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2009年7月31日

「謝るツボ」と「パーソナルエリア」

「教えて! Watch」というサイトに、「日本人は謝らない?」という質問があり、いろいろな人がいろいろな視点から答えている。

質問者は、米国に短期留学した際に、現地の学生数人から「日本人は道でぶつかったときに謝らない人が多い」と指摘され、それがとても気にかかったらしい。

ことさらに気に掛かった理由の一つは、出発前に「日本人はすぐ謝るからカモにされやすいと何度も聞き、実際そう信じていた」ということにあるようだが、この前提自体が間違いというか、説明不足というか、とても不十分なものというしかない。

問題は「謝るツボ」の違いにある。この点をきっちり認識しておかないと、文化摩擦になりかねない。私はこのことについて 3年ちょっと前に、その名も "「謝るツボ」 の違い" というタイトルで記事を書いている。

これは、例のシンドラーという外資系企業のエレベーターが日本で事故を起こした件で、シンドラー社の幹部が日本で行った記者会見での態度が、横柄だと受け止められたことに端を発して書いたものだ。要点を手短に引用すると、次のようなことになる。

西欧人というのは、とにかくよく謝る。道を歩いていて、ちょっと身体が触れただけで(ぶつかったというほどでもないのに)、すぐに謝る。かなりな衝撃でぶつかってもまず謝らない日本人とは、エライ違いだ。

ところが、このよく謝る西欧人は、交通事故など法律的な問題がからむことになると、とたんに謝らなくなる。"I'm sorry" と言ってしまったら、自分の非を認めたことになるから、急に慎重になるのだ。

要するに、彼らはちょっとしたことでは気軽に謝るが、重大問題ほど謝らないのである。

このあたりが、ちょっとしたこと(例えば、道で肩がぶつかったというようなこと)では全然知らんぷりをしているくせに、大きな問題になりそうだと、とにかく頭を下げまくればなんとかなると思っている日本人とは、正反対なのである。

まあ、いくら西欧人でも交通事故で自分の側に明確に非があるような場合は、初めから謝る方が誠意を感じさせて情状面で有利になるのは当然だが、その辺りが微妙な場合は、謝るよりは取り敢えず先に弁明を言い立てる。

前述のサイトの質問者は、中途半端な情報を仕入れたまま短期留学に行ったので、戸惑ったのである。本来ならば「ちょっとぶつかっちゃった程度なら、すぐにちゃんと謝るのがマナーです。しかし、大きな問題では決して軽はずみに謝っちゃいけません」と教わるべきだったのだ。

要するに、日常マナーと法的問題との落差である。一般的に西欧人は、法的問題は法律そのものに即して解決すべきだと考えている。できれば示談であいまいなまま穏便に済ませるのがいいと考えている日本人とは、かなり違うメンタリティだ。

法的に処理するとなると、当事者同士の「謝った、謝らない」の感情論は、かえって後腐れの種になる。とくに過剰な謝罪は、初めから罪を認めたという不利な立場に身を置くことになるから、すべきではないと思われている。

それにしても、前述のサイトの質問者は、「日本人はすぐ謝るからカモにされやすいと何度も聞き、実際そう信じていた」と言っているが、本当にそう信じていたとしたら驚きである。同じ日本人の私が、道を歩いていてかなりの勢いでぶつかられても、ぶつかってきた当人は謝りもせずに行ってしまうことに、しばしばむっと来るという経験をしているからだ。

これは多分、「パーソナルエリア」ということに関連していると思う。パーソナルエリアとは心理学の概念的空間で、自己と他を分けたときの、自分を中心とした範囲の事らしい。要するに、それ以上近づいてこられると圧迫感を感じてしまうという、自分の「縄張り」みたいな感覚の空間だ。

日本人はこのパーソナルエリアが西欧人より狭いらしい。つまり、「人混み強い」というか、芋洗いみたいな雑踏にでも、平気で突入できる感覚、よく言えば親密さ、悪く言えば図々しさをもっている。

例えば、日本人はこれ以上乗れないほどの満員電車にも平気で突入するが、西欧人の多くは、エレベーターに乗る時でも重量オーバーの警告音が鳴る前におそれをなしてしまい、無理に乗り込もうとはしない。

だから、混んだエレベーターに無理矢理乗り込んでくる日本人を、ちょっと図々しいと感じているフシがあるし、道を歩いてぶつかっても、一言も謝らずに無表情のまま去ってしまう日本人のことは、これはもう、相当に不作法だと思っているようだ。

ところが日本人は日本人で、平均的なパーソナルエリアが狭いので、ちょっとぶつかるぐらいはお互い様で、取り立てて言い立てるほどのことじゃないと思っている。ただでさえ忙しいんだから、いちいち謝ってなんかいられないということかもしれない。

ちなみに、私は図体がでかいせいか、パーソナルエリア感覚が平均的日本人より大きめに設定されているようで、人混みとか狭い店とかがかなり苦手だ。

例えば、コンビニ店内の狭い売場通路からレジのあるスペースに出ようとした瞬間に、若い女の子が来て通路に入ってこようとする。私の感覚では、私が通路から出るほんの 1秒ほどの間、その女の子は少しだけ待ってくれて、私が出てから進入するのが当然のマナーだと思っている。レディ・ファーストを当てはめるケースとは少し違う。

ところが、その女の子は全然どかない。ぶつからないためには、私が止まるしかなく、一瞬お見合い状態になる。すると、その女の子は私の体のそばを無理矢理にすり抜けて、いや、実際にはすり抜けきれずに、私の体に明確にぶつかって通路に進入する。

私はあっけにとられながら、「どうしてたった 1秒待てないかなあ」と嘆息する。西欧人は「日本人はぶつかっても謝らない」と驚くが、実際にはそれ以前のお話で、日本人は平気でぶつかってくるのである。そして、どうせ「お互い様」と思っているから、謝るという発想がない。

ドアの出入りの時、平均的な西欧人は先に出ようとする人を通すために、自分は明確に身をよけて待つ。それを見て日本人は、「西欧人って、すいぶん大げさによけるんだなあ」と、違和感を覚える。親切というよりは水くさいとまで思う。ところが、西欧人にとってみれば、そのくらい明確によけて待ってあげないと失礼になると感じている。

ちなみに西欧人のパーソナルエリアは、恋人や夫婦、そして自分の赤ちゃんに対しては急に狭くなると言われている。だから、恋人同士や夫婦は人前でも平気でべたべたするし、赤ちゃんとのスキンシップも重要視するらしい。

ところが、日本人は赤ちゃんに対するパーソナルエリアは、西欧人より広いと指摘されている。赤ちゃんだけでなく、恋人同士や夫婦でも、一般にはそれほど狭くならない。つまり、パーソナルエリアにめりはりがない。あるいは、他人でも家族でも同じ日本人だから、全部「お互い様」ということなのかもしれない。

ところが、外国人や、ちょっと変わった日本人に対してもついその癖が出るから、少し問題なのである。

ちなみに、City Walker 都市研 というサイトに、最近の日本人のパーソナルエリアが拡大傾向にあるという記事があり、その中に以下の記述がある。(参照

これ (注: パーソナルエリアのこと) が近年広くなってきているため、満員電車で足を組んで座ったり、新聞を読んだりしても、周りに迷惑を掛けているという意識が薄く、逆に、周りの人は、自分のテリトリーが侵されているという意識が強いため、トラブルが起こるのである。

パーソナルエリアが広くなっているために、「満員電車で足を組んで座ったり、新聞を読んだりしても、周りに迷惑を掛けているという意識が薄く」なっているというのは多分誤解だ。パーソナルエリアが広かったら、わざわざ自分から無防備に他者との間合いを詰めるようなことはしない。逆に広い間合いを取ろうとして、身をよけるだろう。

満員電車で足を組んだり新聞を広げたりするのは、単に無神経な傲慢さからくるのである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

西洋で肩が触れたりしたときにすぐ謝るのは、「私は敵ではないですよ/悪意はないですよ」というシグナルを発するためのような気がするのですが。

一方、日本人がぶつかったり人の足を踏んでも何も言わないのは、パーソナルエリアの問題もあるかもしれませんが、takさんが最後に仰ってるように、単に無神経・自己チューであることが多いように感じます。客観的に見て向うが悪い時にとりあえず「すみません」と言ったら、エラそーににらみつけられてしまい、ばかばかしい思いをしたことがあります。こういうことが繰り返され、悪循環になっている面もあると思います。

あと、ぶつかられたときに何と言うべきか、我々はボキャブラリー的に不自由な感じがしますね。
「ワレ、どこに目ん玉付けとんねん?」を使いこなせるようになるには相当な修羅場をくぐる必要がありそうです。「ぶつかったぞ」「痛いじゃないか」ではちょっと弱腰チック。「ぶつかっておいて何も言わないのか」はまどろっこしい。さらに、そう言われた人も、反応しにくい(改めて謝られても気まずい空気が流れるし、過剰反応される恐れもあるし)。

英語なら、
A氏「Watch it, pal!」
B氏「Fuck you!」
(両者、中指を立てて立ち去る)
という感じでテンポ良く解決(?)するような…
わはは。

投稿: きっしー | 2009年7月31日 15:32

こんにちは、TAKさん。

そのぶつかる日本人が、香港に来ますと、香港人は、道でよけない。ぶつかる。と言います。そしてぶつかった時の言葉はSorryの一言。広東語では、まず謝りません。そのSorryを聞き逃すのか、ぶつかっても誤らないという人が結構います。今でこそ、香港の地下鉄も並んで乗り込むようになりましたが、並んでいても、ドアが開いたときに、ドアの中央を空けるわけではありません。ましてや、降りてくる人を待ちません。直ぐに乗り込みます。もちろん、降りる人とぶつかるのですが、
良く見ると、あまりぶつかりません。それなりに、肩をかわして避けています。香港人は、ぎりぎりまで避けないで、最後の最後で避ける傾向があります。その間合いが掴めない日本人観光客は、香港人とぶつかってしまいます。しかし、人を押し込んでまで、車内に乗り込むという人はほとんどいません。私の個人の意見ですが、これは、パーソナルエリアが広いという理由でなく、香港は暑いので、汗をかいた人が、車内にいるのは、普通のことです。もちろん、エアコンが日本でいう強冷房くらいかかっていますが、やはり、べったりした人には、触れたくないものだと誰もが思うので、あまり、押さないのだと思います。入口は、人でいっぱいですが、中ほどは、いつでもそこそこ空間があります。ただ、間違いなく香港人のパーソナルエリアは、年々広がってきています。並び方を見ると良く分かります。しかし、中国本土は、香港の20年前くらいの、パーソナルエリアです。20年前の香港=今の中国本土は、駅の切符売り場などで並ぶと、次の人は間を空けずに、ぴったりと背中にくっつきます。まったくの他人が、自分の背中にくっつくのです。もちろん、相手の腕が間にありますが、
気持ちの悪さは、ご想像の通りです。なぜ、中国人が並ぶと、くっつくかは、割り込みの問題です。隙あらば、すぐに割り込んできます。ですから、私が、自分の前を空けていると、私の次の人は、くっついているどころか、私を押して、前の空間を埋めようとします。長く、中国にいますが、実は、それでもましなのです。なにせ、20年前の中国は列を作るという行為がなかったのです。窓口に殺到して、手を突っ込んで、切符を取ったもの勝ちみたいな状況でした。ただ、この状況は、今でも、残っています。地方に行くと、この状況に出会います。実は、先日もあるチケット売り場で、10人くらいに先を越されました。こちらの世界で生活していると、日本に戻っているときに、人とぶつからないようになります。??
たまに、日本で人にぶつかってしまうと、思わずSorryと言ってしまいます。 注:香港人=香港に住んでいる中国人

投稿: ヒロ | 2009年7月31日 15:59

香港人は、ぎりぎりまで避けないで、最後の最後で避ける傾向があります。訂正→ 香港人は、ぎりぎりまで避けないで、最後の最後でお互いによける傾向があります。

投稿: ヒロ | 2009年7月31日 16:02

きっしー さん:

>西洋で肩が触れたりしたときにすぐ謝るのは、「私は敵ではないですよ/悪意はないですよ」というシグナルを発するためのような気がするのですが。

それはありますね。

ホテルでエレベーターに乗り合わせると、スマイルして "Good Morning" と言わないと、なんとなく気まずいですからね。

>一方、日本人がぶつかったり人の足を踏んでも何も言わないのは、パーソナルエリアの問題もあるかもしれませんが、takさんが最後に仰ってるように、単に無神経・自己チューであることが多いように感じます。

その 「無神経でもあまりとがめ立てされない」 ことのメンタリティには、パーソナルエリアが関係していると思うわけです。

それと、過度の 「お互い様意識」 かも。要するに、このレスの振り出しに戻って、「私は敵ではないですよ/悪意はないですよ」 とことさらに表明しなくても済む共同体意識。

>客観的に見て向うが悪い時にとりあえず「すみません」と言ったら、エラそーににらみつけられてしまい、ばかばかしい思いをしたことがあります。

私も。それも一度ならず。
ぶつかると、とりあえず条件反射的に 「すみません」 と言ってしまうもんで。

>あと、ぶつかられたときに何と言うべきか、我々はボキャブラリー的に不自由な感じがしますね。
>「ワレ、どこに目ん玉付けとんねん?」を使いこなせるようになるには相当な修羅場をくぐる必要がありそうです。

まさに (^o^)

投稿: tak | 2009年7月31日 16:08

ヒロ さん:

貴重な情報、ありがとうございます。

>そのぶつかる日本人が、香港に来ますと、香港人は、道でよけない。ぶつかる。と言います。

>良く見ると、あまりぶつかりません。それなりに、肩をかわして避けています。香港人は、ぎりぎりまで避けないで、最後の最後でお互いによける傾向があります。その間合いが掴めない日本人観光客は、香港人とぶつかってしまいます。
(引用文、訂正済)

わはは (^o^)
私も香港には何度も行ったことがあるので、なんとなくわかります。

実は私は、合気道というものを長くやっていたことがありまして、相手とぶつかり合う寸前に身をかわして相手の斜め後ろに入る 「入身=いりみ」 という動きが体にしみついているので、香港の作法への順応がとてもスムーズでした。

でも、フツーの日本人は、確かにぶつかりまくってるみたいですね。
まあ、日本人はどこに行ってもぼぅ~~っとして歩きますからね ^^;)

ちなみに、日本の人混みを歩くと、相手は寸前で避けないので、ぶつからないでさっさと行くためには、ほとんど無意識ながら、入身をことさらしっかりと取ることになります。

それで、ウチの娘たちからは、「お父さん、その忍者みたいな動き、止めてよ」 なんて言われます ^^;)

>なぜ、中国人が並ぶと、くっつくかは、割り込みの問題です。隙あらば、すぐに割り込んできます。

>実は、それでもましなのです。なにせ、20年前の中国は列を作るという行為がなかったのです。

中国人が並ぶようになっただけで、ものすごい変化だと思います。

この問題について、3年以上前に、「空気を読める中国人」 というタイトルで書いています。

https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2006/05/post_be78.html

投稿: tak | 2009年7月31日 16:54

私は海外経験がないので、本当に今の今まで外国では日本人が気楽に謝ったら大変なことになると思っていました。

目から鱗です。

ただ本当に最近の人は謝りませんね。
先日も女子高生の自転車と私の鞄が接触したんで、こっちが「すみません」と謝っても全く知らん顔で取りすぎてしまいました。
まあ、どちらか一方の過失ではないので、くってかかられても困るんですが、ちょっと一言ぐらいあいさつってものがあっていいのかなぁと思ってしまいました。

投稿: 雪山男 | 2009年8月 3日 09:18

雪山男 さん:

>ただ本当に最近の人は謝りませんね。
>先日も女子高生の自転車と私の鞄が接触したんで、こっちが「すみません」と謝っても全く知らん顔で取りすぎてしまいました。

大分昔、「終戦後」 と言われた頃までは、ぶつかったりしたら、「失敬」 とかなんとか言ったもののような気がしますが、最近はそんな習慣がなくなりましたね。

ぶつかったら謝るという、当たり前のことが教えられていないんだと思います。

一昨日もヨドバシカメラで買い物をして、大きなショッピングバッグをぶら下げて歩いていたら、私の後ろを斜めに横切ったにいちゃんに、そのバッグを思い切り蹴飛ばされました。

そいつの顔を見たらにらみ返されたので、あえてぴったり後をくっついて (接触すれすれで) 1分ぐらい歩いてあげました。
相当のプレッシャーだったようで、彼は走って逃げました ^^;)

投稿: tak | 2009年8月 3日 18:07

教えられていないということもそうですけど、最近は何となく心の余裕のない人が増えているような気もします。

たまに、「すいません」、「いえいえ」といった感じできちんと返してくれる人がいると、ちょっと嬉しくなりますね。

>相当のプレッシャーだったようで、彼は走って逃げました ^^;)

目に浮かぶようです(笑)

投稿: ぐすたふ | 2009年8月 4日 18:42

ぐすたふ さん:

>教えられていないということもそうですけど、最近は何となく心の余裕のない人が増えているような気もします。

それも含めて、気軽に声を掛け合うという文化が急速に薄れているように思います。

大都会ではほとんど全員他人同士なので、親密に挨拶をするという習慣が醸造されない。

しかし、多民族国家ほど極端な 「他人同士」 でもないので、「私は敵じゃありませんよ」 というシグナルを送る必要もない。

そんな中途半端な状況のせいかなあと思っているんですが。

投稿: tak | 2009年8月 4日 20:16

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