アップル信者の気持ちがわかる
もう、本当に忙しい日が続いて、危うく今日の更新を忘れてしまうところだった。夜の 9時半を過ぎてパソコンに向ったが、さて、ネタが思いつかない。こんな日もある。
で、ふと気付いたら、iPhone を買って使い始めてから、今日でちょうど 2週間目になるのだった。今日はこのネタで行こう。
このネタで書こうとすると、どうしても一昨日会った M 氏に濡れ衣をかけられたことを報告しなければならない。彼はのっけから 「ウソを書いちゃいけないよ」 なんて言いだした。何がウソなのかと思ったら、私の 2週間前の記事である。それまでのケータイを紛失したので、思い切って iPhone を買ってしまったというものだ。
「あれは、ケータイをなくしたから iPhone を買ったんじゃなくて、iPhone を買う口実にするために、ケータイをなくしたということにしちゃったんでしょ」と言うのである。「だって、あなたみたいな仕事をしていて、そんなに簡単にケータイをなくすわけないじゃん」
いや、私は私自身の名誉にかけて言うのだが、あの記事は断じてウソじゃない。本当になくしてしまったのである。ちょっとおかしな話になっているが、ケータイをなくしたことが名誉というわけでは勿論なくて、ウソを書いたわけじゃないというのが名誉なので、そのあたりは誤解のないようにお願いしたいのだが。
本当になくしてしまったからこそ、連絡先などのデータが移行できなくて、まだ会う人ごとに電話番号を確認しまくって再入力に必死になっているのである。なくしたのがウソだったら、こんな苦労はしなくて済むので、M さん、誤解は解いておいてください。
M 氏がこんなことを言い出すのは、やはり iPhone の魅力というのに薄々感づかれているからだろう。ウソを言ってでも iPhone に替えたいということがあり得ると思っておられるわけだ。
確かに 2週間 iPhone を使い続けてしみじみとわかってきたのは、アップル信者になるメンタリティである。アップルのデザインは、どうも心の琴線に触れてしまうところがあるのだ。この魅力に触れてしまったら、細かい欠点はもう、なんだって許しちゃうという感じになってしまうのである。
例えば、2週間前の記事でも触れたことなのだが、フツーのケータイとして考えれば、iPhone はむしろ使いづらい。日本のドメスティックなケータイは、通話、メールに関してはもう、痒いところに手が届くというほどの進化を遂げてしまっているが、iPhone のインターフェイスはそこまで行っていない。というか、向いている方向が違うのだが。
iPhone に慣れようとしてちょこちょこと触っているうちに、つい用事もないのに相手の電話番号をタップしてしまい、意図せずに発信してしまったということが 3~4回ある。タップしたというよりは、つい何気なしに指先で触れてしまったという方が正しいのだが、それだけで電話がかかってしまうのだ。
これは本当に注意しなければならない。あわてて相手が出る前に電話を切っても、すぐに 「電話もらったみたいだけど、何か用ですか?」 なんてコールバックされてくる。「い、いや、買ったばかりの iPhone に慣れなくて、間違えて発信しちゃった。ゴメン」 なんて、謝りまくりである。
それから、今や当たり前になっているワンセグがみられない。iPhone は根がアメリカ人だから、国内仕様であるワンセグ機能は搭載していない。まあ、私はテレビがなくても全然困らない人だからそれでもいいのだが。
そして細かいことだが、なんと iPhone はストラップを付けるホールがない。だからソフトバンクの販売店がサービスで付けてくれた白い犬のお父さんのストラップは、無駄になっているのである。
さらに一番困るのは、バッテリーの消費が激しいことだ。なにしろケータイというよりはコンピュータだから、電力消費が大きい。そうでなくても、いろいろ楽しくて役に立つ機能が付いているので、電車に乗っているときなど、ついつい触ってしまう。
パケット定額だから、気軽にネットにつなぐ。パケット定額をフルに使いこなさなければ iPhone ユーザーである意味がない。当然にもバッテリーはどんどん消費される。それでいつも充電していなければならない。
こうした諸々の不都合があっても、それには目をつむりたくなってしまう。それほど iPhone は可愛いのである。もはや他のケータイには戻れない。こればかりは、理屈ではなく感覚の世界になってしまっている。
今や、5人家族の我家では、2人の娘が Mac ユーザーになった。そして、全員が iPod ユーザーである。この全員が iPod ユーザーというのは、私と長女が iPhone ユーザーで、次女が iPod Touch ユーザーであることを含んでいる。我家におけるアップル浸透率は、かなり高くなってしまった。
私なんか、娘の Mac をちょっと触らせてもらってから自分の Windows マシンに向うと、そのインターフェイスのダサダサ加減が目について、なんだかうら悲しい気分になってしまう。このあたりの感覚が、アップル信者の増える根本的な要因なんだと思う。
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コメント
仕事仲間が使っているi-phoneを見て、私もi-phoneの地図機能には目を見張りました。かなり惹かれましたが、調べていくうちに諦めました。一番の理由はストラップを付ける穴がないということです。
モノをなくしやすい粗忽者の私にとっては譲れない一点でした。携帯には長~いストラップを付けベルトやかばんに括りつけていますので、それができないとなると諦めざるを得ませんでした。
WEBサイトで調べると長所も多く、絶賛されていますが、短所も同様に多く、まだ買うべきでないという意見も多かったです。
びびり屋の私にとっては手が出せませんでした。
投稿: 偽浜っ子 | 2009年8月29日 20:53
偽浜っ子 さん:
>モノをなくしやすい粗忽者の私にとっては譲れない一点でした。携帯には長~いストラップを付けベルトやかばんに括りつけていますので、それができないとなると諦めざるを得ませんでした。
ストラップが付けられないわけではないみたいです。(下記 URL 参照)
http://ascii.jp/elem/000/000/437/437611/
ただ私もストラップは必需品と思っていて、しっかりと付けていましたが、それでも紛失してしまったので、開き直りました ^^;)
投稿: tak | 2009年8月30日 19:47
iPod、iPhoneはともかく、パソコンに関してはWindowsから離れられない私です。DOS時代からPCに馴染んでいるので、いまだにコマンドプロンプトが忘れられなかったり(笑)
あ、でも考えてみたらMacも今やUNIXベースなんだから、ターミナルもあるのか!
投稿: 山辺響 | 2009年8月31日 14:20
山辺響 さん:
>iPod、iPhoneはともかく、パソコンに関してはWindowsから離れられない私です。
私も、実際問題としては過去の遺産が Windows ベースで構築されすぎてるので、一挙に Mac には行けないと思います。残念ながら。
>DOS時代からPCに馴染んでいるので、いまだにコマンドプロンプトが忘れられなかったり(笑)
そりゃすごい。
私なんかほとんど忘れました。
というか、代表的なコマンドは覚えてますが、細かいルールは、もう完全にあやふやになってしまいました。
>あ、でも考えてみたらMacも今やUNIXベースなんだから、ターミナルもあるのか!
Mac を CUI で使ったら、きっとかなりの話題になりますよ (^o^)
投稿: tak | 2009年8月31日 15:34
私も基本的にはもちろんGUIなんですが、それでも「ファイル名を指定して実行」で「cmd」と打ってコマンドプロンプト表示させることは多いし、年に数本(笑)くらいバッチファイルを書いています。
投稿: 山辺響 | 2009年9月 3日 14:18
山辺響 さん:
>私も基本的にはもちろんGUIなんですが、それでも「ファイル名を指定して実行」で「cmd」と打ってコマンドプロンプト表示させることは多いし、年に数本(笑)くらいバッチファイルを書いています。
それは、相当身に付いちゃってますね。
私は MS-DOS が嫌いで、Windows 3.1 が出てくるまで、自宅ではパソコンを買いませんでした。
(富士通のワープロ、OASYS に、時々 DOS を走らせて PC として使ったりはしてましたが、本当に嫌々ながらでした ^^;)
Windows 3.1 のリリースがもう半年遅れていたら、きっと Mac ユーザーになっていたと思います。
投稿: tak | 2009年9月 3日 14:43