« 老舗大国、日本 | トップページ | 『唯一郎句集』 レビュー #54 »

2009年8月21日

良識の落とし穴

良識というのはあった方がいいものだけれど、ありすぎると、なんとなくうっとうしくなる。世の中の「過度に良識ある大人 の方々には、ちょっと違和感を覚えるところがある。

例えば、「電車内での化粧」に対する反応である。「我こそは良識の固まり」と思っているような方々は、あれを目の敵にする。

彼らは口を極めて電車内での化粧を罵倒する。「みっともない」と罵倒しながら、心の中ではほとんど「悪いこと」と思っているのである。「典型的悪」と「典型的みっともない」の間には、かなりのグレーゾーンがあると思うのだが、彼らにとっては、ほとんどの「みっともない」は「悪」の一部と位置づけられるようなのだ。

電車内での化粧が「悪」であるなら、化粧をしないことが「善」であるかといえば、そういうわけじゃない。それは単に「フツーのこと」である。良識派としては「善」を為したいと思う限り、単に「フツー」のままではいられない。

「フツー」以上のことをして「善人」の領域に収まるためには、電車内での化粧を非難しまくるほかない。そこで初めて彼らは「善」を為したような気になる。「良識派」としての存在意義は、そこにあるという気がしている。だがこれって、もしかしたら「善の奴隷」なのかもしれないと、私は疑う。

私は電車内での化粧を、とりたてて「悪」とは思わない。悪なら取り締まらなければならないが、そうした法律も条令も聞いたことがない。ものすごく混んだ車内で始められたら、そりゃ迷惑だが、そうでもないなら、無理に止めさせるにも及ばない。

「電車内での化粧は、匂いが迷惑だからいけない」 という、一見もっともらしい指摘もあるが、匂いの迷惑は、化粧の最中だろうが後だろうが、それほど変わりない。私の経験では、化粧の真最中の匂いが気になったことはほとんどないが、目の前に立った女性の暴力的なまでの香水の匂いに、息が詰まりそうになったことは度々ある。

だから「匂いの迷惑」というのは、案外取って付けたような理由である。電車で食事をするのも、匂いが迷惑だから困るという人もいるが、それを言い出したら、特急列車の中の駅弁も食えなくなってしまう。やはり、取って付けた理由である。

私自身は電車内での化粧をことさら「悪いこと」とは思わないが、「みっともない」とは思う。そのみっともなさの根本的な原因は、やはり「ウチ」と「ソト」の区別のなさだと思う。

化粧というのは「着替え」と似たところがある。電車内で着替えをされたら、そりゃあ、周りが驚く。それの程度の軽いのが、電車内での化粧への違和感である。やっている方は堂々たるものでも、周囲の方で抵抗感があるのだ。「裸になってるわけじゃないんだから、いいだろう」と言っても、こればかりは感覚的なものだからしかたがない。

とくに、化粧の終盤で鼻毛のチェックだかなんだかしらないが、手鏡をのぞき込みながら鼻の下を思い切り伸ばしてものすごい形相をされたりすると、もう違和感を通り越して「お笑い」である。お笑いで済めばいいが、さらに「ホラー」の領域に達することもあるから大変だ。

私は「善悪」と「マナー」はある程度区別して考える方がいいと思っている。「悪」は非難されてしかるべきだが、軽度のマナー違反に間して「善悪」の視点で必要以上に咎め立てしすぎると、「うざったいオッサン/オバサン」になってしまう。

そんなわけで、「どうして電車で化粧しちゃいけないの?」なんて、良識派にとっては思いがけない質問で返されるとうろたえたりする。うろたえるだけならまだいいが、「誰にも迷惑かけてないんだから、ほっといて」なんて反発されて、逆効果になってしまうこともある。

世の中には「いい/悪い」より、「かっこいい/かっこ悪い」という視点で語る方が説得力があることも多い。このことに良識派は気付かない。

私の 8月 12日のドラッグについて論じた記事に、きっしーさんが "「ドラッグは危険」と錦の旗を振り回すよりも、「いいトシこいて」と冷笑するに限る" というコメントをくださった。麻薬はマナーのレベルの話ではないが、これも確かに「かっこいい/かっこ悪い」という視点の方が効果があるかもしれないと思ったりする。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

|

« 老舗大国、日本 | トップページ | 『唯一郎句集』 レビュー #54 »

世間話」カテゴリの記事

コメント

“正義”において。
 『勧善懲悪しないと引っ込みが付かない』状態になって、より攻撃的になる人がいます。
 上げた拳のおろしどころに、執着します。

 空気読めない輩。

投稿: 乙痴庵 | 2009年8月21日 12:38

乙痴庵 さん:

>“正義”において。
> 『勧善懲悪しないと引っ込みが付かない』状態になって、より攻撃的になる人がいます。

いますね。
自分は善人である、正義であると、何の疑いもなく思いこめる人です。

投稿: tak | 2009年8月21日 18:47

追加コメント失礼します。
 以前の職場においては、そのような方がおりました。
 自分だけその場の(楽しそうな)雰囲気に乗り遅れ、その悔しさを怒りに変えて、「職務中に不真面目な態度を見せるな!」と叱責して、輪の解散に持ち込みます。

 アタクシはどちらかと申しますと、正義のほうにウェイトを置いているつもりです。(拙いメルマガで散々やってます)
 よっぽどその輪の盛り上がりが、業務に支障を来たす(電話が聞き取れないとかやたら下品など)場合であれば静止、抑制の方向に動きますし、抑制するにしても“穏やかに”持ち込むつもりです。

 この点については、同じ正義重視の土俵に立っていても『おまえらとは違うもんね!』と、強調しておきたい。
 …小心者ですから。

投稿: 乙痴庵 | 2009年8月21日 19:50

電車内でイヤフォンを耳に差し込んだままにしていましたら、駅で乗り込んできた、いかにも“自分は善人だ”という雰囲気を漂わせてる男に“もっと音量を落とせませんか”と言われびっくりしました。だってウォークマンは電池切れで一切音は出ていなかったんですから。

ああいう人って、自分は善人だって主張できる舞台を鵜の目鷹の目で探してるんでしょうね。正に善の奴隷。

投稿: 偽浜っ子 | 2009年8月21日 20:48

乙痴庵 さん:

>自分だけその場の(楽しそうな)雰囲気に乗り遅れ、その悔しさを怒りに変えて、「職務中に不真面目な態度を見せるな!」と叱責して、輪の解散に持ち込みます。

「職務中に不真面目な態度を見せるな!」とか、一見、誰も反対できないテーゼこそ、一番アブナイんですね。

昔のサヨク用語では 「教条主義」 なんて言ってましたっけか。

最近では 「原理主義」 なんていう言い方もありますね ^^;)

投稿: tak | 2009年8月22日 07:16

偽浜っ子 さん:

>電車内でイヤフォンを耳に差し込んだままにしていましたら、駅で乗り込んできた、いかにも“自分は善人だ”という雰囲気を漂わせてる男に“もっと音量を落とせませんか”と言われびっくりしました。だってウォークマンは電池切れで一切音は出ていなかったんですから。

スゴイですね ^^;)

そこまで行くと、感覚まで自分の信念で左右してしまうんですね。
聞こえない音まで聞いてしまうとは。

投稿: tak | 2009年8月22日 07:19

自分の価値観が正しいと思ってしまうのは、誰でもそういうものだと思います。
ただ、衆目を無視してあからさまに批判している現場に遭遇すると、ちょっと引いてしまいますね。

まあ、昔はどこにでも恐いおじさんやおばさんがいたような気もしますが…。
その逆に大らかな人たちもいて、うちの近所には夏場にほとんど下着姿で家の前に出ているおばさんもいましたね(^^;

個人的には、多少の迷惑はお互い様くらいに構えているのがラクかなぁと思っています。

投稿: ぐすたふ | 2009年8月23日 10:30

ぐすたふ さん:

>個人的には、多少の迷惑はお互い様くらいに構えているのがラクかなぁと思っています。

電車で化粧する子たちは、多分、多少に関わらず 「迷惑なんてかけてないもん」 と思っているはずです。

確かに、私もそれは 「迷惑」 ではないと思います。

「見ている方が気恥ずかしい」 という感覚を、「迷惑をこうむった」 と規定するならば、それは広義での 「迷惑」 かもしれませんが、私の感覚としては、それを 「迷惑」 というのは、我が強すぎると思います。

こういうと、私が電車内化粧派を擁護していると誤解されるかもしれませんが、決してそうじゃありません。

私はあれは 「かっこ悪い」「みっともない」 「頭悪そうにみえる」 と思います。ただ、「善悪」 の視点で糾弾するほどの理由が見いだせないでいるだけなのです。

投稿: tak | 2009年8月23日 21:32

>電車で化粧する子たちは、多分、多少に関わらず 「迷惑なんてかけてないもん」 と思っているはずです。

まさにその通りでしょうね。音の話なども出ていたので「迷惑」という言葉を使ってしまいましたが、「価値観の違い」くらいに受け止めておいてください(^^;

善悪や良識というのも一種の価値観で、国や時代によっても結構違いがあると思うのですが、同じ時代、同じ国にいてもそういうモノサシに違いがあるのでこの手のすれ違いがあちこちで起こっているんでしょうね。

投稿: ぐすたふ | 2009年8月24日 18:41

ぐすたふ さん:

>善悪や良識というのも一種の価値観で、国や時代によっても結構違いがあると思うのですが、同じ時代、同じ国にいてもそういうモノサシに違いがあるのでこの手のすれ違いがあちこちで起こっているんでしょうね。

それが、まさに難しいところですね。

投稿: tak | 2009年8月25日 19:37


電車内の化粧。いいと思いますよ。筑波山の眉毛無しガマガエルが、シーズー犬のような愛くるしい顔に化けるのを見て続けてみたい。

あれは、ずっとニヤニヤしながら見続けてもいいものなんでしょうか?。それは、世間の常識というか、尺度というか、ありなんでしょうか?なしなんでしょうか?

投稿: やっ | 2009年8月25日 20:01

やっ さん:

>あれは、ずっとニヤニヤしながら見続けてもいいものなんでしょうか?

気を付けてください。スゴイ形相で睨み返されたりします ^^;)(以下、参照)

https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2008/11/post-05e0.html

投稿: tak | 2009年8月25日 23:21

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 良識の落とし穴:

« 老舗大国、日本 | トップページ | 『唯一郎句集』 レビュー #54 »