「二の腕」を巡る冒険
「二の腕」というのは、普通は上腕部、つまり肩から肘までの部分を言うのだとばかり思っていたが、結構混乱があるようだ。
二の腕を肘から手首までの部分だと思っている人が、世の中には少なからずいる。また、「二の腕って、上と下のどっちなの?」 なんて聞かれることもたまにあって、驚いてしまう。
試しに Goo 辞書で引いてみると、次のようにあって、またまた驚いた。(参照)
にのうで 【二の腕】
(1) 肩から肘(ひじ)までの間の部分。上膊(じようはく)部。
(2) 肘と手首との間の腕。[日葡]
「肩から肘まで」と「肘から手首まで」という相反する二つの語義が示されていて、後者は『日葡辞書』に拠っている。これは 1603-04年に、長崎で刊行された "Vocabulário da Língua do Japão" のことで、日本語をポルトガル語で説明した辞書である。Wikipedia には次のようにある (参照)。
室町時代~安土桃山時代における日本語の音韻体系、個々の語の発音・意味内容・用法、当時の動植物名、当時よく使用された語句、当時の生活風俗などを知ることができ、第一級の歴史的・文化的・言語学的資料である。
なるほど、言葉は常に移り変わるものだから、日本語使いの当事者の意識では既に忘却の彼方に消え失せているような要素が、日葡辞書には化石のように残っているというわけだ。そしてご丁寧にも、Goo 辞書で引くと、「一の腕」というのもあって、以下のように説明されている。
いちのうで 【一の腕】
肩から肘(ひじ)までの腕。[日葡]
日葡辞書にこうあるのだから、室町から安土桃山時代には、「二の腕」といえば、現代とは意味が違って肘から手首までの間を指したのであり、さらに肘から上は「一の腕」と呼ばれていたのだとみることが可能だ。
そして、「一の腕」は現在はほとんど死語化して、「二の腕」の方はいつの間にか肘から上の方ということに誤って伝えられ、今に至っているというのである。
しかし、これにも諸説ある。「一の腕/二の腕」 という言い方は、日葡辞書以外に見当たらないから、何かの間違いじゃないかというのだ。「語源由来辞典」の こちら のページは、その立場で書かれている。その論拠は、「『腕』とは元々 『肘から手首まで』を指した言葉なので、その場所を『二の腕』と呼ぶのは考え難い」 ということだ。
確かに、元々の日本語では「腕 (うで)」といえば肘から手首までのことを言う(参照)。じゃあ、肘から肩まではどうなるのかといえば、それは「かいな」(古語表記では 「かひな」)と言ったのだ(参照)。漢字にするとどっちも「腕」になるので、もともと混同しやすい言葉ではあった。
つまり、語源由来辞典の立場で言うと、元々「腕」と言っていた部位を、わざわざ「二の腕」というのは不自然で考えづらい。そして、元々は「かいな」と言っていた肘から肩までの部位を、「二の腕」と呼ぶようになったのではないかということだ。
私も、どちらかといえば、こちらの方が自然のように思うのだが、いかがなものだろう。
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コメント
うーん。こんな経緯があったとは…。
「脇の下」もよく考えると変な言葉なので語源が気になるところです(^^;
投稿: ぐすたふ | 2009年5月27日 18:53
ぐすたふ さん:
>「脇の下」もよく考えると変な言葉なので語源が気になるところです(^^;
本当ですね。
言われて初めて気が付きました。
投稿: tak | 2009年5月27日 20:45
初めて知りました。
takさんのブログを見ると、日本語が変化しているのがわかります。
ところで、相撲の「腕捻り」という技で使われる「かいな」は、腕全体と思っていたんですが、ひょっとすると現代で言うところの「二の腕」をひねると言うことなんでしょうか?
技の形からすると、二の腕をもってひねるんで「二の腕」の意味で使われているのか謎だ。
投稿: 雪山男 | 2009年5月28日 08:53
雪山男 さん:
>ところで、相撲の「腕捻り」という技で使われる「かいな」は、腕全体と思っていたんですが、ひょっとすると現代で言うところの「二の腕」をひねると言うことなんでしょうか?
う~む、どうなんでしょうね。
印象だけで言うんですが、相撲の世界では腕全体のことを 「かいな」 という傾向があるように思います。
腕力のことを 「かいなぢから」 と言ったりしますから、あれって、もしかしたら、広い意味での業界用語かもしれません。
上手を取られないように肘を張ることを 「かいなをかえす」 なんて言いますが、あれもいわく言い難いですね。
投稿: tak | 2009年5月28日 09:14