« 朝の上野公園は、満開の桜 | トップページ | 『唯一郎句集』 レビュー #17 »

2009年4月 4日

「人工衛星」 という名のミサイルを巡る冒険

北朝鮮が「人工衛星」と主張するミサイルらしきものは、なかなかおもしろい。専門家によると人工衛星打ち上げロケットとミサイルには明確な違いなんてないというし。

この「見方によってどうとでも解釈できるもの」を巡り、世界中が都合のいい解釈をしてお祭り状態になっている。

北朝鮮はあくまで「人工衛星」であると主張する。「人工衛星」と言う建前のもとにミサイル発射実験をするというのは、バレバレのことなのだが、前のテポドンなんたらの時と違って、「人工衛星なんだから、ちゃんと国際ルールに従って発射前から通告してるし、何が問題なの?」ということのようなのだ。

それに対して日本は「ミサイル発射は容認できん」として、迎撃準備を進めたりして、大騒ぎである。ニュース解説者の中にはこうした状況を評して「日本政府は北朝鮮にいいように弄ばれている」と皮肉る向きもある。「騒げば騒ぐほど、北朝鮮の思うつぼ」というのだ。

しかし私は、何が 「北朝鮮の思うつぼ」なんだか、さっぱりわからない。日本が過剰反応したところで、北朝鮮にどんな具体的メリットがもたらされるというのだろう。むしろ、北朝鮮はますます孤立化を深めるというデメリットの方が大きいだろうに。

北朝鮮としては核兵器開発のもくろみもちらつかせながら、軍事的脅威を感じさせることが最大の目的なのだろうが、それにしたってやりすぎたら自滅行為になる。相変わらずギリギリの部分の思わせぶりで、「瀬戸際外交」とやらを継続するしかない。

日本政府としては、北朝鮮のこうした挑発行為を逆利用している部分もある。国内政治というのは、仮想敵国がある方がやりやすいのだ。北朝鮮が頼みもしないのに絶好の仮想敵国役を買って出てきてくれているので、軍事増強に向かうハードルが低くなってしまった。それだけに、今回の北朝鮮の挑発を大歓迎するセクターもあるだろう。

「騒げば騒ぐほど、北朝鮮の思うつぼ」というのは、それに対する牽制球ということなのだろうな。要するに、北朝鮮がどう出てきても、軍事力増強をしてもらっては困るもんねという勢力の言辞なんだろう。

まあ、いろいろあるということだ。

米国は案外冷淡で、最低限のウォッチをして成り行きを見ているという感じである。ミサイルだったとしても、どうせ米国本土にまで届く確率は低いし、届いたら届いたで、遠慮なく思いっきりやり返せばいいだけのことだ。北朝鮮としてもそうなったらかなわないから、米国にまで届くような発射の仕方はするはずがない。

韓国は韓国で、日本の過剰反応を笑いものにするという戦略に出たようだ。まあ、一つの選択肢ではあるだろう。どうせミサイルは韓国を標的にすることはないだろうし。近すぎて実験の意味ないから。

で、日本の一般国民はどうかというと、何やら「安心して怖いもの見たさを楽しむ」といった感じなのである。今日の昼頃に、例の誤情報が流れたときにしたって、みんなテレビをつけて情報を確認しようとしたが、「間違いでした」と聞いてがっかりしていた。

日本人の多くは、どうか休みのうちにやってくれと思っている。月曜日になってしまったら、仕事が始まってしまうから、「ミサイルのテレビ中継」 にうつつを抜かす時間はないかもしれない。ねがはくは日曜のうちに発射してもらい、テレビニュースを楽しみたいと思っている。

要するに、日本政府と北朝鮮当局と、マスコミ関係者を除けば、世界中が案外呑気なようで、なんだか隣村の祭を眺めるみたいな感じになってしまっている。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

|

« 朝の上野公園は、満開の桜 | トップページ | 『唯一郎句集』 レビュー #17 »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

長い目で見てテクノロジーの発達を考えると、北朝鮮を始めとする小国やゲリラ的なグループなどが核武装するは時間の問題でしょう。
やはり人類は着々と滅亡への道をたどっていると言えるのではないですかね。
花見の宴席の上をこのロケットが飛んで行くという絵は、近年増殖した和製ハリウッド・アクション風映画でも恥ずかしくて使えないくらいの象徴性がありますね。

投稿: きっしー | 2009年4月 5日 18:36

きっしー さん:

>長い目で見てテクノロジーの発達を考えると、北朝鮮を始めとする小国やゲリラ的なグループなどが核武装するは時間の問題でしょう。

核兵器をもつのは、技術的にはそんなに難しいことではなくなっているそうですから、あとはコストの問題でしょうね。

このコストもどんどん下がるでしょうから、世界の平和にとっては難儀なことです。

オバマ氏が核廃絶に米大統領として初めて積極的姿勢を示したことは画期的ですが、理想論と言われればそれまでというところがあります。

まったく難儀なことでありますね。

>花見の宴席の上をこのロケットが飛んで行くという絵は、近年増殖した和製ハリウッド・アクション風映画でも恥ずかしくて使えないくらいの象徴性がありますね。

カート・ヴォネガットが日本の小説家だったら、そんな書き出しで始まるのを一本ものにしそうですね ^^;)

投稿: tak | 2009年4月 6日 08:56

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「人工衛星」 という名のミサイルを巡る冒険:

« 朝の上野公園は、満開の桜 | トップページ | 『唯一郎句集』 レビュー #17 »