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2009年5月25日

コミットメント経営の時代の終わり

近頃「コミットメント経営の時代は終わった」と言われる。だが私に言わせれば、「今頃そんなことを言うのは遅いよ」ということだ。

念のため説明しておくと、「コミットメント経営」とは、日本語で「必達目標経営」などとも言われて、日産のカルロス・ゴーン社長がこれを積極的に経営に取り入れて成功した。

ところが、そのカルロス・ゴーン社長が、既に昨年からこの経営手法の軌道修正を明らかにしているのだ。1年以上前の記事だが、「日経ものづくり」の「日産ゴーン社長がコミットメント経営をやめた背景」という記事から引用しよう。

ご存じの通り,コミットメント経営では,数値目標をはっきりと打ち出し,誰が責任を負うかを明確にしながら仕事を進め,目標達成に導く。達成すれば高い報酬が与えられ,未達なら厳しく責任を問われる。この方法で日産の経営危機を救った同氏は,産業界やマスコミからカリスマ的な経営者と讃えられることになった。

だが,本誌2007年9月号特集「持続なき復活─日産車の現場に灯る黄信号」でも指摘したように,倒産の危機から脱した同社が成長軌道へ進むべき段階になると,次第にこのコミットメント経営には「副作用」が生じるようになった。いや,サプライヤーを含めた同社のクルマづくりの現場を走り回って得た感想をここで正直に述べさせてもらうなら,「弊害」と表現した方が正しいと思う。

この記事では、コミットメント経営の最大の弊害は「情報が上に伝わらない」ということを挙げている。「衰退に向かう会社の共通点は,現場の情報に上が耳を貸さなくなること」というのは、よく言われることだ。

ガチガチのコミットメント経営をしている企業では、下からの率直な声は、単なる「不平・不満」「上層部批判」「言い訳」としてしか受け取られなくなる。そりゃそうだ、そうした声にいちいち耳を傾けていたら、期初に設定した目標が達成できなくなる。耳を傾けずにがむしゃらに進むからこそ、辛うじて目標が達成できるのだ。

しかし、そうした経営手法を続けると、下からの声を聞かないということが企業風土になってしまう。最も重要なヒントは現場にあるのだが、それを無視して数字ばかりを追うと、後で必ず手痛いしっぺ返しを食う。

ここで、「コミットメント」と「ノルマ」とはどう違うのかということについて触れよう。「同じようなものじゃないか」という疑問に対して、コミットメント経営推進論者は、常に「似ているようで、全然違う」と答えてきた。

ノルマは上から押しつけられた目標で、コミットメントは自ら「宣言」として発する目標だというのである。だから、コミットメントを達成すればそこには大きな「働く喜び」があり、働くものを引っ張ってくれるのだという。

これが幻想に過ぎないことは、既に明らかになった。「自ら宣言するコミットメント」といっても、実体は「そう宣言せざるを得ない雰囲気」が、上から押しつけられているのである。消極的な目標を宣言しようものなら、「やる気がない」として上から叩かれる。叩かれないまでも、ちっとも評価されない。

コミットメントというのは、自ら宣言したものという建前になっているだけ、始末が悪いのである。達成できればいいが、できなかったら会社の責任ではなく、現場の責任になってしまう。無理矢理宣言させられて、責任ばかりが押しつけられるのだ。

2009年度 3月期で、国内自動車メーカーとして唯一黒字を確保したホンダの福井社長は、片山修氏の取材に応えて、コミットメント経営の弊害を、以下のように、もっと端的に言い表している(参照)。

トップが数値目標を掲げてイケイケドンドン式に推し進める経営は、1、2年の短期的な対応としてはいいのかもしれません。しかし、その後に必ずリバウンドがきます。

(中略)

短期的には効果があるかもしれませんが、続くわけがない。息が切れて落ちていきます。数字をクリアすることに集中してしまうと、結局、お客さまの信頼を損なうことになってしまいます。

リバウンドで「息切れ」してしまうのは、要するに現場である。コミットメント経営論者が言うような「働く喜び」どころではない。「働く苦しみ」になってしまうのだ。

それで、現場は苦し紛れの操作に操作を重ねた数字をはじき出すようになる。実質的には何の足しにもならないどころか、そんなことに時間をかけるので生産性が落ちてしまうだけの、見かけ上の数字を追うようになる。現場というのは、必ずそうなるものなのだ。

また、コミットメント経営では、掲げる目標が前期より低くなるわけがない。必ずより高い目標が掲げられる。そうなると、要するに 「市場動向無視」になる。また、市場の規模はある程度決まっているのだから、その中で業績を上げようとすれば、見かけ上の数字操作とともに、なりふり構わず他社のシェアを奪うという方策に及ぶ。

他社のシェアを奪うことに汲々とすると、一時的に自社の業績は上がるかもしれないが、市場全体としては活気がなくなる。というか、嫌なムードに包まれる。そうなると、その市場は「凋落市場」になってしまう。つまり「働く喜び」だけでなく、顧客の「買う喜び」までそがれてしまう。

コミットメント経営のあまり言われていない弊害は、実はここにある。企業の都合が前面に出た強引なマーケティングが、市場や商品そのものの魅力を奪うのだ。

市場と商品の魅力を維持するために、数字以上に大切なものを見据える経営が、今は求められているのである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

>近頃 「コミットメント経営の時代は終わった」 と言われる。だが私に言わせれば、「今頃そんなことを言うのは遅いよ」 ということだ。

まさにその通りです。私はその弊害を目の当たりにしてきました。ある大手電機メーカーの系列会社ですが、期初にキックオフ大会を大々的にやります。そこで各部所目標額を宣言させますが、それは前期の3倍くらいのとてつもない金額です。宣言するほうも達成不可能は当然承知ですが、前期の10%増の現実的な目標額を言おうものなら支社長から“やる気がない”と詰問されます。前期の3倍の目標額を宣言すると支社長はご機嫌なのです。

短期で実績を上げた社長は親会社の評価も高く本人も満足だったようですが、後に残ったものは、伝票の不正操作、人心の荒廃、顧客サービスの低下などひどいものでした。以上全て五年以上前の話です。

その親会社は嘗ては理系文系とも大学生の就職希望ナンバーワンを誇っていましたが今は見る影もありません。

この時代にまだコミットメント経営をやってる企業は社会から退場宣告されるだけでしょう。

投稿: 偽浜っ子 | 2009年5月25日 23:57

なんかこの手の経営手法を見ると、旧ソ連の計画経済を想像します。
強制的な目標設定、達成不可能なため常時行われる数値の改ざん、人心の荒廃、硬直化する生産体制と末期の旧ソ連の状況に似ているのではないでしょうか?

結局一時的には効果はあっても、長期的視点から見てゆとりを持った経営の方が、利益は上がると言うことなんですかね?

投稿: 雪山男 | 2009年5月26日 08:42

偽浜っ子 さん:

>前期の10%増の現実的な目標額を言おうものなら支社長から“やる気がない”と詰問されます。前期の3倍の目標額を宣言すると支社長はご機嫌なのです。

これは、完全にビョーキですね。

>短期で実績を上げた社長は親会社の評価も高く本人も満足だったようですが、後に残ったものは、伝票の不正操作、人心の荒廃、顧客サービスの低下などひどいものでした。

そうなりますね。
現場が顧客でなく自分の都合 (というか、上の方の都合) だけで動くようになりますから、必ず反動が来ます。

そうした手法をとる管理職は、上の方から重宝がられますが、上の方もある程度わかっていて、その組織がガタガタになる寸前に、どこかに転勤させられます。

それで 「○○さんの通った跡には、ぺんぺん草も生えない」 なんて陰口を叩かれたりします。

5年も経てば、そろそろぺんぺん草ぐらいは生えてくる頃でしょうから、健闘を祈ります。

投稿: tak | 2009年5月26日 08:54

雪山男 さん:

>結局一時的には効果はあっても、長期的視点から見てゆとりを持った経営の方が、利益は上がると言うことなんですかね?

ある程度のゆとりは必要だと、私は思っています。
常に極限状況だと、簡単にこけます。

あの 「石橋を叩いても渡らない」と言われたトヨタが完全にこけたのは、販売台数で GM を抜きかけた時、つい 「世界一」 の称号獲得に目が眩んで、無理して生産設備増強をしてしまったからだと、私は思います。

常々、雑巾を堅く絞った状態の経営ですから、ダメージは骨身に応えるでしょうね。

投稿: tak | 2009年5月26日 09:00

目からうろこという感じです
確かに、これはおっしゃるとおり
まさに、富士通が失敗した、年俸制による能力評価方式と同じことになるわけですね。
短期的なものの積み重ねに長期があるといえるのですが、それが無理していると疲弊してだめになるわけですね。大変有意義な記事でした。ありがとうございます。

投稿: かさみん | 2009年5月26日 10:51

かさみん さん:

(「かさみん さん」 はおかしいかな? と思いつつ ^^;)

私は経営学を学んだ訳でもなんでもなくて、仕事のキャリアの中でちょっとだけマーケティングを勉強しただけですが、コミットメント経営というのは、弊害の方が多いと、確実に言えると思っています。

反論もあるかもしれませんが、現場視点では、喜んでやっている人はほとんどいませんね。

投稿: tak | 2009年5月26日 11:41

コミットメント経営にしても、成果主義にしても、利点はそれなりに多くあると思います。ただ、takさんの挙げられたような弊害を理解している経営者や各レベルの管理職がいて初めて理屈どおりに力を発揮するということでしょうね。ダメな組織にそのまま導入しても不毛だと。
短期的に成功しても長続きしないという現象の理由も、当初はたいへんな危機感を持ってまじめに取り組んだ組織が、ちょっと成功したことによってたちまち元のダメ組織に戻ったというのもあるかもしれません。抵抗勢力オヤジの逆襲というのもよくある話ですし。

投稿: きっしー | 2009年5月27日 10:34

きっしー さん:

>弊害を理解している経営者や各レベルの管理職がいて初めて理屈どおりに力を発揮するということでしょうね。

まさにその通りですね。

>ダメな組織にそのまま導入しても不毛だと。

下手なやり方をすると狂信的になりますから。

>短期的に成功しても長続きしないという現象の理由も、当初はたいへんな危機感を持ってまじめに取り組んだ組織が、ちょっと成功したことによってたちまち元のダメ組織に戻ったというのもあるかもしれません。

急成長がそんなに何年も続くわけがないんですが、「自分のとこだけは別」 なんて思って、そのまま突っ走ってしまうと、ふと気付いた時には、屍累々という様相になります。

>抵抗勢力オヤジの逆襲というのもよくある話ですし。

それもたまに聞きますね (^o^)

投稿: tak | 2009年5月27日 14:47

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