『唯一郎句集』 レビュー #49
唯一郎の俳句作品は、雑誌「海紅」に載ったものが最も多い。句集の中の半分以上を占めるほど多い。
だから、ほかの雑誌や新聞に載ったものをこれまでレビューしてきて、「海紅」時代に入ると、時代が遡って、まるでレビューのレビューをしているような気がする。
今日は 2句のレビューだが、「海紅」初期の、まだ若かりし頃の作品である。まだ結婚もしておらず、瑞々しい少年と青年の狭間の頃の感性がうかがわれる。
さっそくレビューしてみよう。
母の前にて箸更へる夏帯びも事なげに結び
箸を更えるとは、小さな非日常である。日本の食事作法の特徴の一つは、主食の椀と箸が、家族それぞれの専用であるということだ。椀も箸も、ある意味では自分の分身である。
その箸を更えるとは、単に古びたから新しいものに替えるというだけではなく、「更」 という字を使っていることからもわかるように、生活のステージが更新されるというほどの意味を持つ。もしかしたら、自分で選んで誂えた箸かもしれない。
その日、初めて夏帯に更えた。帯を結ぶのに母が手伝ってくれていた子どもの時代は、そう遠いことでもないような気がするが、今の自分は事もなげにできてしまう。
精神が独立しつつある唯一郎である。
ある時麻畑をめぐり我身ひじりの如き
麻畑の麻は背丈より高く繁っているだろう。それを廻ると、空しか見えない。ということは俗世間への視線が遮断されたということだ。
しかも、麻は古来より神聖な植物とされてきた。そうした雰囲気に包まれて、空の高みを見上げる。
ひじりとは、聖なるものである。位の高い僧ではない。零落した放浪僧というイメージがある。自分がそうした放浪僧のように思われる。しかし精神は高く保とうと思っている、若き日の唯一郎。
本日はこれぎり。
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