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2009年10月27日

みんな、おしゃれがしたいはず?

「おしゃれ」という言葉のイメージがプラスかマイナスかといえば、相対的には、プラス方向に振れているのは確実だと思う。

ただそれは、おしゃれでありさえすればいいということでないのは当然で、あまり構わなすぎるよりは、少しはおしゃれである方がいいだろうぐらいのレベルだと思う。

そして中には、他人がおしゃれをする分には一向に構わないが、自分がおしゃれをさせられるのはかなわんという人もいる。とくに戦前生まれの男には、こういう意識の人が多い。自分の身に降りかかってしまうと、気恥ずかしさが先に立つのだ。

私の妻が舅(つまり私の父)のそうした意識を理解するまでには、ちょっとした時間がかかった。妻は自分の父がおしゃれなので、私の父もおしゃれをしたいに違いないと思っていたフシがある。

だから、父の日とか誕生日とかに、「お父さん、これ、おしゃれよ」とか言って、洋服をプレゼントする。ところが父にしてみれば、贈られた服は、なんというか、ちょっとだけ("a little bit" 程度なのだが)おしゃれすぎるのである。自分がそれを着るのかと思うと、少し気恥ずかしい。

しかし、嫁がせっかく好意でくれたのだから、いらないとも言えない。それにもらってしまったのだから、着ないわけにもいかない。それが少なからぬプレッシャーになる。

妻も数年経ったらなんとなくそんな空気を察して、あまり着るものは贈らなくなった。実際問題として、父の着るものなんて、3年前に亡くなった母が元気な内にずいぶん買いためていたので、「もう、一生分ある」ということになっている。物欲皆無の父は、これ以上持ちたくないのだ。

というわけで、今は父へのプレゼントは「食べればなくなるもの」に限ることになっている。父としてもそれが一番うれしいようだ。

一般的な老人用の服、とくに介護を意識した服についても、似たようなことが言えると思う。

ユニバーサル・ファッション関連で企画側の陥りやすい罠は、「いくら年を取って体の自由が効かなくなっても、機能一点張りでおしゃれじゃない服なんて、着たくないはず」 という思いこみだ。

それで、妙に「デザインされた」老人服が押しつけられたりすることがある。「まあ、おしゃれね!」と、それをよろこぶおばあさんも多いかもしれないが、こと男性用となると、私の父のように気恥ずかしさが先に立って、居心地悪い思いをするということもある。

しかし、あまりにもじじくさいものばかり着ていても、脳に刺激が与えられないので老化が早まる。だからその頃合いが難しい。

ところで、アパレル業界でメシを食っているくせに、私は「おしゃれ」というものをあまりしたくない。私の服装は、かなりアメリカ人である。つまり「全然構わない」格好が好きなのだ。下手に「おしゃれ」なんてすると、居心地が悪くてしかたがない。

そりゃ、あんまりもっさりした格好もしたくないが、「みんな、おしゃれがしたいはず」なんて思いこみで妙なものを着せられたりしたら、自分のアイデンティティが損なわれてしまうほどの違和感に襲われるということもあるのだ。

「ちょっといいもの」を着たいと思って百貨店なんかにいくと、妙にデザインされた、しかもばか高い服が並んでいる。一方、値段の安い服をみれば、いくら何でも「磯野波平さんの服じゃあるまいし」というようなものばかりだ。中間がないのである。

ユニクロが一人勝ちしているのは、その「中間」を狙ったからだ。気恥ずかしくもなく、かっこ悪くもなく、しかも値段が安く、その上、そうした服は他に行っても案外見つからないというのだから、ユニクロは売れて当たり前である。

「みんなことさらにおしゃれがしたい」 というわけではないということを、ファッション業界は理解するべきである。ことさらにおしゃれじゃないけど、十分にかっこいいフツーの服というのが、とくに今の時代でなくても、売れて当然なんだと思う。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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ファッション・アクセサリ」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。TAKさん。

私の妻も、TAKさんの奥様と同じようであります。
そして、私の妻の母が、また、同じようにおしゃれが
好きな人であります。その二人が言うには、60歳を
超えてから着れるお洒落な服がないと言うのです。(女性物だけの話です。)
ブランド物の派手なものでなく、微妙にお洒落。
女性の言葉で言うと、こじゃれた(私はこの言葉が
嫌いです)服がないそうです。
世代、性別、好みで、ほしいものが無い無いと
言っている感じです。ですから、TAKさんの
おっしゃるように、ユニクロが無難なのでしょうね。

私個人は、年間平均気温が高いところで生活しているので、
T-シャツにパンツで過ごすことが7割くらいです。
T-シャツもこだわりはありません。友達から海外
旅行の土産に、地名の入ったT-シャツなどを
よく貰いますので、それを着ることが多いですね。
なので、妻におしゃれを強制されると、恥ずかしい
と言うより、面倒が先にたってしまいます。
でも、よれよれT-シャツが多くなってきたので、
そろそろ買わないといけません。

来週にでも買いに行ってきます。

毎日楽しみにしています。

投稿: ヒロ | 2009年10月27日 18:41

ヒロ さん:

>その二人が言うには、60歳を
>超えてから着れるお洒落な服がないと言うのです。(女性物だけの話です。)

それは言えます。
体型が若い頃と同じなら、選択の範囲はいくらでもあるのでしょうが、中年過ぎの体型向きの服になると突然、「磯野フネさんの服」 になってしまいます。

それは、中年過ぎの体型の服を企画しているデザイナーが、昔の中年過ぎのセンスでデザインしているからです。

今の60歳過ぎは、昔はロックンロールでギンギンにやっていた世代ですから、磯野フネさんの服は誰も着ません。

ところが、若いセンスの服をデザインしている人は、中年過ぎの体型に合わせたがりません。
沽券に関わるとでも思っているみたいです。

それで、「60歳を超えてから着れるお洒落な服がない」 という事情になります。

作れば売れるのに、作りたがらない。
ファッション業界というのは、フツーのマーケティングのできない業界です。

だから、ちょっとフツーのマーケティングをしちゃうと、ユニクロみたいに一人勝ちできます。

投稿: tak | 2009年10月27日 20:03


そういうtak-shonai さんのおしゃれというか、服装の好みはどうなのでしょうか?
野宿スタイルですか?(笑)

私の服装を無理に分ければ三期に分かれると思います
○ 学生時代の石津謙介・VAN IVY調
○ ロンドン時代の英国調
○ アメリカ時代のアメリカン・カジュアル

もちろんIVYはもう卒業していますが(笑)、私の意識の根底にはアイヴィー美学が伏流しているような気がします

現在は
○ ハレの場(時間的に10%)には英国調
○ ケの場(90%)にはアメリカンカジュアル
です

私は
○ あまり流行に左右されない
○ やや保守的な、伝統的な
○ 男性的な
○ 洗練された
服装が好きです

非常に個人的な感じ方なのです
私は「オシャレ」という言葉に
○ 「必要以上な自己顕示」と
○ 「奇をてらった演出」と
○ 「流行への追従性」
○ 「個性の欠如」
というニュアンスを感じてしまいます

UNIQLOについては
○ XLサイズがちゃんとある
○ ダサくは無い
○ 価格が安い
○ 布地・縫製も一部を除いてほぼ合格点
と言う理由で、初めは御用達(笑)だったのですが
この頃は、非常に物足りなく思っています

あまりに没個性で、色気が無く、まるで部屋着では無いかと (笑)
特にブレザー・ジャケット類はデザイン・縫製が価格相応に安っぽくてみっともない
若い日本人男性の体格に合わせすぎて(笑)貧弱なシルエットになっています
低価格路線に偏りすぎましたね

一方、私がカナダの本社でトートバッグを買ってから、そのファンになって、日本では通販で買い物を続けているL L BEAN は、価格帯が違うし、HEABY DUTYなOUTDOORウェア・実用義が中心ですが、それでも最低限の洗練があります

とすると
やはり「おしゃれ心」が必要なのでしょうか?(笑)


投稿: alex99 | 2009年10月27日 22:27


考えてみると、私はモノ・フェチなのでした(笑)
コレクターですが、種類や量を求めるのではなくて、最も気に入ったもの数点だけを残して、あとは他人にあげたり捨てたりしてしまうという種類の最悪のタイプのコレクターです(笑)

だから納得できない服は、例え高価なブランドものでも、他人からプレゼントされたものでも着用しません
ホームレスに寄付したりもします

オーデコロンでも、一番好きなものしかつけたくありません
他の気に入らなくなったオーデコロンは、早くなくなってくれ!と、つけなくてもいい時でも、無理につけてしまいます
捨てることもあります
まあ、これでもいいや、がまんしよう・・・と言う風にはゆきません(笑)
なんだか、私にだけわかる、私の好みというものがあるようです

投稿: alex99 | 2009年10月27日 22:40

alex さん:

>そういうtak-shonai さんのおしゃれというか、服装の好みはどうなのでしょうか?

私自身は、基本アメリカン・カジュアルです。
普段はオンタイムでも、ネクタイなし、ジャケットもアンコンシトラクティッド。

それではやばいときだけ、ごくフツーのブリティッシュ・スタイルのスーツです。

>非常に個人的な感じ方なのです
>私は「オシャレ」という言葉に
>○ 「必要以上な自己顕示」と
>○ 「奇をてらった演出」と
>○ 「流行への追従性」
>○ 「個性の欠如」
>というニュアンスを感じてしまいます

かなりわかります (^o^)

ただ、いわゆるファッショナブルな格好をしている人は、流行に追従することが自らのアイデンティティと捉えているフシがあります。
そしてそれは 「追従」 ではなく 「自分は感度がいいから、いち早く取り入れている」 のだと思っているようです。

「おしゃれとは何か」 というコンセプトには、かなり個人差があるようです。

投稿: tak | 2009年10月28日 08:47


なるほど
おしゃれな人は、高感度人間
しかし、アンテナの方向はその時の流行ですね

ただ、よく画家などの「芸術家」が流行と全く関係のない、あまりにも(笑)個性的な「おしゃれ」をしていたりしますが、あれもあれで、「重い」感じがしますね

流行も一種の「風」と読んだ方が良さそうです

投稿: alex99 | 2009年10月28日 16:16

alex さん:

>ただ、よく画家などの「芸術家」が流行と全く関係のない、あまりにも(笑)個性的な「おしゃれ」をしていたりしますが、あれもあれで、「重い」感じがしますね

そうなんです。
流行の取り入れ方というのは、それはそれで面倒なものです。
「つかず離れず」 というのがいいのかもしれません。

投稿: tak | 2009年10月29日 00:15

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