わかりました」と答えた。これを言えば妻はさぞ大事にしてくれるだろうと思ったが、相変わらず重いものを動かす時なんかは、遠慮なく「ちょっと来てぇ」なんて呼びつけられた。

翌年の定期検診では、もう何の所見もなく、健康優等生に戻った。問題の影すらも消えてしまったのだろう。あるいは、前年のレントゲン写真自体が、何かの間違いだったのかもしれない。それは今となっては誰にもわからない。

私としてはもし本当に結核になりかかっていたのだとしたら、あの医者の全然取りあってくれなかった異常なまでの寝汗のおかげで、結核菌を体外に排出し、一週間足らずのうちに治ってしまったのだと、何の根拠もなく思いこんでいる。そしてそんなことがあったというのも夢まぼろしの如く、私は馬鹿馬鹿しいほど健康で、今に至っている。

で、大学の後輩の箕輪はるかさんには、こうしてブログで書かせていただいたというご縁もできたことだし、早く全快してお笑いに復帰してくれるように祈りたい。そして、復帰したら是非テレビで見てみたいものである。

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2009年4月 8日

ミサイルで、「右往左往」 なんてした?

北朝鮮の「ミサイル」発射関連のニュースによると、日本国内は誤報やら何やらで大混乱、「右往左往」したんだそうだ。

へぇ、そうなのかなあ。私なんか右往左往した覚えは全然ないし、日曜で花見なんかしてた多くの人も、ミサイルが海に落っこちてからしばらくして知ったんじゃないかなあ。

私は花見をしていたわけじゃないが、発射された当日は日曜だというのに、朝から仕事でバタバタしていて、帰宅しようとして車に乗り、カーラジオのニュースで初めて知った。そして「へぇ、そうなんだ」と思っただけである。

ニュースでは日本国中が「右往左往」したことになっているが、本当はそうじゃない。「右往左往」の多くは、「前もって右往左往すべく待機していた人たちが、一応右往左往してみせた」というだけのことじゃあるまいか。

彼らは、何もしなかったら何か言われるに決まっているから、一応何かしてみせたのである。その集積が、「日本中が右往左往した」というニュースになったのである。

元々、北朝鮮のミサイル問題では、マスコミに登場する「有識者」とか「ニュース解説者」とかは、「騒げば騒ぐほど、北朝鮮の思うつぼ」なんて言って、「冷静にやり過ごせばいい」と強調していた。

「冷静にやり過ごせばいい」というのは、そりゃ初めからわかりきったことだが、「騒げば騒ぐほど、北朝鮮の思うつぼ」というのは、今イチわからなかった。日本が騒ぐのをみて、偉大なる首領様が痛く満足されるのだろうか。それで何か得があるのだろうか。

彼らが「日本が騒げば北朝鮮の思うつぼ」と言って水をかけたのは、日本が防衛のためのミサイル迎撃という名目で軍事力増強の方向に舵取りされるのがいやだからである。「迎撃なんかしないでよね」とは、福島瑞穂さんじゃあるまいし言いにくいから、「北朝鮮の思うつぼ」なんていう、わかったようなわからないようなことを言ったのである。

麻生内閣は、このミサイル問題で内閣支持率低下に歯止めをかけようとした。なにしろ仮想敵国があれば国内はまとまりやすい。外敵に対してきちんとした対応を取ったということにして、自らの評価を上げたかったから、必要以上にご大層にミサイル発射を待ち受けた。

で、その必要以上にご大層な態勢が、あまりにも身に付いていなかったので、誤報を出したり、情報伝達が混乱したり、要するにこの国の危機管理体制が決して自慢できるものじゃないということが改めて露呈し、やぶ蛇になってしまったのである。

でもまあ、考えてみれば、誤報が出たというのは、発射されたのに気付かないで、ぼんやりしていたなんていうよりは、ずっとマシな話だし、情報伝達の混乱は、今の体制が役に立たないとわかっただけ、一定の意味があった。

誤報が出た時に、秋田の小中学校では始業式を終えた生徒を体育館に避難させるなんていう、笑ってしまうほど平和な対応をしたそうだ。しかし、その「平和な対応」も、「右往左往すべく待機していた方々」の予定調和的行動の一環とみれば、決して「大混乱」というわけではなかったということがわかる。

前述の通り、何もしなかったら何か言われるから、学校の先生としては、一応何かしてアリバイを作って見せたというだけのことだ。ここが宮仕えのつらいところなのだ。だから、お役所仕事はあまり頼りにしない方がいい。

結局のところ、一番調子に乗って騒いでいたのは政府で、またマスコミも、一方では「冷静に」なんて言いながら、実は「右往左往すべく待機していた人々」の片棒を担いでいたことは間違いない。

フツーの人々は、お花見していたか、お花見したいなあと思っていたかのどちらかみたいなもので、ミサイルで右往左往したなんて人を私は知らない。

というわけで、政府も民主党も「厳重な抗議と国連による非難決議要求」なんて浮かれているが、実はそんなことをして北朝鮮がまたすねてしまって、六カ国協議に出てこなくなったり、そんなこんなで日本はずしになったりしたらそれもまた困るので、水面下では適当な落としどころを探ったりしている。

要するに、必要以上に騒いだ人たちも、「冷静に」なんて言ってた人たちも、それぞれ自分の都合で動いていただけで、ちっともクールじゃなかったわけだ。クールなのは、花見で飲んだくれていた人たちだったという、なかなかパラドックスに満ちた週末だったのである。

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2009年4月 7日

「離却語言」 を巡る冒険

久し振りに『無門関』ネタで書いてみよう。第二十四則「離却語言」という公案である。登場するのは、風穴和尚という偉い坊さんだ。

風穴和尚とはニックネームのようなもので、正式には延沼禅師というらしい。中国は汝州南院の和尚で、風穴というところにおられたため、風穴延沼禅師とも呼ばれている。

この風穴和尚に、ある若い僧が「語黙は離微に渉る、如何んが不犯を通ぜん」と問うた。といっても、何を聞いたんだかすら、よくわからん。これって一体、どういう質問なの? というあたりから、解釈によっていろいろあって、とにかくうっとうしいのである。

前半部分を文字通り行儀良く解釈しようとすれば、「語」は「離」に、「黙」は「微」に対応する。ここのところをおさえておいて、私なりに超訳してしまうと、こんなようなことになる。

言葉にして語ってしまうと、その言葉にとらわれて真実の悟りから離れてしまい、さりとて黙してしまっては、なおさらビミョー過ぎてわけわかりません。

さて後半。「不犯」って何だ? この言葉は「ふぼん」と読み、普通は女性と交わらないという意味で使われる。「上杉謙信は一生不犯だった」とかいう使い方が一般的だ。Goo 辞書によると、「〔仏〕戒律を破らないこと。特に、邪淫戒を保って異性と交わらないこと」 とある。

ただこの場合は、「悟り」 というような意味で使われているのだろう。五感とそれに準じた第六感(『般若心経』 に出てくる「色声香味触法」)では伺われない真理ということを、「不犯」という肉体的な要素とは正反対の言葉を借りて象徴的に表現しているのだろう。つまり質問の意味は、こんなようなことだ。

言葉にしてしまうとしっくりこないし、黙っているとますますよくわからない真理というものに、どうしたら通じることができるんでしょう?

この問いに答えて、風穴和尚はすかさず杜甫の詩をちょっともじって、こう応えた。

長(とこしな)えに憶(おも)う。江南三月の裏、鷓鴣(しゃこ) く處(ところ)百花香(かんば)し

(超訳) わしゃ、いっつも思うんじゃが、江南も三月頃になると、鳥はさえずるし、いろんな花が咲いて、いい香りがするんじゃわいのう

ちっともまともな答えになってないのだが、禅問答というのは大抵こんなものなのである。

このやりとりを評して無門和尚は、「風穴和尚って、まさに稲妻のごときすばらしい解答を示したもんじゃないか」と褒めている。さらに、こんなチンケな質問をするようなやつは、その舌をちょん切ってしまえばよかったのにと、過激なことまで言っている。

舌はちょん切られないまでも、第三則の「倶胝竪指」という公案では、どんな問いにも指を一本立てて見せることで応えたという倶胝和尚が、生半可に真似した小坊主のその指を一刀両断に切ってしまったという。禅宗とは怖いものである。

ただ、指を切られた小坊主に恨めしげに睨まれた倶胝和尚が、すかさず指を一本立てて見せたら、その小坊主は忽然として悟ってしまったというのだから、怖いけれどすごいものである。

まあ、悟りというのは、生半可に語ってもしっくりこないし、黙っていればなおさらわからんものではあるけれど、江南三月の風景のように「行ってみれば、その素晴らしさがわかるよ」ということのようなのだ。

そしてそれは、「行ってみなけりゃわからん」 というようなものではなく、「既に来ているのだ」ということに気付きさえすればいいということのようで、修行とはそれに気付くためのもののようなのだ。

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2009年4月 6日

核拡散を巡る冒険

オバマ大統領が米国大統領としてはおそらく初めて、核廃絶に向けた積極的な姿勢を示した。これは画期的なことで、高く評価されていいと、私は思っている。

その現実化はなかなか難しいのは、誰でも十分わかっていることだが、姿勢だけでも示しておくというのは、やはり意味がある。

単なる理想論だとか、実行不可能だとか、批判はいくらでもあるだろうが、あの核大国である米国の大統領がそうした姿勢を明確に示したということに、画期的な意味がある。無意味であるはずがない。

ただ、こうしてオバマ大統領の姿勢を積極的に支持する私にしても、やはり核廃絶の実現はほとんど不可能だろうと思っているというところに、悲しさがある。そして私が個人的に秘かに悲しんでいる間にも、世界的な核武装への動きは拡大の方向に確実に向かっている。

それだけに、秘かに悲しんでいるだけでは役に立たないので、まったく微力ながらも、こうしてブログで意見表明をするわけだ。何もしないよりは少しはいいだろうから。

北朝鮮などの途上国の核武装化は確実に進んでいる。核爆弾を作る技術なんていうのは、今ではそれほど難しくないことらしいから、あとはコストの問題だ。

そしてそのコストもどんどん安くなるだろうから、私の一昨日の記事にきっしーさんがコメントしてくれたように、「長い目で見てテクノロジーの発達を考えると、北朝鮮を始めとする小国やゲリラ的なグループなどが核武装するは時間の問題」 というのは、残念ながら確かなことだろうと思う。

跳ね返り的な活動をする小国やゲリラ・グループが核武装してしまったら、そしてその核を実際に使うのが確実な状況になってしまったら、あるいは実際に使われてしまったら、世界のマジョリティは、武力によってそれを阻止、または制裁するしか、現実的な道はないだろう。

その抑止あるいは制裁のパワーの決定的な背景となるのは、今のところ、やはり核武装による軍事力でしかあり得ないというのが、またまた悲しいところである。この悲しみが世界中で共有されていないということは、さらにまた悲しい。

この悲しみを世界が共有し、核廃絶の論議が単なる理想論でなく本当に現実的なものになるには、世界がある程度 「満たされた」 状態にならなければならないと思う。富が極端に偏在しているうちは、平和は訪れない。

問題は、富がおかしな方向に流れないような形で経済援助を行い、富の偏在を是正することすらも、またまたものすごく難しいということだ。世界は複雑系だから、いいと思ってやったことの波及効果は、マイナス方向にだってかなり働く。

歴史は馬鹿馬鹿しいほど様々な要素がとぐろをまいて、こけつまろびつ、滑稽に見えるほどの悲しい動きをしながら進展するものである。だから、人間は辛抱強くなければならない。

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2009年4月 5日

『唯一郎句集』 レビュー #17

『唯一郎句集』に収められた 「前後誌」時代の中の前期の作というのは、8句しかない。そのうちの 3句は前回レビューしたので、今日は残りの 2ページ分の 5句である。

この 5句は悲しみに満ちていて、レビューするにも気が重くなるような作である。肉親の死を題材にしたものだ。

この頃、唯一郎は二十歳前後だったろうと思う。だから、その弟はまだ十代だ。その弟が家族に先だって亡くなってしまったのである。私は唯一郎に亡くなった弟があったとは聞かされていなかった。私の知っているのは、東京で成功して海運会社の社長になり、業界団体の理事長にまでなった人で、唯一郎のすぐ下の弟である。

この人は、私が大学一年の時に亡くなって、大変盛大な葬式だった。亡くなった日、何となく虫の知らせがあって病院を見舞ったら、病室は空になっていて、居合わせた看護婦(今は看護師と言うべきだろうが)に、「レイアン室に行ってください」と言われた。

私は「レイアン室」という言葉をその時初めて聞き、それが「冷暗室」ではなく「霊安室」だと気付くまでに、数秒の時間を要し、そう気付いてどっと冷や汗が出たのを覚えている。

まあ、それは別の話なので、そろそろレビューを始めよう。

弟の枕辺の独楽手に取れば悲しい重たい夜かな

危篤の弟の枕辺に、独楽が置いてある。つい最近まで独楽遊びをしていたほどの年若い弟なのである。

その病をどうすることもできず、ただ見守るばかりの家族である。枕辺の独楽を手に取れば、そのずっしりとした質感が、弟の命の重みのような気がする。

ずっしりとはしているが、独楽の重みに比すことができる程度のはかなさであることも、またどうしようもなく悲しい。

弟重患の暁のランプよ梅の実しとどぬれたり

弟の危篤の夜は明けようとしている。家族は一睡もせずに見守っている。まだ電気ではなく、ランプの時代だというのが、後世の我々には驚きだ。

外は雨なのだろう。梅の実がしとど濡れるほどの降りだ。その濡れた梅の実が、ランプの灯を僅かに反射する。その僅かな光よ、消えずにいてくれと祈るような気持ちが伝わってくる。

唯一郎は寡黙で愛想のいい方ではなかったが、信仰心篤く、とても家族思いであったと聞く。

春暮るる夜の稲妻に我が愛する者まなこ閉ぢたり

夜が明けて一日が過ぎ、次の夜が来た。春から初夏に移る頃の夜である。遠くで稲妻が光る。そのような夜に、唯一郎の愛する弟は息を引き取った。

「まなこ閉ぢたり」というのだから、その直前までは目を開けていたのだろう。それだけに、この冷静な表現の奥に、悲しみが閉じこめられているのを感じる。

母を泣かせじとこの春は身丈の鯉幟をかつぎあげ

酒田の端午の節句は、月遅れで祝う。だから、時は 6月を前にした頃のことだろう。

息子を亡くして悲しみにくれる母親を泣かせまいと、あえて大きな鯉幟を引っ張り出して担ぎ上げてみせる唯一郎。こんなところに、家族思いの心が現れている。

そのことでますます悲しくなるが、それでもその思いやりに免じて、母は泣くまいとするのだろう。母が涙をみせまいとしてくれるだけでいい。それは最も悲しい時期である。

囚人種を蒔き怖ろしい寂しさに種を呑み身を護りたり

さてまた、困ったことになった。弟の死を詠み込んだ句が続いた後に、いきなりこれである。シュールすぎる。

シュールすぎるが、唯一郎にしては具体的すぎる句が続いただけに、このような揺り戻し的表現で、心のバランスをとらずにはいられなかったのかもしれない。

囚人が種を蒔くというのは一体何の暗喩なのだろうか。「生」という牢獄に閉じこめられた人間には、自らの肉親の命を地に埋めるということがことさら悲しい。そんな風に感じられる。

そしてそのあまりの恐ろしさに、「死」というものを呑み込むことで、「生」の牢獄から抜け出ようということなのか。「生」の不自由さから抜け出すことが「死」でしかないというのは、また、あまりにも悲しい。

今日はこれぎり。

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2009年4月 4日

「人工衛星」 という名のミサイルを巡る冒険

北朝鮮が「人工衛星」と主張するミサイルらしきものは、なかなかおもしろい。専門家によると人工衛星打ち上げロケットとミサイルには明確な違いなんてないというし。

この「見方によってどうとでも解釈できるもの」を巡り、世界中が都合のいい解釈をしてお祭り状態になっている。

北朝鮮はあくまで「人工衛星」であると主張する。「人工衛星」と言う建前のもとにミサイル発射実験をするというのは、バレバレのことなのだが、前のテポドンなんたらの時と違って、「人工衛星なんだから、ちゃんと国際ルールに従って発射前から通告してるし、何が問題なの?」ということのようなのだ。

それに対して日本は「ミサイル発射は容認できん」として、迎撃準備を進めたりして、大騒ぎである。ニュース解説者の中にはこうした状況を評して「日本政府は北朝鮮にいいように弄ばれている」と皮肉る向きもある。「騒げば騒ぐほど、北朝鮮の思うつぼ」というのだ。

しかし私は、何が 「北朝鮮の思うつぼ」なんだか、さっぱりわからない。日本が過剰反応したところで、北朝鮮にどんな具体的メリットがもたらされるというのだろう。むしろ、北朝鮮はますます孤立化を深めるというデメリットの方が大きいだろうに。

北朝鮮としては核兵器開発のもくろみもちらつかせながら、軍事的脅威を感じさせることが最大の目的なのだろうが、それにしたってやりすぎたら自滅行為になる。相変わらずギリギリの部分の思わせぶりで、「瀬戸際外交」とやらを継続するしかない。

日本政府としては、北朝鮮のこうした挑発行為を逆利用している部分もある。国内政治というのは、仮想敵国がある方がやりやすいのだ。北朝鮮が頼みもしないのに絶好の仮想敵国役を買って出てきてくれているので、軍事増強に向かうハードルが低くなってしまった。それだけに、今回の北朝鮮の挑発を大歓迎するセクターもあるだろう。

「騒げば騒ぐほど、北朝鮮の思うつぼ」というのは、それに対する牽制球ということなのだろうな。要するに、北朝鮮がどう出てきても、軍事力増強をしてもらっては困るもんねという勢力の言辞なんだろう。

まあ、いろいろあるということだ。

米国は案外冷淡で、最低限のウォッチをして成り行きを見ているという感じである。ミサイルだったとしても、どうせ米国本土にまで届く確率は低いし、届いたら届いたで、遠慮なく思いっきりやり返せばいいだけのことだ。北朝鮮としてもそうなったらかなわないから、米国にまで届くような発射の仕方はするはずがない。

韓国は韓国で、日本の過剰反応を笑いものにするという戦略に出たようだ。まあ、一つの選択肢ではあるだろう。どうせミサイルは韓国を標的にすることはないだろうし。近すぎて実験の意味ないから。

で、日本の一般国民はどうかというと、何やら「安心して怖いもの見たさを楽しむ」といった感じなのである。今日の昼頃に、例の誤情報が流れたときにしたって、みんなテレビをつけて情報を確認しようとしたが、「間違いでした」と聞いてがっかりしていた。

日本人の多くは、どうか休みのうちにやってくれと思っている。月曜日になってしまったら、仕事が始まってしまうから、「ミサイルのテレビ中継」 にうつつを抜かす時間はないかもしれない。ねがはくは日曜のうちに発射してもらい、テレビニュースを楽しみたいと思っている。

要するに、日本政府と北朝鮮当局と、マスコミ関係者を除けば、世界中が案外呑気なようで、なんだか隣村の祭を眺めるみたいな感じになってしまっている。

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2009年4月 3日

朝の上野公園は、満開の桜

今日の朝は時間に余裕があったので、上野駅で途中下車して、上野公園の桜の様子を見に寄ってみた。

動物園の入り口に続く広場に行ってみると、まあ、すごいものである。朝から人の洪水で、桜の木の下にはロープが張られ、ブルーシートがびっしりと敷き詰めてある。

Wakalog_090403 ブルーシートの上には、いかにも新入社員らしき数人がぼんやりとつまらなそうに座っている。これが噂に聞く「場所取り」か。夜桜見物のための場所取りを、新入社員に朝からさせる会社があると聞いたことがあるが、実際に見たのはこれが初めてだ。気の毒なことである。

朝の上野公園に繰り出した人たちは、この場所取り要因の新入社員を除けば、さすがに座り込んで見物なんてことはしない。ましてや、朝から酒を飲み出すという人もいない。ほとんどはぞろぞろと歩き、時々立ち止まっては記念撮影という人ばかりだ。

桜の木の下の記念撮影をするにあたり、指を 2本立てたピースサインを、顔の側で横にするのが今風らしい。若い娘が 10人ポーズを取れば 8人がそれだ。ふぅん、いくつになっても、世の中には新しい発見が一杯だ。今度、おじさんもやってみようかしらん。

人波をかきわけて歩くと、聞こえてくるのは大声の中国語(だろうと思う)が多い。ビデオを構えて楽しくやっている団体は、ほとんどが中国人だ。今どきの日本に観光旅行にくるからには、やっぱり花見は欠かせないイベントなんだろう。

それにしても、朝からご苦労なことである。夕方過ぎに来たら、彼らもやっぱり座り込んで酒盛りをしたがるだろうか。

今回、朝の上野の山を歩いて気付いたのは、ゴミが少なくなったことだ。四~五年前に、東北新幹線で出張に出かける時、時間があったので上野公園に寄った時には、前夜の花見客の残した大量のゴミの山に驚いたものだった。

最近は花見客もあまりゴミを出さなくなったのか、あるいは持ち帰りが徹底したのか、さてまた、清掃作業が上手になったのか、それはよくわからないが、ゴミの山が目立たなくなっただけでもありがたいことである。

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2009年4月 2日

エイプリルフール・ネタについて

昨日のエントリーは、当サイトでは毎年恒例となったエイプリルフール・ネタだった。コメント欄でもおわかりのように、ちょうど頃合いのバレバレ加減で、平和なイベントとなった。

私としては、このくらいのバレバレ加減が理想的だと思う。あまりもっともらしいことを書きすぎると、後が面倒だ。

当サイトででいえば、2年前の 「地方空港とハエ取りリボン」、3年前の 「サラ金 CM のサブリミナル効果」というのが、あまりにももっともらしすぎて真に受けてしまった人が多くいらしたようで、逆にこちらの方がちょっとあせった。

ちゃんと最後のオチの部分で、エイプリルフール・ネタであることをちょっとだけにおわせておいたのだが、それは免罪符にはならなかったようだ。

最後の最後でちょっとだけオチをつけても、本題にインパクトがありすぎると、そのパワーで、オチなんてかすんでしまうものらしい。だから、新聞記事は最初というか、見出しの部分に結論を書いておく。そうでないと、人は最後まで注意深く読んでなんかくれない。

もっともらしすぎるネタで、自分の方があせってしまった経験から、昨年の「登録名にまつわる感動的エピソード」は、敢えてたわいないネタにしてみた。すると、あまりにもたわいなさ過ぎて、ウケは今イチになってしまう。私は元シンガー・ソングライターだから(参照)、ウケは結構気にするのである。

というわけで、今年は再び多少は凝ってみることにした。そして単なるウソネタではなく、そこに一面の真理を盛り込みたいとも思ったわけなのである。昨日のネタで、どこにそんな「一面の真理」があるのかと突っ込まれれば、なんだかお恥ずかしいが、まあ、当人はそのようなつもりなので、よろしくというしかない。

ちなみに、エイプリルフール・ネタというのは結構むずかしいもので、一朝一夕にできるものではない。世間では馬鹿馬鹿しいという人も多いが、これはこれで、なかなか頭の体操になるのである。いいネタを考えていると、ボケないんじゃあるまいかと思うほどだ。

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2009年4月 1日

花粉症の多くは「気のせい」らしい

花粉症シーズンもあともう少しで終わる。今や日本人の 5人に 1人が花粉症とまでいわれているが、友人の耳鼻科医は、「花粉症患者の半数近くは気のせい」 と断言する。

たまたまこの季節に風邪を引き鼻水が多くなったりすると、「ついに自分も花粉症デビューか!」と勝手に思いこむ人が多いらしい。

気のせいとはこわいもので、自分は花粉症になってしまったのだと思いこむと、ちょっとした鼻水やくしゃみでも、花粉症のせいだということになり、そうした観念がますます花粉症じみた症状を誘発して固定化してしまうという。

そう聞いたのは昨年末、某雑誌の花粉症特集の取材を進めていた時のことである。彼が花粉症の多くが気のせいではないかと疑い始めたきっかけは、その 3年前に来院したある患者の嘆きだった。その患者は花粉症歴 4~5年というビジネスマンだったが、こう切々と訴えたという。

「先生、私の花粉症は近頃とくにひどいんですけど、先週ヨーロッパに出張したときは、全然平気だったんですよ。ところが帰りの飛行機の中で日本に近づくと、着陸しないうちから目はかゆくなるし、くしゃみは連発するしで、往生しちゃったんです。何とかなりませんかねぇ」

「これって、どう思う?」 と、彼はいまいましげに言うのだった。「気のせいと思わない方がおかしいでしょ? ヨーロッパにだって杉林はあるんだし、それに日本の杉花粉がどれほど大量だといっても、いくらなんでも飛行機の飛ぶ成層圏にまでは舞い上がらないだろうよ」

これで疑いを抱いた彼はそれ以後、「花粉症になった」と言って来院する患者に、決まってこう言うことにした。

「うーん、これはどうも、花粉症じゃなくて単なる鼻風邪かもしれませんねぇ。もう少し様子を見ることにしましょう」

そして、ごく普通の鼻炎薬を処方するのである。すると、花粉症と言って来院した患者の半数近くは、それで治ってしまうのだそうだ。中には、花粉症歴 3年を自称しながら、「単なる鼻風邪かも」の一言で治ってしまった患者もいるという。

これでますます「花粉症の多くは気のせい」という確信を深めた彼は、その論理を自分にも適用することにした。実は彼自身、それほどひどくはないが、長らく花粉症を患っていた。薬を飲むと眠くなって仕事に差し支えるので、マスクだけで我慢していたのである。

「驚いたね。『俺は花粉症なんかじゃない、単に風邪引いたのを勘違いしただけだ』と、日がな一日自分に言い聞かせたら、何の治療もしないのに、たちまち治っちゃった。あれから 2年間、全然平気。病は気からと言うけど、なんと医者の俺が、気のせいで何年も花粉症になってたんだよ!」

彼はこの画期的な発見にとても気をよくしていたが、問題は「あまりに馬鹿馬鹿しすぎて、学会に発表しにくいこと」だそうだ。それに「花粉症の多くが気のせい」では、同業者の商売に差し障るので、「ここだけの話」に止まってしまうのが残念だと言う。

なるほどそうだろう。気持ちはよくわかる。それで私も、この話はオフレコにすることに同意したのである。もっとも、あまりに馬鹿馬鹿しすぎて、初めからまともな記事になりそうにない話ではある。そしてその話を聞いた 3日後に、私は同じ特集の取材で、別の方面から意外な事実を聞いた。

ヨーロッパの杉は日本の杉とは品種が違い、気候などの条件も違うので、花粉症を誘発しにくいのだそうだ。それに、日本付近では大量の杉花粉が発生すると、成層圏にまで上昇することもまれではないらしい。そして航空機の換気フィルターは目が粗いので、容易に機内に入り込むというのだ。

だから、日本でひどい杉花粉症の人がヨーロッパで全然平気というのはよくあることだし、日本に近づいた飛行機の中で再発するというのもあり得ることだという。彼が「花粉症は気のせい」と断じたそもそもの前提は、残念なことにこれで呆気なく崩れてしまった。

私はその日のうちに、それを彼に電話で知らせてやった。昨年 12月中頃のことである。そしてそれから 2ヶ月ほど経った今年 2月半ばの夜、彼からひどい鼻声で電話がかかってきた。

「あのさあ(ぐしゅぐしゅ)、あんたが去年の暮れに余計なことを言ってきてくれたおかげで、俺の花粉症が一昨日あたりから 2年ぶりに再発しちゃったんだよ(ぐしゅぐしゅ)。しかも、前よりひどい感じ。一体どうしてくれるんだよ」

私は彼の「花粉症、気のせい説」を聞いた時には、かなり疑ってかかっていたが、これを聞いてしまっては、逆に信じないわけにいかなくなってしまったのである。

【4月 2日 追記】

この記事はエイプリルフール・ネタですので、よろしくお願いいたします。(既にコメント欄でもバレバレですが、念のため)

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