『唯一郎句集』 レビュー #36
『唯一郎句集』の中盤、「群像」時代の句のレビューを続ける。ページを追い、その順に沿って読んでいるのだが、どうも時系列が乱れているようだ。
季節も飛んだり戻ったりという印象で、編纂もなかなか大変だったのだろうと思うが、読む方もなかなか大変だ。
今回レビューする 3句も、1ページの中に秋(と思われるが、違うかもしれない)、夏、晩秋の順に並んでいる。とりあえず、レビューを始める。
百合を掘る一つ一つ浮んで來る男の顔
「百合を掘る」というので、秋の句だと思うのだが、もしかしたら違うのかもしれない。
百合は今でこそ花の美しさを愛づるものになったが、日本では古来食用としてきた。百合の根を雑煮に入れたりして食べるのである。今でも関西方面ではよく食べるようだが、庄内は上方文化を受け入れていたので、唯一郎も百合根を食べたのだろう。
百合の根はでこぼこで無骨である。一つ一つ掘るごとに、一人一人別の男の顔を想像してしまうのだろう。
八月が來る行々子啼くにまかして歩むなり
「行々子」は「ギョウギョウシ」 で、オオヨシキリの別称。レビュー #28 で、「はつきりと行々子の巣が見える六月の朝空」という句を紹介している。酒田の新井田川沿いの葭原に、多くのオオヨシキリが生息していたのだろう。
酒田の七月下旬。梅雨が明けて、夏本番となる。川原ではオオヨシキリが盛んに啼いている。その啼くに任せて川原の道を歩く。
「歩く」ではなく「歩む」というからには、どこか目的地があって歩いているのである。ゆったりとした散歩ではない。すたすたと歩いているのである。
夏の日射しが注がれる。しかしまだ、本当の暑さはこれからだ。暑さと啼き声とに微妙な距離感を覚えながら歩く季節。
冬近き渓に沿ひて行く猟人の口髭
季節は一足飛びに晩秋。庄内は平野とはいえ、山が近い。鳥海山や月山の麓には、山家の生活がある。
紅葉も終わり、木々も裸に近くなった谷間を、口髭を蓄えた猟人が行く。絵画のような風景である。
唯一郎の句に、自らの感傷から離れた風景描写が増えてくる。文人趣味、絵画趣味が顔を覗かせる。どこか老成を感じさせるが、まだ二十歳代の句である。
本日はこれにて。
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