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2009年10月10日

『唯一郎句集』 レビュー #68

秋だからだろうか。近頃、週末の来るのが本当に早い。ふと気付くと、一年中週末のような気さえする。あるいは、今年の秋が、妙に秋らしいからだろうか。

というわけで、週末恒例の『唯一郎句集』レビューである。取り上げる句は、晩春から初夏の季節の 3句。

こうしてみると、唯一郎の句というのは自由律ではあるが、季節感というものをかなり色濃く表現した句が多いということに気付く。庄内の暗く厳しい冬から若葉の芽吹く春への移り変わり、夏から秋にかけての宵の雰囲気など、唯一郎の好む季節感というのがあるような気がする。

さて、そろそろレビューに入ろう。

山の若葉かぜふきて人の住む家建つ

酒田の街から北西に行くと、思いのほか近いところに山の端はある。その辺りは、自然の森が始まるところだ。若葉の季節になると、初夏の爽やかな風に揺られ、緑の影が見ほれてしまうほどのハーモニーを作る。

そんななかに、粗末な家が建っていて、人がちゃんと住んでいる。街場の人間である唯一郎には、それが新鮮な驚きに近い感覚となる。

ふくべら摘みこぼし小川流るる

ふくべらは、別名ニリンソウともいう山菜。白い花が咲いて、毒草のトリカブトと区別が付きにくいことでもしられる。

ふくべらを手に一杯摘み、握る手からこぼれて小川に落ち、水流に乗って流されていく。唯一郎の句には珍しいほど、田園的でのどかな光景である。

欅若葉の朝小さくなりし子供服

庄内には欅の木が案外多い。鎮守の森などに、威風堂々たる欅がそびえている。その高い枝々に緑の若葉が揺れる。

そうした朝、子どもの服が小さくなっていることに気付く。若葉とともに、我子も育っていることに気付く。

青春の影を感じさせるようなペシミスティックな色合いの歌が多かった唯一郎だが、この辺りから大人の余裕のようなものが見えてきている。

本日はこれぎり。

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