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2009年7月25日

『唯一郎句集』 レビュー #44

『唯一郎句集』 も 44回目となり、ついに最後の "「海紅」 時代" という章に入る。ただ、この章は長くて、句集の半分以上にわたる。

だから、レビューはまだ半分に漕ぎつけていない。このレビューシリーズの 4回目で 「100回ぐらいのシリーズになりそうだ」 と書いている (参照) が、どうやらそんな感じである。

「海紅」 は、河東碧梧桐が大正 4年に創刊した俳誌で、自由律俳句を大いにフィーチャーした。これを継いだのが中塚一碧楼で、彼が朝日俳壇の選者をつとめていたときに、唯一郎の投稿した俳句を大いに評価したのである。その縁で、唯一郎の句は 「海紅」 に多く収められているようなのだ。

句集の章立ては  "「海紅」 時代" となっているが、そうした意味で、これまでレビューした他の章と時期的には重なることがあるように思われる。だから、タイムマシンで時間を行き来ししているようなところもある。

とりあえず、今日は 「海紅」 時代の最初の 3句。

残雪に立ちわが家の夕暗に入り難し

「残雪」 というと、都会の人は遠くの山に残る雪だと思うかもしれないが、酒田においては、そこらじゅうに溶け残った雪である。除雪車がやってこない昭和初期においては、春先までそこらじゅうに雪があったはずだ。

残雪であるから、真っ白というわけでもない。土に汚れている。何やらもの悲しい雪である。夕暮れに帰ってきて、自宅の前の残雪に立ち、家に入りがたい気がしている。

「夕暗」 は、普通なら 「夕暮れ」 と書くが、暗い家の中の様子だから 「夕暗」 と表記したのだろう。家の中の異邦人である唯一郎。

夜の窓べりに残雪のそこら忘れず

夜の窓べりに座る唯一郎。暗い中に、うっすらと雪の白さが見える。前述の如く、真っ白というわけでもない残雪。

残雪の残る外の世界に心は飛ぶ。しかし、実際に飛び出すわけでもなく、窓べりに座ってじっと外を見ている。

風邪心地の蕪大いなる見し立てり

唯一郎は自由律とはいえ短歌より長い俳句を平気で作るかと思えば、このような省略しまくりの句も作る。

ただ、省略しまくりとはいえ、この句はまだ素直に辿れる。風邪心地で横になっていたが、大きな蕪 (かぶ) を見たら、つい床をたたんで立ってしまったということだろう。

ちなみに、庄内は蕪の産地で、藤沢蕪というのが一番有名だが、そのほかにもなかなか旨い蕪がとれる。日本中どこに行っても食べられないような、芳醇な味わいの蕪である。

蕪の大いなる生命力が、さりげなく読み込まれている。生命賛歌調にならないところが、唯一郎の句である。

今日はこれにて。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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