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2009年9月27日

『唯一郎句集』 レビュー #65

今週が終わらないうちに 9月が終わる。そうすれば、今年もあとわずか 3ヶ月しかなくなる。人の世はあわただしいことである。

あまりあわただしい中にどっぷりと浸っていると、心までせわしくなってしまうから、時には俳句や和歌の世界にひたって、少しは別の次元の時の流れに身を任せるのがいい。

というわけで、『唯一郎句集』のレビューもこれで 64回目ということになった。さっそくだが、今日は真夏の 3句である。

古ぼけた蚊帳の匂ひよ螢をころす

昔はどこの家でも夏の夜は蚊帳を吊って寝ていた。年代物の蚊帳は独特の匂いがあったのだろう。決して不快な匂いではなかったようだが。

この蚊帳の中に誤って入ってきた螢をつい叩いて殺してしまったのだろうか。今は螢は貴重品扱いだが、昔はどこにでもいたので、それほどの感傷はなかたのかもしれない。それにしても、暗闇の中でぼうっと光る螢を殺してしまったので、少し夢見が悪かったのかもしれない。

夏夕妻を叱りたる心天を胸につまらすなり

「夏夕」 は普通の辞書には載っていないほど珍しい言葉だが、俳句の世界では「なつゆうべ」と読むらしい。当然ながら夏の季語になっている。

「心天」は「ところてん」の当て字。「心太」と書くのが本来だが、音のよく似た「心天」 の表記も並行して使われていた。

夏の夕べに心ならずも妻を叱ったので、普通は胸につかえるはずのないところてんが胸につまる気がする。繊細な心である。

随身の女の悲しみ見る夏草の夜にしげり

「随身」とは、お供をすること、または付き従うこと。上記の句と同じ夜に作られた句だろうか。叱ってしまったものの、妻の悲しみがわかるような気がする夏の夜。

暗い庭に夏草が茂っていて、そこで虫が小さな声で鳴いている。

本日はこれぎり。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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