『唯一郎句集』 レビュー #41
先週末は小樽に出張だったから、週末恒例の『唯一郎句集』のレビューが一度しかできなかった。今週は月曜日の 20日まで三連休だから、みっちりやれるかもしれない。
前回のレビューはは夏の盛りの句だったのに、今回は一足飛びに晩秋だ。この間の句はどこに行ってしまったのだろう。
なにしろ、唯一郎という俳人は句帳を持たず、作り捨てを旨としていたので、散逸してしまった句もたくさんあるのだろう。少なくとも、この年の晩夏から中秋にかけての句は残されていない。後世の者としてはもったいないことである。
とまあ、繰り言を言っても仕方がないから、レビューに入ろう。
十分間十一月の裸木と相對してちりし男
庄内の 11月は、晩秋というか、ほとんど初冬である。落葉樹はみな葉を落とし、裸木となる。それはある意味では潔いほどの姿である。
その潔い裸木と 10分間相対していたのは、多分唯一郎である。裸木の潔さに圧倒されたように、彼の心の中で散ってしまったものがある。
唯一郎は、決して自然の対称に打ち勝とうとはしない人間である。そして、さらに身を引いて、自らをも客観化してしまうところがある。
屋上の時雨の音よ家人らみな口をあけて飯を食ふ
「屋上」とあるが、大正から昭和初期の句なのだから、唯一郎の家に今で言う屋上があったわけではない。単に「屋根」 の意味である。ただ、「屋根」というより「屋上」という方が、唯一郎の気分に合ったのだろう。
夕食時の時雨の屋根を打つ音が聞こえる。晩秋の夕方、急な雨なので家の中は暗くなる。昭和初期の頃とて、電灯をつけても今のような明るさではない。
ちなみに、日本の伝統普及率が 87%に達したのが 1927年という記録があるから、この頃、唯一郎の家には電灯があったと思われる。ただ、夜になれば電灯を点せばいいという世の中になって、それほどの年数は経っていない頃だ。
時雨の音を聞きながら、ほの暗い家の中で家人が揃って黙々と食事をする。口を開けて、その口の暗闇の中に、飯が押し込まれていく。自分の家族なのに、何やら異様なもののような気もする。
十一月の月が明るうて帽子を脱いだりして行く落葉
庄内は 11月ともなるとそろそろ冬支度の時期なので、空も日本海側の冬特有の鉛色の雲が厚くなり始める。この時期の夜に空がたまたま晴れて満月が見えると、とても冴え冴えとしたイメージになる。
その冴え冴えとした明るさに誘われ、思わず帽子を脱いでみたくなる。この頃の男は、外出時には帽子をかぶるのが当たり前だったのだ。
自分が帽子を脱ぐと、辺りの木々も落葉して帽子を脱いだのと同じ姿になっている。
今回の 3句の初っぱなの句が、少しペシミスティックだったのに対して、この句は余裕が感じられる。月の明るさのせいだろうか。
本日はこれにて。
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