「脱官僚国家」 ということ
民主党政権は官僚の記者会見禁止の方針を打ち出すなど、「脱官僚国家」のビジョンを強調している。官僚は近頃、すっかり悪役になってしまっているようだ。
別にかばい立てする義理はないが、官僚が根本的に悪いわけではないと、私は思っている。ただ「制度疲労」を起こしていたのだ。
近頃の日本は、確かに「官僚主導」と思われてもしかたのないことが多かった。要するに「官僚国家」の様相を呈していたのだと思う。大抵の施策は官僚がお膳立てし、しかもそのお膳立てが微に入り細に入り、役人のさじ加減で決められているという場合が多かった。
中には、「そんな施策、何の意味があるの?」というような、はっきり言って無駄としか思われないことでも、勘ぐれば(というか、別に勘ぐらなくても)、官僚の点数稼ぎ(内容はともかく、形式的な実績作り)のために進められているというようなことも、いくつもあったし、今でもある。
そしてそんな馬鹿馬鹿しいことに、税金は容赦なく注ぎ込まれてきたし、現に今も注ぎ込まれているのである。靴の上から足を掻くような書き方をしてしまっているが、あまりはっきりと書けないようなことを、ちょっとだけだけど知ってしまっているわけなのだ。まあ、いろいろな業界で長くやっている人なら、少なからずそうしたしがらみはあるだろうと思う。
こうした無駄遣いは、やはり「官僚主導」だからできるのだと思う。政治家と官僚が持ちつ持たれつの関係を続けているうちに、「ツーカー」になりすぎて、官僚が自分たちの判断で適当に進めたり根回ししたり、いろいろなことをやってしまえる土壌ができているのだ。
大きな案件(と、小さくても利権がらみのこと)は、さすがに政治家が最終的判断をするのだろうが、小さな案件は、ほとんど官僚が主導している。そして世の中のほとんどのことは、多くの「小さなこと」の積み重ねなのだ。さらに「ちょっと大きなこと」でも、官僚が都合のいい情報ばかり政治家に上げてしまえば、大抵何とかなってしまったりする。
で、官僚の情報なんて、こう言っちゃ何だが案外現実離れした机上の空論ということが多いので、世の中では「ひとつの業界で成功するには、国の方針と逆のことをすればいい」なんて言われたりする。少なくとも、お国の方針に忠実に従っていてはまず浮かばれない。
こうした「政官癒着」による芳しからざる状況は、適当に政権交代のある世の中でないと打開できないと思う。事実、これまではずっと進む一方だったのだから。やはり時々「ガラガラぽん」することが必要なのだ。それでこそ、政治家にも官僚にも適度な緊張感がでようというものだ。
私は決して民主党支持というわけじゃないのだけれど、そんなわけで、この度は政権交代が実現してうれしいと思っている。そして、自民党にはきちんと二大政党の片っぽでいてもらいたいと思う。このまま万年野党におちぶれることのないように。
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