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2009年10月24日

『唯一郎句集』 レビュー #72

秋という季節は、一週間経つのが異常に早く感じられる。あっというまに週末で、恒例の 『唯一郎句集』 レビューである。

句集のページが進むに連れて、いつ頃に作られた句なのだかわからなくなっていたのだが、今回取り上げる作品は、唯一郎が 31歳頃のものとわかる証拠付きだ。

函館大火にちなんだ句がある。函館は何度も大火に見舞われているが、一番大きくて全国的にもニュースになったのは昭和 9年 3月のものだ。風速 30メートル以上の強風にあおられ、市街地の 3分の 1が消失、1000人以上が亡くなったという。この時のことだろう。

唯一郎は明治 36年生まれだから、この頃は 31歳。17~18歳の頃に俳句を朝日俳壇に投稿して認められてから、13年以上経っている。この間、結婚し、子どもができている。父を亡くし、稼業の印刷屋を継ぎ、俳句の道を追及して上京することを諦めた。

だから、この頃の作品は、よく言えば余裕ができているが、反面、若かりし頃の研ぎ澄まされたような感覚は薄れている。そしてこの頃から文人趣味が色濃くなりつつある。

前置きはこのくらいにして、レビューに入ろう。

唐辛子の花のほほけ見つくす六月の空

唐辛子の花は決して赤いわけでもなく、ナス科の植物だからと言って紫なわけでもない。意外なほど清楚な白い花を咲かせる。その花が 「ほほけ」 て、つまり、熟れてしぼみかけてしまった 6月の頃である。

唯一郎の「朝日俳壇」 時代の句に、「この春はほけたる蒲公英のみ見たり」 というのがある (参照)。「ほける」 も 「ほほける」 も同じ言葉で、あまり一般的ではないが、庄内では昔通に使われていたようだ。

6月の空と言っても、庄内は梅雨入りがそれほど早くないから、多分初夏のすがすがしい空だろう。空がすがすがしいほど、自分の心のうつろさが感じられたかもしれない。

どよもすも秋潮のほうき草立つ枯畑

初夏から一気に秋になる。

「どよもす」 は 「どよめく」 と共通して、「響き渡る」 という意味。秋の海の波が高くなって、浜に打ち寄せる音も大きくなっている。冬になればさらに海は荒れて、海鳴りがとどろき渡るようになる。

海岸の畑に立つほうき草。ほうき草は、その名の通り、枯れた茎を束ねてほうきにする植物。実は「とんぶり」と呼ばれる珍味である。

刈り取る前の枯れたほうき草の彼方に、荒れる海が見えるという、映画のような荒涼とした光景。

 車中

焼け跡の函館へ行く女の話琵琶湖へ落ちる日

これが昭和 9年と特定する証拠となった句。この年の函館大火は 3月のことで、もしかしたら掲載順がずれていて、大火直後のことかもしれないが、復興にはかなりの時間がかかっただろうから、秋頃だとしでも 「焼け跡の函館」 という表現は別におかしくない。

「車中」 とあるから、自分も北海道に向っているのかと思えば、「琵琶湖に落ちる日」 とあるから、近江を旅している時の句である。多分、大阪か京都を訪ねて酒田に帰る車中だろう。

関西から焼け跡の函館に向う女も同乗していて、さかんに火事の話をする。酒田も火事は多く、昭和 51年の酒田大火では、唯一郎の残した印刷所も焼けたほどだから、身につまされるところはあっただろう。

しかし、元来それほど話し好きではなく、しかも関西弁の会話にも加わりにくく、話を聞くだけで窓の外の光景を見つめる唯一郎。

細かいことだが、「琵琶湖に落ちる日」 ではなく 「琵琶湖へ落ちる日」 なので、日は琵琶湖の水面に達していない。海に沈む夕陽のように、琵琶湖の水平線に日が沈むのかどうか、私は見たことがないので知らない。

本日はこれぎり。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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