『唯一郎句集』 レビュー #45
『唯一郎句集』 とはとりあえず関係ないので、ごくあっさりと触れておくのだけれど、今日は私の誕生日で、ついに 57歳になった。ちなみに唯一郎は 48歳までしか生きなかった。
亡くなったのは終戦の年だから、大変な思いをしただろう。世の中が平和だったら、もう少し長生きをしたかもしれない。
というわけで、「海紅」時代という章に入って 2回目のレビューである。この章の 2ページ目は 1句しか載っていないから、次のページの 3句と合わせて 4句をレビューする。作られたのは、多分「群像」時代の句より前のことだろう。作風からしてそんな気がする。
梅の芯のみ太りゆく稼ぎつづけむ
「木鐸」 時代の章の冒頭に、「夕餉にものいはず梅鉢の砂しめり」「おとなしと賞めらるるが悲しき梅咲く」「青空青空絶へず動くものあり梅咲く」の 3句がある(参照)。おそらくその頃の句ではないかと思われる。結婚して子どもができる前だ。
梅の芯のみが太りゆくとは、花の盛りを過ぎて芯、つまりやがて実になる部分のみが大きくなるということだろうか。「稼ぎつづけむ」という妙に直截的な言葉で結ばれているのが、なおさら暗示的である。
この句は、句集の中でも重要なものとされている。その証拠に、1ページにこの 1句だけが収められている。
中央に出て本格的に俳句で身を立てることを諦め、家業を継いで実業を目指そうとしている自分をそこに重ね合わせているのだろうか。「木鐸」の章でレビューしたときは、唯一郎が梅の木にそこまでの思いを込めているとは、明確に思いが至らなかった。
朝掃除の女真顔にて梅鉢持てり
「朝掃除の女」とは、女中か印刷所の従業員だろうか。梅の鉢を唯一郎がことさら大切にしているとわかっているので、粗相のないように慎重に持ち上げている。
そこまでシリアスにならなくてもいいのにと、心の底で思いながら、それを黙ってみている唯一郎。
草餅の嫌ひな友が來る部屋から空が見え
ここでは便宜的に 「嫌ひ」 という字を用いたが、オリジナルはネットの世界にはない字である (写真参照 クリックで拡大)。
多分 「きらひ」 と読むしかないのだろうが、この句集以外ではついぞ目にしたことのない字だ。
「草餅の嫌いな友」とは、仲間内では「草餅の嫌いな」といえば、すぐに顔が浮かぶほどの人なのだろう。多分、頑固なところがあるが、話せばなかなかおもしろいという人に違いない。
だからこそ、唯一郎はその友が来るのを窓辺で空を見上げながら待っている。
石ころ屋根のかぎろひ二家族のおきふし
「石ころ屋根」とは、屋根が飛ばないように石ころを重しにしている屋根のことだろう。子どもの頃、田舎にはあちこちに見受けられた。
さすがに唯一郎の家は旧家だから、ちゃんとした瓦の屋根だったろうが、身近にそうした家も見えたのだろう。その屋根から陽炎が昇っている。その屋根の下に、顔見知りの二家族が寝起きしている。
それ以上のことは、唯一郎は決して言及しない。
本日はここまで。
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コメント
拓明さん
お誕生日おめでとう!
唯一郎句集は俳句の規則を超えているので、私にもできるかなと生意気に思ったりもしましたが、なかなか深い。不勉強を恥じております。
ところで母の友人で新短歌のグループを作っていた人に、林民雄という人がいました。
俳句も短歌も規則性を超えた歌には新しい風を今も感じますね。
古きを訪ねて新しきを知る。このような拓明さんのしているお仕事はきっとご先祖の叔父さんも喜んでいられることでしょうね。
これからもブログ頑張ってください。私が知のヴァーリトゥードを訪問して5年目の夏が来ました。
投稿: keicoco | 2009年7月26日 17:52
keicoco さん:
ありがとうございます。
>ところで母の友人で新短歌のグループを作っていた人に、林民雄という人がいました。
「林民雄 新短歌」 でググったら、2ページがヒットしました。その 2ページの中で行き当たったのは、以下の言葉です。
海浜聖母(林民雄)
「世話狂言」林民雄
何となくそそられますね。
>俳句も短歌も規則性を超えた歌には新しい風を今も感じますね。
近頃、私の和歌ログまで三十一文字で収まらなくなってきました。
どうなることやら。
投稿: tak | 2009年7月26日 21:06