あいさつのできないやつは……
「ビートたけし、若手芸人を怒った島田紳助に苦言「オレんとこは、紳助の逆に “あいさつ禁止” にしようかな」いう痛いニュースの記事が目を引いた。
紳助がなまじ怒ってしまったために、昼寝してる楽屋まで来られて、若手にやたらと挨拶されるのが、うざくてしょうがないのだという。
まあこれは、たけし一流のひねった言い方なのだろうが、ちょっと真面目に考えてみると、「あいさつ」 というのは確かになかなか大変な問題だ。「たかがあいさつ、されどあいさつ」である。
別に芸能界とか水商売に限らず、多少なりとも共同作業の必要な仕事の現場では、あいさつのちゃんとできないやつは、ほとんど使い物にならないやつである。これは確かに言える。永六輔さんの番組で聞いたことだが、職人の世界では「風を読む」ことが大切なのだそうだ(「空気を読む」じゃない)。
風を読めるやつは、教えられなくても先回りして自分のやるべき仕事を察し、言われる前にこなしてしまうことができる。こういう職人は、現場でとても重宝がられる。逆に、言われなきゃわからないどころか、言われてもまだぼうっとしているようでは、使い物にならない。
で、経験知から言うのだが、いろいろな仕事の現場でさっさと仕事ができず、浮いてしまうどころか片隅で沈んでしまうのは、大抵「あいさつのできないやつ」である。だから、あいさつさえできればいいというわけでは決してないが、あいさつができないというのは、かなり印象悪い。
つまり、仕事の現場での「あいさつ」というのは、「自分、積極的にこの現場に関与させていただきますんで、よろしく!」という意思表明みたいなものだ。それがないと、やはりちょっとやりにくいのは確かである。
で、それは基本の基本、ABC の A として認めた上で、だからといって、あいさつがないからとて、ことさらに怒ったりおどしたりするというのも、いささか考え物だ。そんなことで怒っていいなら、あいさつは「威張りたがり屋」「親分風吹かせたがり屋」のおもちゃでしかなくなってしまう。
もし、そいつのためを思うなら、ちょっと物陰にでも呼び出して、さりげなく注意してやればいい。そしてそれでも改まらなければ、そいつは遠からず自然に去って行かざるを得ない状況になるだけだ。
あいさつは強制じゃない。自発的行為である。強制してしまうと、何でも形だけのものになる。形だけのものだったら、たけしのいうようにうざいだけである。
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