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2009年4月14日

「弥栄」の、一応のまとめ

いやはや、昨日の「弥栄問題」の記事にびっくりするほどのコメントが付いてしまって、できるだけマジにレスしているうちに結構時間がかかり、今日の更新を忘れるところだった。

で、ふと思ったのだけれど、「弥栄」 という言葉は、現代のギャップを端的に象徴している言葉のようなのだ。

というのは、「弥栄」という言葉、馴染んでいる人たちにとっては、全然フツーに「いやさか」で、いわば手垢のつきかけた何でもない言葉なのだ。ちょっとした公式行事に出れば、「○○の弥栄 (いやさか) を祈念致しまして、万歳三唱(あるいは三本締め)を致します」なんて成り行きがいくらでもあって、お馴染みのことなのである。

ここで司会が 「○○の "いやさかえ" を祈念致しまして」 とやったら、やっぱり一堂ちょっとガクっとなっちゃうぐらいの、一応のジョーシキというか、共同幻想に近いものはあるのだよ。馴染みのない人は全然知らないみたいだけど、その方面ではそのくらい、ごくフツーに「いやさか」なのである。

そして、こうしたフツーに「いやさか」と思っている人の中には、件の編集委員だか何だかみたいな人もいて、つい脊髄反射的に「いやさかえ」を「誤読」と決めつけてしまったようなのである。その気持ち、わからないではない。何しろ相手がこうした問題に関しては前歴の一杯あるお方だから。

しかし、私は昨日の記事で、"「誤読」 とまでの決めつけは怖くてできない" と書いた。そりゃそうだろう。多分中世以後、連綿と何百年も「いやさか」という読みがスタンダードであり続けてはいるが、元々の形は「いやさかえ」だったんだろうとは容易に想像がつく。

それを思えば、安易に「誤読」と決めつけたら返り血を浴びることになるとは、これも容易に想像がついたはずなのだ。その場でガクっときて、それで済ましておけばよかったのだ。それで気が済まなければ、仲間内で「あれには、ガクっと来たよね」程度のサカナにしとけばよかったのだ。

一方、「いやさかえ」の読みもあるという反証は、昨日の記事で紹介した以外にも、ずいぶん挙げられているらしい。しかしその中には、昨日の記事のコメントにもあるように、「世のくにぐには ほろぶとも かみのみくには いやさかえ」という聖歌の歌詞みたいなものもある。

これなんかは、「いや」という副詞に「栄ゆ ("栄える" の古語)」という動詞の連用形「さかえ」がついて、たまたま「いやさかえ」になっているのを、「弥栄」という名詞と混同しているというお粗末である。このあたりは、まともには付き合いきれないという気もする。

ところが、「弥栄」という言葉にあまり馴染みのない層にとっては、かなりフレッシュなものに感じられたとみえて、それで、こうしたちょっとピンぼけ気味なものも含めて、ずいぶん盛り上がって過激な反撃にまで及んでしまったという部分もあるようだ。

何百年も続いてきたスタンダードに、フツーに馴染んでいたら、あそこまで過激な反撃に出られたかなあという気が、しないでもないのだが。

その 2ch のコメントの中には、「普通辞書引くよねえ 仕事で金貰ってやってんならなおさら」なんていうのもあったが、言わせてもらうけど、そういう自分が試しに辞書引いてみればいい。世の中の多くの辞書には、「いやさかえ」なんていう見出し語はないということに気付くはずだから。

ただ、辞書にないからといって、間違いというわけではない。「弥栄」を「いやさかえ」と読む例証には、祝詞的なものとか、神社の名称とか、中世以前の言霊の命脈を引くものが多いようだ。「いやさか」の読みが定着する以前の、古代の形が今に伝わっているのだろうと思われる。

だから、祝詞のような韻文的な色合いの濃いケースでは、ちょっと声を張って朗々と「いやさかえ」と読んだら、いかにも荘重な雰囲気が発揮されていい感じだろうと思う。正直言って、私、こういうのは好きである。

ただ、祝詞はのりと、祝辞はしゅくじである。祝辞という散文形式のものでは、「弥栄」は「いやさか」と読んでおく方が、少なくとも無難だ。「いやさかえ」と読んでしまうと、今回のように中途半端な知識の人間から余計な突っ込みをされる危険性があるから。

件の祝辞を用意した裏方は、首相はいくら言葉知らずとはいえ、還暦を過ぎてるし、それなりに場数も踏んでるし、まさか「弥栄」をフツー以外の読み方で読んでしまうとは思わなかったのだろう。

ちなみに、祝辞を麻生さんが自分で書いたなんて思っているらしい人が、2ch に見受けられたが、それは、あまりにも世間知らずというものである。ああいうのは、裏方が巻紙に毛筆書きのものを用意しておくものなのだ。用が済んでも一応保存なんかされちゃうから、下手にルビなんか振ったら、こっ恥ずかしい。

それにしても、麻生さんはおもしろい人である。フツー以外の読み方をしても、古来の読み方が顔を出して、言霊がさきはえちゃったりしてしまうのは、名門の DNA のなせる業なんて思われたりする。

まともに字の読めないオッサンかもしれないが、見ようによっては、なかなかの御仁なのである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

takさん

昨日は乗り遅れましたが・・・
実は私も恥ずかしながら、今回『いやさか』は初耳でした。

※雪山男さんがカミングアウトしてくれたので助かりました。

公式行事とかもそれなりに出席していますし、出席時も最初と最後は勿論、行事途中も結構きちんと起きているのですが・・・記憶に無いのですよ。(苦笑)

それはさて措いてふと思ったのは、今回の読み方騒動ですが、麻生さんは洒落と見せかけながらも実は計算づくなのでは?ということです。
陽動撹乱という奴ですね。

本来、マスメディアはもっと大局的な見地で政を取り上げるべきでありますが、枝葉末節の部分≒言い換えればどうでも良い事を鬼の首を獲ったが如くに論っていたような印象でした。
実はそれこそ麻生さんの思う壺だったりして。
買いかぶり過ぎと云われそうですが。(笑)

投稿: 貿易風 | 2009年4月15日 00:19

原稿にはルビじゃなくて「弥栄え」と書いてあったわけですが・・・

投稿: 通りすがり | 2009年4月15日 01:31

貿易風 さん:

>それはさて措いてふと思ったのは、今回の読み方騒動ですが、麻生さんは洒落と見せかけながらも実は計算づくなのでは?ということです。
>陽動撹乱という奴ですね。

う~ん、それと知っていたら、そう読まなければちょっと恥ずかしいし、前科もいろいろあるから、それはないと思いますけどね。

その上で、超ウルトラお茶目でやっちゃったというなら、麻生さん、すごいですけど。

投稿: tak | 2009年4月15日 11:34

通りすがり さん:

>原稿にはルビじゃなくて「弥栄え」と書いてあったわけですが・・・

座布団一枚に達せず ^^;)

投稿: tak | 2009年4月15日 11:35

「弥栄え」で座布団一枚に達しないのであれば、
出雲大社の宮司さんの立場はどうなりますか?
http://www.izumooyashiro.or.jp/topic/houshuku/GOTANJO.HTM

投稿: ZASHIKIBUTA | 2009年4月16日 03:33

ZASHIKIBUTA さん:

>「弥栄え」で座布団一枚に達しないのであれば、

"「弥栄え」が座布団一枚に達しない" とは、私は言っておりません。

きちんと読み取ってください。

投稿: tak | 2009年4月16日 09:54

祝辞を朗々と読み上げている最中に、名古屋の栄(さかえ)を思い出しちゃったから!

 む。苦しいなぁ…。

投稿: 乙痴庵 | 2009年4月16日 12:15

乙痴庵 さん:

>祝辞を朗々と読み上げている最中に、名古屋の栄(さかえ)を思い出しちゃったから!

>む。苦しいなぁ…。

確かに苦しい ^^;)

でも、座布団取り上げるのはなしにしときます。
(もしかしたら、本当に思い出しそうでもあるし (^o^)

投稿: tak | 2009年4月16日 12:30

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