『唯一郎句集』 レビュー #50
本日から 4日間、缶詰め状態の忙しさになるので、多分 "Today's Crack" の更新ができないのではないかと思う。
仕方がないので、『唯一郎句集』 のレビューを書きためておいて、自動更新されるようにセットしておくことにする。
今日は枇杷の登場する 3句である。前にも枇杷の出てくる句があったような気がして、検索をかけてみたが、見つからなかった。ちょっと意外である。
さっそくレビューしよう。
われ枇杷をふり仰ぐさみしき心せぬとき
庭に枇杷の木があったのだろう。その枇杷の木をふり仰ぐのは、「さみしき心せぬとき」であるという。
心淋しいときには、枇杷をふり仰ぐこともできない。枇杷の実のなるのは晩春から初夏である。さわやかな気持ちのする季節、取り立てて気持ちが高揚したわけでもないが、ようやく枇杷を見上げる気持ちになった唯一郎。
我家の如く振る舞ひ枇杷の種が大きく
枇杷の種がいくら大きいといっても、それが家の中でそれほど堂々とした位置を占めるわけでもない。しかし唯一郎独特のクローズアップ手法では、それがとても大きい存在である。
我家のごとく振る舞うほどの枇杷の種が、艶々と輝いている。種の大きさと、その背後の小ささ。
はづかのたたみの温もりを親しみて枇杷を食ふ夜
さあて、困った。唯一郎句集を読んでいると、時々見慣れない言葉が出てきて、どういう意味だかわからないことがある。よく考えればわかるのだが、この「はづかの畳の温もり」は、本当に困った。「はづか」って何だ?
「二十日」 かとも思ったが、それでは意味が続かない。もしかして「僅か」かもしれない。かなり古い時代の古語表記では「はつか」というのがある。発音通りに濁点をふれば「はづか」である。
ここでは、「わずかな畳の温もり」 という解釈を採用しよう。
畳がひんやりと冷たい季節を過ぎ、枇杷を食べる頃はようやく畳が温もりを持つ頃だ。夜更けになっても、その温もりは失われない。ざ
その温もりがうれしいが、家族の誰とともにということもなく、一人で夜更けの枇杷を食う唯一郎。
本日はこれまで。
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