『唯一郎句集』 レビュー #33
『唯一郎句集」の中で "「群像」時代" という章の句のレビューを続ける。昨日は 6月頃の句を 3句レビューしたが、今回は七夕から初秋にかけての頃の句である。
酒田の七夕は月遅れで祝うから、7月ではなく 8月である。そこから萩の花の咲く頃までの 3句が、ページに並んでいる。
酒田に限らず、東北は季節の行事を月遅れで祝うことが一般的だ。雛祭りも端午の節句も、七夕もお盆も、月遅れである。その方が、本来の季節感に近い。とくに七夕は 7月 7日に祝うのでは、梅雨も明けないうちになってしまい、興醒めだ。本来なら旧暦で祝いたいぐらいのものである。
というわけで、酒田の七夕は新暦 8月 7日に祝うので、旧盆の直前である。まだまだ暑い盛りだが、夜はだんだん長くなっていると実感される頃だ。この頃になれば、昭和初期の庄内では、日が沈んでしまえば少しは迫り来る秋の気配も感じられただろう。
レビューに入る。
七夕の夜の灯は静かに蝉の抜け穴を照らしている
七夕の夜、家の中の明かりが庭に生える木の根元を照らしている。そこには、蝉の幼虫が地面から這い上がってきたときの小さな穴が、いくつもあいている。
穴の底までは光が入らない。見えるのは穴の入り口だけである。そこから続く地面の底には、地上の生活からはうかがい知れない虫たちの世界がある。
真夏の間はその穴から盛んに放出されていた熱気が、だんだんと冷めてくる。秋が近付いている。それでも、穴の底の虫の世界は消えるわけではない。それに、それは虫だけの世界なのかどうかも、本当はもわからないところがある。
七夕のあかつきよ竹林に身を没する父よ
七夕は本来、宵の口の行事である。一夜が明けてしまえば、昇り来る朝日に照らされて、七夕飾りの笹がむしろよそよそしく立つのが見える。
ふいに亡くなった父の姿を思い出す唯一郎。七夕飾りの笹を取るために、朝の竹林に入っていった父の後ろ姿である。思い出す父の背中は、竹林の中に埋もれて定かではない。それが悲しい。
もうすぐ盆が来る。
植え込みの萩がのびてゆくころから憂ひの利くまなことなり
七夕が過ぎると、植え込みの萩はまだ咲きはしないが、背丈が伸びて行く。心憂き立つ夏は、これで終わり。秋が迫っている。
盆が過ぎ、萩が咲けば秋の彼岸になる。この世ならぬものの季節になる。そこからこの世をみるのだから、唯一郎の目には憂いの色が浮かぶ。どうしても浮かんでしまうのだ。
本日はこれにて。
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