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2009年4月21日

分析的手法とホーリズム

近頃「時は金なり」というブログに注目している。人間の意識とか思考とかいう側面についての、読みやすいコンパクトな記事が、毎日更新されている。

このブログの 4月 20日付は「【多対多】 は難しい」という記事だ。データベースでは「n 対 n」といわれる関係についてである。

この記事にあるように、リレーションシップ(関係性)というのは、基本的に「1対1」「1対多」「多対多」の 3種類に分けられる。

例えば、ケータイ初期の頃の内蔵電話帳は、データを 「1対1」 の関係でしか登録できなかった(固定電話では、まだ多くがこのレベル)。特定のだれそれさんに対応する電話番号は、1種類しか登録できない。その人の自宅電話(イエデン)とケータイの両方を登録すると、電話帳の見た目は、あたかも同じ名前の人が 2人いるみたいになってしまう。

ところが、最近のケータイのほとんどは、「1対多」のレベルで電話帳を構築できる。特定個人がイエデンと複数のケータイを持っていても、その人の項目の元に複数の電話番号をぶら下げて登録できる。もっとも、古いケータイのデータをインポートしっぱなしの人は、この機能を使い切れていないのだが。

この程度は、手書きの電話帳でも対応できる。データが増えるにつれて 50音順の並びが多少怪しくなったりすることはあるが、なんとか大丈夫だ。ところが「多対多」まで行ってしまうと、コンピュータの出番になる。人力でもできないことはなかろうが、データ量が増えてしまうと分析に膨大な手間がかかる。

例えば、宅配ピザ屋の伝票をみて、ある特定の顧客からの注文は、A と B という種類のピザが圧倒的に多いとなれば、この顧客は、A と B が大好きということがわかり、とても有効なデータになる。そしてそれは、手書きの「カード型」でも何とかなる。

ところが調理場側からみてみると、A と B というアイテムの出現頻度が非常に低いとなれば、その顧客の好みがちょっと変わっているということで、そのアイテムに必要以上の力を入れるのは無駄ということになる。そして、このデータベースも「カード型」でなんとかなる。

しかし、顧客とアイテムの他、受注・配達、決済などを含めた業務をトータルかつ具体的につかもうとすると、「カード型」だけではこなしきれない。単なる一覧表では、わけがわからなくなるのだ。こんな時は「リレーショナル・データベース」の出番になる。

特定の顧客が複数の品物を注文し、品物の側からみても、特定の品物が多くの顧客からの注文を受ける。だから「多対多」だ。一組の「多対多」の組み合わせならまだなんとかなるが、実際のビジネス業務では「多対多」のペアが複雑に折り重なってしまうので、えらいことになる。

リレーショナル・データベースでは、基本要素を分割管理することで論理的な分析ができるようにする。ピザ屋の場合でいえば、受注日時、顧客、受注アイテム、配送、決済などをそれぞれ個別の表にして、それらをリンクさせる。いわば「カード型」のデータを、コンピュータの中で網の目状にリンクさせて管理するのだ。

つまり「多対多」の関係を具体的に分析するための要点は、まずごっちゃになった要素を的確に分割することだ。それができないと、そこから先には進めない。

分析するということは、まず分割するということなのである。それによって、材料仕入れの無駄を最小限にし、大事なリピーターか年に 1~2度しか注文を寄こさない客かの区別も付き、人員配置の適切な調整もできる。さらに効率的な配達も可能になり、不要のトラブルも避けられる。

「時は金なり」というブログで、「多対多」の関係を理解するためにはしっかりと分割しなければならないとしてあるのは、このことを言っている。非常に論理的な手法であり、私もビジネスの上では当然にもこの手法を用いる。

で、大変くどくどとながくなってしまったが、実はここまでは今日の前置きである。ここからが本論だ。そして今日の本論は、ざっとしたものである。

私はこう見えても、MS-Office のリレーショナル・データベース、Access を使った業務データベース・プログラムぐらいは何本も作った実績があるので、論理的な思考ができないわけじゃない。しかし、ビジネスを離れた普段の頭の中では、論理よりも直観が優先されがちである。

私はいったんビジネスを離れると、途端に大ざっぱ、丼勘定の人間になってしまうのだ。しかし、それはそれで悪いことではないと思っている。分析的手法が有効なのはビジネス的な「効率の世界」であって、それを離れた浮き世のしがらみの中では、論理よりも直観が有効な場合が多い。

「ホーリズム(Wholism)」というかっこいい言い方がある。物事を分析的にではなく、丸ごと全体として捉えようという、どちらかといえば東洋的な行き方だ。私は基本的には、こっちの方の人だと、自分では思っている。

分割してリンクし直すプロセスで、失われてしまう微妙な情報というのがあるはずで、それを失わないためには、分割せずに丸ごと理解しなければならない。そして分割せずに理解するには、直観的理解というのがとても有効だと思っているわけなのである。

ただ、これは西洋医学と東洋医学のようなもので、どちらが優れているというようなものではなく、案件によって向き不向きがあるということだ。だからビジネスの業務分析を直観だけに頼って行おうなどとは、決して思わないということは、念のため書いておこう。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

 

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哲学・精神世界」カテゴリの記事

コメント

なんだか難しいお話で…。

分割にはセンスが問われそうですね。分割したもの自体に含まれているパラメーターもたくさんありそうです。ピザなら必要な食材とか焼き上がりまでの時間とかカロリーとか価格とか収益とか、考えただけで頭が混乱します(笑)

人間の直観というものの一部は、検索能力なのではないかと考えたことがあります。無数のパラメーターが付随した膨大な知識や経験の中から、特定のパラメーターの組み合わせのものを一瞬にして引っ張ってくる能力、そしてその中には常に快と不快のパラメーターも含まれている―というわけです。

連想なんかはその一部のパラメーターで順次検索をかけた結果、発見はNOT検索、発明は組み合わせのパターンのうち有効なものの検索。

うう、これだとそのうち全部機械にやられてしまいますね。その前に膨大なパラメーターを格納する作業が必要だとは思いますが…。

投稿: ぐすたふ | 2009年4月21日 19:27

ぐすたふ さん:

>分割にはセンスが問われそうですね。分割したもの自体に含まれているパラメーターもたくさんありそうです。ピザなら必要な食材とか焼き上がりまでの時間とかカロリーとか価格とか収益とか、考えただけで頭が混乱します(笑)

ピザの必要な食材とか焼き上がりまでの時間とかは、案外決まり切っているので、別にデータベースにしなくてもいいと思いますけどね ^^;)

仕入れの量とかタイミングとかはデータベースからはじき出されるでしょうけど。

それから収益計算は、アクセスなんか使わなくてもエクセルで十分だと思います。

データベースにするのは、普通は決まり切った要素でいいと思いますよ。分析して意味のあるデータさえあれば OK です。
何か他の目的があって、それ以上のデータベース構築の必要があれば別ですが。

あまりにも細かいデータを取りすぎても、無駄なデータの入力に手間がかかって、ロスが大きいと思います。

>うう、これだとそのうち全部機械にやられてしまいますね。その前に膨大なパラメーターを格納する作業が必要だとは思いますが…。

人間の直観はコンピュータの計算力をはるかに上回るものだと思いますが、コンピュータの性能がどんどん向上すると、人間に残された仕事がずいぶんニッチなものになってしまうんじゃないかという気はします。

要は、そのニッチな部分を人間がきちんと享受できる能力があればいいんですが。

例えば、現代詩というニッチな分野が、多くの人間の理解力、鑑賞力をはるかに超えてしまって、難解なものになってしまっていると同じように、わけのわからない分野しか人間に残されなくなってしまうと、問題ですね。

投稿: tak | 2009年4月21日 20:51

>例えば、現代詩というニッチな分野が、多くの人間の理解力、鑑賞力をはるかに超えてしまって、難解なものになってしまっていると同じように、わけのわからない分野しか人間に残されなくなってしまうと、問題ですね。
ーーーー

ハッキリ言えば、現代詩がとんでもなく難解になってしまったわけではなく、もともとだれもが現代詩を理解鑑賞できる感性・資質の持ち主でもありません
高校時代、私は現代詩が大好きで詩集を何冊も持っていましたが、同級生達は授業での現代詩にがいして無反応で、少なくとも言葉上は理解しても、「それがどうかしたの?」という様子でした (笑)

現代詩を「訳のわからない分野」と言ってしまっては行き過ぎではありませんか
豚に真珠のごとく、「多くの」人間の方に問題があるだけだと思いますが
一見難解に見えても言葉というものの喚起する想像力は素晴らしいものだし、絵画に於ける抽象画などよりはるかに鑑賞が容易だと思います

投稿: alex99 | 2009年4月21日 22:55

>「ホーリズム (Wholism)」 というかっこいい言い方がある。

ホーリズム>ホーン>角?と連想が働いて、
角を矯めて牛を殺す、ということわざを思い出しました。
論理的思考の怖い所は一箇所間違うと全体で大きくずれてしまう所ですね。
それ故に検証を重視するわけですが、直感的思考の方が省エネな感じではあります。
直感でもってある程度の目処を立て、仮定の実証に移るのが一般的な所でしょうか。

そういえば、禅問答?では論理的思考が全く用をなさないように見えますね。
前にtakさんがしてくださった、全ての質問に指を一本立てるだけで答えた僧のお話は、
理屈ではなんとも言えないのですが、なぜか得心が行きました。

投稿: 夜の指揮者 | 2009年4月22日 00:40


人生は錯覚ですね

投稿: alex99 | 2009年4月22日 05:27

alex さん:

>現代詩を「訳のわからない分野」と言ってしまっては行き過ぎではありませんか

えぇと、現代詩が 「訳のわからない分野」 というわけではなく、一つの喩えとして出したのですが、あるいは適切な喩えではなかったかもしれません。

私も昔は「現代詩手帳」を購読してましたので、まんざら現代詩に理解がないわけではありません。、

ただ、19世紀か20世紀前半までの詩と違って、多くの人に口ずさまれるようなものが少なくなっているのは確かです。

これをして、芸術の先鋭化とみるか弱体化とみるかは、立場によると思います。私は両方の側面があるとみています。

投稿: tak | 2009年4月22日 09:03

夜の指揮者 さん:

>そういえば、禅問答?では論理的思考が全く用をなさないように見えますね。

禅問答は、まったくやっかいなものであります。
理解しようとする試みはいいんですが、あまりかぶれすぎると、ニッチになりすぎですよね ^^;)

投稿: tak | 2009年4月22日 09:08

alex さん:

>人生は錯覚ですね

結論をいえば、人間の感覚と理解力は限定されているので、錯覚以外にしようがないんです。

問題は素敵な錯覚かどうかですね (^o^)

投稿: tak | 2009年4月22日 09:10

確かにピザの焼き上がりはほとんど変わりませんね(笑)。

多対多の個々の要素のさらに細かい要素が分析情報として必要だと思ったのは、たとえば食材にピクルスが入っている商品は売れ行きが悪いといったことや、価格帯による売れ方の違いなんかがわかると思ったからです。パン屋などは安くて速くできあがる商品と、高くて時間のかかる商品がどちらもそこそこ売れる場合、どちらに力を入れるべきかといった判断が結構重要なんじゃないかと思います。

ニッチなものは、ニッチでなくなったとたんにつまらなくなっちゃいますね。

投稿: ぐすたふ | 2009年4月22日 18:37

ぐすたふ さん:

>多対多の個々の要素のさらに細かい要素が分析情報として必要だと思ったのは、たとえば食材にピクルスが入っている商品は売れ行きが悪いといったことや、価格帯による売れ方の違いなんかがわかると思ったからです。

このあたりは、アイテム別の販売数量を見れば、一目でわかりますね。
(当事者なら、何がどんな材料を使っているかとか、値段などは頭に入っているでしょうから)

価格別の販売数量分布を出せば、より具体的にわかるでしょう。
独立した価格表を作って「価格マスター」とするか、アイテム・マスターの属性として入力するかは、個別の都合で変わると思います。

>パン屋などは安くて速くできあがる商品と、高くて時間のかかる商品がどちらもそこそこ売れる場合、どちらに力を入れるべきかといった判断が結構重要なんじゃないかと思います。

どちらに力を入れるべきか以前に、その値段が客観的に見て適正価格であるかどうかを判断ために、データベースを元にして分析するということが必要でしょうね。

販売価格をどのレベルに設定すればいいか、そして、どのタイミングでどのくらいの割引でバーゲンセールをすれば、もっとも利潤を確保できるかとかいうのをはじき出すソフトがありますが、それを計算するために、日常の業務をきちんとデータベース化しておく必要があります。

利益率が数パーセント違うだけで、大企業なら年間の収益が何千万円とか数億円とかの違いになります。

ただ、街のパン屋さんぐらいだと、そのソフトを買ってデータを入力する方が高く付いたりするので、考え物です。ばくっとホーリズムでやっちゃう方が、手っ取り早いでしょう ^^;)

投稿: tak | 2009年4月23日 11:14

なるほどなるほど、納得です。

>利益率が数パーセント違うだけで、大企業なら年間の収益が何千万円とか数億円とかの違いになります。

これは考えてみると恐ろしい話ですね…。

投稿: ぐすたふ | 2009年4月23日 18:59

ぐすたふ さん:

>>利益率が数パーセント違うだけで、大企業なら年間の収益が何千万円とか数億円とかの違いになります。

>これは考えてみると恐ろしい話ですね…。

ええと、つい勢いだけで、不適切といえば不適切(数字の単位)なレスをしてしまいました。

業界によっては、利益率自体が小売価格の数パーセントというのが多いので、「数パーセント違うだけ」 の 「だけ」 なんてことはあり得ませんね。

実際には、1%とかコンマ以下の数字の話になってしまうことが多いです。失礼しました。

(それでも、金額にすると、億の単位になったりすることがあるのが恐ろしいですが ^^;)

投稿: tak | 2009年4月24日 11:04

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