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2009年7月10日

勝手を言う東国原さんの存在意義

東国原宮崎県知事も、ようやく自民党がぶっ壊れていることを深く認識したようで、これまでの出馬云々という話をご破算にし始めた。

「国と地方の税源配分 5 対 5の実現」が自民党のマニフェストに盛り込まれないなら、もう知らんというストーリーを打ち出して、自民寄りのイメージを払拭したい考えのようだ。

それどころか、民主党がそれをマニフェストに盛り込むなら、支持するというような含みの発言をして、見事な変わり身の速さを見せている。民主党から出馬というのは、いくらなんでも考えないということだが。(参照

さすがに、機を見るに敏というか、壊れてしまった自民党で総裁候補だか閣僚だか陣笠だかわからないところからスタートするよりも、県知事という地位に居続ける方がずっと有利ということに気付いたようだ。それに、勝ち馬に乗る方が利口なのは、誰が考えても元々わかっていたことだし。

痛いのは自民党だ、人気者を引っ張ってきて少しは選挙を有利にしたかったところだろうが、散々話題だけ先行し、自分のところのマイナスだけが浮き彫りにされて、挙げ句の果てに逃げられてしまっては、踏んだり蹴ったりである。こんなことなら、古賀さんが下手なアプローチしただけ馬鹿馬鹿しい。

それにしても、東国原さん、根っからの政治家じゃないから、面倒な舞台裏ポリティックスにとらわれないで、見ようによってはずいぶん勝手なことを言い放題である。でも、この勝手なことを言い放題できる土壌というのが、これまでの日本にはなかったのだ。

政治というのはこれまで、政策とか理念とかよりも裏の貸し借り勘定で動いてきたのである。だから、誰が誰にどんな貸しがあって、どんな返し方をすれば波風が立たないかというのを知り尽くしているオッサンが、陰の実力者とか調整役とかになれたのである。今で言えば、森さんとか青木さんみたいな人ね。

でも今や、森さんみたいなおっさんは、うっとうしい存在になってしまったのである。いつまでも昔の貸し借りをごちゃごちゃ言うから、政治は前に進まないのだ。そんなものはいっそリセットしてしまった方がいい時期にさしかかっているのだ。

だから、東国原さんみたいなのは、ある意味重要なのである。

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コメント

安易にタレント候補で人気取りをしようとするとしっぺ返しをくらうという経験は各政党とも必要でしょうから、その意味では面白い余興でした。
有権者も、タレント候補にはこれくらいのことを求めないと!

あと、これは前日のエントリーのほうが関連しますが、私は小泉元総理の最大の罪悪は古い自民党をぶっ壊したことではなく、延命させてしまったことだと考えています。
2001年春の自民党総裁選挙で他の候補者が勝っていたら、政権交代はとっくに起きていたでしょう。
小泉政権下では、最初の参院選挙と郵政民営化のときは大きく国民の支持を得たけれども、それ以外ではあまり冴えない結果だったと記憶しています。おそらく、それ以外の選挙では、自民党に投票することが「抵抗勢力」を支持することになってしまうというジレンマが大きかったからではないでしょうか。結局、改革の内容が不徹底だった上に、フィニッシュまでもっていってなかったために、自民党の守旧派が生き延びてしまい、もとの木阿弥よりもひどい状況になってしまったように思います。
そこをあえてごっちゃにする政治家や、それを見抜けないマスコミ(いつまでも亀井静香のコメントをもっともらしく扱うセンス!)、記憶力の悪いネット市民などの合成の誤謬で、昨今の「構造改革は間違いだった」という「定説」が醸成されたと私は考えています。

投稿: きっしー | 2009年7月11日 13:06

きっしー さん:

>2001年春の自民党総裁選挙で他の候補者が勝っていたら、政権交代はとっくに起きていたでしょう。

なるほど、そういう見方もあったか。

小泉さん、後から考えるとずいぶん複雑な、いわく言い難い役割を果たしたのかもしれませんね。

>小泉政権下では、最初の参院選挙と郵政民営化のときは大きく国民の支持を得たけれども、それ以外ではあまり冴えない結果だったと記憶しています。おそらく、それ以外の選挙では、自民党に投票することが「抵抗勢力」を支持することになってしまうというジレンマが大きかったからではないでしょうか。

例の小泉チルドレン大量進出の総選挙では、自民党に投票することが、あたかも革新的なことであるかのような幻想を現出して見せましたね。

>結局、改革の内容が不徹底だった上に、フィニッシュまでもっていってなかったために、自民党の守旧派が生き延びてしまい、もとの木阿弥よりもひどい状況になってしまったように思います。

どこの国でも、守旧派は 「ダイハード」 ですから、しつこく生き残ります。
その死に損ないの守旧派の跋扈する余地が、例の 300議席という途方もない形で用意されてしまったという見方も、確かにできますね。
ただ、そのおかげで、かえって自家中毒みたいになってしまってますが。

>そこをあえてごっちゃにする政治家や、それを見抜けないマスコミ(いつまでも亀井静香のコメントをもっともらしく扱うセンス!)、記憶力の悪いネット市民などの合成の誤謬で、昨今の「構造改革は間違いだった」という「定説」が醸成されたと私は考えています。

いずれにしても、この国では 「改革」 なんてことは徹底的には行われにくいものです。

徹底的に行われなかったから現れている矛盾まで 「間違ったことをやったから生じた」 というのは、どうかと思いますが、エモーショナルな共感を呼びやすいということは確かにあるようです。

人間はロジカルな要素よりエモーショナルな要素で動きやすいところがあるので、このあたりはゴチャゴチャになりやすいところです。

というわけで、私としては、いつもの持論の 「歴史は馬鹿馬鹿しいほど様々な要素がとぐろをまいて、こけつまろびつ、滑稽に見えるほどの悲しい動きをしながら進展するもの」 ということになってしまいます。

投稿: tak | 2009年7月11日 22:07

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