『唯一郎句集』 レビュー #26
連休中の法事に出席し、その後すぐに広島出張と、あわただしい日々が続いていたので、週末の恒例になった『唯一郎句集』のレビューを忘れてしまうところだった。
今回は 4句をレビューする。見開き右側ページの 2句が夏の句で、左のページは一足飛びに冬の 2句になっている。
多分 20歳か 遅くても 22歳の頃の句のはずだ。夏から冬の間にも俳句を作っていないわけはないと思うのだが、残っていないのだろう。何しろ唯一郎は句帳を持たずに作りっぱなしの俳人だったから、あとで追悼句集を編纂しようとしてもなかなか大変だったのだと思う。
とりあえずレビューに入る。
八月の夜のむなしさに我が家の鬼百合を匂はす
庄内の八月は、暑いことは暑いが、旧盆の時期を過ぎれば夜は急に涼しくなる。多分その頃の季節感だ。
むっとするような暑い時期を過ぎて、ふと気付くと秋に向かう雰囲気が色濃くなる。そんな時の移ろいを感じる夜に、ふと空しさを感じる。その空しさの中を、鬼百合の強烈な匂いが漂う。
鬼百合の匂いは、空しさを埋めるのではなく、その強烈さの対比によって、空しさをますます際立たせている。
目に映るのは自分の家の空間に過ぎないが、匂いという感覚は、その彼方にまで思いを飛ばす。時空を超えた彼方まで思いを馳せると、空しさはますます深くなる。
ささやかな一家のあらそひの後洗ひ浴衣がたたまる
ちょっとした諍いがあって、気まずいままに時が過ぎて行く。会話は途切れたままだ。
視界の端で、妻が洗って乾いたばかりの浴衣を無言でたたんでいる。唯一郎の浴衣もちゃんとたたまれる。ここまでくれば、家庭の雰囲気が日常に戻るまで、それほどの時間はかからないだろう。
ほっとする。ほっとはしても、浴衣の中に妻の複雑な思いがたたみこまれているような気がして、結局はわかり合えない感覚のずれが、いつまでも残る。
家庭の中にいても、孤独な唯一郎。
積雪の上音もなく葬列のあるいは馬と行きあふ
あっという間に季節は冬。句集の 42ページから 43ページ見開きの右側から左側に目を移すと、皮膚感覚が収縮する。
庄内の冬。今は正月になっても積雪のない年が珍しくなくなったが、大正末期から昭和初期の庄内の冬は雪の季節である。春になるまで根雪が残る。
庄内の雪はちらちらと舞う粉雪といった風情ではない。吹雪である。一度地面に降った雪まで舞い上がるから、外を歩くと霧の中を歩いているような気がすることもある。
そうした吹雪の中、葬列が現れて消え、馬車が現れて消える。当時は自動車がないから、陸路の近距離輸送手段は馬車だった。
しずしずとした葬列と、白い鼻息を上げて行く生命の固まりのような馬。積雪の中だけに、ひづめの音もしない。唯一郎独特の静粛なフラッシュバック効果。
こよひ積雪に壓さるるごとしづかにものを云ひ座す
とりわけ大雪の年だったのだろう。「積雪に壓さるるごと」というのが、心に迫る。雪国では大雪になると本当に生活が雪に圧せられるのだ。家から外に出るのも大変なことになる。
家の中にいるしかない。そして口にした言葉は、何を言ったのかはわからないが、いずれにしても積雪に圧せられたような静かな言葉だった。
どんなに圧せられても憤るでもなく、不平をいうでもなく、静かにものを言い、畳の上に座るしかない。この季節感は、唯一郎の人生全般を通じた感覚でもある。
本日はこれにて。
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