『唯一郎句集』 レビュー #34
『唯一郎句集』 のレビューをしようと思い立ってから半年近く、実際に句集の最初の句から初めて、5ヶ月近くが経った。
これまでは適当に拾い読みしてきただけなので、血のつながった祖父とはいえ、正直なところあまり身近には感じられなかったが、ここまでくるとかなり感じ方が変わってくる。
唯一郎の句に通奏低音のように常に流れ続けている 「哀しみ」が、自分の心の中にも埋もれていることを感じる。それは 「悲しみ」 では決してなく 「哀しみ」 というべきものだ。個別の現象にとりたてて悲しさを感じるのではなく、常にある哀しさである。
唯一郎は朗らかに大きな声で笑うことを、あまりしなかったのではないかと思う。私は基本的にはノー天気だが、それでも、ふと心のそれほど奥深くもないところに、唯一郎の哀しみに似たちょっとした塊まりがあるのを意識することがある。血とは濃いものだと思う。
今日は、たったの 2句である。
窮迫の日毎あほぐ一本の氷柱太りつづく
「窮迫」というほど唯一郎の家が貧していたわけでは決してない。むしろ余裕のある暮らし向きだったはずだ。
しかし、彼の父や質屋を営んでいた祖父の代までと比べれば、お大尽というような暮らし向きではなくなりつつあったのだろう。何よりも、唯一郎の性格がお大尽ではない。金の方から集まって来るというような生活ではなかっただろう。
決して右肩上がりではない暮らし向きの中で、軒下に垂れ下がる氷柱が日毎に大きくなって行く。
今の酒田の街中ではそんなに大きな氷柱を見ることがなくなったが、私が子どもの頃は大きな槍のようなのが軒から地面につながるほどになったりしたものだ。
ぽきんと折れば、解けきるまでは子どものおもちゃになるのだが、そんなこともせず、氷柱の太り続けるままにまかせて、毎日それを仰ぎ眺める唯一郎。
老骨の猿曳きがこの國の冬山へ唄ひかけてゆく
「猿曳き」とは「猿回し のこと。古来はおしなべて「猿曳き」と言ったようだ。
唯一郎があえて「猿曳き」という古風な言い方を選んだわけではなく、昭和初期の庄内では「猿曳き」という言葉が一般的で、「猿回し」に置き換わっていなかったのではないかと思う。私の実家の祖父母も「猿回し」という言葉は使わなかったと記憶する。
しかし、共通語の世界では「猿回し」という言葉が一般的になってきていることは、十分に意識していただろう。だから 「猿曳き」 という言葉にはある種の哀愁がこもる。
「老骨の猿曳き」となれば、その哀愁はますます濃いものになる。その「濃い哀愁」が、鉛のような雲の下の冬山を背景として、「風景」の中に溶け込んで行く。
唯一郎は人と積極的に交わろうとはしない。風景として眺めるのみである。
本日はこれぎり。
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