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2009年10月13日

「風薫る」は英語に訳せない

昨日の記事で、"Pleasant wind and the smell of the South country." という英文の元々の日本語は 「南国の気持ちよい風と匂い (あるいは 「香り」?) だったんだろうと書いた。

匂い(または 香り)を "smell" と訳すのは、あんまりだろうというわけだ(参照)。だが、じゃあ何と訳せばいいのかということになる。

この記事のコメントで、alex さんが aroma, flavor〈古〉, foil (けだものの)〈古〉, fume, nose, odor, perfume, scent, smell と、臭覚関連の英単語をずらりとならべてくださっている。この中で alex さんも当惑しているが、 "flavor" が古語というのは、驚きである。

ただ、上記の単語のどれを選べばいいのかといっても、どれも違和感がある。それも道理で、「南国の気持ちよい風と匂い」なんて言っても、漠然としすぎていて、「何の匂いなのか」が特定されていないと、英語にしようがないのだ。「南国そのもの」には、特定の匂いはない。だから日本語として成立しても、英語にはしにくい。

例えば、「風薫る五月」という定型句的な言い方がある。しかし、ちょっと考えてみればわかることだが、実際には風に香りなんかない。風は何かの香りを運んでくるだけである。だから「風薫る」は厳密に言えば英語には訳せない。強いて訳そうとすれば「風が○○の芳香を運んでくる」というような言い回しにしなければならない。

しかし日本人は、五月のさわやかさを称して「風薫る」と言い、それで何の疑いも抱かないどころが、具体的には何の香りかさっぱりわからないし、あるいは実際は、特段何の香りがするというわけでもないのかもしれないのに、感覚的には妙にしっくりきてしまうのである。

つまり「さわやかな風」という、どちらかといえば皮膚感覚的なものを「薫る」と言ってしまって、つまり臭覚的な表現に置き換えてしまって、全然平気なのである。「それって、一体何の香りなんだ」なんて野暮なことは、誰も聞かないのだ。

これに関して私は 3年ちょっと前に、「脳内感覚コンバーター」という記事を書いている。テキストを読んで自然にイメージが浮かぶかという問題から、考えをちょっと発展させたものだ。この中で、私は次のように書いている。

梅干しを見ただけでつばが出るとか、明治の落語家、四代目橘家圓喬が真夏に 「鰍沢」(雪山の噺)を演じたら、客がみな震えたとか、五感(視覚・聴覚・臭覚・味覚・皮膚感覚)というのは、容易に変換がきくと思ってもいいように思う。

あるいは、五感というのは、それぞれ別物というよりは、元々トータルで統合的な対象を、異なった感覚器官(目・耳・鼻・舌・皮膚)を通じて認識した際の、分化した感覚とみていいのではなかろうか。

こうしてみると、「風薫る」 という表現は、五感が未分化な状態の非常にプリミティブな感覚を、とてもアーティスティックに昇華させた言い方だということができる。具体的でないところが、かえって抽象的で、神秘的ですらある。

五感の未分化な状態というのは、歌舞伎の演出にとてもよく応用されている。例えば、大太鼓をやわらかく「ドンドンドン……」と叩くと、それは雪が降っているということだ。この音を聞くと、雪の舞い散る様子が見え(るような気がして)、寒くもないのに(本当に)ちょっとぞくぞくっとする。聴覚が自然に、視覚と皮膚感覚に変換される。

いや、変換されるというより、ある感覚的刺激をきっかけに、遡ってその本質的なイメージが喚起され、今度は五感全体に還元されてしまうのだ。

だから「風薫る」を「風そのものに薫りなんてない」と切り捨ててしまうよりも、そこからイメージを限りなく喚起して味わえる方が、人生としては確実に楽しい。ただ、「風薫る」もあまりにも陳腐なステロタイプになってしまったというのも確かなので、もっと斬新な表現を開発するのも一興かも知れない。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

風に香りなんかない。風は何かの香りを運んでくるだけである。だから、「風薫る」は、― 中欧の感覚ではBREEZEが最も近いかと思います。但し「北東の風」が原義と辞書にも載って入るように、五月の雰囲気が異なればどちらも訳しようがないですね。尚更「南国の風の香り」 では、島にいる時の涼しい風なのか、何なのか、私には聖子の歌声しか響きませんが。

視覚的であろうと臭覚的であろうと、言葉が持っている地域的な文化背景を無視して直訳することは不可能と思いますが、それに近い雰囲気はなんとか当てはめることが出来るでしょう。

投稿: pfaelzerwein | 2009年10月13日 15:29

pfaelzerwein さん:

>中欧の感覚ではBREEZEが最も近いかと思います。

そうですね。
体感的にも共通するでしょうね。

>視覚的であろうと臭覚的であろうと、言葉が持っている地域的な文化背景を無視して直訳することは不可能と思いますが、それに近い雰囲気はなんとか当てはめることが出来るでしょう。

その辺が、翻訳者の腕の見せ所になるんだと思います。

投稿: tak | 2009年10月13日 15:40

south country というのも、アメリカ風の感覚では「南国」ではなくアラバマあたりの感じでしょうか。

「風と共に去りぬという」映画があるくらいだから彼の地でも風は吹くのでしょうが、私のような日本人のオジサンの情緒からすると、Tシャツで訴えるような心地よい風はタヒチやハワイ、せめて宮崎くらいで吹いていてもらいたいなあ。

投稿: きっしー | 2009年10月13日 21:45

きっしー さん:

>south country というのも、アメリカ風の感覚では「南国」ではなくアラバマあたりの感じでしょうか。

確かに。
なので、私も昨日の記事で、アラバマには恐縮ですが、「南の田舎」 なんて書いちゃいました。

>Tシャツで訴えるような心地よい風はタヒチやハワイ、せめて宮崎くらいで吹いていてもらいたいなあ。

イラストはどうみてもハワイっぽかったんですがね ^^;)

投稿: tak | 2009年10月14日 13:11

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