死刑の執行方法は、案外重要テーマ
「アゴラ」 に岡田克敏氏が 「処刑の方法」 という記事を書いておられる。まず前提となるのは、全世界で執行される年間
2,300件余の死刑のうち、1,700件余を占める死刑大国、中国が執行方法を変えるというニュースだ。北京市が年内に死刑執行方法を従来の銃殺から薬物注射に切り替えるのだそうだ。
中国の最高人民法院の考え方としては、「薬物注射が銃殺よりも清潔で安全、便利」ということのようだ。決して人道的配慮というわけではなく、死刑執行をより楽に行うための措置というところが、なかなか中国らしい気がする。
世界中で死刑制度そのものを廃止する国が増え、さらに死刑執行方法も、死刑囚の苦痛が軽減する薬物注射に移行する傾向にある中で、日本の死刑執行方法は、相変わらず絞首刑のままらしい。この国では、死刑廃止を求める声はあっても、現状の執行方法を変更するという議論はあまり聞いたことがない。
死刑制度を廃止せよという法律論議は、結論を出すのに時間がかかるだろうが、執行方法の変更という運用問題は少なくとも根本的な法改正よりは難しい問題ではないだろう。それなのに、あまりそれが論議のテーブルにのぼらないというのは、ある意味、興味深い話である。ちょっとした盲点だったかもしれない。
思うにこの国では、死刑というのは単に最も重い刑罰というよりは、「報復・復習」という観念が強いのではないかという気がするのである。「被害者が味わったと同じ苦しみを、お前も味わいやがれ!」 ということだ。もっといえば、被害者遺族の「気が済む・気が済まない」という次元の問題に関わるようにも思われる。
以前、光市母子殺人事件の裁判で、被害者遺族の本村氏が執拗に死刑を要求している問題で、私はそれに対して控えめな疑問を呈する記事を書いた。「気持ちはわかるが、私ならそうはしない」というトーンである。
ところがコメント欄に、「死刑は遺族のためにある」とか「死刑は遺族に代わって国家が復讐すること」などという意見が寄せられ、私は面食らってしまった。じゃあ、遺族に代わって国家が復讐すれば、それで本当に遺族は気が済むのだろうかと思ったのだ。
この件についてこれ以上論じると、またややこしくなるので、ここでは止めておく。ただ、以下の記事で結構詳細に論じてあるので、お暇があれば参照して頂きたい。
話を元に戻すが、死刑の意義として「報復・復讐」という要素が大きいと思われている社会においては、死刑囚の苦痛を減らすという人道的配慮は積極的賛同を得にくい。それは当然の話である。「人道から外れたやつに人道なんか必要ない」ということになる。
せっかく死刑になっても、人道的配慮の元に薬物注射で眠らされ、当人も知らないうちに楽に心肺停止にされてしまうというのでは、死刑の意味が半減してしまう。死刑囚が直接的な死の恐怖と苦痛に直面しないのでは、被害者遺族の気が済まないだろうから。
ということは、もし、わが国の死刑執行が死刑囚が恐怖も苦痛もまったく感じないものに変わってしまったら、死刑制度存続の意味がなくなってしまうような気がする。
死刑廃止論者は、まずその第一ステップとして、死刑執行方法を改めるという段階から始めたらどうだろうか。それが成功すれば、「そんなことならいっそ終身刑にして、死ぬまでずっと絶望的に臭いメシを食わせてやる」なんて空気が醸造されるかもしれない。
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コメント
私は、日本の死刑執行が銃殺だと初めて知りました。
うーん、執行人の方の抱えるストレスははかりしれませんね。
死刑の善し悪しについては私も触れません。
死刑囚に対する遺族の報復などを唱える方にとっては、死刑囚に人道的な扱いを求めるのはあまり効果はないかもしれませんが、執行人が受けるであろう心的ストレスについて訴えることにより、人道的な処刑方法へと移行するという話は成り立ちそうな気がします。
人の命を奪うという心的ストレスを特定の個人達に強いているというのはある意味で酷い話のような気がしますね。
投稿: きんめ | 2009年7月23日 13:47
きんめ さん:
えぇと、銃殺というのは中国の話で、日本では本文にあるように、ずっと絞首刑のようです。
(確認したわけではないですが)
絞首刑は重力に任せるので、銃殺よりは執行人のストレスはないでしょうけど、それでも後始末は大変でしょうね。
>執行人が受けるであろう心的ストレスについて訴えることにより、人道的な処刑方法へと移行するという話は成り立ちそうな気がします。
> 人の命を奪うという心的ストレスを特定の個人達に強いているというのはある意味で酷い話のような気がしますね。
それは確かに言えると思います。
投稿: tak | 2009年7月23日 15:57
難しい問題ですね。
人を虫けらのように殺した殺人犯に対しては、正直、さっさと死刑にしてしまえという気持ちが湧いてくることがあります。
自分の身内や知り合いが殺されたわけでもないし、涙を流すくらい遺族に共感しているわけでもないのに、そこまで強烈な憎悪の感情を抱いてしまうのは考えてみると恐ろしいことです。
こういう人たちがいなくなればもっと安心できる社会になるんじゃないか――そんな気持ちがどこかにあるからだという気がしますが、たとえ刑罰であれ人が人を殺すのはやはり間違っている気がします。
冤罪だったときのことを考えても、やはり死刑は廃止して終身刑を導入すべきだと思いますね。
あと、刑務所は人を罰するのではなく、第一に精神を鍛え直す場であるべきだと自分は考えています。
どんなに罰せられたところで人間が変わっていなければ、刑期を終えても自分はその人をふつうに受け入れることはできないでしょう。
逆に、昔の修行僧のような生活を何年も続けて心が鍛えられていれば、出てきたときに社会が見る目も変わってくるんじゃないかと思います。
「絞殺刑」は自分も一瞬、「銃殺刑」と読んでしまいました(^^;
脳の補完のせいなのでしょうが、この手の読み違いには気を付けないといけませんね。
ちょっと前に、新聞の見出しに「ヤラセ大統領解任」とあったので何のこっちゃと思ったのですが、よく読むと「セラヤ大統領」でした(-.-
投稿: ぐすたふ | 2009年7月23日 21:33
ぐすたふ さん:
>冤罪だったときのことを考えても、やはり死刑は廃止して終身刑を導入すべきだと思いますね。
私はとくに死刑廃止論者というわけではないんですが、年を取るごとに、制度としては残してあっても、実際の判決としては死刑はなるべく避けてもらいたいとは思うようになりました。
ただ、その代わりに無期懲役よりもっと重い刑が必要だと思います。
懲役 100年とかいうのがあってもいいと思います。米国なんかでは懲役年数を加算して 100年以上というのがあるみたいだし。
実際問題として、懲役 60年で途中での保釈なしとかいうことにすれば、事実上は終身刑みたいなもんでしょう。
>あと、刑務所は人を罰するのではなく、第一に精神を鍛え直す場であるべきだと自分は考えています。
看守が禅寺かどこかで修行する必要がありますね。
>「絞殺刑」は自分も一瞬、「銃殺刑」と読んでしまいました(^^;
>脳の補完のせいなのでしょうが、この手の読み違いには気を付けないといけませんね。
なるほど、ありがちですね。確かにまぎらわしい。
反省して、本文も 「絞首刑」 に書き直しました。
ご指摘ありがとうございます。
投稿: tak | 2009年7月23日 21:58
絞殺刑……、完全に読み間違えてました。
うーん、思いこみとはおそろしい。
そうそう、そう言えば公務員試験の中で一番受かりやすいと言われているのが刑務官の試験だそうです。(息子が今年度高校の卒業年度で三者面談に行った時に先生が言ってました)
合格すると名簿に名前が載り、どこかの刑務官が辞職されたり、あるいは人員の増員などがあれば勤務地が決まるというようなシステムだとか。
一般人の私にはあまり馴染みの無い話でしたが、なるほどそうやって刑務官の方は職に就かれるのかと思ったのでした。
投稿: きんめ | 2009年7月24日 11:06
「絞首刑は重力に任せる」とはいえ、執行に携わる刑務官には、落下してきた受刑者を揺れないように抑えるといった役割もあるようです。
いずれにせよ、そのストレスには相当なものがあるだろうと思います。
確か森達夫の『死刑』で読んだのだったかな。
投稿: 山辺響 | 2009年7月24日 11:38
ぐすたふ様
「終身刑を導入すべき」は、
外に出る事が前提の「刑務所は精神を鍛え直す場」と相反します。
また、「一生外に出られない刑」は精神が荒廃します。
心を入れ替える必要が無い為。
他の受刑者へも悪影響を及ぼしてしまいます。
私は「他に選択肢が無いから仕方ない」という
消極的な死刑制度維持支持です。
光市母子殺人事件のご遺族はエキセントリックです。
だからこそマスコミにとっては面白ネタなので取り上げますが、
私は無視です。
投稿: リュウT | 2009年7月24日 12:26
きんめ さん:
>合格すると名簿に名前が載り、どこかの刑務官が辞職されたり、あるいは人員の増員などがあれば勤務地が決まるというようなシステムだとか。
へぇ、ところてん方式なんですね。
そうした方式が可能というのは、雇用規模がほぼ一定で、しかもあまり競争がないからなのでしょうか。
投稿: tak | 2009年7月24日 15:33
山辺響 さん:
>「絞首刑は重力に任せる」とはいえ、執行に携わる刑務官には、落下してきた受刑者を揺れないように抑えるといった役割もあるようです。
>
>いずれにせよ、そのストレスには相当なものがあるだろうと思います。
なるほど。
そうしょっちゅうあることでもないので、慣れてしまうというのも難しいでしょうからね。
投稿: tak | 2009年7月24日 15:38
リュウT さん:
(ぐすたふ さん へのレスですが)
>「終身刑を導入すべき」は、
>外に出る事が前提の「刑務所は精神を鍛え直す場」と相反します。
「精神を鍛え直す場」 というのは、「外に出る事が前提」 と言い切れるでしょうか?
一生刑務所の中だと、精神を鍛え直す意味がないのでしょうか。
精神の健全さというのは、他に披露しなければ意味のないもので、内面的充足というようなものは関係ないのでしょうか。
>また、「一生外に出られない刑」は精神が荒廃します。
>心を入れ替える必要が無い為。
終身刑受刑者の精神が荒廃するという客観的データがあるのでしょうか?
(私が知らないだけかも知れませんが)
投稿: tak | 2009年7月24日 15:54
ぐすたふさんの、
>あと、刑務所は人を罰するのではなく、第一に精神を鍛え直す場であるべきだと自分は考えています。
これは死刑/終身刑に関係なく、「刑罰」に関する一般論であるように思えます。したがって、終身刑と矛盾するようには思えません。
で、
>「精神を鍛え直す場」 というのは、「外に出る事が前提」 と言い切れるでしょうか?
>一生刑務所の中だと、精神を鍛え直す意味がないのでしょうか。
この反語疑問に共感します。池田晶子・陸田真志『死と生きる-獄中哲学対話』なんかが参考文献として良さそうです。
投稿: 山辺響 | 2009年7月24日 16:35
takさんと山辺さんがフォローしてくださいましたが、「精神を鍛え直す」はもちろん刑罰全般においてということです。言葉が足りませんでした。
元暴力団員の神父さんなどを見ていると、自分の心の弱さを知っている人というのは生まれ変わったときに本当に強い人になれるという気がするので、本当の意味で心を鍛えて刑務所を出てきた人ならむしろ信頼できるんじゃないかと自分は思っています(あくまで個人的な考えですが)。
リュウTさんの、消極的な死刑制度維持支持というお気持ちもよくわかります。自分も昔はそうでしたので…。
死刑の是非という問題はやはり人それぞれに思うところがあって、そもそも答えなど永遠に見つからないのかもしれませんね。
投稿: ぐすたふ | 2009年7月24日 18:37
山辺響 さん:
>この反語疑問に共感します。池田晶子・陸田真志『死と生きる-獄中哲学対話』なんかが参考文献として良さそうです。
脊髄反射的に Amazon で注文しました。
投稿: tak | 2009年7月25日 05:54
ぐすたふ さん:
>takさんと山辺さんがフォローしてくださいましたが、「精神を鍛え直す」はもちろん刑罰全般においてということです。言葉が足りませんでした。
刑罰の意味は 「精神を鍛え直す」 ということの他にも、「報復」 「見せしめ」 「社会からの抹殺」 などもあるでしょう。
私は 「見せしめ」 ということも大きいと思っています。
「罪を犯して捕まったら、こんなことになるぞ」 ということで、犯罪の抑制効果があるというのは、確かだと思いますので。
ただ、拘留された者がただ無駄飯を食うというのでは、なんとなく馬鹿馬鹿しい気がするので、そこにも何らかの意味を見出したいという気もするわけです。
>元暴力団員の神父さんなどを見ていると、自分の心の弱さを知っている人というのは生まれ変わったときに本当に強い人になれるという気がするので、本当の意味で心を鍛えて刑務所を出てきた人ならむしろ信頼できるんじゃないかと自分は思っています(あくまで個人的な考えですが)。
回り道した人は、コクがありますよね。
投稿: tak | 2009年7月25日 06:00
>私は 「見せしめ」 ということも大きいと思っています。
>「罪を犯して捕まったら、こんなことになるぞ」 ということで、犯罪の抑制効果があるというのは、確かだと思いますので。
自分も抑制効果はあると思いますね。
殺人に関しては抑制効果はないという議論もありますが、刑罰があるからこそ踏みとどまるケースは間違いなくあるという気がします。
>この反語疑問に共感します。池田晶子・陸田真志『死と生きる-獄中哲学対話』なんかが参考文献として良さそうです。
自分もアマゾンで注文してみます。
投稿: ぐすたふ | 2009年7月25日 12:37
ぐすたふ さん:
>自分も抑制効果はあると思いますね。
>殺人に関しては抑制効果はないという議論もありますが、刑罰があるからこそ踏みとどまるケースは間違いなくあるという気がします。
衝動的な殺人はどうかわかりませんが、計画的殺人は、計画しているうちに割に合わないと悟ることになるケースが多いと思います。
>自分もアマゾンで注文してみます。
残部あとわずかでしたよ。
急いだ方がいいと思います。
(もう注文済みでしょうね ^^;)
投稿: tak | 2009年7月25日 22:47
古い記事にコメントして済みません。
僕は死刑は見せしめや抑止効果や遺族の心情のため、と言う以上に、「危険人物の排除」のためのものだと思っています。
ここまで書いておいて誰かの受け売りのような気がしてきました。
ついでに。
冤罪で取り返しが付かないのは死刑以外の刑罰でも同じだと思います。
投稿: おしんこ | 2009年8月 3日 21:17
おしんこ さん:
>僕は死刑は見せしめや抑止効果や遺族の心情のため、と言う以上に、「危険人物の排除」のためのものだと思っています。
私の過去の記事にトラバしてくださった Reiko Kato さんとほぼ同様のご意見ですね。
http://www.mypress.jp/v2_writers/reiko_kato/story/?story_id=1659452
>冤罪で取り返しが付かないのは死刑以外の刑罰でも同じだと思います。
死刑以外の刑罰でも、時間は取り返せませんが、命まで奪われたわけではないという点で、「同じ」 とは言えないと思いますが、いかがでしょうか。
投稿: tak | 2009年8月 4日 07:09
あ、ほとんどそのままですね。
冤罪で失う物が時間含め非常に(場合によっては命より)大きい可能性を考えると、
生きていればそれでいいとは僕には思えません。
厳密に「同じ」とは言えないのはその通りだと思います。
投稿: おしんこ | 2009年8月 4日 23:02
おしんこ さん:
>冤罪で失う物が時間含め非常に(場合によっては命より)大きい可能性を考えると、
>生きていればそれでいいとは僕には思えません。
確かに「生きていればそれでいい」とは言えません。
しかし、生きていれば、その人の中で、失われた時間について、何らかの落とし前を付けられる可能性があります。
あるいは、落とし前が付かないなら付かないで、ならばどうしたらいいのか、次の行動に移ることもできます。
死んでしまえば、それすらもできません。
つまり、すべての可能性が奪われたということです。
>厳密に「同じ」とは言えないのはその通りだと思います。
厳密にと言うまでもなく、同じじゃありません。
投稿: tak | 2009年8月 5日 14:31
takさんのおっしゃっているように、冤罪の人にとって生きていることは極めて重要だと思います。新証拠や真犯人の自白などで冤罪が証明される可能性もありますが、その場合、死刑になっていると取り返しがつきません。
今やっている裁判員裁判で図らずも浮き彫りになっていますけど、日本の警察の調書の信用性を考えると、冤罪の可能性については常に頭の隅に入れておかなければいけない気がします。
投稿: ぐすたふ | 2009年8月 5日 18:40
ぐすたふ さん:
>今やっている裁判員裁判で図らずも浮き彫りになっていますけど、日本の警察の調書の信用性を考えると、冤罪の可能性については常に頭の隅に入れておかなければいけない気がします。
産経のサイト (MSN) で、今やっている裁判の速記録のようなものが延々と連載されているのを、興味深く読みました。
あれを読んだだけでも、調書とか証言とか自白とか、なかなか当てにならないものだというのがしみじみとわかりました。
犯罪ということにおいても、そこに関わった人の数だけ真実があるというのは、不条理そのもので、「判決」 というのは、単なる最大公約数なのかという気までしました。
投稿: tak | 2009年8月 6日 00:13