『唯一郎句集』 レビュー #64
秋の彼岸が過ぎて、初めての週末。雲は多いが、雨の心配はないという土曜日になった。近所から子どもの声が聞こえる。
しばらく子どもの声のない街並みだったが、この住宅地ができた頃に子どもだった世代に、子どもができ始めている。私もここに住み始めて 30年近くになっているわけだ。
さて、週末恒例の『唯一郎句集』レビューである。前回に引き続き、初夏の頃から真夏の頃と思われる 4句。初めの 3句が見開きの右側のページにあり、4句目は「父三周忌」として、左側に 1句だけ載せられている。
雀の巣の藁を垂れたるままなり
雀は屋根の隙間などに巣を作るので、人の目は届かない。ただ、巣の下に材料の藁くずなどが散乱していると、その上に雀が巣を作ったのだとわかることがある。
この句のように、多分軒下にだろうが、藁くずなどが垂れ下がったままになっていると、そこに雀の巣があると、誰にでもわかってしまう。
軒下で、風に吹かれている藁くず。ほほえましいが、なんとはなしに中途半端な光景。もしかしたら、自分の身の上と重なる思いがあったかもしれない。
風の夜の蛙の声とだえてはひたすら聞ゆ
風の強い夜、一際の強風がごぉっと渡ると、さしもの蛙の大合唱も一度途絶えることがある。
一度途絶えても、すぐにまた聞こえてくる。ひたすら鳴き続ける蛙たち。
あるいは、風がわたって途絶えている間でも、しーんとした静寂の中にいながら、耳の奥で蛙の声はひたすら聞こえているのかもしれない。
順々に接木をしては咽せて居るなり
庭の気の手入れをする唯一郎。順々に接木をしている。そして時々咽せて咳をする。
ただそれだけの句である。それだけなのだが、妙な高密度を感じさせる。
目の前の植木、その他の要素は一切視界にない。そして自分の体の側のいがらっぽさ。小さな小さな無関係の関係性。
父三周忌
やすけやしおくつきの夏草の花にかしこまる
いつの間にか、父の三周忌の句になっている。
ちなみに三周忌とはあまり聞かない言い方で、普通は「三回忌」である。亡くなった翌年は、いわば「満年齢」のような数え方で 「一周忌」、その翌年から「数え年」的なコンセプトで「三回忌」というようになる。
ただ、Goo 辞書で「三周忌」を引くと「三回忌」と出てくるから、一周忌をすぎてしまってからの言い方は、あまり厳密な区別はしないようだ。だから、この句も父が亡くなってから 2年目の命日に作られたのだろう。
「やすけやし」とはまた、ずいぶん古めかしい言い方だ。少なくとも私は、この句のほかにこの言い方を知らない。
三省堂の『例解古語辞典』を引くと「安けく」という言葉があり、「く」は上代の助詞で、「心が穏やかなこと、心が安らかなこと」とある。父の御霊に向かい「安らかであってください」という深い詠嘆の心が、凝縮されて「やすけやし」という言葉になっている。
「おくつき」は「奥つ城」で、本来は外界から離れた神聖な霊域を指すが、一般的には「お墓」のことである。夏草の繁る父の墓所に花を供え、かしこまって手を合わせる唯一郎の姿が目に浮かぶ。
「夏草の花にかしこまる」という表現が、「周囲の夏草が供えられた花にかしこまるように、子孫がおしなべて亡き父にかしこまる」という比喩のように思われる。
唯一郎は信仰心篤く親孝行であったと伝えられるが、この句にもそれが現れている。
本日はこれぎり。
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