大雪山での命の重さ
大雪山の遭難事件については、既に多くのブログがいろいろのことを書いているし、さらに詳細な情報がこれから出てくるだろうから、この時点で私が不確かなことを書いてもしょうがないだろうと思う。
しかし、ことがことだけに、かなり心に引っかかるものがある。
まず、私がこれまであまりよく知らなかったこととして、中高年の登山ツァーというものが、結構人気があるということがあげられる。中高年の登山がブームとは知っていたが、そのためのツァーが人気ということまでは知らなかった。
私の知っている範囲では、海外は別として、国内の登山なんていうのは大抵、山岳会とか山岳サークルの仲間と一緒に登るか、登山仲間と登るか、単独行をするかのいずれかだったと思う。登山のためのツァーという発想はなかった。ところが今、「登山ツァー」 のキーワードでちょっとググっただけで、かなりのサイトがヒットする。
どうして国内登山のためのツァーが増えているかといえば、それはもう、中高年の登山者が増えたからだと思われる。若い頃から登山していれば、山岳会かサークルに所属するか、しなくても登山仲間と一緒や単独行で経験を積んでいて、計画から実行まで自前でまかなえる。ツァーに参加しようなんていう発想はあまりないだろう。
ところが、40歳を過ぎて低山歩きから始めたような登山者は、山岳会やサークルに所属していない場合が多い。ということは、経験を積んだ登山者と一緒のハードな山登りの経験も少ないだろう。なにしろ、レベルが違いすぎるから、ベテランと一緒になんて行動できない。
今回の遭難者にしても多くは還暦以上の年齢である。決して登山初心者ではないにしろ、その経験は 10年とか 15年とかいうのがほとんどだというだから、50歳前後から山歩きを始めたという人である。これだったら、経験 3年の 17歳の方がずっとましだ。
今回のニュースが最初に入ってきた段階では、風雨が強かったのにガイドが出発を決定したというので、「なんという無茶なガイドだ」と思ったものだが、よく聞いてみるとそれは行程の途中で、その日に出発しないと後から来るグループと一緒になって、山小屋が一杯になってしまうという事情もあり、午後からの天気回復を信じて出発したもののようだ。
こんな話を聞くと、つくづく「赤信号みんなで渡れば怖くない」というのはウソだとわかる。赤信号は、一人で自己責任で渡るから大丈夫なのである。付和雷同的にぞろぞろ渡ったら、危なくてしょうがない。私は 6年前にそのことについて書いている。(参照)
今日もそんな光景を目にした。秋葉原駅前で、一人が赤信号を渡ったのを見たグループが、左右を全く確かめずに、つられてぞろぞろ渡りだしたのである。そこにさしかかったトラック運転手は、引きつった顔で急ブレーキをかけていた。5~6人が轢かれても不思議じゃないケースだった。
もし私が同じ日に大雪山系に入っていたら、その日は迷わず出発を諦めて停滞を選択し、出発するグループ登山者を、無事を祈りつつ見送っていただろう。若い頃に山登りをしていた頃、私の登山の 9割は単独行だったし、山小屋嫌いのテント派だったから、無理をすることはない。
大自然を相手にする時は、臆病である方がいい。大胆になるのは、その瞬間に大胆さを発揮しなければ確実に死んでしまうという瞬間だけでいい。
20代の頃に朝日連峰を縦走した時も、2日目は雨風だったので、大朝日岳の直下で 1日停滞した。その日は起伏の緩やかな尾根道を歩けばいいだけだったのだが、せっかくの天上散歩を、何も見えない中で決行するのはもったいない。東北や北海道の懐深い山に入る時は、そのぐらいの日程的余裕を取らなければならない。
ところがツァーなどに参加してしまうと、「危ないなあ」と思いながらも付いていかざるを得ない。自由がないのである。そんなツァーに参加するのは、中年過ぎに登山を始めたために、大きな山に登ろうと思えばツァーに頼らざるを得ないからではなかろうか。
今回の大量遭難は、今後の登山ツァーに警鐘を発するという点で、大きな意味をもっている。決して無駄死にではないと思いたい。今後、同じような過ちを繰り返さないことで、彼らの命の重みに応えなければならない。
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コメント
パーティーという言葉の重みを誰も分かっていないのでしょうね。
「リーダーは絶対、パーティーは運命を共にする。」という風に高校の山岳部では習いました。
投稿: パパ | 2009年7月24日 17:33
パパ さん:
>パーティーという言葉の重みを誰も分かっていないのでしょうね。
>
>「リーダーは絶対、パーティーは運命を共にする。」という風に高校の山岳部では習いました。
「パーティという言葉の重さを知らずに、ツァーに参加してしまった」 ことによる結果として、「そのツァーは、『パーティ』 たり得ていなかった」 ということになるのでしょうか。
私自身は、単独行が多かったので、あまり 「パーティ」 ということは意識していませんでした。
自分のリーダーは、自分自身でしたので。
投稿: tak | 2009年7月25日 06:08