再び「ガバナビリティ」について考える
親愛なる先輩 alex さんが、「ガバナビリティ」という言葉について書いておいでだ(参照)。
この言葉の意味が「統治能力」ではないということは、大分前に周知されてしまっていると思っていたのだが、国会議員は、まあ仕方ないとして、毎日新聞までがまだ素朴な間違いをしでかすというのは、驚きである。
alex さんの記事は、毎日新聞の社説で「ガバナビリティ」という言葉が誤って使われていることを指摘したものだ。リンクを辿ってみると、確かに 6月 6日付の「郵政トップ人事 統治能力がなさ過ぎる」という社説に、以下の記述が見つかった。
自民党に統治能力(ガバナビリティー)がなくなった、という指摘がある。
これは、やっぱり痛い。"Governability" という言葉が「統治能力」ではなく、その逆の「被統治能力」を指すということは、ジャーナリストとしては当然知っているべきことで、そんなことも知らずにエラソーに社説を書くなんて、ちょっと信じられないくらいである。もう一つ言えば、読点の入れ方もプロっぽくない。
実は、私は 4年以上も前に "「ガバナビリティ」 について考える" という記事を書いている。この言葉の使われ方について、ちょっとした考察をしたものだ。
改めて昨今のウェブの世界ではこの言葉がどんな風に使われているのかと思い、さっき「ガバナビリティ」という 1語のキーワードでググってみたら、私のその記事がトップにランクされているのを発見して、光栄に思うより先に、まず正真正銘びっくりした。
最も基本的なことを言えば、動詞の後に "-ability" が付く言葉というのは、そもそも受け身の意味なのである。これがわかっていないと、英語感覚が微妙に、あるいは大幅にずれる。Goo 辞書をみれば、ちゃんと次のように示されているので、よろしく (参照)。
-ability
suf. ((-ableで終わる形容詞から名詞を作る)) 「…されうること」の意
こっち(主体)が向こう(客体)に、ある方向性をもった働きかけをした際に、客体の方で、それにきちんと対応できる特質を備えているかどうかということを抽象的に語る場合に、とても便利な言葉なのだと思う。
つまり、"governability" と言えば、「統治する能力」ではなく、「統治される能力」であり、"reliability" の訳語は「信頼性」ということになっているが、より正確には 「信頼されうること」、あるいは「信頼されうる特質」なのである。
私は個人的には、"governability" をわかりやすく言えば、集団的な意味での「聞き分けの良さ」とか「なびきやすさ」といった意味だと思っている。
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コメント
なるほど~。英語に関わる仕事をしていながら、これについては意識的に考えたことがありませんでした。
そういえばusabilityも「使う能力」ではなくて「使いやすさ」ですもんね。食品のtraceability
だって、食品が追跡するわけじゃない(←恐い!)。
何か例外はないかな……。
すると「自民党にガバナビリティがなくなった」というのは、「手に負えなくなった」というくらいの意味でしょうか……間違ってはいないか?
投稿: 山辺響 | 2009年6月26日 13:46
「ガバナビリティ」の意味について、私も全く取り違えていました。
「-ability」の考え方は、覚えておくと本当にためになりますね。
山辺響さんの事例「自民党にガバナビリティがなくなった」ですが、「自民党では、いまや一年生議員も幹事長や派閥の親分のいうことを聞かなくなった。」ということですかね。(笑)
投稿: 雪山男 | 2009年6月26日 17:04
governabilityがなくなったからといって、governorを連れてくればそれで済むというわけでもあるまいに……。
って話がズレていく(笑)
投稿: 山辺響 | 2009年6月26日 17:19
初めて聞く言葉なのでちょっと調べてみました。
http://governability.wikispaces.com/What+is+Governability%3F?responseToken=0955a7e70a0348d240032ae3bcf0bc36f
ここの説明によると、「社会のニーズに応じて安定して政策を打ち出し統治していく能力」といった意味みたいです。
Governability is seen as consisting of three main components, a system-to-be-governed (SG), a governance system (GS), and the interactions between these two (GI).
なんていう説明もあまりした。
abiltyがついているので、普通に考えると確かに被統治者側のことを言っているように思えますけど、こんな意味になるんですね。
英語は難しいです…。
投稿: ぐすたふ | 2009年6月26日 18:19
あまりした→ありました です。
親指シフトで打ち込んでいるのでこの手の打ち間違いをときどきやってしまいます(-.-
投稿: ぐすたふ | 2009年6月26日 18:22
山辺響 さん:
>そういえばusabilityも「使う能力」ではなくて「使いやすさ」ですもんね。食品のtraceability
だって、食品が追跡するわけじゃない(←恐い!)。
この 2つの単語は、端的にわかりやすい例ですね。
>すると「自民党にガバナビリティがなくなった」というのは、「手に負えなくなった」というくらいの意味でしょうか……間違ってはいないか?
これはうまいかも (^o^)
投稿: tak | 2009年6月26日 22:39
雪山男 さん:
>山辺響さんの事例「自民党にガバナビリティがなくなった」ですが、「自民党では、いまや一年生議員も幹事長や派閥の親分のいうことを聞かなくなった。」ということですかね。(笑)
私の場合、最初に浮かんだのは、鳩山邦夫さんの顔でした (^o^)
投稿: tak | 2009年6月26日 22:42
山辺響 さん:
>governabilityがなくなったからといって、governorを連れてくればそれで済むというわけでもあるまいに……。
東国原さんの今回の発言は、案外シャレと受け取られずに、反感を買ってるみたいですね。
当人も、シャレと本音の皮膜の間で言っちゃったみたいだし。
投稿: tak | 2009年6月26日 22:44
ぐすたふ さん:
>ここの説明によると、「社会のニーズに応じて安定して政策を打ち出し統治していく能力」といった意味みたいです。
初っぱなに書いてあるのは、「意志決定と統治とを安定的かつ有効なものとする政治的かつ組織的素地」と訳したくなるようなことですね。
ちょっと小難しいけれど、うまく言えてると思います。
SG、GS, GI というのも、うまい説明ですね。
「鐘が鳴るのか撞木がなるか鐘と撞木の間が鳴る」なんていう意味深な俗謡を思い出しました。
投稿: tak | 2009年6月26日 23:03
面白い概念なのでネットでさらに用例を調べてみました。
ずばり the efficiency in government や good governance と言い換えている人がいる一方で、governability of fisheries のような使われ方もしているようです。
基本は「統治の有効性」という意味で、主に統治する側の能力について言う場合は governance effectiveness に近い意味になり、統治される側について言うときは「その集団(体制)が統治可能か」ということになるようですね。governable だとほとんどが後者の意味で使われている感じです。
>「鐘が鳴るのか撞木がなるか鐘と撞木の間が鳴る」なんていう意味深な俗謡を思い出しました。
統治者と被統治者の関係性をイメージした言葉のようで、まさにこういう感じですね。それにしてもこんなに哲学的な俗謡があるとは驚きです( ゚ ゚)
投稿: ぐすたふ | 2009年6月27日 12:19
ぐすたふ さん:
>基本は「統治の有効性」という意味で、主に統治する側の能力について言う場合は governance effectiveness に近い意味になり、統治される側について言うときは「その集団(体制)が統治可能か」ということになるようですね。governable だとほとんどが後者の意味で使われている感じです。
集団を governable な状態として抱えている場合は、「governability を持っている」 ということで、無政府状態の集団の上に、形だけ乗っかっている administration は、「governability を持っていない」 ということなんでしょうね。
Leadership を発揮するとかしないとかいう以前の、基本的な status をいうのだと思います。
投稿: tak | 2009年6月28日 18:25
何か引っ張ってしまってすいません。
>集団を governable な状態として抱えている場合は、「governability を持っている」ということで、無政府状態の集団の上に、形だけ乗っかっている administration は、「governability を持っていない」ということなんでしょうね。
>Leadership を発揮するとかしないとかいう以前の、基本的な status をいうのだと思います。
これが「後者」つまり、統治される側に主に問題があるというとらえ方の文脈でのgovernabilityの意味ですね。
ただ、最近は統治する側に問題ありという文脈で用いられることも多いようで(もちろん被統治者側に不安定な状況があるという前提ですが)、その場合は effective (and stable) governance とほぼ同じ意味になるようです。
実際、google で governability を検索すると、governance も一緒に引っかかってきて、同義語ないしかなり近い類義語という扱いになっていることがわかります。
http://www.tribuneindia.com/2005/20050814/spectrum/book5.htm
の見出しにも Telling apart governance from governability とあって、かなり紛らわしい言葉という認識のようですね。
こちらの文脈で用いられているときの定義についてはここがかなりわかりやすい説明をしていました。
http://74.125.153.132/search?q=cache:li7nmgHzdTwJ:www.oas.org/speeches/speech.asp%3FsCodigo%3D06-0183+governability+government&cd=71&hl=ja&ct=clnk(キャッシュです)
The concept of governability, in its most concise form, can be defined as “the ability of government to conduct the policy, actions, and affairs of the state.” By its strict definition, governability is related to its efficiency and effectiveness.
元々は後者の意味でしか使われていなかったものが、だんだん前者の意味にシフトしてきたということなのかもしれません。
ご指摘の「鐘が鳴るのか撞木が鳴るか」の典型的な例みたいですね。
この場合、政府が撞木なのか鐘なのかが興味深いところですが…。
投稿: ぐすたふ | 2009年6月29日 19:06
ぐすたふ さん:
興味深い実例の紹介、ありがとうございます。
>http://www.tribuneindia.com/2005/20050814/spectrum/book5.htm
>
>の見出しにも Telling apart governance from governability とあって、かなり紛らわしい言葉という認識のようですね。
「Governance と governability を分けて論じれば」 と、わざわざ見出しで断っているのですから、なるほど、一般には紛らわしい使われ方になっているようですね。
The first chapter argues that the crises of governance in India does not imply a crises of governability, which relates with resilience of democratic stability.
とあります。
第一章では、インドの政治的危機 (crises of governance) は、弾力的な民主政治の安定性とあいまって、ガバナビリティの危機を意味するものではない。
ということで、governance と gaovernability とをはっきり分けて考えるべきだとしています。
つまり、ことさらそう言わなければならないほどに、英語圏でも曖昧な使われ方が増えているということでしょうね。
>The concept of governability, in its most concise form, can be defined as “the ability of government to conduct the policy, actions, and affairs of the state.” By its strict definition, governability is related to its efficiency and effectiveness.
もっとも端的な決まり文句として言えば、governability のコンセプトは 「政府の基本政策、実行課題、政治的諸問題の遂行能力」 であり、厳密な定義では、「政治の実効性」 ということを言っているわけで、やっぱり、言葉の意味の変化、混乱はあるようですね。
元々、この言葉はそうした宿命をもっているとも言えそうです。
情報提供、ありがとうございました。
投稿: tak | 2009年6月29日 21:09
12/4の産経新聞の正論で、ガバナビリティが明らかに誤用されてますね。書き手の森本敏氏も、それをチェックできなかった産経も困ったものです。
一ヶ月前にも菅氏が報道ステーションにおいて同様の誤用をしてました。
“統治能力”だけなぜ英語で言いたがるのだろう。不思議です。
投稿: ハマッコー | 2009年12月 4日 10:04
ハマッコー さん:
>12/4の産経新聞の正論で、ガバナビリティが明らかに誤用されてますね。書き手の森本敏氏も、それをチェックできなかった産経も困ったものです。
ググってみたところ、「国家を揺るがす日米同盟の危機」という寄稿記事で、問題の箇所はこんなテキストでした。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091204/plc0912040306002-n1.htm
>国家が直面する危機感と国家のガバナビリティに欠ける政権運営は、国家の安全と国家主権を危うくする。
ガバナビリティという言葉の使い方以前に、「あれ?」と思いませんか?
言いたいことはわからないでもないですが、構成としては、正確さに欠けたかなりあいまいなテキストです。
解釈その1.
「国家が直面する危機感」 と 「国家のガバナビリティ」 とが、「政権運営」 に欠けていて、そうした「政権運営」 を主語として、その述語が 「国家の安全と国家主権を危うくする」 というものだとの解釈の場合、以下の問題がある。
そもそも 「国家のガバナビリティ」 が 「政権運営」 に欠けるというのはどういうことか、極めてあいまい。
もし本当に現状で 「国家のガバナビリティ」 が欠けているとしたら、政権交代して間もない現政権は直接的な責任を問われず、むしろ、長年にわたりその地位にあった前政権の責任と言う方が説得力がある。
もし 「現政権の統治能力」 という意味で使いたいのだとしたら、「国家のガバナビリティ」 という言い方をしてもらっては、わけがわからなくなる。
解釈その2.
「国家が直面する危機感」と 「国家のガバナビリティに欠ける政権運営」 を並列的な主語と捉えると、二番目の主語を省略しても意味は通らなければならないが、実際それをやってみると、
「国家が直面する危機感は、国家の安全と国家主権を危うくする」
という、わけのわからない文になる。
論理的な文章を書く場合には、「英語に翻訳しやすい文章」 を心がけると、名文になるかどうかは保証の限りではないですが、少なくとも 「意味の通る文章」 にはなります。
森本さんの上記の一文は、英語に訳しにくいですね。主語の特定からして、考えないといけません。
というわけで、森本敏さん、相当 「やっつけ仕事」 したなという印象です。
投稿: tak | 2009年12月 4日 12:00
多少、もやもやを感じながら正論を読んだわけですが、
もやもやの原因がわかりました。
これからはもやもやを感じたら、その原因がどこにあるのか、深く読んで突き止めるようにしてみます。
個人授業、ありがとうございました。
投稿: ハマッコー | 2009年12月 4日 16:14