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2009年7月 4日

『唯一郎句集』 レビュー #38

週末恒例の 『唯一郎句集』レビューである。今日のレビューは、春の 3句である。庄内の冬は地吹雪が吹きまくるので、春になると本当にうれしい。

日頃あまり感情を露わにしない唯一郎も、今日の 3句ではとても遠回しながら、春の訪れを寿いでいる。

さっそくレビューに入る。

逢はせてやる沼べりの土筆いたづらに伸び

沼べりのツクシが徒に伸びているというのはわかるが、「逢はせてやる」というのが、どういうことだかわからない。

春の訪れの象徴であるツクシが伸びているというのを、まだ知らない人がいる。「まだツクシに逢っていないなら、沼べりに連れていって、もうずいぶん伸びているのに逢わせてあげようか」というようなことだろうか。

もしかしたら、それは唯一郎が自らの子どもに向って言っているのだろうか。

子ども(私の伯父にあたる)を沼べりまで連れていき、「ほれ、こんな土筆だぞ」(ほら、これがツクシだよ)と、庄内弁で語りかけている唯一郎の姿が、一瞬だけ見えるような気がした。

沼べりの家に人が座つている巻雲

庄内の冬は、鉛色の厚い雲に覆われる。青空の見える日は本当に少ない。そして春になると急に雲が晴れ、青空が現れる。

そうなると、窓を閉め切っていることもないから、開けはなって春の風を入れる。開けっぴろげになって、家の中に人の座っているのが、外からも見える。

青空の高いところに春の白い雲が現れる。そんな情景を思い浮かべる。

樹々のいとなみのいつせいに芽を出したるはや

「木」と「樹」の違いは、端的に言えば、檜と雑木の違いなのだそうだ。人の役に立つ価値の高いのが「木」で、そうでもないのは「樹」なのだという。これは、漢字の専門家のインテリ台湾人に聞いた話だ。

その説に従えば、「樹々」は雑木林の樹である。というか、庄内の山里によく見られるブナなどの自然林だ。決して杉林や檜林ではない。

雑木林の木々が一斉に芽吹く季節の喜びを、唯一郎らしくとても抑制の利いた調子で寿いでいる。

ばっさりと言ってしまうと、唯一郎は喜びの感情を素直に句にするのが、あまり得意ではないようだ。

本日はこれまで。

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