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2009年5月に作成された投稿

2009年5月31日

「選挙に Web を使わせろ」 その後

ヤッホー! 我ながら驚きの快挙である。昨日ふとした気紛れで、「選挙/ウェブ」 の 2語でググってみて、一瞬我が目を疑った。

私の 「選挙で Web を使わせろ! - ネット選挙運動解禁キャンペーン公式サイト」 が 、942万件中で、なんとトップにランクされているではないか。

Google のランクというのは結構頻繁に変わるから、明日も明後日もトップで居続けることができるかどうかはわからないが、ついこないだまでは 100位にも入っていなかったのがようやくここまで伸びたということを考えると、そんなに急に落っこちることはあるまいという気がする。

試しに「ネット選挙」のキーワードでググっても、100位以内に表示されないが、「ネット選挙/解禁」の 2語にすると、4位にランクインしている。ただ、この 2語でググる人はあまりいないだろうから、「ネット選挙」だけでも 20位以内に入りたいなあ。

このサブサイトをスタートさせたのは、もう 1年半以上も前のことになる。一昨年の 9月 19日付のブログで、"藪から棒なお話だが、「選挙に Web を使わせろ!」 というキャンペーンを、一人で勝手に開始することにした" と宣言して、ちょいちょいっと作ったキャンペーンバナーをアップした。

このブログの右サイドバーにも黄色地のがあるが、緑の色違いもある。こんなのである。さらに、小さめのサイズのものもあるので、よろしく。

この最初の記事では、キャンペーン趣旨に賛同する方は、このバナーをご自分のサイトに貼り付けてもらいたいと書いたのだが、これまでのところ、「オッチャンの繰言」 (サイトオーナーは、当ブログでは近頃 「乙痴庵 さん」 として、つとに有名) のトップページでしか貼り付けが確認できていない。悲しいなあ。(乙痴庵 さん、かたじけない)

このブログを書いた時点では、特別のキャンペーンサイトなんか作るつもりはさらさらなかったのである。ところが、あまりの反響の少なさに多少意地になってしまい、10月 1日に、本宅サイトのサブサイトとして、公式キャンペーンサイトを作ってしまったのだ。

で、公式キャンペーンサイトなんて、名前だけは大袈裟なものを作ったのはいいのだが、ずっと鳴かず飛ばずだったのである。私としても、こんなことを命がけでやるつもりなんてないから、せいぜいゆる~く展開してきた。「ゆる~い」ながらも、しつこさだけは失わなかったというだけの話である。

私の元来のキャラは、むしろあっさりしている方なのだが、時々何の弾みか、これと決めたものに対してだけは、やたらとしつこさを発揮する。例えば、このブログを 5年半も毎日欠かさず更新し続けていることとか。

大抵のことは、しつこく継続しさえすれば、少しは報われるものだ。というわけで、ふと気付くと、「選挙/ウェブ」の 2語のキーワードでひっかかる 1000万件近くの中で、トップになっちゃってたりするのである。

しかし、このキャンペーンの目的は、Google でトップになることじゃない。あくまでネット選挙を解禁させちゃうことである。ネット選挙解禁は、現行の馬鹿馬鹿しすぎる公選法の改正につながるシンボルである。

というわけで、まだまだシコシコやり続けなければならないようなのだ。私の目の黒いうちに、公職選挙法が抜本改正なんてことがあり得るかなあ。少なくとも第141条の3 の、「選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない」 なんていう見苦しくもおぞましい日本語をなくすまでは、死んでも死にきれないぞ。

【追記】
その後しばらくしたら、この記事の方がトップになってしまって、肝心のキャンペーンサイトの方はなんと、2番目のランクに落ちてしまった。まあ、どちらも自分のページだからいいか。

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2009年5月30日

ちょっとがっかりだったよ、太田総理

なんだよ、肝心の部分が編集カットされてて、影も形もないじゃないか。昨夜帰宅して録画しておいてもらった日テレ「太田総理」 を見たのだが、ちょっとがっかりだった。(参照

社民党の保坂氏の発言が一言もフィーチャーされていない。結局、選挙カーの本当のナンセンスさが十分には伝わらなかったなあ。

一昨日の記事「選挙って本当に馬鹿馬鹿しい」で紹介したように、保坂氏はご自身のブログで、以下のように書かれている。(参照

公選法が求めているのは 「選挙カーの走行中に許されているのは連呼だけ」 というシュールな規定だったのだ。

これは私が "選挙カーの「連呼」は「迷信」から生じているらしい" という記事で、7年も前からその馬鹿馬鹿しさを指摘し続けてきたことである。「選挙カーの連呼はうるさいだけ」 とよく言われるが、そもそも選挙カーの走行中は連呼しかしちゃいけないと、公選法で定められているのだ。まったく馬鹿馬鹿しいことに。

ところが、その馬鹿馬鹿しさを、当の政治家自身が知らなかったらしい。保坂氏はインターネット上で私の記事を見つけて、それを初めて知ったというのだ。何度も選挙運動を経験されているのに。そして、知らなかったのは保坂氏だけではなく、あの番組に出演した政治家全員が知らなかったらしいのだ。

保坂氏は件のブログで次のように証言してくれている。

私が知らなかっただけではなく、番組に出演した政治家全員が 「ホントなのそれ?」 と首を傾げた。

つまり、山本一太氏 (51歳 自由民主党) も、大村秀章氏 (49歳 自由民主党) も、原口一博氏 (49歳 民主党) も、福島豊氏 (51歳 公明党) も、うえまつ恵美子氏 (41歳 民主党) も、下地幹郎氏 (47歳 国民新党) も、選挙カー走行中は、候補者名の連呼しか許されていないということを知らなかったというのだ。

ああ、その場面、見たかったなあ。これ、あんまり問題だからカットされちゃったんだろうなあ。だってその場面を放映したら、政治家が公職選挙法を知らずに選挙運動をしていたというのが、日本中にバレバレになっちゃう。保坂氏のブログのおかげで、一部では既にバレバレなんだけど。

保坂氏は今回の「太田総理」で、選挙カーと選挙ポスターの禁止に賛成されていた。よくぞ、そのような潔い態度表明をしてくださったものである。私ははっきり言って社民党はちっとも支持していないんだけれど、この問題に限って言えば保坂氏と共闘してもいいと、強烈に思ったぐらいである。

いずれにしても、番組の最後では、「選挙カーや選挙ポスターを禁止します」 という太田総理の提案に対して、視聴者からの投票の 88%が「賛成」にまわっていた。これをみてちょっと一安心というか、「当然だよなあ」 という気がしたのである。

選挙カー走行中には連呼しかしちゃいけないなんていう規定があるという事実を、 番組がもっときちんとわかりやすく明らかにしてくれていたら、90%以上が「賛成」に回っていたんじゃないかと思う。

ただ、私の本音は、別に選挙カーを禁止しろというわけではない。そんなことをしたら、ただでさえ下らない制約だらけの公選法にさらに輪をかけることになる。本来は選挙キャンペーンの自由度をもっと上げて (家庭訪問などもできるようにして)、その上で、「これだけはしちゃいけない」 という禁止事項を明確にするという構造に変えるべきだと思っている。

私はこれまえで何度も何度も繰り返し書いているのだが、公職選挙法というのは、第141条の3 の、「選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない」 という条文を読むだけで、いかにナンセンスなものかわかるのである。

ちなみに、一目見ただけで「何じゃ、こりゃあ!」と言いたくなるこの条文の馬鹿馬鹿しさを、日本で最初にインターネット上でやり玉にあげたのは、多分、私だからね。この条文を知っていたのに長年にわたって疑問を抱かなかった選挙関係者は、一体どういうセンスをしてるんだろう。

そりゃ、「選挙カー」 というのは正式な法律用語じゃないらしいから、法律的な文言解釈で言えばこう書かざるを得ないんだろうけど、ということは、この法律の基本コンセプト自体がそもそも非常識なんだと割り切ればいいだけのことである。日本人が半世紀以上もこんな法律に沿って選挙をしてきたというのが、私しゃ、恥ずかしい。

というわけで、今回の番組は公職選挙法をもっとまともなものに変えるための、そして選挙キャンペーンにウェブを使うという当たり前のことを解禁して、もっと風通しのいいものにするための、ちょっとしたきっかけぐらいにはなったかもしれない。いや、どうかなあ。本当になってくれたんだったらいいんだけど。

こうなったらいっそ、今度の総選挙が 8月になるのか、9月になるのか知らないが、走行中に名前の連呼以外のことを少しでも口走った候補者の選挙カーの証拠ビデオをみんなで録りまくって警察に提出するという、一大国民運動を展開するというのはどうだろう。

そうすれば多分、候補者のほとんど全員が選挙違反になってしまう。そして、それがこの 「連呼しかしちゃいけない」 なんていう馬鹿馬鹿しい法律を変える一番の早道じゃないかと、半分は本気で思ってしまったりする。

とりあえず、こんな馬鹿馬鹿しい選挙から抜け出したいと思う方は、「選挙に Web を使わせろ」という私のサブサイトを、ちょっとだけご覧いただけたら幸いだ。

当ブログの、この問題の関連記事一覧 (だんだん核心に迫っているかも)

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2009年5月29日

政治家の世襲について

選挙の話題のついでに、「世襲制限」について、ちょっとだけ書いておきたい。自民党も民主党も、議員の「世襲」には一定の制限を設けるという方針のようだ。

私は「勝手にやれば?」という立場である。そもそも国会議員なんてうっとうしい仕事には、それほど魅力を感じていないから。

「世襲」なんて言うから、なんだか代々で利益独占みたいなイメージに映るが、私からみると、国会議員なんていうのは、親の仕事を継ぐというようなことでもなければ、新規参入したいと思うほどの仕事じゃない。あんなものは、代議士の息子/娘に押しつけておけばいい。

代議士なんて、そもそも金がかかる。かかる金はどっかから都合してこなければならない。まともな手段だけでは足りないだろうから、法の網をかいくぐってでもなんとかしなければならない。ストレスの溜まる話である。

さらに、政治の世界は権謀術数の世界だから、のんびりしていられない。この点でもストレスが溜まり放題になる。はたまた公っぽい性格が強いというか、公そのものの仕事だから、自分のプライベートな時間を取りにくくなる。これまたストレスである。

そしてまた代議士でいる間はいいが、落選してしまったら「ただの人」である。代議士の息子なら、地元の名士だからまだなんとかなるだろうが、フツーの人がたまたまうまくいって国会議員になってしまい、その後にあっさり落選してしまったら、目も当てられない。

そんなリスクの高い業界に新規参入しようという人は、なかなかいないだろう。それに政治家よりもおもしろそうな仕事は、世の中にいくらでもある。うっとうしくて割に合わない仕事は、本当に本当に、代議士の息子/娘に押しつけておきたいと、個人的には思うのである。

まあ、市会議員とかなら、まだフツーの人でもやれるかもしれないけど、私はそれでも御免こうむりたいと思う。

だが、中には身内に政治家なんかいないのに、国会議員になりたくてたまらない人もいるだろうから、そうした人たちのために、もう少し参入障壁を低くして、さらに落選してからのセイフティネットを整えてもいいかなという気もする。あくまでも、個人的には全然どうでもいいけど。

それから政治家も「家業」みたいになってきたので、他の業界でもあるように、三代目ぐらいで潰れてくれれば常に適度の循環がきくのだろうけれど、この世界は相続税とかなんだとかいうのがないみたいなので、なかなかそうもいかないようだ。

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2009年5月28日

◎ 緊急業務連絡 ―― 問題の「太田総理」オンエアのお知らせ

本日の 「選挙って本当に馬鹿馬鹿しい」 という記事で触れた、保坂展人氏が出演される 日テレ「太田総理」のオンエアは、明日(5月 29日)の夜 8時からだそうです。保坂展人事務所の森原さんから、メールで知らせて頂きました。

時間の取れる方はご覧ください。「選挙カーと選挙ポスターを禁止します」というテーマだそうです。

この中で保坂氏が、「選挙カーで走行中は連呼しかできないことになっている」とおっしゃって、出演の政治家全員が「ホントなのそれ?」と首を傾げたということのようです。

私は多分、見られないと思いますので、ご覧になった方は、コメント欄にレポートしてくれるとありがたいです。

 

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選挙って、本当に馬鹿馬鹿しい

一昨年 4月 17日付の記事に対するコメントとして山辺響さんが、社民党の保坂展人氏のブログから私の本宅サイトの記事にリンクが張られていると知らせてくださった。

なるほど、彼の昨日付の記事が、私の "選挙カーの「連呼」は「迷信」から生じているらしい" という記事を紹介してくれている。

ただ、私のサブサイト「知の関節技」が、「知の間接技」と表記されてしまっているのは、何とかしてもらいたいのだが、保坂氏のブログはコメントを受け付けない設定になっているので、ノーティスできないのが残念だ。これだけでなく、この人のブログ、かなり誤字脱字が多い。早く気付いて修正してくれないかなあ。(注: 28日に修正確認)

私の記事は、公職選挙法においては選挙カーでは走行中は候補者の名前の連呼しかしちゃいけないということになっていることに、強烈に疑問を呈したものだ。私はこの問題に関してはかなり執念を燃やしている。当ブログの「選挙の馬鹿馬鹿しさの根源は公選法」という記事をご覧いただければ、関連記事へのリンクもばっちりなので、理解しやすいと思う。

公選法がどんなに馬鹿馬鹿しいかというのは、第141条の3 の、「選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない」という条文を読むだけでわかると思う。これは日本一シュールな法律条文だと思う。この条文を作成したお役人の頭の中を覗いてみたい。読まされる方が恥ずかしい。

要するに公選法においては、原則として選挙運動というのはしちゃいけないことになっているのである。しちゃいけないけど、例外として、これこれのことはしてもいいよという構造になっていて、その例外事項の中に、選挙カー走行中の 「連呼行為」 というのが挙げられているのだ。

というわけで、早く言えば、公職選挙法では、選挙カー走行中は連呼しかできないということになっているのである。ああ馬鹿馬鹿しい。

日本では、公職選挙法の中にいちいち馬鹿馬鹿しいほど細かく列挙された例外事項に当てはまらない選挙運動をすると、選挙違反になっちゃうのだ。インターネットを使うということも、例外事項として記されていないから、日本では選挙キャンペーンにウェブを使えないのである。馬鹿馬鹿しいことに。

で、私はちょっとずっこけてしまったのだが、保坂氏のブログを読んだら、保坂氏自身が選挙カーでは連呼しかできないということを知らなかったようなのである。それどころか、「連呼はしちゃいけない」と、逆のことを先輩から教えられていたというのだ。

保坂氏が知らなかっただけでなく、「番組 (日テレの 『太田総理』 ) に出演した政治家全員が『ホントなのそれ』と首を傾げた」とある。多くの政治家が知らないらしい。選挙運動のプロは、この辺には詳しいようなのだが。

多くの政治家が知らないんだから、公職選挙法がいかに馬鹿馬鹿しいものであっても、改正されることもなく放りっぱなしで今まで来たんだろう。

一方、法律の網の目をかい潜ってセコイことをするのが商売の選挙運動のプロにとっては、馬鹿馬鹿しい法律はかえってメシの種になるから、変えられちゃ困る。だから、選挙のプロは守旧勢力となりやすく、そのプロに操られるのだから、政治家も口ではなんだかんだ言っても、選挙システムにおいては結果として守旧勢力である。

私は選挙権を行使しないのは愚かしいことだとして、選挙の度に律儀に投票に行っている。だが、それほど律儀な私も、「選挙なんて馬鹿馬鹿しい」と言って投票しない若者の気持ちがよくわかる。本当によくわかる。

だって、本当に選挙って馬鹿馬鹿しいのだもの。こんなにも馬鹿馬鹿しいのだもの。

こんなにまで馬鹿馬鹿しい選挙システムを放置しておきながら、いけしゃあしゃあと「投票に行きましょう」なんて呼びかけるのは、はっきり言って欺瞞である。これが欺瞞でなくて、何が欺瞞だというのだ。

私は選挙権をまともに行使したいから、そして欺瞞はイヤだから、この国の現行の選挙システムの馬鹿馬鹿しさを、少しは改めてもらいたいと思っているのである。その気持ちの現れとして、「選挙に Web を使わせろ」という一人キャンペーンまで張っているのである。

選挙に Web を使わせろというのは、公職選挙法の馬鹿馬鹿しさを改めるための象徴だと思っている。

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2009年5月27日

「二の腕」を巡る冒険

「二の腕」というのは、普通は上腕部、つまり肩から肘までの部分を言うのだとばかり思っていたが、結構混乱があるようだ。

二の腕を肘から手首までの部分だと思っている人が、世の中には少なからずいる。また、「二の腕って、上と下のどっちなの?」 なんて聞かれることもたまにあって、驚いてしまう。

試しに Goo 辞書で引いてみると、次のようにあって、またまた驚いた。(参照

にのうで 【二の腕】

      (1) 肩から肘(ひじ)までの間の部分。上膊(じようはく)部。
      (2) 肘と手首との間の腕。[日葡]

「肩から肘まで」と「肘から手首まで」という相反する二つの語義が示されていて、後者は『日葡辞書』に拠っている。これは 1603-04年に、長崎で刊行された "Vocabulário da Língua do Japão" のことで、日本語をポルトガル語で説明した辞書である。Wikipedia には次のようにある (参照)。

室町時代~安土桃山時代における日本語の音韻体系、個々の語の発音・意味内容・用法、当時の動植物名、当時よく使用された語句、当時の生活風俗などを知ることができ、第一級の歴史的・文化的・言語学的資料である。

なるほど、言葉は常に移り変わるものだから、日本語使いの当事者の意識では既に忘却の彼方に消え失せているような要素が、日葡辞書には化石のように残っているというわけだ。そしてご丁寧にも、Goo 辞書で引くと、「一の腕」というのもあって、以下のように説明されている。

いちのうで 【一の腕】

      肩から肘(ひじ)までの腕。[日葡]

日葡辞書にこうあるのだから、室町から安土桃山時代には、「二の腕」といえば、現代とは意味が違って肘から手首までの間を指したのであり、さらに肘から上は「一の腕」と呼ばれていたのだとみることが可能だ。

そして、「一の腕」は現在はほとんど死語化して、「二の腕」の方はいつの間にか肘から上の方ということに誤って伝えられ、今に至っているというのである。

しかし、これにも諸説ある。「一の腕/二の腕」 という言い方は、日葡辞書以外に見当たらないから、何かの間違いじゃないかというのだ。「語源由来辞典」の こちら のページは、その立場で書かれている。その論拠は、「『腕』とは元々 『肘から手首まで』を指した言葉なので、その場所を『二の腕』と呼ぶのは考え難い」 ということだ。

確かに、元々の日本語では「腕 (うで)」といえば肘から手首までのことを言う(参照)。じゃあ、肘から肩まではどうなるのかといえば、それは「かいな」(古語表記では 「かひな」)と言ったのだ(参照)。漢字にするとどっちも「腕」になるので、もともと混同しやすい言葉ではあった。

つまり、語源由来辞典の立場で言うと、元々「腕」と言っていた部位を、わざわざ「二の腕」というのは不自然で考えづらい。そして、元々は「かいな」と言っていた肘から肩までの部位を、「二の腕」と呼ぶようになったのではないかということだ。

私も、どちらかといえば、こちらの方が自然のように思うのだが、いかがなものだろう。

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2009年5月26日

「人車鉄道」 って知ってた?

今朝の TBS ラジオで詩人の荒川洋二さんが、新潮社刊の 『日本鉄道旅行地図帳』 を紹介しておられた。

日本の鉄道の全線、全駅、全廃線を正確に記した全 12巻の地図帳で、販売累計が 135万部突破という、一大ベストセラーになっているのだそうだ。

荒川洋二さんは、毎月発行される鉄道の時刻表を 「読む」 という程の鉄道好きでいらっしゃるようで、この 『日本鉄道旅行地図帳』 も大喜びで紹介されている。さらにこの地図帳には 「増結版」 (「増刊」 ではない) として、『乗りつぶしノート』 というのまであるらしい。自分の乗った路線を記録する白地図である。誠に念の入ったことである。

ところで、今回私がこの地図帳を紹介したのは、全国の鉄道を乗りつぶして、『乗りつぶしノート』 を埋めていこうと呼びかけるためではない。私は別に鉄道マニアでも何でもないので。

私がこの地図帳の存在を心に止めたのは、荒川さんが 「この地図帳には、『廃線』 として 『○○人車鉄道』 とか 『××人車軌道』 とかいうのがかなり多く載ってるんですよね」 とおっしゃったからだ。「人車」 って、一体何だ?

荒川さんが調べたところによると、その昔、客車や貨車を人間が押して通行する鉄道というのが、1900年から 1920年の間には、多く存在していたようなのである。Wikipedia で調べたら、こんなように書いてあった。(参照

動力の機械化に逆行する人力交通機関であったが、建設コストを含めた初期投資の少なさ、動力としての人件費の安さとその維持の容易さ、鉄道運行の簡便さ、等が特長で、基幹交通機関(幹線鉄道、河川交通)との接続を目的とした小規模な地域密着の路面交通機関 (軌道) であった。しかしながら人力による輸送力の小ささ、運輸効率の悪さ、旅客輸送においては速度の遅さがモータリゼーションの波に打ち勝てず、1959年に島田軌道が廃止されたのを最後に姿を消した。

人間が押す鉄道というのがあったというのも驚きだが、それが 1959年まで存在したというのも意外である。私が小学校に入学した年に、まだそんなものがあったというのである。子どもが絵本で蒸気機関車を眺めて、胸を躍らせていた年に。

はまだより」 というサイトに、「豆相人車鉄道」 というものを紹介したページがあり、とても興味深い。「豆相」 という名称は、伊豆と相模を結ぶ鉄道だからだろう。

掲載されている写真をみると、客車は本当に小さいものだ。もっともこのくらい小さくないと、人力で押すのは無理だろう。上り坂になると、乗客が降りて押すのを手伝っていたらしい。最後まで乗っていられたのは一等車の客だけのようだ。

「はまだより」 のページには、次のような記述がある。

余談になるが, 明治時代の作家が何人か この豆相人車を作品中で取り上げている。
たとえば 国木田独歩の『湯河原ゆき』には 「人車には一驚を喫した。実に乙なもの 変てこなもの」 とあり,また 坪内逍遥の『熱海と五十名家』には 「私達夫婦は人車鉄道という無鉄砲なものに前後六回ほど乗った。・・・時には脱線して大怪我をしたという噂を屡々聞いた」と書かれている。

さしもの明治の文豪も 「変てこなもの」 とか 「無鉄砲なもの」 と言っている。やっぱり、いくらなんでもエキセントリックに感じられたのだろう。とはいえ、これは日本人ならではのアイデアなのではなかろうか。

西洋ならきっと馬車仕立てにすることを思いついただろう。人が押すなんていうのは、東海道を駕籠 (かご) に乗って旅したという伝統からの延長線上でしか発想できないんじゃあるまいか。

日本人って、やっぱり 「どこか変」 なところがあるのかもしれないと、「人車鉄道」 なるものを知って、改めてしみじみと感じてしまったのであった。

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2009年5月25日

コミットメント経営の時代の終わり

近頃「コミットメント経営の時代は終わった」と言われる。だが私に言わせれば、「今頃そんなことを言うのは遅いよ」ということだ。

念のため説明しておくと、「コミットメント経営」とは、日本語で「必達目標経営」などとも言われて、日産のカルロス・ゴーン社長がこれを積極的に経営に取り入れて成功した。

ところが、そのカルロス・ゴーン社長が、既に昨年からこの経営手法の軌道修正を明らかにしているのだ。1年以上前の記事だが、「日経ものづくり」の「日産ゴーン社長がコミットメント経営をやめた背景」という記事から引用しよう。

ご存じの通り,コミットメント経営では,数値目標をはっきりと打ち出し,誰が責任を負うかを明確にしながら仕事を進め,目標達成に導く。達成すれば高い報酬が与えられ,未達なら厳しく責任を問われる。この方法で日産の経営危機を救った同氏は,産業界やマスコミからカリスマ的な経営者と讃えられることになった。

だが,本誌2007年9月号特集「持続なき復活─日産車の現場に灯る黄信号」でも指摘したように,倒産の危機から脱した同社が成長軌道へ進むべき段階になると,次第にこのコミットメント経営には「副作用」が生じるようになった。いや,サプライヤーを含めた同社のクルマづくりの現場を走り回って得た感想をここで正直に述べさせてもらうなら,「弊害」と表現した方が正しいと思う。

この記事では、コミットメント経営の最大の弊害は「情報が上に伝わらない」ということを挙げている。「衰退に向かう会社の共通点は,現場の情報に上が耳を貸さなくなること」というのは、よく言われることだ。

ガチガチのコミットメント経営をしている企業では、下からの率直な声は、単なる「不平・不満」「上層部批判」「言い訳」としてしか受け取られなくなる。そりゃそうだ、そうした声にいちいち耳を傾けていたら、期初に設定した目標が達成できなくなる。耳を傾けずにがむしゃらに進むからこそ、辛うじて目標が達成できるのだ。

しかし、そうした経営手法を続けると、下からの声を聞かないということが企業風土になってしまう。最も重要なヒントは現場にあるのだが、それを無視して数字ばかりを追うと、後で必ず手痛いしっぺ返しを食う。

ここで、「コミットメント」と「ノルマ」とはどう違うのかということについて触れよう。「同じようなものじゃないか」という疑問に対して、コミットメント経営推進論者は、常に「似ているようで、全然違う」と答えてきた。

ノルマは上から押しつけられた目標で、コミットメントは自ら「宣言」として発する目標だというのである。だから、コミットメントを達成すればそこには大きな「働く喜び」があり、働くものを引っ張ってくれるのだという。

これが幻想に過ぎないことは、既に明らかになった。「自ら宣言するコミットメント」といっても、実体は「そう宣言せざるを得ない雰囲気」が、上から押しつけられているのである。消極的な目標を宣言しようものなら、「やる気がない」として上から叩かれる。叩かれないまでも、ちっとも評価されない。

コミットメントというのは、自ら宣言したものという建前になっているだけ、始末が悪いのである。達成できればいいが、できなかったら会社の責任ではなく、現場の責任になってしまう。無理矢理宣言させられて、責任ばかりが押しつけられるのだ。

2009年度 3月期で、国内自動車メーカーとして唯一黒字を確保したホンダの福井社長は、片山修氏の取材に応えて、コミットメント経営の弊害を、以下のように、もっと端的に言い表している(参照)。

トップが数値目標を掲げてイケイケドンドン式に推し進める経営は、1、2年の短期的な対応としてはいいのかもしれません。しかし、その後に必ずリバウンドがきます。

(中略)

短期的には効果があるかもしれませんが、続くわけがない。息が切れて落ちていきます。数字をクリアすることに集中してしまうと、結局、お客さまの信頼を損なうことになってしまいます。

リバウンドで「息切れ」してしまうのは、要するに現場である。コミットメント経営論者が言うような「働く喜び」どころではない。「働く苦しみ」になってしまうのだ。

それで、現場は苦し紛れの操作に操作を重ねた数字をはじき出すようになる。実質的には何の足しにもならないどころか、そんなことに時間をかけるので生産性が落ちてしまうだけの、見かけ上の数字を追うようになる。現場というのは、必ずそうなるものなのだ。

また、コミットメント経営では、掲げる目標が前期より低くなるわけがない。必ずより高い目標が掲げられる。そうなると、要するに 「市場動向無視」になる。また、市場の規模はある程度決まっているのだから、その中で業績を上げようとすれば、見かけ上の数字操作とともに、なりふり構わず他社のシェアを奪うという方策に及ぶ。

他社のシェアを奪うことに汲々とすると、一時的に自社の業績は上がるかもしれないが、市場全体としては活気がなくなる。というか、嫌なムードに包まれる。そうなると、その市場は「凋落市場」になってしまう。つまり「働く喜び」だけでなく、顧客の「買う喜び」までそがれてしまう。

コミットメント経営のあまり言われていない弊害は、実はここにある。企業の都合が前面に出た強引なマーケティングが、市場や商品そのものの魅力を奪うのだ。

市場と商品の魅力を維持するために、数字以上に大切なものを見据える経営が、今は求められているのである。

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2009年5月24日

『唯一郎句集』 レビュー #29

『唯一郎句集』 のレビューも、もう 29回目になった。今回は蟹がテーマの 3句である。蟹といえば冬の風物詩のように思われるが、庄内浜に上がる毛蟹の旬は晩春である。

庄内では蟹だからといって、とりたてて珍重するわけではない。いくらでもあるおいしい食材の一つである。

とはいいながら、やはり蟹を煮込むと特別な感慨がないではない。ちょっとだけ豪勢な気がする。なかなかいい出汁がとれるから、蟹を食い尽くした後の味噌汁だけになっても、とてもおいしい。最後まで楽しめる。

だが、唯一郎はせっかくの蟹を煮込みながらも、人生のそこはかとない哀しみのようなものをのぞき込んでいる。さっそくレビューを始めよう。

これやこの晩春の夜の大きな蟹が煮えて行く

「これやこの」 と言って、大きな楽しみのように蟹の煮えるのを待つ唯一郎。

既に晩春なので、鍋の温もりがとても恋しいという季節ではない。だから、煮える前の楽しみはあまり長く持続しない。煮えていく様を見れば、大きな蟹がただ淡々と煮えていくのみ。

晩春の夜を籠り居て蟹を煮ることのなぐさみならず

晩春の夜、どこにも出かけず、ただ蟹の煮えて行くのをのぞき込む唯一郎。鍋の中の蟹が煮えていくのを見ながら、煮えたらさぞ楽しく食事ができるだろうと思っていたのは幻想だったと気付く。

蟹が何のなぐさみにもならない。煮えていく蟹の甲羅の内側に、何物か別の感慨を覚えてしまう。

ふつふつと泡を立てて蟹が煮えるしづけさ

沸騰する蟹汁の細かな泡立ち。忙しく泡立っているのに、なぜか静かすぎるほど静かだ。

蟹は結局、何の慰みにもならず、ただ泡を立てて煮えていくのみ。もう少し盛り上がれるかもしれないと思っていたが、結局、いつもの憂鬱な俳人である。

本日はここまで。

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2009年5月23日

『唯一郎句集』 レビュー #28

週末の恒例となった『唯一郎句集』レビューである。今回は冬の句が 2句、春から夏にかけての句が 2句の、合わせて 4句。

20歳は明らかに超えた頃の句だろうと思う。10代の頃の句とは、作風がかなり変わってきている。文人趣味が色濃くなっているような気がする。

わずかに 20歳を過ぎたばかりの青年で文人趣味というと、ちょっと変かもしれないが、唯一郎は 10代の頃からその片鱗はみせている。文芸趣味の中に身を浸しながら、どこか醒めたところから自分を眺めている。

ナルシシズムを色濃く感じさせながら、自己憐憫には陥らない。線が細いようでいて、実は案外図太いところもある。とりあえず、レビューをしよう。

寒夜さめたるありありと吹雪の中の一木を思ひて眠る

「寒夜さめたるあり」(「寒い夜に目の覚めたるものがある」 の意)と 「ありありと」の掛詞っぽい効果。

寒い夜に目が覚めたのは、もちろん唯一郎自身だが、なんだか突き放したような感覚だ。吹雪の中の一本の木に思いを馳せたのだが、その吹雪の中に立ちつくすのも、自分自身の投影だ。

朝なさなの冬山の光を享けてかそけくも生くか

「朝なさな」は、「朝な朝な」から変化したもので、多くの辞書で、副詞として認められている。ところが唯一郎はそれに「の」という助詞をつけて、名詞的に使っているところがおもしろい。

庄内は西側を海に面しているので、朝の光は山の後ろから射してくる。冬の間は大抵どんよりとした思い雲に覆われているが、それでも春が近付くと、雪の山が光を反射する。

その雲の背後からのわずかな光のように、「かそけくも生くか」というのである。ほとんど野心を抱いていない。ただひっそりと生きて行こうというのである。まるで生きることが重荷であるような人生。

理想主義者が青梅の種の白さを淋しがりくらす

「理想主義者」とは誰のことなのか、ずっと謎だと思っていたが、もしかしたら唯一郎自身のことを言っているのではないかという気がしてきた。

青梅の種は、決して白いものではないのだが、青い梅を割って種を露出させると、生々しい梅肉の中で白く見える。その白さを淋しがるのは、かなり老成した感性である。

老成してしまったのは、本当は心の底で理想主義に燃えていたからなのか。複雑な心情だ。

はつきりと行々子の巣が見える六月の朝空

「行々子」は「ギョウギョウシ」で、オオヨシキリの別称。今となっては、俳人の間でしか使われないんじゃなかろうか。

この句からは、木の枝の高いところにある巣が見えるようなイメージが喚起されるが、実はオオヨシキリは、葦原に生息する。葦原の上に 6月の朝の空が広がるのである。

庄内は 6月の半ばを過ぎてから梅雨に入るから、案外さわやかな空の下、葦原の中にオオヨシキリの巣がはっきりと見えるのだろう。

さわやかな空の下、「ギョウギョウシ」という名前の由来になった、ちょっと騒々しい鳴き声が聞こえる。不思議なフラッシュバック。

本日はこれぎり。

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2009年5月22日

立ち食いそば 「福ふく」 における外部経済?

関係先の事務所が移転したので、私もそれに伴って、秋葉原に通うことになった。これまでの神田からはたった 一駅離れているだけだが、秋葉原はずいぶん雰囲気が違う。

神田は新橋と似ていて、完全に 「オッサンの街」 だが、秋葉原の街を歩く人の平均年齢は、10歳は下になるだろう。

神田と秋葉原の間には神田川が流れていて、この川を境に、女性のスカート丈が 5cm は違うんじゃないかと思う。もちろん、秋葉原の方が短い。たった一駅の違いで、世界の様相がこんなにも違うとは、驚きである。

とりあえず、秋葉原の近辺で手軽に昼飯を食える店を探した。安くてそれなりにおいしいそばを手っ取り早く食える店が、そば好きの私にはぜひとも必要である。上の部類の店でなくても、昼飯としてさっと食えればいいいので、立ち食いで十分だ。ただ、ゆで麺をゆがくだけの立ち食いはいくらなんでも敬遠するが。

というわけで、この条件に合致する店が見つかったのである。秋葉原駅から昭和通りを渡ってちょこっと左に行ったところ(「ココ壱」のちょっと先)にある「福ふく」というとても小さなそば屋だ。

物静かなご主人と「昔の不思議ちゃん系」の(と言ったら怒られるかな)おかみさんの二人でやっている店で、自分たちは「立ち食いそば屋」と言っているが、ストゥールに腰掛けて食えるので、純然たる「立ち食い」というわけじゃない。

そして立ち食いそばの値段で、その辺の「食堂そば屋」の上を行くそばが食える。きっちりした細麺で、しっかりと腰がある。自信をもって断言するけど、このあたりを中心にチェーン展開している「小諸そば」なんかよりずっとおいしい。

小諸そばは何人分もまとめて茹でるので、茹でたてに遭遇すればいいが、ちょっと時間が経つと少し伸び加減になる。しかし福ふくは注文に応じて生麺を一人前ずつ茹でてくれるから、必ず茹でたてが食える。そして茹でたて同士で比較しても、福ふくの方が文句なく上だ。

種物としては、イカのげそ天そば(暖かいそばで 450円、冷たいぶっかけで 500円)がオススメのようで、一番始めに品切れになる。

私は「めっけもの」をしたと思っているのだが、この店のおかみさんは、「店の前を通り過ぎる人は多いんだけど、入ってきてくれる人が、悲しいほど少ないのよね」と言っている。多分、店構えが目立たないからなのだろう。

私はこの店をブログで紹介するにあたり、ちょっとためらったのである。というのは、下手をして昼時に来店客が増えて混み合ってしまったら、さっと行ってさっと食うことができなくなる。客が少なくて空いていてくれる方が、個人的にはありがたい。

しかし、やはりもっと繁盛してくれる方が、巡り巡って客としても末永くおいしいそばを食えるだろうから、思い切ってここに書いてしまったというわけだ。秋葉原近辺においでの際は、ちょっと立ち寄ってご贔屓にしてもらいたい。

これって、一昨日の記事にきっしーさんが付けてくれたコメントの、「外部経済」に当たるケースだろうか? この辺は疎いので、よくわからない。

(福ふくの場所などに関する情報は、こちら

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2009年5月21日

上野駅の乗り換え風景

「日本人は勤勉で仕事好き」 というのは、既に幻想にすぎないと言われているが、それでもまだその幻想を疑わない人がいる。

私はいつも JR 常磐線を利用して都心に出て、上野駅で山手線に乗り換えているが、この駅で乗り換える乗客の様子を見れば、その幻想性が如実に判明する。

朝、常磐線の電車を降りて山手線のホームに向かう時、コンコースはかなり混雑するのだが、その人の流れはイライラするほど遅い。「この中に、遅刻しそうで急いでいる人は一人もいないのか?」と不思議になるほど、みんなのろのろと歩いている。私なんかいらちだから、このトロさは、かなりストレスである。

山手線の階段を下りる時も、ホームに電車がいてドアが開いているのに、その電車に乗るために急いで階段を降りようとする人はいない。いや、いるのかもしれないが、全体の流れがあまりにものんびりしているので、人混みの中に埋もれて急ぐに急げないのだろう。

だから、「ああ、あの電車に乗りたいのに」と思っても、のんびりした人の流れに遮られるうちに目の前でドアがしまってしまい、悔しい思いをする人もいるのだろうが、それでも、人混みを掻き分けてでも急ごうとする人はいない。

ところが、夕方の帰宅時間帯になると、様相は一変する。山手線を降りて帰りの中距離電車に乗るために、血相変えてダッシュで階段を駆け上がる人がものすごく多い。普通に階段を昇っていると、突き飛ばされそうになる。

まあ、全員が帰宅の度に猛ダッシュするわけじゃなく、常磐線のほか、宇都宮線や高崎線などの中距離電車に乗るために焦っている人が駆け上るのだろう。しかし、いくらなんでも一本逃してもあと 20分足らず待てば、始発電車に乗れる。あんなに血相変えてダッシュすることもないのである。

つまり、勤め人たちは、朝に会社に行く時は本当にのんびりだらだらとしたものだが、仕事が終わったら一刻も早く帰宅したくて、猛ダッシュする。こうした光景を見ていると、「日本人は勤勉で仕事好き」とは到底思われないのである。

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2009年5月20日

個人レベルでの新型インフルエンザ対策

知人の息子が大学受験に失敗して浪人している。傍目から見てもなかなか優秀な子だったのだが、受験日直前にノロウィルスにやられてふらふらになり、落ちてしまった。

とまあ、受験生の健康管理はなかなか重要な問題である。で、話はこの度の 「新型インフルエンザ」 に飛ぶ。

新型インフルエンザは、感染力がものすごく強いらしい。ウィルスは既に、その辺にいるんだろう。そしてそのウィルスの感染力は強いが毒性はそれほど強いものではなく、感染しても普通は死ぬ可能性はごく小さく、きちんと治療すれば治ってしまうらしい。

となると、受験を控えた高校生、浪人諸君はなかなか頭の痛い問題になってしまうだろう。なにしろ新型インフルエンザだから、60歳ぐらいより上の人間は免疫をもっているのではないかという見方もあるが、若い高校生、浪人は全然免疫がない。感染の確率は非常に高い。

今は夏を前にしているので、いったんは収束する可能性があるが、秋から冬、初春にかけては、今度こそ本物の大流行になる危険性が高い。そして、その時期は受験シーズンである。これは悩んでしまう。

決して公には口に出さないが、「受験生は今の内に感染しておく方がいい」と思っている学校の先生は、実はかなり多いんじゃあるまいか。そして受験生の間では、既にそれが暗黙の認識になっているんじゃあるまいか。

彼らは、秋以降は本当に真剣に予防対策をするだろうが、今のうちなら、むしろ「さっさと感染して軽く治ってしまう方がもうけもの」 ぐらいに思っているだろう。「どうせ大流行するなら、今のうちに感染するのと、秋以後に感染するのと、どっちがいい?」と聞いたら、答えはわかりきっている。

積極的に感染しようというのは極々少数派だろうが、今のうちなら、真剣な予防対策なんて期待できない。新型インフルエンザで休校措置となった高校の生徒たちが盛り場に繰り出しているというのが問題になっているが、自宅に籠もっておとなしくしていろという方が無理である。

「俺はさっさと感染してしまいたいから、マスクもしないし、手洗いも必要最小限だし、平気で盛り場に繰り出しちゃうぞ」という高校生がいたとしても、戒厳令でも出さない限り、それだけで取り締まるわけにはいかないのである。

問題は、あちこちで指摘されているとおり、それによって感染が爆発的に広がり、医療体制が追いつかなくなり、その感染拡大のうちにウィルスが急に強毒性に変異してしまう可能性があるということだ。

せっかく夏のうちに感染しておいたのに、冬になって変異した強毒性のウィルスにまたやられてしまったなんてことになったら、目も当てられない。しかし、今後のことは不確実すぎて誰にもわからないのである。個人レベルでは、しっかりとウォッチするしかない。

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2009年5月19日

近頃、春と秋が短い

今日もあっさりと夏日。しかも 25度ぎりぎりとかいうのではなく、いきなり 28度とか 29度とかである。内陸では 30度超の真夏日になったところもあるんじゃなかろうか。

近頃、春が短い。つい先日まで「寒い、寒い」と言っていて、4月中旬からようやく薄手のジャケットに替えたばかりである。

薄手のジャケットで外を歩くのが気持ちのいい陽気は、1ヶ月もたなかった。5月中旬には、もうジャケットなんて着ていられない。私はもう、半袖のポロシャツ姿である。私は政府が言い出すずっと前の 20年前から、ネクタイなしのクール・ビズである。冬だって、ネクタイなしでウォーム・ビズだし。

私はこのままずっと、10月までポロシャツ 1枚のクール・ビズだ。10月の半ばになれば薄手のジャケットが復活するが、11月になれば冬物のジャケットの出番だ。こうしてみると、「春夏用」といわれる薄手のジャケットは、1年のうち、たった 2ヶ月足らずしか出番がない。

残りの 10ヶ月のうち、5月半ばから10月半ばまでの 5ヶ月間はポロシャツ 1枚。11月から 4月までの 5ヶ月間は、「秋冬物」といわれる裏地付きのジャケットだ。こうしてみると、1年のうち大半は夏か冬で、一番心地よい季節である春と夏は、1ヶ月ずつしかないみたいなものだ。

とはいいながら、近頃の冬というのは、昔と比べるとそれほど過酷な寒さじゃない。雪だってずっと少なくなった。3月と 4月は、気を許すとすぐに「寒の戻り」とやらで震え上がるが、それでも凍えるほどの寒さなんてことはない。

考えてみると、温暖化で季節全体が暖かい方向にシフトしてしまって、体が暑さに慣れてしまったので、大した寒さじゃない冬でも、「寒い、寒い」と言っているだけのような気がする。

今日ぐらいの気温で「暑い、暑い」なんて言っていると、夏の本番になったら大変なことになる。

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2009年5月18日

素人のあさましさで言ってしまう

今回の新型インフルエンザの感染者は、高校生ぐらいの若い年齢層が圧倒的に多く、年寄りの感染者は少ないという特徴がある。

体力のない幼児と老人が感染しやすく、死亡するのもこの年齢層で多いという通常の季節型インフルエンザとは、この点が大違いというのが、興味深い。

ある年齢以上の人間は、今回の新型インフルエンザによく似たウィルスに過去に接触していて、既に免疫を得ているのではないかという見方がある。Goo ニュースの「ニュースな英語」の記事から、少し引用してみよう。

5月8日付の英インディペンデント紙によると英政府の保健当局は今月初めの時点で、若者の被害が増えそうだと警告していました。英主席医務官のサー・リアム・ドナルドソンは、若者は今回のウイルスに免疫がないようだと指摘。今回の新型ウイルスはヒト型とトリ型とブタ型の特徴をもつ交雑型。もしかしたら一定の年齢以上の大人は、今回のウイルスのヒト型部分がよく似たウイルスにすでに接触済みで、そのため免疫ができているのかもしれないというのです。

ワシントン・ポスト紙などによると、1918年に5000万人以上が犠牲となった悪名高いスペイン・インフルエンザ(スペイン風邪)のケースでは、死者の半数近くが20~40歳で、死者の95%以上は65歳未満でした。当時、高齢者の犠牲が少なかったのは、1885年ごろに流行した類似ウイルスに接触していた世代は免疫ができていたからではないかと言われている。そして今回も、同じような現象が起きているのではないかというのです。

ということで、私は、「今回の新型ウイルスはヒト型とトリ型とブタ型の特徴をもつ交雑型」という件を読んで、たまげてしまった。前にも書いたように、初めて「鳥インフルエンザ」という言葉を音で聞いた時、私は "tri-influenza" と思いこんで、「三種混合の三倍怖いインフルエンザ」だと誤解してしまった (参照)。

それで、「鳥インフルエンザ」はいつの間にか、私の中で「トリプルエンザ」という略称になってしまい、「豚インフルエンザ」はそれに釣られて「トンプルエンザ」となった。それが「新型インフルエンザ」になるや、さらに「シンプル円座」という究極形になってしまっていたのだった。

ところが、この「シンプル円座」こそが、ヒト型とトリ型とブタ型の3つの特徴を併せ持つ「トリプルエンザ」そのものだったとは、知るよしもなかった。世の中、本当にわからないものである。

私は素人のあさましさから、あっけらかんと思ってしまうのだが、免疫のない若い世代は、今の内にウィルスに接触して免疫を得てしまうというのは、どうなのだろうか。普通にしていれば死ぬ確率は低く、案外早く治ってしまうようなのだから、今が免疫獲得の絶好のチャンスではないか

秋を越して冬になってしまったら、夏のうちに感染するよりちょっとしんどいことになるのではなかろうか。

関西では既に、そこら中に新型インフルエンザのウィルスが存在しているという状況になってしまっているのではないかと思う。この状況が日本中に広まるまでに半年かかってしまったら、感染者はかなりしんどい思いをするだろう。

本当に、「今の内にマスク付けないで大阪に旅行しとけ」 なんて言ったら、怒られてしまうかなあ。

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2009年5月17日

『唯一郎句集』 レビュー #27

週末は 『唯一郎句集』 のレビューをするのが恒例になってきていたが、今週末は関係する事務所の引っ越しで大わらわで、週末のような気がしていなかった。

というわけで、今回はレビューをすっ飛ばしそうになってしまう寸前で思い出した。それで今週末は、本日、日曜の一度きりである。

今回は、「酒田俳壇」時代とされた 3句。前回は夏と冬の句を 2句ずつレビューしたが、今回は麦秋 の 1句の次がまたいきなり冬の 2句になる。こうした並び方のため、唯一郎が何歳の頃の句なのか、わからない。多分二十歳を少し過ぎた頃なのだとは思うが、句の並べ方にも少し混乱があるような気がする。

とはいえ、ここらでレビューに入らざるを得まい。

日本海岸の麦秋のひろびろと匂ひもな

庄内平野は米作の盛んな所だが、一部で麦も作られている。海岸沿いの水はけが良すぎて田んぼにならないところだ。

このあたりの麦秋は、6月頃だろうか。梅雨入り前のさわやかな時期。初夏のさわやかな風が吹きわたり、麦の匂いが漂うということもない。からりとした感じがする。

正月の夜の酒器など並べては自らの愛しきに酔はんとす

唯一郎の息子 (つまり私の伯父) は、酒好きである。私がよく知っているのは 3人いるうちの 2人だけだが、両方とも酒を飲んで朗らかになる。多分、唯一郎も酒が好きだったのだろうと思う。

ただ、この句にみる限り、唯一郎の酒は静かな酒だったのだろうと思う。お気に入りの酒器を並べて、自らの愛しきに酔うというのは、賑やかな酒とは到底思われない。ナルシシズムを感じさせる。

冬雲の動きをみてあれば寒鱈を提げて來る貧しき女

酒田の冬雲の動きは速い。その動きに見とれていると、寒鱈を提げて貧しき女がやってくるという。「貧しき女」 というのは、自分の妻のことを言っているのではあるまいか。

寒鱈は日本海の冬の味である。鱈の全てを汁にぶちこんで 「どんがら汁」 というのを作る。暖かい家庭料理だ。

暖かい家庭料理を目前にしているだけに、あえて自分の妻を逆説的に 「貧しき女」 と言ってしまっているのではないかと、私は深読みする。

本日はここまで。

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2009年5月16日

「ウィルスにストレスを与えない」 という発想

人間の出現以前からウィルスというのは存在しており、人間はウィルスを取り込んで進化してきたらしい。

RNA は元々ヒトの細胞に共生してしまった外部生命であり、遺伝情報をも書き換えてしまいかねないウィルスであると言われている。私の中に、外部生命がいるのである。

先日、朝の出がけにカーラジオで TBS の朝の番組を聞いていたら、東京大学名誉教授の月尾嘉男先生が、大変おもしろいことをおっしゃっていた。最近の「シンプル円座」じゃなかった(参照)、新型インフルエンザなどの騒ぎに関連して、「ウィルスにストレスを与えないことが大切かもしれない」というのである。

元々、ウィルスと人間は共存共栄してきたものである。人間の体内には、既に何万種類というウィルスがいるらしい。レトロウィルスというのは、人間の RNA として長らく体内に棲みついているらしいのだ。

この人間と共存共栄できるはずのウィルスが人間に害を及ぼす存在になるのは、突然変異して毒性を強めてしまうからである。この突然変異というのは、ウィルスがストレスを感じることで起きるという見方があるらしい。

元々、アフリカの奥地とかでひっそりと暮らしていたウィルスが、突然凶暴になってエイズになったりするのも、人間が開発を急ぎすぎてウィルスの生育環境を破壊し、多大なるストレスを与えたからではないかというのである。

うぅむ、私はこれまで、新型インフルエンザをそうした視点でみるという発想がなかった。しかし、言われてみるとかなり説得力のあるものとして聞こえてしまうのである。大いにあり得る話ではないか。

鳥インフルエンザのような突然出現した毒性の強いウィルスに対しては、さらなるストレスを与えてますます毒性の強いものにどんどん変異されてしまうよりも、なんとかなだめすかして落ち着いてもらうようにするバイオロジカルな方策ってないものなのかしらん。

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2009年5月15日

「文系/理系」という幻想

私はいつも自分のことを、「純粋文系」で「理系白痴」だと言っている。一昨日の記事でも、「純粋文系」として「エラソーな理系」に脊髄反射してしまった。

しかし本当は自分でも、「文系」「理系」 の区別なんていうのは、かなりの部分で幻想に過ぎないと気付いている。

本質的には幻想に過ぎないとわかっていながら、皮相的な日常生活ではそれを踏まえるとちょっと便利というか、話が手っ取り早いので、つい多用してしまうということが多い。いや、多いというよりも、むしろそんなことばかりのような気がする。

便利だからと多用しているうちに、それは単なる方便にすぎないということを忘れて、あたかも厳然とした本質のように勘違いしてしまう。よほど注意しなければならない。

私の妹の夫は、中学校時代の国語の試験で「この時の主人公はどんな気持ちだったか」という設問に 「そんなことは、当人に聞かないとわからない」と答えたほど、強者の理系だ。彼は「理系の答えは誰が考えても一つだから信頼に足る。考える人によって答えの違う文系の学問なんて、わけがわからない」と言う。

それに対して、私の体内に「純粋文系」の血を注ぎ込んだ私の父は、「誰が考えても同じなら、あえて俺がやる必要がないから、楽なものだ。そんなつまらんことは他人に任せて、俺は独自のことを考える」と言う。私も大体同じような考えである。血は争えないものだ。

しかしちょっと深く考えると、「理系の学問は誰が考えても答えが一つ」なんていうのは幻想だとわかる。理系の世界でも学者によっていろいろな説があって、盛んに論争が行われているではないか。

公明正大な論争で収まるならまだいいが、ちょっと裏をのぞくと、学者、研究者同士の足の引っ張り合いが日常茶飯事で、正しい者が勝つのではなく、声が大きくて政治力のある者が勝つなんていう、まことに理系の世界とも思われないことをいくらでも見聞きする。

私は複数の理系学者、研究者からそんなような悩みを打ち明けられた経験がある。彼らの中には、人間関係のストレスで神経症的になっている者さえある。それでそのあたりは「理系も文系も似たようなもんだなあ」という印象を拭いきれないのである。申し訳ないけど。

まあ、こんな皮相的な話はおいといても、直接的な因果関係における不合理のみを取り上げて、理系が文系を批判するというケースは世の中にいくらでもある。

一昨日の記事のコメントで、蝠樂亭さんがおっしゃっているように、文系が情緒で「エコ」と思ってやっていることの中には、かなり多くの見当違いがある。それは本当のことで、文系の私がみても「同じ金を使うなら、もっと考えろよ」と言いたくなるようなケースが多い。これらは活動プロセスの中で柔軟に修正していかなければならない。

ただ、あきらかに見当違いで悪影響の方が大きいという場合は別として、「ちょっとした的はずれ」みたいに見えることも、回り回って役に立っているということもある。少しぐらい見当違いでも、全体的なエコ意識を高める雰囲気作りには十分貢献しているということもある。

あるいは、もしかしてきっちり計算してみると、現段階ではエコ的にも逆効果の方が大きいかもしれないが、それを継続することによって技術が進歩して、ゆくゆくはきちんとした効果が上がると思われることもある。

なにしろ世界は複雑系なので、直接的な因果関係だけの合理性を追うだけでは、本当のことは見えてこない。そして検討範囲を広げてしまえば、数値は曖昧にならざるを得ない。そうなると、突き詰めれば文系も理系もないのである。

私はいつも「人間の歴史とは、限りなく多くのうんざりするような要素がとぐろを巻くようにからまりあって、こけつまろびつ進むもの」と言っている。とことん合理的なことなんて、あり得ない。「めげずに試行錯誤しつつ、ちょっとずつでも改良していけたらいいね」という世界なのだ。

理系の理想は、アイデアとしては唱えられても、現実の運用段階で必ずノイズが入りまくって、結局は実現しきれないのだ。悪いけど。まあ、理系だけじゃなく、経済学者のいうことも同じようなものなのだが。

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2009年5月14日

ほぅら、やっぱり

決してネタに窮しているわけでもなく、手持ちが大ネタ過ぎて手に負えないというわけでもないのだが、忙しすぎて小ネタを書く時間しか取れない。

というわけで、私にとっては小ネタの、民主党小沢氏の代表辞任についてである。この人、往生際が悪すぎた。

代表辞任のニュースを聞いて、「ほぅら、やっぱりね」としか思わなかった。多くの人がそんなところだっただろう。私は今年 3月10日の記事で、次のように書いている。

私は遅かれ速かれ、小沢氏は代表を辞任しなければならない状況に追い込まれるとみている。だったら最初から虚勢を張らず、辞任しておけばよかったのだ。私は 3月 5日の記事でも書いているとおり、昨年 6月に、西松建設の外為法違反容疑が明るみに出た時点で、小沢氏は健康問題などの適当な理由で辞めておけばよかったのだと思っている。

本当に、せっかく 「健康不安」 という格好の事情を抱えているのに、どうしてそれを理由に早めに辞めておかなかったのだろう。自民党の支持率が低下して、次に総選挙をやれば首相になれそうな状況が濃厚だっただけに、状況判断を間違えてしまったとしか言いようがない。

金銭欲でも権力欲でも、欲に目が眩むと、人間はたいてい判断を間違えるのだ。私は 3月 5日の記事で、このことについて、次のように書いている。

私は 2月 18日付の記事で、民主党は少しはリスクマネジメントについて認識が進んでいるかもしれないと書いたが、どうも買いかぶりだったようだ。

民主党のリスクマネジメントは、あの「堀江メール事件」であれだけ思い切り地雷を踏んでしまった反省が生かされておらず、要するに全然進歩がなかったようなのだ。これでは、さしもの政権交代待望の私としても、ちょっと考えてしまう。

今回の騒動は、雪印や船場吉兆と変わらない。当事者が状況を客観的にみることができず、保身をはかるあまり、自分を被害者的な立場においてみせて、やたらと言い訳がましいことをほざき、かえって自分の立場を悪くしたということなのだ。

民間では、今やかなりリスクマネジメントに関する認識が高まって、不祥事があった場合の対応は進んできているが、次期政権を担おうという政党がこんなレベルでは、危なくて国際舞台に出してやれないではないか。

ここで視点を変えれば、それは自民党も大した違いはないのだから、政権交代させてみてはどうかというふうにも言えそうで、そこが悲しいところなのだが。

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2009年5月13日

エラソーな理系が注意すべきこと

昨日まで 2回連続で話題にした「モスキート音」のニュースを知ったのは、TBS ラジオの「アクセス」という番組中の「バトルトーク」という視聴者参加型プログラム経由だった。

で、昨夜たまたまこの番組を聞いたら、ちょっとむっとする発言があったので、ここでうっぷん晴らしをさせていただく。

昨夜は帰りが遅くなり、駐車場に戻ってカーラジオのスイッチを入れたのが夜中だったので、この番組が終わる直前だった。だからその前までの話の成り行きは聞いていない。しかし成り行きはわからなくても、私のむっときたのは一部分なので、それについて書く。

ちょうどそこに登場していた聴取者は、「自分はシステムエンジニアで、妻は医者」という、ちょっとエラソーな男性。彼は最近の「何でもエコ」という風潮が気に入らないらしい。こんなことを言っていたのである。

「我々は夫婦で理系ですから、よく二人で話するんですが、文系の言う『エコ』なんて、何の説得力もないわけですよ」

ほほう、まあ、そういう人はよくいるよね。あまり付き合いたくないけど。そしてその後に続いたのが、こんなような発言だった「彼らは耳ざわりのいいことばかり言いますがね」(録音してたわけじゃないので、このままだったかどうかは定かではないが)

ははあ、この人、確かに理系だね。でもいくら理系でも、ラジオの電波を使って自分の意見を全国に発信したいというなら、日本語ぐらいは正しく使ってもらいたい。そうでないと「理系の言う日本語なんて、何の説得力もないわけですよ」なんて言われかねない。

私は書き言葉としての「耳障りがいい」は明らかな間違いだから認めない。そしてカジュアルな口語としての「耳ざわりがいい」は、しぶしぶ認めないでもないが、それはとても破格の用法であり、昨日のラジオに登場されたようなエラソーな方がエラソーに使うと、とたんにお里が知れる。(参照

まあ、今回は文系エコ派として、過剰に反応してしまっただけかもしれないが。

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2009年5月12日

「モスキート音」 を巡る冒険 その2

昨日の記事で触れた、夜の公園にたむろする悪ガキどもを排除するために足立区が「モスキート音」を流すことにしたという件で、TBS の「バトルトーク」の反応が興味深い。

聴取者の反応は、「いい方法だと思う」が 73名、「そうは思わない」が 138名、 「その他」が 42名だった。

大体においてこの番組は、お上の施策については反対派が圧倒的に多いということになっていて、今回の結果も「いい方法だと思う」に比べて「そうは思わない」が 2倍近い数字だ。サイレント・マジョリティと声の大きな反対派を競わせたら、こんな具合になると決まっている。

TBS のウェブサイトでは賛成、反対、その他のコメントが紹介されている。紹介ページは こちら なのだが、cgi 形式のため、過去の結果に直接行こうとしても固有の URL が表示されないので、面倒だが、バックナンバーから 「2009年05月11日」 付の結果をクリックしてご覧いただきたい。

賛成派のコメントは単純に「効果がありそうなら、とにかくやってみればいい」という姿勢に帰結するのに対し、反対派の挙げる理由は実にバラエティに富んでいる。ざっと挙げても、以下のようになる。

(1) モスキート音そのものに対する疑問・不信

モスキート音の聞こえる年寄りだっている

生態系に悪影響を与えないか

(2) 予測される結果を挙げての疑問

公園から追い出された若者が他の場所にたむろするだけ

その装置が破壊されるだけ (昨日も書いたが、私もそう思う)

(3)精神論と情緒的反対

何でも道具を使って自動化というのは人をダメにする

それよりも、教育をしっかりしろ

追い出される若者がみじめ

人間を動物扱いするのか (これは誤解に基づいているが)

(4) 指導、罰則強化の方向でいけ

追い出すよりも、逮捕して罰則を与えろ

見回りを強化しろ

(5) 政治的、経済的視点から

くだらないことに税金を使うな

メーカーの宣伝に利用されているだけ

この他にも 「はぁ?」 と言いたくなるような反対論もあって、なるほど、世の中にはいろいろな人がいるものだと、感心してしまった。

「モスキート音の聞こえる年寄りだっている」という反対論には、普通、年寄りは深夜の公園にたむろしないだろうと言うしかないし、「教育からやり直せ」とかいう話には、それには時間がかかりすぎるだろうから、何か対症的な方策だって考えなければならないでしょと言いたくなる。この辺は「反対のための反対」と見えなくもない。

指導・罰則強化ということも、交番のお巡りさんが 2人ぐらいで行っても、なかなからちがあかないだろう。片っ端から逮捕しろといっても、警察側がある程度の挑発をしなければそれが可能な事態には至るものじゃない。それをしてしまえば、後から面倒なことになるに決まっている。お巡りさんだって、なかなか大変なのだ。

私なりの結論としては、いろいろやってみて、そのプロセスで学びながら、さらに効果的な対策を考えるしかないだろうということにしかならない。つまらない結論だが。

とりあえず、生態系にはあまり悪影響はなさそうだから、今回は試験的に(装置は無料提供されるそうだし)音源が壊されないようにきっちりとプロテクトしてやってみるのもいいだろうと思う。なかなか壊れない音源装置を無理矢理に壊そうしたら、その時点で速やかに逮捕すればいい。やってみて、初めて見えてくることというものもある。

それから、この装置の販売会社は、ウェブサイトの作りはかなりお下手だが(参照)、上手なマーケティングをしているなあと感心した。今回は足立区の試験的導入のために無料で音源を提供するという。これだけで話題にはなるし、うまく行ったら販促効果が期待できるだろう。

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2009年5月11日

「モスキート音」を巡る冒険

TBS ラジオで夜にやっている「アクセス」の「バトルトーク」という聴取者参加型の討論番組で、「モスキートーン」というものについて議論したらしい。私は聞き漏らしたのだが。

「モスキートーン」 とは初耳だったので、さっそくググってみると、どうやら正しくは「モスキート音」というようだ。なんだ、「蚊の音」か。

ラジオから得た情報というのは、文字情報と切り離されているので、ちょっとした勘違いをすることがある。私が最初に 「鳥インフルエンザ」 という言葉を知ったのがラジオを通じてのことで、その時は "tri-influenza" だと勘違いして、「三倍怖いインフルエンザ」 なんて印象をもってしまったことは、ちょっと前に触れた(参照)。

ところが今回は、なんだか様子がおかしい。念のためよく調べてみると、「モスキートーン」の方も、それはそれで市民権を得かかっているみたいなのだ。欧米では "Mosquitone" というケータイ着信音が流行っているらしい。英語と日本語がはからずも重なっちゃった例になっている。

改めて「モスキート音」とは何かというと、高周波数の警告音のようなものなのだそうだ。人間の耳は年齢とともに高周波数の音は聞こえなくなる。10代の若者だけに耳障りに聞こえて、大人にはほとんど聞こえないか、気にならない音を「モスキート音」というようだ。

深夜などに悪ガキどもがたむろするのを防ぐため、このモスキート音をスピーカーで流すと、ちょっとした効果があるのだそうだ。ところが逆に、ケータイの着信音は多少耳障りな方が気づきやすいので、若者の間でこれを使うのが流行っているらしい。着信音が大人には聞こえないので、授業中でも先生にばれないのだそうだ。

今回の TBS ラジオのバトルトークは、深夜に公園を荒らす若者対策として、足立区がモスキート音を導入することになったというニュース(参照)を受けてのものだが、これに対する聴取者の反応は、「いい方法だと思う」が 73名、「そうは思わない」が 138名、 「その他」が 42名となった。

この件、いろいろなコメントの書き込まれた参照先は こちら だが、週が変わると更新されると思うので、その際はバックナンバーから辿っていただきたい。

私としては、参照先のコメントにもあるが、そこにたむろする悪ガキどもとしては、モスキート音を流すスピーカーの破壊という行為に出ると思うので、この対策は「いかがなものか」と思う。スピーカーをわかりにくいところに設置しても、もし私が悪ガキだったら、憎っくき音源をつきとめるゲームに勝利するまでは公園から去らない。

ところで、モスキート音を実際に PC のスピーカーで鳴らしてみて、自分の耳で聞こえるかどうかを試すことのできるサイトがある。私は こちら でやってみたのだが、8,000Hz と 9,000Hz の音は聞こえても、10,000Hz 以上の高周波になると、まったく聞こえなかった。ショックだなあ。まだまだ若いつもりだったのに。

これはきっと、私のノート PC のスピーカーがちゃちだからと思う。きっとそうだ。誰が何と言っても、そうに違いない。家に帰ったらデスクトップで試してみようと思うが、それでも聞こえなかったら、スピーカーが左右一組でたったの 2,800円という安物だからいけないのだと思うことにしよう。

【同日 追記】

周囲が静かな環境で再トライしたところ、同じ PC でも 13,000Hz まで聞こえた。テスト・ページには 「個人差はあるようですが、20代・30代になってくると14,000Hzあたりの高音が聴こえなくなるようです」 とある。私は基本的に、物事は自分に都合よく受け取る方だから、自分の耳は 20代か 30代の若さと思ってしまうぞ。

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2009年5月10日

『唯一郎句集』 レビュー #26

連休中の法事に出席し、その後すぐに広島出張と、あわただしい日々が続いていたので、週末の恒例になった『唯一郎句集』のレビューを忘れてしまうところだった。

今回は 4句をレビューする。見開き右側ページの 2句が夏の句で、左のページは一足飛びに冬の 2句になっている。

多分 20歳か 遅くても 22歳の頃の句のはずだ。夏から冬の間にも俳句を作っていないわけはないと思うのだが、残っていないのだろう。何しろ唯一郎は句帳を持たずに作りっぱなしの俳人だったから、あとで追悼句集を編纂しようとしてもなかなか大変だったのだと思う。

とりあえずレビューに入る。

八月の夜のむなしさに我が家の鬼百合を匂はす

庄内の八月は、暑いことは暑いが、旧盆の時期を過ぎれば夜は急に涼しくなる。多分その頃の季節感だ。

むっとするような暑い時期を過ぎて、ふと気付くと秋に向かう雰囲気が色濃くなる。そんな時の移ろいを感じる夜に、ふと空しさを感じる。その空しさの中を、鬼百合の強烈な匂いが漂う。

鬼百合の匂いは、空しさを埋めるのではなく、その強烈さの対比によって、空しさをますます際立たせている。

目に映るのは自分の家の空間に過ぎないが、匂いという感覚は、その彼方にまで思いを飛ばす。時空を超えた彼方まで思いを馳せると、空しさはますます深くなる。

ささやかな一家のあらそひの後洗ひ浴衣がたたまる

ちょっとした諍いがあって、気まずいままに時が過ぎて行く。会話は途切れたままだ。

視界の端で、妻が洗って乾いたばかりの浴衣を無言でたたんでいる。唯一郎の浴衣もちゃんとたたまれる。ここまでくれば、家庭の雰囲気が日常に戻るまで、それほどの時間はかからないだろう。

ほっとする。ほっとはしても、浴衣の中に妻の複雑な思いがたたみこまれているような気がして、結局はわかり合えない感覚のずれが、いつまでも残る。

家庭の中にいても、孤独な唯一郎。

積雪の上音もなく葬列のあるいは馬と行きあふ

あっという間に季節は冬。句集の 42ページから 43ページ見開きの右側から左側に目を移すと、皮膚感覚が収縮する。

庄内の冬。今は正月になっても積雪のない年が珍しくなくなったが、大正末期から昭和初期の庄内の冬は雪の季節である。春になるまで根雪が残る。

庄内の雪はちらちらと舞う粉雪といった風情ではない。吹雪である。一度地面に降った雪まで舞い上がるから、外を歩くと霧の中を歩いているような気がすることもある。

そうした吹雪の中、葬列が現れて消え、馬車が現れて消える。当時は自動車がないから、陸路の近距離輸送手段は馬車だった。

しずしずとした葬列と、白い鼻息を上げて行く生命の固まりのような馬。積雪の中だけに、ひづめの音もしない。唯一郎独特の静粛なフラッシュバック効果。

こよひ積雪に壓さるるごとしづかにものを云ひ座す

とりわけ大雪の年だったのだろう。「積雪に壓さるるごと」というのが、心に迫る。雪国では大雪になると本当に生活が雪に圧せられるのだ。家から外に出るのも大変なことになる。

家の中にいるしかない。そして口にした言葉は、何を言ったのかはわからないが、いずれにしても積雪に圧せられたような静かな言葉だった。

どんなに圧せられても憤るでもなく、不平をいうでもなく、静かにものを言い、畳の上に座るしかない。この季節感は、唯一郎の人生全般を通じた感覚でもある。

本日はこれにて。

 

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2009年5月 9日

電車や飛行機で泣き叫ぶ赤ん坊

列車や飛行機で旅をすると、むずかって泣き叫ぶ赤ん坊に遭遇することがある。周囲の乗客の頭が痛くなるほどの猛烈な鳴き声だ。

親がいくらあやしても泣きやまない。それどころか、赤ん坊はますます無茶苦茶な大声を出して泣き叫ぶ。親はおろおろするばかりで、どうしようもなくなる。

自慢じゃないが、我が家は 3人の娘を育てて、一度もそんなことはなかった。そりゃ、赤ん坊のことだから、多少ぐずることはあっても、抱いてあやしてやればすぐに安心して泣きやんだものである。

赤ん坊が泣きわめいてしょうがなくなるというケースをながめていると、そこにはある傾向があるような気がする。といっても、誤解されると困るので初めから断っておくが、全てがそうだというわけではない。「傾向がある」というだけのことだ。ただ、その「傾向」は、かなり強いものだと思っている。

その傾向というのは、親と赤ん坊の心のつながりが希薄そうにみえることだ。親は赤ん坊を連れて乗り物に乗るにあたって、不安を抱いている。「ウチの子は癇が強いから、泣きわめいて周囲に迷惑をかけるのではないか」と、初めからおっかなびっくりだ。

そんなだから、赤ん坊の方でも親を信頼していない。親は基本的に周囲に気兼ねするばかりで、自分のことはある意味、お荷物と思っている。赤ん坊はそれを敏感に感じ取っている。

別の言い方をすると、親は「泣かれたら困る」と、はなはだ自分本位の都合を考えるばかりで、自分の赤ん坊が泣かなくても済むような安心感を与えていない。極端に言えば、赤ん坊のせいで心ならずも周囲に迷惑をかけてしまい、自分はその板挟みに合うという一種の被害者意識にも似たような気持ちになっている。

つまり、親がまともに赤ん坊と向き合って強い絆を作るという作業を怠っているから、赤ん坊は不安で泣くのである。親は泣きわめく赤ん坊をあやしているように見えても、心は赤ん坊にしっかりと向き合っておらず、ただ困り果てておろおろしているばかりである。

おろおろするからいけないのだ。親がおろおろするから、赤ん坊はますます不安になって泣き叫ぶ。そこは毅然として、「自分はお前の絶対的な味方であり、何があっても守ってあげるのだから、絶対大丈夫」と、無条件の愛情オーラを発しまくれば、赤ん坊は安心してすやすやと眠るのである。

ただ、車内で大人しく眠ってばかりいる赤ん坊というのも、一方でちょっと可愛そうである。そういう赤ん坊は、「おとなしくていい子」のように見えるが、実は親を信頼していなくて、不安を紛らすために眠りの中に逃避しているだけということがあるように思われる。目覚めていると不安でたまらないから、眠ってしまうのだ。

つまり、赤ん坊は不安だと泣くか、泣くのは疲れるから嫌だと思えば、眠りに逃げるのである。

だから赤ん坊は、適当に起きて機嫌良くバブバブ、キャハキャハ言ってくれているのが一番安心だ。車内でそのようにして過ごしている赤ん坊をみると、私は親と赤ん坊の心の絆の強さを感じて、暖かい気持ちになる。だからバブバブ、キャハキャハ程度のことなら、周囲の乗客もあまりうるさがらずに、暖かく見守ってあげてもらいたい。

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2009年5月 8日

通話料金体系って、わけがわからん

近頃、固定電話にしても携帯電話にしても、料金体系が複雑すぎてさっぱりわからない。それでもって、ほんの少しの差をめぐって競合がはげしくなっている。

競合してくれるのはいいが、ほんの少しの差を一生の損得みたいに言ってあちこちから売り込まれるのが、本当にうっとうしい。

そもそもケータイの料金体系を理解しようなんていうことは、初めから諦めていた。なにしろ複雑すぎる。複雑なだけならなんとか理解しようともするが、それらを理解した上で、コンセプトのちょっと違った競合他社の体系と比較しようとすると、まず頭がおかしくなる。

ようやくちょっとだけわかったような気になって、取り敢えず「自分にとって最もリーズナブルなような気がする料金体系はこれ」と結論づけてそれを選択しても、競合が激しいから、状況はすぐに変わってしまう。だから、自分の選択した料金体系が本当に最もとくなのかは、じきにさっぱりわからなくなる。

それにつけこんで、ケータイ各社がいろいろなキャンペーンを展開するのだが、その内容がわかったようでわからない。大きな文字だけ読んでちょっとそそられても、端っこの方に書いてある小さな字を読んで「なぁんだ」とがっかりしたり、「要するに何を言いたいんだ?」といらだったりすることの方が多い。

ビジネス用の固定電話にしても、いろいろな業者がいろいろなプランをもって営業に廻ってくる。よく聞くと、3分の通話料が 0.3円ぐらい安いとか、その程度のレベルである。1日で 100本ちょっと電話をかけるような事業所なら、1ヶ月で 1000円近くのコストカットになるだろうが、ウチのような零細企業ではあまり意味がない。

年額数百円なんていうレベルの差では、新たに申込書に記入したり、銀行口座の引き落とし手続きをしたりの手間の方が面倒くさい。それに、その程度で頻繁にプランを変えていたら、年がら年中変えなければならない。今自分の使っている回線が何だったのか、混乱してしまってわけがわからなくなる方がうっとうしい。

いっぱしの規模の事業所でも怪しげな業者にひっかかると、年額数千円の通話料節約のために、数万円のデバイスを設置させられて、その程度のことにリースを設定すると、10万円以上も余計に払わされたりする。よほどしっかり話を聞かないといけない。

というわけで、私は通話料に関しては「今使っているのが一番お得」と考えて、余計なことを考えないようにしている。一目瞭然で断然お得なサービスが出現したら乗り換えないでもないが、そんなことは滅多にないことだしね。

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2009年5月 7日

裁判員制度に関する意識調査

裁判員制度に関して讀賣新聞が実施した最新の意識調査結果が、5月 3日付の記事で発表された。(参照

ここの調査結果は、なかなか興味深い。平均的には現行の裁判システムは結構不満なのだが、自分が裁判員になるのは御免被りたいということのようなのだ。

まずちょっと驚いたのが、この記事の大見出しにもなっている "裁判員になったら 「死刑も選択」 63%"  という数字である。この数字をどう解釈したらいいのか、判断に迷う。

この数字が出てくる元になった設問が、「裁判員になった場合、死刑に相当すると思えば死刑を選択するか」という文言のようだというのが、ひっかかる。これって、かなり誘導尋問ぽいではないか。「死刑に相当すると思えば」という前提が示されているのだから、そりゃ、死刑を「選択する」という解答が 6割を越すというのも当然だろう。

問題は、裁判員自身が「死刑に相当すると判断できるかどうか、微妙なケース」においてどう判断するかであり、さらに言えば「死刑制度に賛成かどうか」という前提的な問題もあるだろう。それを考慮しない設問に対する回答なのだから、あまり信頼する気になれない。

このように、意識調査の結果なんて、恣意的な操作がかなり可能なのだ。この調査結果から、讀賣新聞は死刑制度存続派なのだなと想像しても間違いないだろうと思う。

ただ、"これまでの刑事裁判の判決については、「適切だと感じたことが多い」は 34%にとどまり、「軽すぎる」が 50%、「重すぎる」は4%だった"とあることから、世論は、既存の判決について割り切れない思いを抱いているということもあるようなのだ。端的に言えば、「なんで、死刑にならないんだ !?」 と思ってしまうようなことが、これまでにもあったのだろう。

讀賣新聞の姿勢は、世間のこうした思いに迎合しているとみることもできる。さらに興味深いのは、裁判員制度に関する意識の変化である。以下に記事を引用する。

5月 21日から始まる裁判員制度によって、刑事裁判が 「良くなる」 と思う人は 48%で、前回 2006年 12月の 53%からは減った。ただ、今回も 「悪くなる」 27%(前回 23%)を大きく上回り、世論は裁判員制度が始まることを前向きに評価した。

つまり、世論は裁判員制度を比較的歓迎しているようなのである。そのくせ、自分が裁判員になるかもしれないということに関しては、かなり腰が引けている。"裁判員として裁判に 「参加したい」 と思う人は 18%(同 20%)にとどまり、「参加したくない」は 79%(同75%)だった。ほぼ 8割の人が、「自分が裁判員になるのは、勘弁してもらいたい」と思っているわけだ。

つまり、世間の意識はかなり混乱しているのである。既存の判決については、「軽すぎる」 と思っている。つまり、無期懲役なんていう判決が出ると「そりゃ、ないよ。死刑になって当然だろう!」なんていきどおったりするのである。だから「俺が裁判員なら、死刑にするぞ」と思ってしまったりする。

そして、こうした「庶民感覚」が反映されれば、刑事裁判はもっと納得できるものになるだろうと思っている人が半数以上いる。そのくせ、現実問題としては、自分では裁判員にはなりたくない。

つまり、勝手なことばかり言っているわけである。庶民というのはそうしたものだと言ってしまえばそれまでだが、要するに、文句は言うけど、自分は当事者として係わりたくないということなのだ。

私なんか「何でも見てみたい」と思っているので、裁判員に選ばれたりしたら「どんと来い!」みたいに思ってしまうだろうが、そういうのは少数派のようなのだ。

ところが、これとはかなり様相の違う調査結果も報告されている。川口商工会議所が 3月にネット・ユーザーを対象に実施したものだ (参照)。主な項目の結果は以下のようになっている。

裁判員制度への賛否は、「分からない」 39%、「賛成」  28%、「反対」 29%。
裁判に 「積極的に参加したい」 21%、「参加したい」 30%、「参加したくない」 34%、
(「分からない」 と 「その他」 が 15%)

このネット・ユーザー対象の調査だと、 「積極的に参加したい」と「参加したい」を合わせると、51%と、過半数になる。「参加したくない」というのは 3分の 1でしかない。ネット・ユーザーは、世間一般より好奇心が旺盛のようなのだ。私みたいなタイプが多いのかもしれない。

それにしても、意識調査なんていうのは、調査対象と設問の作り方によって、結果はどうでも変えられるということのようなのである。

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2009年5月 6日

日本のマスクスタイルが世界に広まる?

私の中では非常に個人的に「トンプルエンザ」という略称になっている(参照)例の病気が、非常に政治的な配慮で「新型インフルエンザ」と呼ばれるようになったのだそうだ。

しかし、これより新しいインフルエンザが出現したら、どうするのだろう。結局「H1N1 型インフルエンザ」に落ち着くんだろうなあ。

この「H1N1」の流行で、にわかに注目を集めているのが、「マスク」である。ただ英語で "mask" と言ってしまうと 「仮面」 というイメージが強いので、日本人が普通に言うところの「マスク」は、"surgical mask"(医療用マスク)と言わないとよく通じなかったりする。

で、朝日新聞じゃないけれど「言葉のチカラ」とはおそろしいもので、"surgical mask" と言い習わしてしまうと、それは本当に「医療用」というイメージが染みついてしまい、普通の人が普通に着用するものじゃないということになってしまうのだ。

MSN産経ニュースに "【新型インフル】「マスクは日本人だけ」 中部空港に帰国の観光客" という記事を見つけて、ちょっと笑ってしまった。(以下引用)

新型インフルエンザ感染確認国からの帰国客らにはマスク姿が目立ったが、「現地では警戒心が思ったより薄く、マスクをしていたのは日本人だけだった」と日本との "温度差" を指摘する声が多かった。

私としては「現地では警戒心が薄い」というわけでは決してないのだと思う。ただ、マスクをする習慣がないというだけのことなのだろう。だから、マスクを着けて街を歩く日本人の姿が、ちょっとだけ奇異に映ったのかもしれない。

昔読んだなだいなだ氏のエッセイに、このカルチャー・ギャップについて触れたものがあった。彼の夫人はフランス人で、日本の大学で講義をするために教室に入ったら、折しもインフルエンザ流行中のことだったので、多くの学生がマスクを着けていた。それを見た夫人は、怒ってすぐに教室から出てきてしまったという。

なだいなだ氏の夫人は、インフルエンザ流行中だからといって普通の人間が医療用マスクを着ける習慣のないフランスから来日したばかりだったのである。だから、多くの学生がマスクをしているのをみて、彼らが「あなたとは話をしたくない」と、理不尽にもコミュニケーション拒否の姿勢を露わにしているのだと誤解したのだった。

とまあ、ことほど左様に、普通の人が普通に医療用マスクを着けるのは、世界では普通のことではないみたいなのである。

ところが、今回の H1N1 の流行で、日本特有のマスクスタイルが、世界にも広まってしまいそうだと指摘した記事が見つかった。"Eight Surgical Masks to Survive Swine Flu in Style" (超訳 = 豚インフルエンザを切り抜ける 8つの医療用マスクがカッコイイ) というものだ。(以下、超訳にて引用)

突然の豚インフルエンザの流行で、メキシコシティから送られてくる映像は、マスクの着用が長い伝統となっている日本の東京などの都市を思わせるものだった。

そして、この記事を書いたスティーブ・リーベンスタイン記者は、日本から発信されたと見られる素敵な 8種類のマスクを紹介している。この 8種類のマスクがなかなか見ものなのだ。マスクの画像は元記事で見て頂くとして、日本語の説明としては、以下のようなことになる。

  • とっても魅力的なアニマル・マスク
  • 星のプリントのマスク
  • 吉田依子デザインのアート・マスク
  • 舞妓はんマスク
  • 毎日がハロウィーン・マスク
  • ゴスロリ・マスク
  • メンタル・デンタル・マスク
  • USBで風を送って暑苦しさを和らげるけど、決してクールには見えないマスク

そして、このファッション・マスクの源流は、あのマイケル・ジャクソンだとしているところが、「やっぱりね」と言いたくなってしまうところである。

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2009年5月 5日

『唯一郎句集』 レビュー #25

「病中吟」 と題されたかなりペシミスティックな 4句の後に、夏の光景の 3句が続く。健康を取り戻したようで、唯一郎特有の新感覚派的なシュールレアリズムも復活した。

旅に出るでもなく、特別の場面に遭遇するでもなく、目立った軋轢があるわけでもない。日常の中に小さな非日常が見出される。

世間一般の価値観とか意味付けとかを、何の疑いもなく受け入れる者には見えないものが、唯一郎の眼にはいつも見えていたのではないかと思う。当たり前以外のちょっとしたことは、ステロタイプな判断からは切り捨てられる。唯一郎の注目していたのは、その切り捨てられがちの、一見無意味な感慨だったのだろうと思う。

この一見無意味な現象の中に何を見出すのか。唯一郎の場合は、どちらかといえばペシミスティックなあわれさとか、哀しみのようなものだったようだ。ただ、そこに耽溺したわけではなく、むしろ客観的に表現するところが、シュールレアリスティックな味わいになっている。

レビューを始めよう。

鼈甲縁の眼鏡を折々は曇らして訪ね來る夏朝かな

「夏朝」というのを何と読むべきか。「夏朝や」で始まる俳句もあるから、ここは素直に「なつあさ」と読んでおこう。辞書の見出し語には見つけにくいが、そういう季語なのだろう。唯一郎は自由律の俳人なのに、伝統的な季語が好きなようで、それについては前にも触れた。

ただ唯一郎のユニークなのは、「夏朝」という季語を、まるで輪郭のある実体的なもののように歌っているところだ。擬人化された「夏朝」が訪ねてくるというのである。

さわやかな夏の朝ならいいが、時々は眼鏡を曇らせるほどの湿度で、訪ね来る。昔「ミスター・サマータイム」という歌があったが、これは「夏朝じいさん」かもしれない。

遠景の夏雲がゆらゆら飛んでゆく地を這ふ毛虫

唯一郎が得意とする、意表をつくフラッシュバック効果。遠景と近景、天と地、飛ぶものと這うものの圧倒的な対称。

現代の映画の手法としても、うまく使えば斬新だ。これで、自分の見ている世界というもののかなりの部分が、有機的なまでに表現されてしまう。

真青な鶏頭に眼をとめて居る羅物の腰の圓さ

色づく前の青い鶏頭を、身を屈めて見ている女。「羅物」は「うすもの」と読む。

色づく前の鶏頭と、薄い生地の着物を通して感じられる成熟した腰の丸さ。これもまた、唯一郎得意とするフラッシュバック効果である。

かなり視覚的な 3句。今日はこれぎり。

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2009年5月 4日

『おくりびと』の聖地訪問

昨日の夜 10時頃に酒田に着いた。渋滞のピークを避けるために、敢えて午後 3時半頃にスタートし、一般道を辿って栃木県の真岡から高速道に乗った。

福島県の郡山から二本松まで 10km ほどの渋滞に巻き込まれたが、それ以外はかなりスムーズに走ることができたので助かった。

Crack_090504aそして、今朝 10時頃に、映画『おくりびと』で NK エージェント事務所として使われた旧割烹小幡に行ってきた。前にも書いたが、あの建物は私にはお馴染みなのだが、私が高校生の頃には既に廃墟じみた佇まいだったので、中に入ったことは一度もない。この度、映画のセットをそのまま復元して公開されたというので、これは行ってみなければと思ったのだ。

中心街である仲町から日和山公園に続く坂道を登り切る直前に、旧割烹小幡はあるのだが、坂道の下に 「NK エージェント」 と大書された看板の駐車場がある。NK エージェントは、もう酒田の企業となってしまったかのようである。そこに車を停めて坂道を上ると、見慣れた洋館風の建物が見えてくる。

Crack_090504bこの洋館風の建物の方が、映画では納棺士を派遣する NK エージェントの事務所となっている。旧割烹小幡のメインの建物はこの洋館風の右側の石段をちょっと上ったところにあって、洋館風はその昔ダンスホールかなんかに使われていたらしいのだが、私が酒田にいた頃に、既に使われなくなって廃墟のようになっていた。

右側の割烹の方が廃業してしまったのはいつのことだったか、全然記憶にない。今は NK エージェントの入り口になってしまっている。100円の入場料を払いここから入って、左側の洋館風に行く。階段を下りると、映画でお馴染みになった、あの NK エージェントの事務所だ。棺桶も三つ、ちゃんと置かれている。

小林大悟の弾いた (のと同じものかどうかは知らないが) チェロもちゃんとある。試しに弾かせてもらったが、これがなかなか難しい。私はギターなら弾けるから、ピチカートでは OK だが、弓で弾こうとするとまともな音にならない。よほど強くこすらないと音にならないのだ。

Crack_090504c何事も、やってみないとわからないものだ。主演の本木雅弘さんは、よほど練習したのだろう。音は吹き替えでも、指の動きはしっかりと弾いているように見えた。立派なものである。

3階は、山崎努さん演じる NK エージェント社長の部屋である。小林大悟が納棺士を辞めようとした時に食わされて、辞意がうやむやになったフグの白子も、ちゃんとある。食べたくなったが、いくら何でも作り物だろう。

というわけで、今、酒田は 『おくりびと』 と、5月下旬から始まる酒田祭りで盛り上がっている。この NK エージェントが、長く保存されるように願いたい。

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2009年5月 3日

『唯一郎句集』 レビュー #24

今日は午後に車で酒田に向かう。出発を前にして、新しいネタ探しをするのも疲れるから、日曜でもあるし、『唯一郎句集』 のレビューをしてみたい。

今回は「病中吟」と題された 4句である。何の病気かはわからないが、春先に具合が悪くて寝込んだ時の句のようだ。

唯一郎という俳人は、写真でみてもほっそりとして、やや華奢な体のつくりである。少なくともあまり頑丈そうには見えない。肺病病みの文士というほどのステロタイプのイメージではないが、いかにも大正末期の文学青年という感じがする。

私も、今は頑丈そのものだが、子どもの頃は華奢でひ弱だった。よく腹をこわして小学校を休んだ。血筋なのかもしれない。しかし血筋なんて恐れることもない。中学校に入ったらとたんに丈夫になって、無欠席になった。高校に入ってからはサボりを覚えたが、病気で休んだことはない。

肉体的に受け継いだ血筋は、小学校で卒業したが、文芸的才能の方はどうなのだろう。和歌ログなんてことを続けてはいるが、もう少し身を入れて作歌しないと、祖父に恥ずかしいかもしれない。

話が横道にそれかかった。本筋に戻して、さっそくレビューに入ろう。

發汗の春の夜明けはくらしさびしき此の人と人とのつながり

春の夜明けに寝床の中で発汗に体をぐっしょりと濡らしながら目が覚める。苦しい思いは自分だけで、家人は安らかに眠っている。

朦朧とした中で、自分一人と向き合っている。くらしとは、人と人とのつながりとは、この程度のさびしいものなのか。熱のせいでこんな愚にもつかないことを思うのか。それとも、人生とは本当にさびしいものなのか。

春の夜明け特有の、しかも熱に浮かされたための気の迷いであればいいのだが、心の底では、春の夜明けに限らず、また熱のある時に限らず、そんな漠然とした思いを抱いているようにも思える。

心の底の思いが、急に表面に浮かんできたような気がする。だからと言って、ことさらに悲しいわけでもない。ただ熱に耐えるように、淡々と淋しさに耐える自分がいる。

じつとして母の炊事の音聞いている我がむらぎもも病める如し

布団の中で熱の苦しさに耐えていると、母の炊事の音が聞こえる。その音にじっとして聞き入っている。聞き入る以外に何もできない。

「むらぎも」 とは 「群肝」 で、群がった肝、つまり五臓六腑のこと。体の中の五臓六腑が病んでいるような気がする。せっかく作ってくれた朝食も、食欲が進まず、食べられないだろう。心苦しい。

悲しいとかいう主観的な気持ちではない。ただ 「病める如し」 という客観的心境である。それだから、ただじっとして聞いているほかない。

鎮痛のくすりに目をつむるあはれや春の夜風

鎮痛剤を処方され、しばし意識が遠のく。眠気が襲う。目をつむっていると春の夜風の音が急に大きくなったように聞こえる。

春の夜風が吹いているだけなのだが、ぼんやりとした意識の中で、それはとても不思議な音になる。日常的な意識から日常的な感性をカットすると、残るのは唯一郎特有のややペシミスティックな部分。単なる夜風の音がかなり哀れに聞こえる。

いちめん舞ひ上る屋根の陽炎にどうしたのか涙が出て来る

二日目の朝になってもまだ病が癒えず、寝床に横たわっている。窓の外に見えるのは、隣家の屋根。夜来の雨が春の日に暖められて、陽炎になっている。

外の世界は、春の日に照らされて明るい。しかし自分は病を得て寝ている。その自分の視界の中で、世界は頼りなげに揺れる。

世界はこんなにも明るいのに、どうしてこんなにも頼りなくはかなげなのか。不思議だ。悲しくもないのに涙が流れる。

大正末期から昭和初期の雰囲気が感じられる。日本は一見明るくもはかなげだった。本日はこれぎり。

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2009年5月 2日

明日の帰郷は、高速道を使うべきか否か

母の命日は 5月 10日なのだが、三回忌を 5月 5日に執り行うことになっている。父としては「連休の方が帰郷しやすいだろう」と思って決めたことのようだ。

その配慮はありがたいが、知っての通り高速道路は大渋滞の様相で、明日に帰郷予定の私としては、かなり悩んでしまっている。

妻の方の都合もあって、明日の出発は午後になりそうなのだが、いっそのこと夕方近くにしてしまおうかと思っている。そうすれば、下りの渋滞のピークは越えているだろう。あるいは、首都圏を抜けるまでは一般道を通っていく方がいいかもしれない。

そして、帰りは 5日の法事が終わってから夕方頃の出発となる。翌日に仕事があって、どうしても 5日中には帰宅しておく必要がある。翌日の仕事は寝ぼけまなこになるかもしれないが、仕方がない。

実は、私は高速道を通らなくてもすむ抜け道をいくつか知っている。母が亡くなる前、付ききりで介護をする父の応援で、2ヶ月に 1度は帰郷していたので、帰郷の度に高い高速料金を支払うのに抵抗があったのと、一般道を通る方が風情があるので、近道、抜け道はかなり熟知してしまったのだ。

で、この度の「1000円で高速乗り放題」ということになって、高い高速料金というマイナス要因はなくなったものの、その代わりに猛烈な渋滞というマイナス要因が出現した。この渋滞をどの程度避けられるかが、「だったら、一般道の方がいいや」という選択に走るかどうかの分かれ道となる。

で、それは走ってみないとわからないのである。ということは、今取り越し苦労をしても始まらないということだ。そうした場合の私は、かなり楽天的である。とりあえずは行き当たりばったりで出発して、ラジオの渋滞情報を耳をとがらせながら経路の選択をすればいいのだから、そうするだけの話だ。

どんなことになったかは、酒田に着いてからこのブログで報告したい。

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2009年5月 1日

今年は閏 5月があるので

いやはや、早いもので、今日からもう 5月である。明日は八十八夜で、5日は立夏。わけのわからないうちに、初夏になってしまう。

旧暦では今日は 4月 7日で、このところ、旧暦と新暦の差が 1ヶ月ない。なんとなく 1ヶ月半ぐらいの差があるのが普通というイメージなので、今のところは差が極端に小さい。

日本の季節感は、新暦より旧暦の方がより実感的に反映する。そして、新暦旧暦の差が 1ヶ月を切っているということは、今のところの季節の移りは早いんじゃなかろうか。移行期の春は、暖冬の帳尻合わせで季節感が行ったり来たりして混乱状態だったが、多分夏は早いだろう。

その上、今年は閏(うるう)月の年で、旧暦では 5月が 2度ある。新暦の 6月 23日から 7月 21日の、ほぼ 2ヶ月間、旧暦ではずっと 5月(5月と閏 5月)なのである。旧暦が進みすぎなので、閏月を入れて調整するのだ。この帳尻合わせで、旧暦の季節感が維持される。

旧暦 5月といえば、梅雨の時期である。五月雨というのは、元々梅雨時の雨のことで、五月晴れとは、本来梅雨時の晴れ間のことを言う。近頃では新暦 5月、つまり初夏の晴れ渡った天気のことを五月晴れというようだが、それなら「ごがつばれ」と言ってもらいたいと、私は思っている。

話が飛びかかったが、今年、旧暦 5月が 2度あるということは、五月雨、つまり梅雨も長引きそうだということだ。旧暦の閏月というのは、単に暦の上の帳尻合わせに過ぎないように思えるが、実はきちんとした計算のもとに設定されていて、不思議に実際の季節感とよく連動する。

夏に閏月のある年は猛暑で、冬に閏月のある年は厳冬だったりする。3年前に閏 7月があった時は、新暦 7月 (旧暦 6月頃で、つまり梅雨時) は長雨で日照不足だったが、8月以後(つまり旧暦 7月以後)に急に暑さが厳しくなり、それが延々と続いた。旧暦 7月がいつもの倍あったのだから、秋の深まりが遅れてしまったのもしょうがない。

今年の 7月までの関東甲信越地方の季節予報をみると、気温は高めの確率が 40%、平年並みが 30%となっている。合計 70%で、平年並みか高めになる可能性が高いということだ。そして降水量はおおむね平年並みとなっている。

ところが、気象庁の 3ヶ月予想は外れることの方が多い。実際にはその時になってみないとわからない。旧暦季節感による予想では、夏は早く来て、梅雨が長引くということになるが、さて、答えはどう出るか。

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