裁判員裁判レポートの印象
注目された初の裁判員裁判の経過を、産経新聞がほとんど速記録に近い形でレポートしていて、それをまとめたディレクトリが こちら のページにある。
私はずいぶん注目して、すべて読んでしまったが、その感想を述べるとすれば、「人間って不条理だなあ」ということに尽きてしまう。
人間とは元々不条理な存在であり、さらに罪を犯す時の心理状態となれば、ますます不条理の度合いは増す。それを一見条理に見える基準 (法律とか心証とか情状とか) でもって裁こうとするのだから、そもそもそこに無理がある。どえらい不条理を目の当たりにしたら、悩んでしまうのはいつだって条理の側である。
ある出来事について、後追いで調べを勧め、関係者や証人の言葉を文書資料にまとめても、それが客観的に正しいとは全然限らない。今回の裁判でも被告を含め、主要な登場人物の法廷での発言は、提出された調書とかなり食い違う。
「あの時はああ言ったが(あるいは、言わなかったが、はたまた、よく覚えていないが)、本当の気持ちはこうだ」というのがやたらに多い。そして、後になって言い出したことが、本当に「本当の気持ち」なのかどうかは、誰にもわからない。第三者の入れ知恵だったりもする。
さらに近所の証人の証言にしても、検察の提出したものと弁護側の提出したものでは、そこから発せられるメッセージがかなり違う。被害者の女性が思いやりのある常識的人物だったのか、かなりきつい性格でいつも一言余計なことを言う人だったのか、さっぱりわからない。真実は決して一つではなく、人の数だけあるということになってしまう。
ものごとを上手に適切に表現できる人なんて、案外少ない。それに、一人の人間でも時と場合と相手によって言うことが違ってくる。さらに、その人の最も混乱した状態の時に調書を取られたら、それに署名したとはいっても、被害者の長男のように、「よく覚えていない」なんてことになる。そんな調書が一人歩きするというのも、危ない話である。
こんなにまで矛盾した材料を出されて、まあ、どうやら有罪には違いないだろうが、情状面を含めて検討して、「さあ、判決を出せ」といわれても、フツーの人間なら途方に暮れてしまうだろう。
実際には明らかな矛盾は一つずつつぶしていって、ある程度納得のいく(ような気がする)ストーリーを再構築するという作業が必要になる。しかし、それが事実であるという保証はない。あくまでも再構築したストーリーである。
そして、判決はその再構築したストーリーに沿った、最大公約数的なものになってしまうのではなかろうかという気がするのである。判決自体には真実はない。最大公約数としての、最もつまらない物語である。それが導き出されるプロセスを左右するのが、検察と弁護人の力量、パフォーマンスということになる。
つまらないことだが、社会を運営する上ではそれが最も当たり障りのないことなのかも知れない。とはいえ、あくまでも単純な最大公約数的物語によって、多くの人間の運命が左右されるということは、常に意識しておかなければならないだろう。
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コメント
芥川龍之介の「藪の中」みたいなことが捜査や裁判の過程で実際に起こっているのが恐いですよね。
だからこそ、「疑わしきは被告人の利益に」なのでしょうが、カレー事件の裁判などを見ても現実にはそうなっていません。
http://tod.cocolog-nifty.com/diary/2009/04/post-dd87.html
>あくまでも単純な最大公約数的物語によって、多くの人間の運命が左右される
取調べの可視化などできることは全部やって、そういう部分が少しずつ改善の方向に向かっていけばいいとは思うのですが…。
投稿: ぐすたふ | 2009年8月 6日 18:34
裁判員制度ですね。願わくばクジが当たらないようにと。
そして、被告人が若くて綺麗な女性でないことを願います。一目惚れしちゃって、情状酌量どころか無罪と言い張るような私ですから。どうか、裁判員に当たらないでください。と願うばかりです。
投稿: やっ | 2009年8月 6日 21:00
ぐすたふ さん:
和歌山カレー事件については、林真須美被告とそのダンナは、確かにしょーもない、ひどい夫婦だなあと思います。
ただ、いくら 「ひどい夫婦だなあ」 と思っても、だからといって、あのカレー事件の犯人が林真須美被告と断ずるには、証拠不足の感が否めないと、私も思います。
林真須美被告が実際にやったのか、やってないのかは別として、この場合は証拠不十分で無罪というのが、裁判としてはあるべき姿じゃないかという気はしますね。
感情的にはかなり割り切れませんが、論理としてはそうするべきだと思います。
投稿: tak | 2009年8月 6日 23:30
やっ さん:
>被告人が若くて綺麗な女性でないことを願います。一目惚れしちゃって、情状酌量どころか無罪と言い張るような私ですから。
イケメンの生意気な男だったら、「死刑!」 ということになったりして ^^;)
>どうか、裁判員に当たらないでください。と願うばかりです。
人間の運命というのは不思議なもので、その対象から逃げようとすると、逆に追いかけてこられるというようなことがあります。
(犬みたいなものです ^^;)
私は物好きですから、「裁判員、やったる、どんと来い!」 なんて思っていましたが、今回の産経のレポートが臨場感たっぷりだったので、「物好き心」 の方はずいぶん満たされたような気がして、「どんと来い」 感覚はかなり薄まってしまいました。
投稿: tak | 2009年8月 6日 23:36