裁判員制度に関する意識調査
裁判員制度に関して讀賣新聞が実施した最新の意識調査結果が、5月 3日付の記事で発表された。(参照)
ここの調査結果は、なかなか興味深い。平均的には現行の裁判システムは結構不満なのだが、自分が裁判員になるのは御免被りたいということのようなのだ。
まずちょっと驚いたのが、この記事の大見出しにもなっている "裁判員になったら 「死刑も選択」 63%" という数字である。この数字をどう解釈したらいいのか、判断に迷う。
この数字が出てくる元になった設問が、「裁判員になった場合、死刑に相当すると思えば死刑を選択するか」という文言のようだというのが、ひっかかる。これって、かなり誘導尋問ぽいではないか。「死刑に相当すると思えば」という前提が示されているのだから、そりゃ、死刑を「選択する」という解答が 6割を越すというのも当然だろう。
問題は、裁判員自身が「死刑に相当すると判断できるかどうか、微妙なケース」においてどう判断するかであり、さらに言えば「死刑制度に賛成かどうか」という前提的な問題もあるだろう。それを考慮しない設問に対する回答なのだから、あまり信頼する気になれない。
このように、意識調査の結果なんて、恣意的な操作がかなり可能なのだ。この調査結果から、讀賣新聞は死刑制度存続派なのだなと想像しても間違いないだろうと思う。
ただ、"これまでの刑事裁判の判決については、「適切だと感じたことが多い」は 34%にとどまり、「軽すぎる」が 50%、「重すぎる」は4%だった"とあることから、世論は、既存の判決について割り切れない思いを抱いているということもあるようなのだ。端的に言えば、「なんで、死刑にならないんだ !?」 と思ってしまうようなことが、これまでにもあったのだろう。
讀賣新聞の姿勢は、世間のこうした思いに迎合しているとみることもできる。さらに興味深いのは、裁判員制度に関する意識の変化である。以下に記事を引用する。
5月 21日から始まる裁判員制度によって、刑事裁判が 「良くなる」 と思う人は 48%で、前回 2006年 12月の 53%からは減った。ただ、今回も 「悪くなる」 27%(前回 23%)を大きく上回り、世論は裁判員制度が始まることを前向きに評価した。
つまり、世論は裁判員制度を比較的歓迎しているようなのである。そのくせ、自分が裁判員になるかもしれないということに関しては、かなり腰が引けている。"裁判員として裁判に 「参加したい」 と思う人は 18%(同 20%)にとどまり、「参加したくない」は 79%(同75%)だった。ほぼ 8割の人が、「自分が裁判員になるのは、勘弁してもらいたい」と思っているわけだ。
つまり、世間の意識はかなり混乱しているのである。既存の判決については、「軽すぎる」 と思っている。つまり、無期懲役なんていう判決が出ると「そりゃ、ないよ。死刑になって当然だろう!」なんていきどおったりするのである。だから「俺が裁判員なら、死刑にするぞ」と思ってしまったりする。
そして、こうした「庶民感覚」が反映されれば、刑事裁判はもっと納得できるものになるだろうと思っている人が半数以上いる。そのくせ、現実問題としては、自分では裁判員にはなりたくない。
つまり、勝手なことばかり言っているわけである。庶民というのはそうしたものだと言ってしまえばそれまでだが、要するに、文句は言うけど、自分は当事者として係わりたくないということなのだ。
私なんか「何でも見てみたい」と思っているので、裁判員に選ばれたりしたら「どんと来い!」みたいに思ってしまうだろうが、そういうのは少数派のようなのだ。
ところが、これとはかなり様相の違う調査結果も報告されている。川口商工会議所が 3月にネット・ユーザーを対象に実施したものだ (参照)。主な項目の結果は以下のようになっている。
裁判員制度への賛否は、「分からない」 39%、「賛成」 28%、「反対」 29%。
裁判に 「積極的に参加したい」 21%、「参加したい」 30%、「参加したくない」 34%、
(「分からない」 と 「その他」 が 15%)
このネット・ユーザー対象の調査だと、 「積極的に参加したい」と「参加したい」を合わせると、51%と、過半数になる。「参加したくない」というのは 3分の 1でしかない。ネット・ユーザーは、世間一般より好奇心が旺盛のようなのだ。私みたいなタイプが多いのかもしれない。
それにしても、意識調査なんていうのは、調査対象と設問の作り方によって、結果はどうでも変えられるということのようなのである。
| 固定リンク
「ニュース」カテゴリの記事
- 常磐線の衝突炎上事故の、わけのわからなさ(2021.03.28)
- 新宿西口で「地下鉄入口に車突っ込む」というニュース(2021.03.13)
- 「コロナ禍での大学中退・休学」って数字の問題(2020.12.19)
- 首塚移転の日の地震が話題(2020.11.26)
- 若者相手の寸借詐欺は、今も多いようだ(2020.11.01)
コメント
私は定職が無いから (笑) 裁判員になってみてもいい
議論してみるのも面白そうだし(不真面目かな?)
ただ、私は死刑廃止論者です
そういう信条の人間は裁判員に指名されるのでしょうか? (笑)
投稿: alex99 | 2009年5月 7日 23:23
alex さん:
>私は定職が無いから (笑) 裁判員になってみてもいい
>議論してみるのも面白そうだし(不真面目かな?)
私も、裁判員になってみてもいいと思っていますが、議論したいというよりは、裁判の裏側をのぞいて、人間観察をしてみたいという気持ちの方が強いです。
>ただ、私は死刑廃止論者です
>そういう信条の人間は裁判員に指名されるのでしょうか? (笑)
そこまで身上調査はしないでしょうね。
そんなことしたら、「思想信条による差別だ」 と騒ぐ人が出てきそうです ^^;)
私は、死刑廃止論者ではありませんが、実際問題としては、無闇に死刑判決は出すべきじゃないと思っています。
10年に 1度ぐらい、ものすごい極悪犯罪かなんかで、死刑判決が出たら大ニュースになるぐらいのことでもいいんじゃないかと。
投稿: tak | 2009年5月 7日 23:51
>ただ、私は死刑廃止論者です
>そういう信条の人間は裁判員に指名されるのでしょうか? (笑)
そこまで身上調査はしないでしょうね。
そんなことしたら、「思想信条による差別だ」 と騒ぐ人が出てきそうです ^^;)
----
でも、資格審査の面接でも、廃止論者だと言うつもりです
その段階で、はねられるでしょうね
>私は、死刑廃止論者ではありませんが、実際問題としては、無闇に死刑判決は出すべきじゃないと思っています。
10年に 1度ぐらい、ものすごい極悪犯罪かなんかで、死刑判決が出たら大ニュースになるぐらいのことでもいいんじゃないかと。
ーーーー
同感ですね
それに公衆の面前での、冤罪を疑う余地のない極悪な凶悪犯罪ならと言う条件付きで、死刑判決もありかなと
ただそれでも、人間が人間に、死を与えるという事に私は抵抗があるのです
同じグラウンドで、人間を天国や地獄に峻別して送るというインチキを唱える宗教一般が大嫌いです
投稿: alex99 | 2009年5月 8日 00:39
alex さん:
>でも、資格審査の面接でも、廃止論者だと言うつもりです
>その段階で、はねられるでしょうね
それは、隠しておいて、とぼけて裁判員になってみてください。
臨んでなれるものでもありませんから、私ならチャンスは捨てません。
>同じグラウンドで、人間を天国や地獄に峻別して送るというインチキを唱える宗教一般が大嫌いです
宗教一般が、「人間を天国や地獄に峻別して送る」 と言っているわけではありませんので、そのあたりはよろしくお願いします。
投稿: tak | 2009年5月 8日 10:47
煉獄というのもありますね (笑)
「極楽」という言葉は、鳩摩羅什の造語らしいですね
彼は中国の人々に仏典を翻訳する際に、かなり意訳や自説を書き入れたらしい
無理も無いのですが
投稿: alex99 | 2009年5月 8日 11:51
私は一度関心のある事件の裁判を傍聴したことがあります。
(一応法学士なので。。。)
内容はかなりマニアックな内容の事案でしたが、裁判官、検察、弁護人ともちゃんと勉強をされており、それを専門にやっていた私たちも感心するようなやりとりがなされていました。(かなり専門的知識を必要とする点については、裁判官がいったん退廷して調べてから再開するということもありました。)
裁判員制度が導入されると、こういった点については検察や弁護人がきちんとわかりやすく伝えるのでしょうけども、当然裁判員も勉強しないといけないところがでるんだろうし、これに一般の人が耐えられるのか、というのはかなり疑問に思っています。
まあ、私はやる気はあるんですがね。今回はあたらなかったようで。。。くじ運がないなぁ
投稿: 雪山男 | 2009年5月 8日 18:34
裁判員については、個人的には参加したくないというのが正直な気持ちです。
与えられた証拠で必ず正しい判断が下せるという自信は自分にはありません。提示されるのは裁判員全員の理解力を考慮して整えられた証拠でしょうし。
被告側は、被告人に精神科通院歴があり、譫妄の副作用のある薬を当時服用していた、精神鑑定でも心神耗弱と判定されており近所でも奇行が目撃されていると主張し、検察側は別の精神鑑定を持ち出して、証拠の一部を隠滅しているので責任能力はあると主張する。
こんなケースで、有罪か無罪かを判定しろと言われても自分には無理です。
有罪の人を無罪にしてしまったり、無罪の人を有罪にしてしまう可能性は必ずあるわけで、いずれの場合も被告人か遺族側に負い目を負うことになります。与えられた証拠で精一杯の判断を下したのだと割り切ることは、自分にはできないと思います。
正視にたえない証拠写真を見せられる場合もあるそうですから、そのあたりも覚悟しておかないといけないでしょうね。
あと、数字は背景にある条件に注意しないとコロリとだまされてしまいますね。
ある年を境にある病気の患者数が急激に増えているので何か原因があるのかと思ったら、実は診断基準が変更されただけだったなんてこともありますし。
アンケートの質問や回答者抽出段階のバイアスも問題ですが、製品評価等におけるごまかしはそれ以上に深刻です。
通常ありえない好条件下での省エネ性能評価なんてほとんど詐欺に近いような…。
因みに、映画の宣伝バブルは自分の中では何年も前にはじけています。本当の大作が出てきたときにどうするつもりなんでしょ う (-.-
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1318464853
投稿: ぐすたふ | 2009年5月 8日 18:39
alex さん:
裁判員制度の話だったはずが、「極楽」とは鳩摩羅什の造語なりという話に飛ぶとは、すごい展開になりました ^^;)
投稿: tak | 2009年5月 8日 22:00
雪山男 さん:
>裁判員制度が導入されると、こういった点については検察や弁護人がきちんとわかりやすく伝えるのでしょうけども、当然裁判員も勉強しないといけないところがでるんだろうし、これに一般の人が耐えられるのか、というのはかなり疑問に思っています。
一般人の意識で裁判に参加するということこそが、求められているんだと思いますので、私はかなりのほほんとしています。
ただ、あまりにもボケボケだと、プロの裁判官の方がいらつくかもしれませんね。
投稿: tak | 2009年5月 8日 22:04
ぐすたふ さん:
>与えられた証拠で必ず正しい判断が下せるという自信は自分にはありません。提示されるのは裁判員全員の理解力を考慮して整えられた証拠でしょうし。
「100%正しい判断」 なんてものはあり得ませんので、そこは開き直るしかないと思っています。
プロの裁判官は、素人の裁判員をなんとか思い通りに操ろうとするでしょうが、中にはへそ曲がりがいるでしょうから、なかなかそうは問屋が卸さないでしょう。
そのあたりがどんな風に運ぶのか、興味津々です。
投稿: tak | 2009年5月 8日 22:09