『唯一郎句集』 レビュー #69
「もう 10月か」 と思ったばかりなのに、あっというまに日付が 2桁になってしまった。「秋の日はつるべ落とし」 というが、この年の進み具合もまた、つるべ落としになってきた。
『唯一郎句集』 はページ数にして、まだ 3分の 2 を終えていない。しかし、家庭人となり、成熟しつつある俳人の様子をうかがわせている。
研ぎ澄まされたような鋭さと危うさを併せ持った十代から二十歳前後にかけての作風から、段々とやや超越した感のある作風に変化しつつある。自らの足許を見る視線も、徐々に安定感をもち始めている。
さっそくレビューに入ろう。
じつとして蛙をきいて見よと吾子にいひしが
最近はかなり少なくなったが、昔は春から秋にかけての夜は、蛙の鳴き声が響き渡っていたものだ。しかし、その声は不思議にうるささを感じさせない。あれほど鳴り響いているのに、いつの間にか 「聞こえない音」 になっている。
太古の昔から人間の耳に馴染んでいたため、ある意味、目立たない背景のような音になってしまったのだろうか。
唯一郎は自分の子どもに、じっと静かに蛙の鳴き声を聞いてみるように言ったのだろう。じっと聞けば、その僅かな変化や趣が感じられる。しかし、子どもはすぐに飽きて他のことに気を取られる。
静かさを好む唯一郎には、子どもの移り気と元気さが不思議なものに思えるほどだろう。
チヤルメラふきがゆく常盤木の群らがり
酒田の街には満州出身者を初めとする中国人が住み着いていて、彼らが 「酒田ラーメン」 を広めたという説がある。チャルメラも彼らが持ち込んだものなのだろう。
チャルメラの音が通り過ぎると、見慣れた常緑樹の生け垣などが、別のもののように感じられることがある。
春の夜の川底を泳ぎ來るそのかたちを思ふ
ちょっとシュールで難解な句だ。春の夜というものが、川の底を泳いでくるというのだろうか。言われてみれば、春の夜の迫り方はそんなイメージだと言えないこともない。
ただその泳ぐ形は誰にもわからない。凛とした寒さが去り、暖かくゆるんだ空気でありながら、夜が深まるとともに寒さもぶり返す。その形は計り知れない。
母肩を病む夕すわり吾子もすわり
肩こりに悩む母が、夕暮れの縁側に座る。自分の子どもも並んで座って、夕暮れを眺めている。
三世代の中間である自分は、それを背後から眺めている。親和感と断絶感の不思議な共存。
本日はここまで
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