「謝るツボ」と「パーソナルエリア」
「教えて! Watch」というサイトに、「日本人は謝らない?」という質問があり、いろいろな人がいろいろな視点から答えている。
質問者は、米国に短期留学した際に、現地の学生数人から「日本人は道でぶつかったときに謝らない人が多い」と指摘され、それがとても気にかかったらしい。
ことさらに気に掛かった理由の一つは、出発前に「日本人はすぐ謝るからカモにされやすいと何度も聞き、実際そう信じていた」ということにあるようだが、この前提自体が間違いというか、説明不足というか、とても不十分なものというしかない。
問題は「謝るツボ」の違いにある。この点をきっちり認識しておかないと、文化摩擦になりかねない。私はこのことについて 3年ちょっと前に、その名も "「謝るツボ」 の違い" というタイトルで記事を書いている。
これは、例のシンドラーという外資系企業のエレベーターが日本で事故を起こした件で、シンドラー社の幹部が日本で行った記者会見での態度が、横柄だと受け止められたことに端を発して書いたものだ。要点を手短に引用すると、次のようなことになる。
西欧人というのは、とにかくよく謝る。道を歩いていて、ちょっと身体が触れただけで(ぶつかったというほどでもないのに)、すぐに謝る。かなりな衝撃でぶつかってもまず謝らない日本人とは、エライ違いだ。
ところが、このよく謝る西欧人は、交通事故など法律的な問題がからむことになると、とたんに謝らなくなる。"I'm sorry" と言ってしまったら、自分の非を認めたことになるから、急に慎重になるのだ。
要するに、彼らはちょっとしたことでは気軽に謝るが、重大問題ほど謝らないのである。
このあたりが、ちょっとしたこと(例えば、道で肩がぶつかったというようなこと)では全然知らんぷりをしているくせに、大きな問題になりそうだと、とにかく頭を下げまくればなんとかなると思っている日本人とは、正反対なのである。
まあ、いくら西欧人でも交通事故で自分の側に明確に非があるような場合は、初めから謝る方が誠意を感じさせて情状面で有利になるのは当然だが、その辺りが微妙な場合は、謝るよりは取り敢えず先に弁明を言い立てる。
前述のサイトの質問者は、中途半端な情報を仕入れたまま短期留学に行ったので、戸惑ったのである。本来ならば「ちょっとぶつかっちゃった程度なら、すぐにちゃんと謝るのがマナーです。しかし、大きな問題では決して軽はずみに謝っちゃいけません」と教わるべきだったのだ。
要するに、日常マナーと法的問題との落差である。一般的に西欧人は、法的問題は法律そのものに即して解決すべきだと考えている。できれば示談であいまいなまま穏便に済ませるのがいいと考えている日本人とは、かなり違うメンタリティだ。
法的に処理するとなると、当事者同士の「謝った、謝らない」の感情論は、かえって後腐れの種になる。とくに過剰な謝罪は、初めから罪を認めたという不利な立場に身を置くことになるから、すべきではないと思われている。
それにしても、前述のサイトの質問者は、「日本人はすぐ謝るからカモにされやすいと何度も聞き、実際そう信じていた」と言っているが、本当にそう信じていたとしたら驚きである。同じ日本人の私が、道を歩いていてかなりの勢いでぶつかられても、ぶつかってきた当人は謝りもせずに行ってしまうことに、しばしばむっと来るという経験をしているからだ。
これは多分、「パーソナルエリア」ということに関連していると思う。パーソナルエリアとは心理学の概念的空間で、自己と他を分けたときの、自分を中心とした範囲の事らしい。要するに、それ以上近づいてこられると圧迫感を感じてしまうという、自分の「縄張り」みたいな感覚の空間だ。
日本人はこのパーソナルエリアが西欧人より狭いらしい。つまり、「人混み強い」というか、芋洗いみたいな雑踏にでも、平気で突入できる感覚、よく言えば親密さ、悪く言えば図々しさをもっている。
例えば、日本人はこれ以上乗れないほどの満員電車にも平気で突入するが、西欧人の多くは、エレベーターに乗る時でも重量オーバーの警告音が鳴る前におそれをなしてしまい、無理に乗り込もうとはしない。
だから、混んだエレベーターに無理矢理乗り込んでくる日本人を、ちょっと図々しいと感じているフシがあるし、道を歩いてぶつかっても、一言も謝らずに無表情のまま去ってしまう日本人のことは、これはもう、相当に不作法だと思っているようだ。
ところが日本人は日本人で、平均的なパーソナルエリアが狭いので、ちょっとぶつかるぐらいはお互い様で、取り立てて言い立てるほどのことじゃないと思っている。ただでさえ忙しいんだから、いちいち謝ってなんかいられないということかもしれない。
ちなみに、私は図体がでかいせいか、パーソナルエリア感覚が平均的日本人より大きめに設定されているようで、人混みとか狭い店とかがかなり苦手だ。
例えば、コンビニ店内の狭い売場通路からレジのあるスペースに出ようとした瞬間に、若い女の子が来て通路に入ってこようとする。私の感覚では、私が通路から出るほんの 1秒ほどの間、その女の子は少しだけ待ってくれて、私が出てから進入するのが当然のマナーだと思っている。レディ・ファーストを当てはめるケースとは少し違う。
ところが、その女の子は全然どかない。ぶつからないためには、私が止まるしかなく、一瞬お見合い状態になる。すると、その女の子は私の体のそばを無理矢理にすり抜けて、いや、実際にはすり抜けきれずに、私の体に明確にぶつかって通路に進入する。
私はあっけにとられながら、「どうしてたった 1秒待てないかなあ」と嘆息する。西欧人は「日本人はぶつかっても謝らない」と驚くが、実際にはそれ以前のお話で、日本人は平気でぶつかってくるのである。そして、どうせ「お互い様」と思っているから、謝るという発想がない。
ドアの出入りの時、平均的な西欧人は先に出ようとする人を通すために、自分は明確に身をよけて待つ。それを見て日本人は、「西欧人って、すいぶん大げさによけるんだなあ」と、違和感を覚える。親切というよりは水くさいとまで思う。ところが、西欧人にとってみれば、そのくらい明確によけて待ってあげないと失礼になると感じている。
ちなみに西欧人のパーソナルエリアは、恋人や夫婦、そして自分の赤ちゃんに対しては急に狭くなると言われている。だから、恋人同士や夫婦は人前でも平気でべたべたするし、赤ちゃんとのスキンシップも重要視するらしい。
ところが、日本人は赤ちゃんに対するパーソナルエリアは、西欧人より広いと指摘されている。赤ちゃんだけでなく、恋人同士や夫婦でも、一般にはそれほど狭くならない。つまり、パーソナルエリアにめりはりがない。あるいは、他人でも家族でも同じ日本人だから、全部「お互い様」ということなのかもしれない。
ところが、外国人や、ちょっと変わった日本人に対してもついその癖が出るから、少し問題なのである。
ちなみに、City Walker 都市研 というサイトに、最近の日本人のパーソナルエリアが拡大傾向にあるという記事があり、その中に以下の記述がある。(参照)
これ (注: パーソナルエリアのこと) が近年広くなってきているため、満員電車で足を組んで座ったり、新聞を読んだりしても、周りに迷惑を掛けているという意識が薄く、逆に、周りの人は、自分のテリトリーが侵されているという意識が強いため、トラブルが起こるのである。
パーソナルエリアが広くなっているために、「満員電車で足を組んで座ったり、新聞を読んだりしても、周りに迷惑を掛けているという意識が薄く」なっているというのは多分誤解だ。パーソナルエリアが広かったら、わざわざ自分から無防備に他者との間合いを詰めるようなことはしない。逆に広い間合いを取ろうとして、身をよけるだろう。
満員電車で足を組んだり新聞を広げたりするのは、単に無神経な傲慢さからくるのである。
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