『唯一郎句集』 レビュー #31
「酒田俳壇」時代」の章は、今日で終わりとなる 。4月 19日のレビューで、「酒田俳壇」というものについて、よくわからないと書いた。
「酒田地方紙か何かの文芸欄に載った作品なのではないかと思われる」 と書いておいたが、これまで読み落としていた巻末にちょっとした説明があるのを見つけた。
唯一郎の俳句同人、伊藤酉水子氏による 「編輯雑記」 というのが巻末にあり、そこには次のように書かれている。
「酒田俳壇時代」 は、たしか大正末期から昭和にかけて、酒田新聞の一面に、私と彼と二人の担当で地方の新人を探り出す意味に於て、全国的に海紅俳人の投句を求めて、「酒田俳壇」を儲けた時の作品を収録したものである。
「酒田新聞」という新聞は今はないが、当時、「全国的に海紅俳人の投句を求めて」地方新聞の一面を割いたというのは、なかなか希有壮大な企画を展開していたものである。それだけ、酒田という街が自由律俳句の世界で重要な地位を占めていたとみることもできる。
ちなみに『海紅』というのは、河東碧梧桐が創刊し、後に中塚一碧楼が継いだ自由律俳句の牙城ともいうべき俳誌である。この海紅派の新人発掘を、一地方紙上で試みていたというわけだ。
で、今回はこの「酒田俳壇」時代と分類されている最後の 5句をレビューする。
除夜ひとり居の炉辺にてひとみなに頭をたれゆく心
大晦日に炉辺に一人いる唯一郎。ラジオもない時代の庄内である。外は雪が舞うばかりだ。
炉辺にいて炭火の赤くなるのを眺めていると、ひとみなに頭をたれゆく心になるという。
中央俳壇に出ることをあきらめ、地方都市の印刷屋として生きていくことを決めた唯一郎のいつわらざる感慨だろう。市井の一員としての感慨を、俳人のスタイルで表現したというところか。
今年も強がりて暮す氣か元旦の薄暗い餅を焦す
酒田の雑煮は、丸餅を焼いて汁に入れる。そして元旦の朝、雑煮に入れる餅を焼くのは、酒田では家長の仕事である。
薄暗い中で餅を焼き始めると、若くして家長となった自分の境遇をどう思えばいいのか、まだ割り切れない気持ちになる。
「今年も強がりて暮らす気か」 というのは、自分に対して問いかけているのだろう。かなり自嘲的な問いだ。
「薄暗い餅を焦す」 としているところが、また意味深だ。いずれにしても庄内の元旦は初日の出を拝めることなどほとんどないのだが、冬の朝は本当に暗い。その中で、「餅を焼く」 というのではなく、「焦す」 と表現しているところに、心の中の静かな焦燥が感じられる。
吹雪にぬれた冬帽がだんだん乾いてゆくこの淋しさが妻にわからない
酒田の冬は地吹雪の季節である。地吹雪は下から吹き上げるから、傘は役に立たない。酒田の人は分厚い外套と冬帽で雪をしのいだ。
冬帽についた雪が、家の中では解けて、生地にしみ込んで帽子を濡らす。そしてそれがだんだんと乾いていく。
帽子の生地が乾いて行くにつれて、毛織物特有のちょっとした匂いが漂い、しっとりと濡れていた艶がなくなってかさかさになる。干からびてしまうような気さえする。
「この淋しさが妻にわからない」 と、唯一郎は嘆く。
女はリアリストである。時々ふと遠くを見るような目でわけのわからないことを考え込んでいる夫の頭の中など、どうでもいい。妻にとっては夫の文芸趣味など、役に立たない代物である。
山峡の朝霧に今し朴の花は濡れてあらん
唯一郎の妻 (私の祖母になるわけだが) は、酒田の街中ではなく、山に近い土地から嫁いできたようだ。妻の実家に近い山峡の、「朴の花」 を歌っている。
「朴」 は、辞書を引くと 「えのき 【▼榎/▼朴】」 と、「ほお 【▽朴/〈厚朴〉ホオノキの別名。】 と、二通りの語義が示される。和歌や俳句では、「ホオノキ」 という意味が使われることが一般的のようだ。木蓮のような大きな花の咲く木である。
今しも、ホオノハナは朝霧に濡れて光っているであろうと歌うのである。妻は酒田の街中に嫁いでくるべきではなかった。山里にいてこそ魅力的だったのではないかと、唯一郎は思っていたのかもしれない。
山添ひの妻の家の花桐の下にて野鳩に啼かれ
妻の実家の桐の花の咲いている下で、ふいに野鳩の鳴き声がして、少したじろいだ唯一郎。
山里育ちの自然な魅力の妻と、街場育ちの自分とのギャップを常に感じていたのかもしれない。
本日はこれぎり。
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